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第21話 バルテルの帰還
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それからの日々、リリアナは落ち着かぬ心を抱えながらも、細やかな準備に追われていた。
食堂の大きなテーブルには新しいクロスがかけられ、銀食器は侍女たちが磨き上げ、まるで鏡のように光を放つ。中庭では庭師が噴水の周囲に色とりどりの花を植え、夜には燭台の灯が揺らめくよう整えられた。
リリアナは毎朝、屋敷の門を見やりながら小さな祈りを捧げた。
(今日こそ帰ってきてくれるかしら……)
心が逸るたびに、自らを戒めるように胸に手を当て、姿勢を正す。
義母クラウディアはそんな彼女を見て「あなた、顔色がよくなったわね」と微笑んだ。
「ええ……。希望があると、人はこんなにも変わるのですね」
そう答えながら、リリアナは己の頬に自然な紅が差していることに気づく。鏡に映る栗色の髪と瞳には、確かな輝きが宿っていた。
庭ではエマが侍女たちと談笑しながら、バルテルが好む色の花を選んでいる。その光景は、リリアナの心にも温かい灯をともした。屋敷全体が、まるで春を迎えたかのように活気づいている。以前の重苦しい空気が嘘のようだった。
クラウスは馬車の点検を繰り返し、ローレンは領内の巡回を増やして治安維持に努めていた。皆が主人の帰還を信じ、その時を待っている。領主が不在の間、どれほどの重圧を彼らが担っていたか――リリアナは今更ながら理解し、胸が詰まる思いがした。
彼らの忠誠に報いるためにも、これからはバルテルを支える妻として強く、賢くあらねばならないと心に誓う。
一方、城下町でも準備が進んでいた。広場の木々には花飾りが吊るされ、子供たちは「旦那様が帰ってくる」と無邪気に歌を口ずさんでいる。
老いた商人たちは「ようやく領が落ち着く」と肩を叩き合い、酒場では若者たちが祝杯の練習と称して賑わっていた。
パン屋の店先にはバルテルの紋章を象った大きなパンが飾られ、鍛冶屋は特別な飾り物を制作していた。夜になると焚き火が焚かれ、人々は集まっては領主の武勇や人柄を語り合った。
ある日の午後、屋敷の門が急に開き、一人の騎士が馬を飛ばして駆け込んできた。
「奥様! 旦那様のお隊が、まもなく領境を越えられます!」
その報告に屋敷中がざわめき立つ。マルタとエマは控室の整えを急ぎ、料理人は大鍋の前に立った。
使用人たちは興奮を顔に浮かべながら、最後の仕上げに取りかかる。
リリアナは胸の鼓動を抑えられず、ドレスの裾を握りしめた。鏡に映る自分の顔は、期待と喜びで紅潮している。
(本当に……もうすぐなのね)
彼女は玄関ホールへ向かった。そこにはクラウディアやクラウス、ローレン、侍女たちが集まり、皆が息を潜めて待ち構えている。
リリアナは思った――この喜びは、自分一人のものではなく、屋敷の人々、領民たち皆と分かち合うものなのだと。
その頃、領境の丘を越えて馬蹄の音が響いていた。
バルテルの隊列が進み、旗に描かれた紋章が夕陽に赤く染まる。
副官ロディックが馬を寄せ、「閣下、まもなくヴァルディアの門が見えます」と告げた。
バルテルは無言で頷き、遠くに霞む屋敷の灯を見据える。
胸の奥に燃える思いはただひとつ――妻の笑顔をこの目で確かめること。
(待たせたな、リリアナ……漸く、ようやくだ……)
その思いを胸に、バルテルは馬の歩みを速めた。
森を抜け、丘を下るごとに、故郷の土の匂いが胸いっぱいに広がっていく。
王都での日々に重くのしかかっていた政務も駆け引きも、すべてはこの瞬間へと収束していた。
やがて屋敷の門が見えた。門扉の向こうには人影が集まり、灯火が揺れている。その中に、リリアナが――。
胸の高鳴りを抑えながら、彼は馬を止め、深く息を吸い込んだ。
門がゆっくりと開かれる。温かな光が夜気を押しのけるように溢れ出し、その先に待つ者の姿を、バルテルは食い入るように見つめた。
