48 / 92
第48話 襲撃の矢影
ある日、バルテルとリリアナは子供たちを侍女に預け、領地の視察へと出かけることにした。
リリアナが重身であるため、今回は王都から最も近い視察地を選んでいた。
早朝の石畳を、馬車の車輪が規則正しく鳴らす。
広間で浴びた冷たい視線と嘲りの囁きは、なお胸の奥に重く残っていた。
(私は二人の子の母になるのだから……強くあらねば)
そう思った矢先、馬車が急に大きく揺れた。
御者の叫びが響く。
「旦那様! 前方に――!」
闇に紛れた数人の影が、馬車を取り囲んでいた。鋭い刃が月光にぎらりと光る。
「リリアナ、伏せろ!」
バルテルが彼女を抱きかかえ、覆いかぶさる。
外では護衛たちの剣戟が響き、火花が散った。だが敵は周到に準備していたらしく、車輪に仕掛けがされていた。軋む音と共に木片が砕け、馬車が大きく傾ぐ。
リリアナは必死にお腹を庇った。
(この子だけは……!)
次の瞬間、鋭い矢が車窓を貫き、座席のすぐ脇に突き刺さる。
恐怖で息が詰まる。だが、バルテルの瞳は燃えるように冷たかった。
「どんな手を使おうと……お前たちには屈さぬ!」
彼は剣を抜き、馬車から飛び出した。
闇の中、刃と刃が火花を散らす。
護衛たちは必死に応戦したが、敵は訓練された動きで包囲を狭めてくる。
その時、背後から轟く馬蹄の音が迫った。
「退けい!」
騎馬の一団が街路に雪崩れ込む。
先頭にいたのは、鋭い眼光を放つライナルトだった。
彼の部隊が突入すると、襲撃者たちは次々に退き、闇へと消えていく。
「妹よ、無事か!」
馬車の扉を開け、ライナルトが駆け寄る。
リリアナは震えながらも必死に頷いた。
「……ええ、なんとか……」
バルテルは剣を収め、深く息を吐いた。
「助かった。恩に着る」
ライナルトは首を振る。
「礼は要らぬ。昨夜、襲撃の情報を受け取った。急ぎ知らせようとしていたが……間に合ってよかった。だが、これで分かったはずだ。奴らは本気でお前たちを消そうとしている」
その言葉に、リリアナの胸が凍りついた。
お腹の子の胎動を感じながら、彼女は静かに唇を噛みしめる。
その後、二人は急ぎ邸へと戻った。
これ以上外にいるのは危険だと、誰の目にも明らかだった。
間もなく、宰相レーフェンハルト夫人から密書が届けられる。
『辺境伯家を狙う動きは、すでに王弟派全体に広がっております。今は軽々に動かず、守りを固めよ。必ず味方はおります』
確かに援軍は現れた。
だが、それはほんの一時の綱に過ぎない。
バルテルはさらに防備を固めるべく、邸周囲の警備を強化し、辺境に応援を要請するため急ぎ使者を送った。
その頃、部屋で休んでいたリリアナは、突然お腹が釣ったような痛みに襲われた。
「……っ……!」
冷や汗が背を伝い、呼吸が浅くなる。
「どうしよう……赤ちゃん……」
さっきまで元気に動いていたはずのお腹が急に静かになった気がして、不安が胸を締めつけた。
(襲撃の後から、どこか違和感があった……まさか、大事に……?)
