誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる

吉乃

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第48話 襲撃の矢影

ある日、バルテルとリリアナは子供たちを侍女に預け、領地の視察へと出かけることにした。
 リリアナが重身であるため、今回は王都から最も近い視察地を選んでいた。

 早朝の石畳を、馬車の車輪が規則正しく鳴らす。
 広間で浴びた冷たい視線と嘲りの囁きは、なお胸の奥に重く残っていた。

(私は二人の子の母になるのだから……強くあらねば)

 そう思った矢先、馬車が急に大きく揺れた。
 御者の叫びが響く。
「旦那様! 前方に――!」

 闇に紛れた数人の影が、馬車を取り囲んでいた。鋭い刃が月光にぎらりと光る。

「リリアナ、伏せろ!」
 バルテルが彼女を抱きかかえ、覆いかぶさる。
 外では護衛たちの剣戟が響き、火花が散った。だが敵は周到に準備していたらしく、車輪に仕掛けがされていた。軋む音と共に木片が砕け、馬車が大きく傾ぐ。

 リリアナは必死にお腹を庇った。
(この子だけは……!)

 次の瞬間、鋭い矢が車窓を貫き、座席のすぐ脇に突き刺さる。
 恐怖で息が詰まる。だが、バルテルの瞳は燃えるように冷たかった。
「どんな手を使おうと……お前たちには屈さぬ!」

 彼は剣を抜き、馬車から飛び出した。
 闇の中、刃と刃が火花を散らす。
 護衛たちは必死に応戦したが、敵は訓練された動きで包囲を狭めてくる。

 その時、背後から轟く馬蹄の音が迫った。
「退けい!」

 騎馬の一団が街路に雪崩れ込む。
 先頭にいたのは、鋭い眼光を放つライナルトだった。
 彼の部隊が突入すると、襲撃者たちは次々に退き、闇へと消えていく。

「妹よ、無事か!」
 馬車の扉を開け、ライナルトが駆け寄る。
 リリアナは震えながらも必死に頷いた。
「……ええ、なんとか……」

 バルテルは剣を収め、深く息を吐いた。
「助かった。恩に着る」

 ライナルトは首を振る。
「礼は要らぬ。昨夜、襲撃の情報を受け取った。急ぎ知らせようとしていたが……間に合ってよかった。だが、これで分かったはずだ。奴らは本気でお前たちを消そうとしている」

その言葉に、リリアナの胸が凍りついた。
 お腹の子の胎動を感じながら、彼女は静かに唇を噛みしめる。

 その後、二人は急ぎ邸へと戻った。
 これ以上外にいるのは危険だと、誰の目にも明らかだった。

 間もなく、宰相レーフェンハルト夫人から密書が届けられる。
『辺境伯家を狙う動きは、すでに王弟派全体に広がっております。今は軽々に動かず、守りを固めよ。必ず味方はおります』

 確かに援軍は現れた。
 だが、それはほんの一時の綱に過ぎない。
 バルテルはさらに防備を固めるべく、邸周囲の警備を強化し、辺境に応援を要請するため急ぎ使者を送った。

 その頃、部屋で休んでいたリリアナは、突然お腹が釣ったような痛みに襲われた。
「……っ……!」

 冷や汗が背を伝い、呼吸が浅くなる。
「どうしよう……赤ちゃん……」

 さっきまで元気に動いていたはずのお腹が急に静かになった気がして、不安が胸を締めつけた。
(襲撃の後から、どこか違和感があった……まさか、大事に……?)

 異変に気づいた侍女リサが慌てて駆け出し、すぐにバルテルへと知らせた。
 まもなく、女医ミレーネが呼ばれ診察にあたる。

 やがて、静かに診察を終えたミレーネが告げた。
「大丈夫です。お腹の子は無事です」

 その言葉に、リリアナは胸を撫で下ろし、安堵の涙をこぼした。
「……よかった……」

 けれど続けて、ミレーネは穏やかに言葉を添えた。
「ただ、奥様の心と気持ちの問題が大きいのでしょう。お腹の子は母親と深く繋がっています。お母さんの声も気持ちも、すべてを受け止めているのですよ」

 リリアナは「はっ」とした。
 分かってはいたこと――けれど、恐怖に押し流され、感情を抑えきれなかった自分が情けなかった。

 彼女はお腹にそっと手を添え、申し訳なさそうに囁いた。
「ごめんね……。お母さんが弱いせいで……」

 その会話を聞いていたバルテルは、唇を固く結んだ。
 守れなかったのは自分のせいだ――そんな悔恨が胸を突き刺す。

ミレーネが去ってから、バルテルはリリアナのベッドの横に腰を下ろした。
 彼女の手を優しく握りしめ、低く問いかける。

「大丈夫か?」

「ええ。心配をかけて、ごめんなさい……」

 弱々しくも笑みを浮かべる妻に、バルテルの胸が締めつけられる。
「いや、私が不甲斐ないばかりに……お前たちを守りたいのに、すまない……」

 リリアナは首を振り、柔らかな眼差しを向けた。
「あなた一人で背負うことはないわ。そんなふうに思わないでください」

 その優しい言葉と瞳に、張り詰めていた彼の心がふっと救われた。
 バルテルは彼女を抱き寄せるように肩に手を置き、静かに告げる。

「俺は決して屈せぬ。だが……この戦いは長くなる。共に覚悟してくれるか」

 その声音には、妻を思う優しさと、守りきれぬかもしれぬ自分への苦悩が滲んでいた。
 リリアナはその横顔を見上げ、深い皺を刻む眉にそっと指先を伸ばした。

「ええ。私はあなたと共にあります」

 小さく頷いた彼女は、夫の胸に顔を埋める。
 その温もりが、かろうじて震える心を繋ぎ止めていた。

 ――だが、心の奥底で芽生えたひとつの思いは消えなかった。
(私がここにいるせいで……皆が危険に晒されているのでは……)

 夫婦は同じぬくもりを分かち合いながらも、互いに別々の決意を胸に秘めていた。
 リリアナは「去るべき時が来るかもしれない」と、そしてバルテルは「どんな事があっても彼女たちを守り抜く」と。
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