誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる

吉乃

文字の大きさ
22 / 92

第22話 再会の抱擁

しおりを挟む
重厚な鉄細工の門扉が、年季のきしみを残してゆっくりと内側へ開いた。

 夜の帳が降りたばかりのヴァルディア邸へ、玄関ホールからこぼれる温かな光が闇を押しやるように広がっていく。その光の輪の中に、リリアナは立っていた。

 燭台の明かりが、彼女の栗色の髪を柔らかく照らす。深い瞳には涙の星が宿り、緊張に震える指先はぎゅっと結ばれている。長く胸に秘めた願いが、今、現実になろうとしていた。

 やがて馬列が門前に止まる。副官ロディックが高らかに声を放った。
「辺境伯閣下、ご帰還――門を開けよ!」
 その響きに門番が素早く反応し、扉はさらに大きく開かれていく。

 列の先頭、黒髪の影が光の中へと一歩を踏み入れた。――バルテルである。
 彼の視線の先には、リリアナを先頭に、義母クラウディア、執事クラウス、騎士ローレンとカイル、侍女マルタとエマをはじめとする使用人一同が整列し、主君の帰還を待ち構えていた。

 光の中で、リリアナは一歩前に出る。ドレスの裾を広げ、深くお辞儀をした。
「旦那様……長旅、本当にお疲れさまでした」
 声は震え、肩もわずかに揺れている。

 その様子を目にしたバルテルは、馬上から静かに降り立った。鐙から外した足が石畳を踏みしめ、磨き上げられた軍靴の響きが、夜気を切り裂くように重々しく広がった。

 彼はゆっくりとリリアナへ歩み寄り――思わず胸に込み上げるものを覚えた。

(幾多の戦場をくぐり抜けたこの胸が、これほどまでに脈打つことがあっただろうか……)
 喉が詰まり、言葉が出ない。長い日々、彼を支え続けたのは――この姿。リリアナの微笑だった。

 土を踏むブーツの音が、夜気へ吸い込まれていく。一歩、また一歩。周囲のざわめきが遠のき、世界に残るのは二人の息遣いだけになった。

「……リリアナ」
 ようやく絞り出した声は低くかすれていたが、偽りのない心音のように響いた。

「バルテル様……!」
 名を呼んだ瞬間、リリアナの瞳から涙がこぼれる。距離があとわずかになったところで、彼女は抑えきれず駆け出した。翻るスカート、宙にほどける栗色の髪。

 バルテルは迷わず両腕を広げ、その身を受け止める。硬い胸甲に、彼女の温もりがすとんと収まった。抱擁は、空白の年月をひと息で埋めるほど確かで、強かった。

「……おかえりなさい、バルテル様」
 耳元で震える声。
 凍てついた内奥に灯がともる。胸の奥に、安堵と愛情と感謝が一度に押し寄せ、彼は短く息を呑んだ。

 しばしの沈黙ののち、ぎこちなさを残しながらも、彼は答える。
「ただいま……リリアナ。――待たせたな」

 彼女は小さく首を振った。
「いいえ……この時を信じて待っていました。あなたのためなら」
 言葉は涙に変わり、彼女の頬を温かく伝って落ちた。

 バルテルは不器用に、しかし慈しむように彼女の背へ腕を回し、栗色の髪にそっと手を滑らせる。
その仕草は、彼が生涯で初めて自覚的に示した「愛おしさ」だった。

 玄関ホールの奥では、義母クラウディアが目頭を押さえ、侍女のマルタとエマが声を殺して泣き笑いしている。
執事クラウスと家臣ローレンとカイルは深く頷き合い、主君の無事と帰還を静かに喜んだ。
邸に仕える者たちの安堵と敬愛が、あたたかな空気となって二人を包む。

 王都での政務という長い別離を越え、ようやく巡り合えた抱擁は、過ぎ去った孤独と不安をやわらげ、これからを共に歩む誓いへと変わっていく。

 やがて、バルテルは腕の力をわずかに緩め、リリアナの顔を確かめるように見つめた。彼女もまた、涙の跡を残したまま微笑む。

「皆……世話をかけた」
  バルテルが視線を上げると、クラウディアが一歩進み出て、長い年月を乗り越えた母の眼差しで見つめた。
「バルテル……領を離れて長かったわね。よく務めを果たしてくれました」
 その声は震えていたが、母としての愛情と安堵に満ちていた。

 マルタとエマは深く一礼し、クラウスとローレンは胸に手を当て、主君の帰還を讃えた。

「まずは身体を休みなさい。食堂の支度は整えてあるわ」

 母クラウディアの言葉に、バルテルは小さく頷いた。
「……ありがとう。――行こう、リリアナ」

 二人は手を取り、邸の中へ歩み入る。
廊下の壁には歴代当主の肖像が並ぶが、今の二人の視界にあるのは互いの横顔だけだった。
久方ぶりに同じ歩みを進める喜びと、重ねてきた日々の想いが重なり合い、今この静かな並び歩きを――歴代の肖像さえ霞ませるほど尊いものにしていた。