異変に気づいた侍女リサが慌てて駆け出し、すぐにバルテルへと知らせた。
まもなく、女医ミレーネが呼ばれ診察にあたる。
やがて、静かに診察を終えたミレーネが告げた。
「大丈夫です。お腹の子は無事です」
その言葉に、リリアナは胸を撫で下ろし、安堵の涙をこぼした。
「……よかった……」
けれど続けて、ミレーネは穏やかに言葉を添えた。
「ただ、奥様の心と気持ちの問題が大きいのでしょう。お腹の子は母親と深く繋がっています。お母さんの声も気持ちも、すべてを受け止めているのですよ」
リリアナは「はっ」とした。
分かってはいたこと――けれど、恐怖に押し流され、感情を抑えきれなかった自分が情けなかった。
彼女はお腹にそっと手を添え、申し訳なさそうに囁いた。
「ごめんね……。お母さんが弱いせいで……」
その会話を聞いていたバルテルは、唇を固く結んだ。
守れなかったのは自分のせいだ――そんな悔恨が胸を突き刺す。
ミレーネが去ってから、バルテルはリリアナのベッドの横に腰を下ろした。
彼女の手を優しく握りしめ、低く問いかける。
「大丈夫か?」
「ええ。心配をかけて、ごめんなさい……」
弱々しくも笑みを浮かべる妻に、バルテルの胸が締めつけられる。
「いや、私が不甲斐ないばかりに……お前たちを守りたいのに、すまない……」
リリアナは首を振り、柔らかな眼差しを向けた。
「あなた一人で背負うことはないわ。そんなふうに思わないでください」
その優しい言葉と瞳に、張り詰めていた彼の心がふっと救われた。
バルテルは彼女を抱き寄せるように肩に手を置き、静かに告げる。
「俺は決して屈せぬ。だが……この戦いは長くなる。共に覚悟してくれるか」
その声音には、妻を思う優しさと、守りきれぬかもしれぬ自分への苦悩が滲んでいた。
リリアナはその横顔を見上げ、深い皺を刻む眉にそっと指先を伸ばした。
「ええ。私はあなたと共にあります」
小さく頷いた彼女は、夫の胸に顔を埋める。
その温もりが、かろうじて震える心を繋ぎ止めていた。
――だが、心の奥底で芽生えたひとつの思いは消えなかった。
(私がここにいるせいで……皆が危険に晒されているのでは……)
夫婦は同じぬくもりを分かち合いながらも、互いに別々の決意を胸に秘めていた。
リリアナは「去るべき時が来るかもしれない」と、そしてバルテルは「どんな事があっても彼女たちを守り抜く」と。
リリアナが重身であるため、今回は王都から最も近い視察地を選んでいた。
早朝の石畳を、馬車の車輪が規則正しく鳴らす。
広間で浴びた冷たい視線と嘲りの囁きは、なお胸の奥に重く残っていた。
(私は二人の子の母になるのだから……強くあらねば)
そう思った矢先、馬車が急に大きく揺れた。
御者の叫びが響く。
「旦那様! 前方に――!」
闇に紛れた数人の影が、馬車を取り囲んでいた。鋭い刃が月光にぎらりと光る。
「リリアナ、伏せろ!」
バルテルが彼女を抱きかかえ、覆いかぶさる。
外では護衛たちの剣戟が響き、火花が散った。だが敵は周到に準備していたらしく、車輪に仕掛けがされていた。軋む音と共に木片が砕け、馬車が大きく傾ぐ。
リリアナは必死にお腹を庇った。
(この子だけは……!)
次の瞬間、鋭い矢が車窓を貫き、座席のすぐ脇に突き刺さる。
恐怖で息が詰まる。だが、バルテルの瞳は燃えるように冷たかった。
「どんな手を使おうと……お前たちには屈さぬ!」
彼は剣を抜き、馬車から飛び出した。
闇の中、刃と刃が火花を散らす。
護衛たちは必死に応戦したが、敵は訓練された動きで包囲を狭めてくる。
その時、背後から轟く馬蹄の音が迫った。
「退けい!」
騎馬の一団が街路に雪崩れ込む。
先頭にいたのは、鋭い眼光を放つライナルトだった。
彼の部隊が突入すると、襲撃者たちは次々に退き、闇へと消えていく。
「妹よ、無事か!」
馬車の扉を開け、ライナルトが駆け寄る。
リリアナは震えながらも必死に頷いた。
「……ええ、なんとか……」
バルテルは剣を収め、深く息を吐いた。
「助かった。恩に着る」
ライナルトは首を振る。
「礼は要らぬ。昨夜、襲撃の情報を受け取った。急ぎ知らせようとしていたが……間に合ってよかった。だが、これで分かったはずだ。奴らは本気でお前たちを消そうとしている」
その言葉に、リリアナの胸が凍りついた。
お腹の子の胎動を感じながら、彼女は静かに唇を噛みしめる。
その後、二人は急ぎ邸へと戻った。
これ以上外にいるのは危険だと、誰の目にも明らかだった。
間もなく、宰相レーフェンハルト夫人から密書が届けられる。
『辺境伯家を狙う動きは、すでに王弟派全体に広がっております。今は軽々に動かず、守りを固めよ。必ず味方はおります』
確かに援軍は現れた。
だが、それはほんの一時の綱に過ぎない。
バルテルはさらに防備を固めるべく、邸周囲の警備を強化し、辺境に応援を要請するため急ぎ使者を送った。
その頃、部屋で休んでいたリリアナは、突然お腹が釣ったような痛みに襲われた。
「……っ……!」
冷や汗が背を伝い、呼吸が浅くなる。
「どうしよう……赤ちゃん……」
さっきまで元気に動いていたはずのお腹が急に静かになった気がして、不安が胸を締めつけた。
(襲撃の後から、どこか違和感があった……まさか、大事に……?)