――待ちわびた再会の瞬間は、すぐそこに迫っていた。
食堂の大きなテーブルには新しいクロスがかけられ、銀食器は侍女たちが磨き上げ、まるで鏡のように光を放つ。中庭では庭師が噴水の周囲に色とりどりの花を植え、夜には燭台の灯が揺らめくよう整えられた。
リリアナは毎朝、屋敷の門を見やりながら小さな祈りを捧げた。
(今日こそ帰ってきてくれるかしら……)
心が逸るたびに、自らを戒めるように胸に手を当て、姿勢を正す。
義母クラウディアはそんな彼女を見て「あなた、顔色がよくなったわね」と微笑んだ。
「ええ……。希望があると、人はこんなにも変わるのですね」
そう答えながら、リリアナは己の頬に自然な紅が差していることに気づく。鏡に映る栗色の髪と瞳には、確かな輝きが宿っていた。
庭ではエマが侍女たちと談笑しながら、バルテルが好む色の花を選んでいる。その光景は、リリアナの心にも温かい灯をともした。屋敷全体が、まるで春を迎えたかのように活気づいている。以前の重苦しい空気が嘘のようだった。
クラウスは馬車の点検を繰り返し、ローレンは領内の巡回を増やして治安維持に努めていた。皆が主人の帰還を信じ、その時を待っている。領主が不在の間、どれほどの重圧を彼らが担っていたか――リリアナは今更ながら理解し、胸が詰まる思いがした。
彼らの忠誠に報いるためにも、これからはバルテルを支える妻として強く、賢くあらねばならないと心に誓う。
一方、城下町でも準備が進んでいた。広場の木々には花飾りが吊るされ、子供たちは「旦那様が帰ってくる」と無邪気に歌を口ずさんでいる。
老いた商人たちは「ようやく領が落ち着く」と肩を叩き合い、酒場では若者たちが祝杯の練習と称して賑わっていた。
パン屋の店先にはバルテルの紋章を象った大きなパンが飾られ、鍛冶屋は特別な飾り物を制作していた。夜になると焚き火が焚かれ、人々は集まっては領主の武勇や人柄を語り合った。
ある日の午後、屋敷の門が急に開き、一人の騎士が馬を飛ばして駆け込んできた。
「奥様! 旦那様のお隊が、まもなく領境を越えられます!」
その報告に屋敷中がざわめき立つ。マルタとエマは控室の整えを急ぎ、料理人は大鍋の前に立った。
使用人たちは興奮を顔に浮かべながら、最後の仕上げに取りかかる。
リリアナは胸の鼓動を抑えられず、ドレスの裾を握りしめた。鏡に映る自分の顔は、期待と喜びで紅潮している。
(本当に……もうすぐなのね)
彼女は玄関ホールへ向かった。そこにはクラウディアやクラウス、ローレン、侍女たちが集まり、皆が息を潜めて待ち構えている。
リリアナは思った――この喜びは、自分一人のものではなく、屋敷の人々、領民たち皆と分かち合うものなのだと。
その頃、領境の丘を越えて馬蹄の音が響いていた。
バルテルの隊列が進み、旗に描かれた紋章が夕陽に赤く染まる。
副官ロディックが馬を寄せ、「閣下、まもなくヴァルディアの門が見えます」と告げた。
バルテルは無言で頷き、遠くに霞む屋敷の灯を見据える。
胸の奥に燃える思いはただひとつ――妻の笑顔をこの目で確かめること。
(待たせたな、リリアナ……漸く、ようやくだ……)
その思いを胸に、バルテルは馬の歩みを速めた。
森を抜け、丘を下るごとに、故郷の土の匂いが胸いっぱいに広がっていく。
王都での日々に重くのしかかっていた政務も駆け引きも、すべてはこの瞬間へと収束していた。
やがて屋敷の門が見えた。門扉の向こうには人影が集まり、灯火が揺れている。その中に、リリアナが――。
胸の高鳴りを抑えながら、彼は馬を止め、深く息を吸い込んだ。
門がゆっくりと開かれる。温かな光が夜気を押しのけるように溢れ出し、その先に待つ者の姿を、バルテルは食い入るように見つめた。
――待ちわびた再会の瞬間は、すぐそこに迫っていた。
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