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第79話 レナーテの沙汰
大広間に、重い木槌の音が落ちた。
「裁可、下る――」
諸侯と貴族が居並ぶ壇上で、書記官が罪状を読み上げる。
「レナーテ王妃。汝、国庫を私し、禁制の取引を命じ、臣下を脅して密輸を企て、さらに国王陛下に薬を盛り、心身を弱らせたること――各証左、ここに並ぶ。」
ざわめきがさざ波のように広がる。
玉座の脇、王弟マグナリオは一歩進み出て、冷ややかな声で言い渡した。
「称号を剥奪する。王妃の冠は取り上げ、爵位は廃し、財は没収。身分は平民籍に落とし、当面は城下にて汚吏(おり)に従うべし。監視を付す。のち、辺境の島に送致、終身の労役を命ず。」
「お、おじ様……!」
レナーテは蒼白になり、縋るように名を呼んだ。
だがマグナリオは一瞥すら寄越さない。書状を掲げ、単なる事務のように頷いた。
侍従が近づき、王妃の象徴である冠に手を伸ばす。
金糸の髪から銀の冠が外されると、無数の宝石が光を返した。
その光は、彼女の頬の血の気を一層奪ってゆく。
「いや……返して……!」
身を捩る腕を兵が抑えた。
耳元で札がちり、と鳴る。――“平民籍”。
胸元の勲章は引き剥がされ、指からは指輪が外された。
絹の裾が無惨に裂け、床の上を引き摺られていく。
「レナーテ、もう終わりだ。」
厳めしい廷臣の声が突き刺さる。
嘆声、冷笑、憐憫――かつて彼女を持て囃した視線が、今は砂利のように粗く彼女を擦っていく。
「バルテル! バルテル――!」
名を叫ぶ声は、大広間の天蓋に吸い込まれ、虚しく消えた。
そこに、彼の姿はない。鎖の向こうに縛られた王は、この場に呼ばれもしない。
数日後から、レナーテの朝は泥の匂いで始まった。
粗末な灰色の作業服、裂け目を繕った革靴。
城下の外れ、川沿いの部落に割り当てられた小屋は湿っていて、夜になると藁床が冷たかった。
「起きろ、仕事だ。」
戸口に影が立つ。監視役の兵だ。
レナーテは黙って桶と箒を取り、街路へ出る。
石畳の目地には、前日の雨で溶けた泥が黒く詰まり、腐った野菜の臭いが鼻についた。
「そこもだ、見落とすな。」
監視の声が飛ぶ。
レナーテは歯を食いしばって、溝に手を差し入れた。
爪の隙間に黒い汚れが入り込む。かつて宝石がはめられていた指先が、今は生ごみと泥を掴むためにある。
川に出ると、桶に汚水を汲み、流木や屍肉の欠片を網でさらう。
潮のような臭気が立ち上るたび、胃が反射して軋んだ。
それでも吐き気を飲み込み、手を止めない。止めれば、すぐに周囲の視線が鋭くなるからだ。
「ご覧なさい、あれがかつての王妃様よ」
「本当に王妃だったの?」
市女笠の影から投げられる囁きは、刃の先より細く、冷たい。
「酷いことをしたらしいわ。貴族様として生きてきて、人としての心を忘れてしまったそうよ」
「贅沢が傲慢になったのかしら?」
「そうね。神様は見ていらっしゃるわ」
「悪い事はしてはいけないわ。良心は持っていないとね」
「人を蹴落としてまで、自分が幸せになることしか考えなかったそうよ」
「まぁ……贅沢って、たまにはいいけど、それが日常になると“ありがたい”という気持ちを忘れてしまうのね」
市井の人々の言葉は、鉛より重くのしかかる。
レナーテは俯いて歩いた。足取りは重く、泥が踝に絡みつく。
今までこんな思いをしたことは一度もなかった。
――華やかな日々。絢爛たる衣装。羨望の眼差し。
それが、なぜ自分だけに剥ぎ取られねばならないのか。
どうして、私が……どうして私が、こんな思いをしなくてはならないの……
その時だった。川縁の吸い込み口をさらっていた背後から、低く通る声が響いた。
「――随分と、落ちぶれたな」
胸の奥のどこかが、唐突に凍りつく。
ゆっくり振り返った先に立っていたのは、見知った顔。
鋭い目つき、几帳面な襟元、無駄のない所作。
かつての夫――アルンベルク侯爵だった。
「……あっ……」
乾いた唇から、掠れた声が零れる。
侯爵はしばし彼女を見据え、鼻で小さく笑った。
「結婚していた頃から、傲慢で、可憐さも優しさも持たぬ女だったな。美しい――それだけだった」
レナーテは反射的に顎を上げる。
「そんな――」
「いいや」侯爵は冷ややかに首を振った。
「お前は初めから傲慢だった。……それでも俺は、お前と夫婦としてやっていこうと努力したつもりだった。だが――」