異変に気づいた侍女リサが慌てて駆け出し、すぐにバルテルへと知らせた。
まもなく、女医ミレーネが呼ばれ診察にあたる。
やがて、静かに診察を終えたミレーネが告げた。
「大丈夫です。お腹の子は無事です」
その言葉に、リリアナは胸を撫で下ろし、安堵の涙をこぼした。
「……よかった……」
けれど続けて、ミレーネは穏やかに言葉を添えた。
「ただ、奥様の心と気持ちの問題が大きいのでしょう。お腹の子は母親と深く繋がっています。お母さんの声も気持ちも、すべてを受け止めているのですよ」
リリアナは「はっ」とした。
分かってはいたこと――けれど、恐怖に押し流され、感情を抑えきれなかった自分が情けなかった。
彼女はお腹にそっと手を添え、申し訳なさそうに囁いた。
「ごめんね……。お母さんが弱いせいで……」
その会話を聞いていたバルテルは、唇を固く結んだ。
守れなかったのは自分のせいだ――そんな悔恨が胸を突き刺す。
ミレーネが去ってから、バルテルはリリアナのベッドの横に腰を下ろした。
彼女の手を優しく握りしめ、低く問いかける。
「大丈夫か?」
「ええ。心配をかけて、ごめんなさい……」
弱々しくも笑みを浮かべる妻に、バルテルの胸が締めつけられる。
「いや、私が不甲斐ないばかりに……お前たちを守りたいのに、すまない……」
リリアナは首を振り、柔らかな眼差しを向けた。
「あなた一人で背負うことはないわ。そんなふうに思わないでください」
その優しい言葉と瞳に、張り詰めていた彼の心がふっと救われた。
バルテルは彼女を抱き寄せるように肩に手を置き、静かに告げる。
「俺は決して屈せぬ。だが……この戦いは長くなる。共に覚悟してくれるか」
その声音には、妻を思う優しさと、守りきれぬかもしれぬ自分への苦悩が滲んでいた。
リリアナはその横顔を見上げ、深い皺を刻む眉にそっと指先を伸ばした。
「ええ。私はあなたと共にあります」
小さく頷いた彼女は、夫の胸に顔を埋める。
その温もりが、かろうじて震える心を繋ぎ止めていた。
――だが、心の奥底で芽生えたひとつの思いは消えなかった。
(私がここにいるせいで……皆が危険に晒されているのでは……)
夫婦は同じぬくもりを分かち合いながらも、互いに別々の決意を胸に秘めていた。
リリアナは「去るべき時が来るかもしれない」と、そしてバルテルは「どんな事があっても彼女たちを守り抜く」と。
あなたにおすすめの小説
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
【完結】私を裏切った最愛の婚約者の幸せを願って身を引く事にしました。
Rohdea
恋愛
和平の為に、長年争いを繰り返していた国の王子と愛のない政略結婚する事になった王女シャロン。
休戦中とはいえ、かつて敵国同士だった王子と王女。
てっきり酷い扱いを受けるとばかり思っていたのに婚約者となった王子、エミリオは予想とは違いシャロンを温かく迎えてくれた。
互いを大切に想いどんどん仲を深めていく二人。
仲睦まじい二人の様子に誰もがこのまま、平和が訪れると信じていた。
しかし、そんなシャロンに待っていたのは祖国の裏切りと、愛する婚約者、エミリオの裏切りだった───
※初投稿作『私を裏切った前世の婚約者と再会しました。』
の、主人公達の前世の物語となります。
こちらの話の中で語られていた二人の前世を掘り下げた話となります。
❋注意❋ 二人の迎える結末に変更はありません。ご了承ください。
星に願っても叶わなかったので自分で叶えることにしました
空橋彩
恋愛
子爵家の次女、オリヴィア・ワンフルールは100万人に一人と言われる『回復魔法の使い手』だった。
家族や友達に愛され、幸せな日々を過ごす一方で魔獣退治や戦いで傷ついた兵士たちを癒すために冒険者登録をして活躍をしていた。
17歳になったある日、オリヴィアの貴重な回復魔法の遺伝子と、この国の名誉公爵であり、稀代の傑物と呼ばれる、ヴィクトール・ツーデンの遺伝子を残すべく、国王より勅命がくだされる。