 食堂の扉が開かれる。温かな光と、湯気の立つスープの香りが迎える。
長い卓には焼き立てのパン、滋味ある肉料理、新鮮な野菜が並び、中央の燭台が淡く揺れていた。

 隣り合って腰を下ろすと、沈黙が降りる――だが、その沈黙は不安ではなく、存在を確かめ合うための静けさだった。

「城――いや、邸での暮らしは変わりなかったか」
 バルテルの問いに、リリアナは頷く。
「はい。クラウディア様をはじめ、皆が支えてくださいました。……大きな問題もなく」
 バルテルはクラウスとローレンへ視線を向け、短く礼を示した。
「後ほど改めて労をねぎらおう」

 スープの一匙ごとに、旅の荒食の記憶が遠ざかる。横には、待ち続けた妻がいる。ただそれだけで、これ以上何を望めようか。

 食後、二人は暖炉のある居間へ移った。薪が静かに爆ぜ、壁に映る影が寄り添い合って揺れる。
 ソファに並んで座ると、バルテルはリリアナの手をそっと包み込んだ。

「……本当に、待たせてすまなかった」
「いいえ。私は、あなたの言葉を信じて待っていました。」
 リリアナの笑みは、涙の名残りを含みながらも、これまででいちばん強かった。

「私は、お前とこの邸、そして領地を守るために、王都で務めを果たしてきた。――それが私の役目だ。」

 その言葉に、リリアナの瞳が再び潤む。
「バルテル様……」

 彼はふたたび彼女を抱き寄せた。そこにあるのは過去の不安ではなく、確かな温もりとこれからの希望だった。
 暖炉の炎は静かに燃え、二人の影は一つに重なって壁へ長く伸びた。

 長い旅路の終わりに、ようやく手にした安らぎ。
 その抱擁は、ヴァルディア邸とこの領に、穏やかな新しい朝が訪れることを静かに告げていた。
しおりを挟む
感想 87

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

【完結】私を裏切った最愛の婚約者の幸せを願って身を引く事にしました。

Rohdea
恋愛
和平の為に、長年争いを繰り返していた国の王子と愛のない政略結婚する事になった王女シャロン。 休戦中とはいえ、かつて敵国同士だった王子と王女。 てっきり酷い扱いを受けるとばかり思っていたのに婚約者となった王子、エミリオは予想とは違いシャロンを温かく迎えてくれた。 互いを大切に想いどんどん仲を深めていく二人。 仲睦まじい二人の様子に誰もがこのまま、平和が訪れると信じていた。 しかし、そんなシャロンに待っていたのは祖国の裏切りと、愛する婚約者、エミリオの裏切りだった─── ※初投稿作『私を裏切った前世の婚約者と再会しました。』 の、主人公達の前世の物語となります。 こちらの話の中で語られていた二人の前世を掘り下げた話となります。 ❋注意❋ 二人の迎える結末に変更はありません。ご了承ください。

負け組の王太子と愛のない政略結婚をしました

拓海のり
恋愛
侯爵令嬢のアガーテは王太子ヘルムートと政略結婚をした。しかし、アガーテは侯爵家では亡くなった先妻の子であり、王太子にとって後ろ盾になりうるか微妙であった。また王太子は正妃の子供であるが正妃は隣国から押し付けられた妃で、国王陛下は元婚約者の第二妃を娶っている。昨今は隣国の弱体化も囁かれ、王妃も危うい。 負け組の中でアガーテの生きていく道はあるのか。愛憎モノではなく、魔法でハッピーみたいな、ご都合主義のお話です。 見切り発車です。途中から更新が遅くなります。

[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜

h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」 二人は再び手を取り合うことができるのか……。 全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)

その日がくるまでは

キムラましゅろう
恋愛
好き……大好き。 私は彼の事が好き。 今だけでいい。 彼がこの町にいる間だけは力いっぱい好きでいたい。 この想いを余す事なく伝えたい。 いずれは赦されて王都へ帰る彼と別れるその日がくるまで。 わたしは、彼に想いを伝え続ける。 故あって王都を追われたルークスに、凍える雪の日に拾われたひつじ。 ひつじの事を“メェ”と呼ぶルークスと共に暮らすうちに彼の事が好きになったひつじは素直にその想いを伝え続ける。 確実に訪れる、別れのその日がくるまで。 完全ご都合、ノーリアリティです。 誤字脱字、お許しくださいませ。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

あなたのためなら

天海月
恋愛
エルランド国の王であるセルヴィスは、禁忌魔術を使って偽の番を騙った女レクシアと婚約したが、嘘は露見し婚約破棄後に彼女は処刑となった。 その後、セルヴィスの真の番だという侯爵令嬢アメリアが現れ、二人は婚姻を結んだ。 アメリアは心からセルヴィスを愛し、彼からの愛を求めた。 しかし、今のセルヴィスは彼女に愛を返すことが出来なくなっていた。 理由も分からないアメリアは、セルヴィスが愛してくれないのは自分の行いが悪いからに違いないと自らを責めはじめ、次第に歯車が狂っていく。 全ては偽の番に過度のショックを受けたセルヴィスが、衝動的に行ってしまった或ることが原因だった・・・。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

処理中です...