視線が鋭さを増す。
「バルテル王のことを、ずっと想っていたなんてな。……別れて正解だったよ」
その一言は、群衆の囁きよりも重く、深く、彼女の胸に沈んでいった。
「何よ! あなたも、私のおかげで伯爵から侯爵になれたんじゃないの!」
悔しさに震え、元夫を睨んで叫ぶ。
アルンベルク侯爵は鼻で笑った。
「俺は頼んでいない。お前が望んだだけだろう。……まぁ、おかげで今は“侯爵”だがな。」
レナーテは縋るように手を伸ばす。
だが、その手は煤で黒く、爪は欠け、かつての栄華の面影はなかった。
侯爵はその手を一瞥し、目を伏せる。
「……これ以上、言うことはない。せいぜい頑張れ。自分が蒔いた種は、自分で刈り取るしかないんだ。
いずれ、お前が他人に与えてきた屈辱の意味を思い知る日が来るだろうよ。」
そう言い捨てて踵を返すと、侯爵は群衆の中に消えて行った。
レナーテはその場に立ち尽くす。
風が川面を走り、濡れた裾を撫でた。
喉の奥が熱くなり、こみ上げるものをどうにもできない。
泣くな――そう言い聞かせても、頬を伝うものは泥水か涙か、もはや分からなかった。
季節がいくつか巡った。
街路の泥、川底の汚泥、夜明けとともに始まる収集と、暗くなってからの仕分け。
監視は常に半歩後ろを歩き、彼女の沈黙を確かめた。
ある朝、門のところに兵と書記官が立った。
「レナーテ。送致令。」
読み上げられた文言は短い。
――辺境の島、終身労役。
小舟から中型の船へ、船腹は煤で黒く、錆びついた鎖が軋んでいる。
空は重く曇り、海は鉛のように鈍い。
甲板の隅に座らされ、彼女は海を見た。
遠い。どこまでも塩の匂いがして、陸の音は届かない。
「泳げば、逃げられると思うか。」
監視が冗談めかして言う。
レナーテは答えない。指先は膝の布を握り、白くなっていた。
島は、海の底から突き出た黒い背骨のようだった。
斜面に刻まれた鉱口、煤でくすんだ屋根、風に揺れる洗濯綱。
女たちが行き交い、桶を運び、濯ぎ板を打つ音が乾いた空気に響く。
「ここだ。」
彼女に割り当てられたのは、石を積んだだけの狭い部屋。
藁と薄い毛布、壁に釘、床に煤。
監視が鍵を鳴らし、扉が閉まる。
翌朝、鐘が鳴る。
レナーテは桶と刷毛、布束を手渡され、説明を受けた。
――鉱夫の寝台の清掃、衣類の洗濯、食堂の給仕、道具の磨き、鉱口周りの粉塵払い。
炭を掘ることはない。だが、煤はどこにでもある。
食堂では、汗と塩と熱い湯気が立ち昇る。
無言で椀を置き、無言で空の皿を集める。
肩が当たる。謝る。返事はない。
洗い場では灰色の泡が指の皺に入り込み、冷たい水で血が薄くなる。
昼の粉塵払いでは、喉の奥がざらつき、咳を噛み殺すたび、脇腹が痛む。
夜、藁に身を横たえる。
天井の隙間から星は見えない。
遠くの鉱口で風が鳴り、海が低く唸る。
(バルテル……)
名を呼べば、過ぎ去った日々が皮膚の裏を流れる。
けれどそれは、彼が自分に与えたことのない温もりだった。
本当は、リリアナとバルテルが分かち合っていたはずの愛情、家庭の温かさ。
それを奪った。――その結果、自分はバルテルから憎悪の眼で見られることになった。
だからいま、ここには何も残っていない。
叫んでも、波が砕けるだけだ。
――幾十年が過ぎた。
髪は白く、背は曲がり、煤に蝕まれた肺は、夜ごとに苦しい咳を吐き出した。
それでも鐘が鳴れば、彼女は桶を手に取り、今日も黙って床を磨く。
ある黄昏、作業の合間に腰を下ろしたとき、不意に胸を突くものがあった。
リリアナの澄んだ瞳、バルテルの憎しみ、そして自らが踏みにじってきた数々の顔。
そのすべてが煤煙の奥から押し寄せてくる。
「……ごめんなさい。私が……間違っていた」
もうずっと、そう懺悔していた。
この屈辱に満ちた日々こそが、自分がバルテルの家族を引き裂いた痛み――。
そう思うようになったのは、いつの頃からだったろう。
誰にともなく洩れた言葉は、煤と潮風にさらわれて消えていった。
誰も聞いてはいない。けれど、それが彼女の人生で初めての悔悟だった。
そのまま膝を折り、藁の上に崩れる。
視界の端に、暮れなずむ空と、遠く飛ぶ海鳥の影。
涙とも汗ともつかぬ雫が頬を伝う。
かつて王妃を飾った宝石は、どこにもない。
冠も、絹も、香も、誰かの記憶の底に沈んだ。
残ったのは、灰の色をした、終わりのない日々。