国のため、家族のためにと思いヴィクトールの元へと嫁ぐ決心をする。
しかし、ヴィクトールは結婚式ではベールすら上げず、もちろん初夜も訪れはない。
食事も別で、すれ違っても挨拶もしない。
主人が冷遇する女主人程立場が弱いものはなく、使用人達からも辛く当たられる事になったオリヴィアは星に願う。
『どうか、少しでも私を受け入れてくださいますように。』
しかしオリヴィアの願いは叶う事なく、冷遇はさらに続き、離れへと追いやられてしまう。
誰も助けてくれないなら自分で道を切り開くのみ、とやられたらただでは起きない逞しさを発揮して、この現状から抜け出そうとする、たくましい子爵令嬢のお話。
ファンタジー創作のご都合主義。
細かい事は気にするな!の精神で書いててます。
間違っている事だらけだけど、このお話の世界はそうなんだ、と流してください。
3話まではほぼ説明回。4話から主人公視点で物語が動き始めます。
以前投稿したものを大幅に見直し、改稿しています。少しでも読みやすく楽しんでいただけるようにしました。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
【完結】嘘が匂いますね、公爵様〜愛を騙る夫の後悔〜
終日ひもの干す紐
恋愛
一目惚れ──その言葉に偽りはないのに、彼の愛の囁きは嘘に塗れている。
貧乏伯爵家の娘ウィステルのもとへ、突然縁談が舞い込む。
相手はキャスバート公爵家当主フィセリオ。彼は婚姻を条件に援助を申し出る。
「一目惚れとはいえ、私はウィステル嬢を心から愛している。必ず大切にすると、キャスバートの名に誓いましょう」
けれど、ウィステルには『嘘を匂いで感じ取る』秘密の力があった。
あまりにもフィセリオに得のない縁談。愛もなく、真意は謎に包まれたまま、互いに秘密を抱えて時間を重ねる。全ては信頼される妻になるために。
甘い嘘で“妻を愛する夫”を演じきる公爵と、夫の嘘を見抜き、共犯者になると決めた令嬢の恋愛物語。
* * *
※主人公ウィステル以外の視点の話は【】にそのキャラを表記しています。同じ話の別視点ではなく、基本的に物語は進行していきます。
他のサイトでも投稿しています。
第19回恋愛小説大賞エントリー中。
大好きな彼の婚約者の座を譲るため、ワガママを言って嫌われようと思います。
airria
恋愛
「私、アマンド様と愛し合っているの。レイリア、本当にごめんなさい。罪深いことだとわかってる。でも、レイリアは彼を愛していないでしょう?どうかお願い。婚約者の座を私に譲ってほしいの」
親友のメイベルから涙ながらにそう告げられて、私が一番最初に思ったのは、「ああ、やっぱり」。
婚約者のアマンド様とは、ここ1年ほど余所余所しい関係が続いていたから。
2人が想い合っているのなら、お邪魔虫になんてなりたくない。
心が別の人にあるのなら、結婚なんてしたくない。
そんなわけで、穏便に婚約解消してもらうために、我儘になってナチュラルに嫌われようと思います!
でも本当は…
これは、彼の仕事の邪魔にならないように、自分を抑えてきたヒロインが、我儘に振る舞ううちに溺愛されてしまう物語。
女性治療師と距離が近いのは気のせいなんかじゃない
MOMO-tank
恋愛
薬師の腕を上げるために1年間留学していたアリソンは帰国後、次期辺境伯の婚約者ルークの元を訪ねた。
「アリソン!会いたかった!」
強く抱きしめ、とびっきりの笑顔で再会を喜ぶルーク。
でも、彼の側にはひとりの女性、治療師であるマリアが居た。
「毒矢でやられたのをマリアに救われたんだ」
回復魔法を受けると気分が悪くなるルークだが、マリアの魔法は平気だったらしい。
それに、普段は決して自分以外の女性と距離が近いことも笑いかけることも無かったのに、今の彼はどこかが違った。
気のせい?
じゃないみたい。
※設定はゆるいです。
お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。