――その終わりのない日々こそが、彼女に与えられた、唯一にしてすべての裁きだった。
「裁可、下る――」
諸侯と貴族が居並ぶ壇上で、書記官が罪状を読み上げる。
「レナーテ王妃。汝、国庫を私し、禁制の取引を命じ、臣下を脅して密輸を企て、さらに国王陛下に薬を盛り、心身を弱らせたること――各証左、ここに並ぶ。」
ざわめきがさざ波のように広がる。
玉座の脇、王弟マグナリオは一歩進み出て、冷ややかな声で言い渡した。
「称号を剥奪する。王妃の冠は取り上げ、爵位は廃し、財は没収。身分は平民籍に落とし、当面は城下にて汚吏(おり)に従うべし。監視を付す。のち、辺境の島に送致、終身の労役を命ず。」
「お、おじ様……!」
レナーテは蒼白になり、縋るように名を呼んだ。
だがマグナリオは一瞥すら寄越さない。書状を掲げ、単なる事務のように頷いた。
侍従が近づき、王妃の象徴である冠に手を伸ばす。
金糸の髪から銀の冠が外されると、無数の宝石が光を返した。
その光は、彼女の頬の血の気を一層奪ってゆく。
「いや……返して……!」
身を捩る腕を兵が抑えた。
耳元で札がちり、と鳴る。――“平民籍”。
胸元の勲章は引き剥がされ、指からは指輪が外された。
絹の裾が無惨に裂け、床の上を引き摺られていく。
「レナーテ、もう終わりだ。」
厳めしい廷臣の声が突き刺さる。
嘆声、冷笑、憐憫――かつて彼女を持て囃した視線が、今は砂利のように粗く彼女を擦っていく。
「バルテル! バルテル――!」
名を叫ぶ声は、大広間の天蓋に吸い込まれ、虚しく消えた。
そこに、彼の姿はない。鎖の向こうに縛られた王は、この場に呼ばれもしない。
数日後から、レナーテの朝は泥の匂いで始まった。
粗末な灰色の作業服、裂け目を繕った革靴。
城下の外れ、川沿いの部落に割り当てられた小屋は湿っていて、夜になると藁床が冷たかった。
「起きろ、仕事だ。」
戸口に影が立つ。監視役の兵だ。
レナーテは黙って桶と箒を取り、街路へ出る。
石畳の目地には、前日の雨で溶けた泥が黒く詰まり、腐った野菜の臭いが鼻についた。
「そこもだ、見落とすな。」
監視の声が飛ぶ。
レナーテは歯を食いしばって、溝に手を差し入れた。
爪の隙間に黒い汚れが入り込む。かつて宝石がはめられていた指先が、今は生ごみと泥を掴むためにある。
川に出ると、桶に汚水を汲み、流木や屍肉の欠片を網でさらう。
潮のような臭気が立ち上るたび、胃が反射して軋んだ。
それでも吐き気を飲み込み、手を止めない。止めれば、すぐに周囲の視線が鋭くなるからだ。
「ご覧なさい、あれがかつての王妃様よ」
「本当に王妃だったの?」
市女笠の影から投げられる囁きは、刃の先より細く、冷たい。
「酷いことをしたらしいわ。貴族様として生きてきて、人としての心を忘れてしまったそうよ」
「贅沢が傲慢になったのかしら?」
「そうね。神様は見ていらっしゃるわ」
「悪い事はしてはいけないわ。良心は持っていないとね」
「人を蹴落としてまで、自分が幸せになることしか考えなかったそうよ」
「まぁ……贅沢って、たまにはいいけど、それが日常になると“ありがたい”という気持ちを忘れてしまうのね」
市井の人々の言葉は、鉛より重くのしかかる。
レナーテは俯いて歩いた。足取りは重く、泥が踝に絡みつく。
今までこんな思いをしたことは一度もなかった。
――華やかな日々。絢爛たる衣装。羨望の眼差し。
それが、なぜ自分だけに剥ぎ取られねばならないのか。
どうして、私が……どうして私が、こんな思いをしなくてはならないの……
その時だった。川縁の吸い込み口をさらっていた背後から、低く通る声が響いた。
「――随分と、落ちぶれたな」
胸の奥のどこかが、唐突に凍りつく。
ゆっくり振り返った先に立っていたのは、見知った顔。
鋭い目つき、几帳面な襟元、無駄のない所作。
かつての夫――アルンベルク侯爵だった。
「……あっ……」
乾いた唇から、掠れた声が零れる。
侯爵はしばし彼女を見据え、鼻で小さく笑った。
「結婚していた頃から、傲慢で、可憐さも優しさも持たぬ女だったな。美しい――それだけだった」
レナーテは反射的に顎を上げる。
「そんな――」
「いいや」侯爵は冷ややかに首を振った。
「お前は初めから傲慢だった。……それでも俺は、お前と夫婦としてやっていこうと努力したつもりだった。だが――」
視線が鋭さを増す。
「バルテル王のことを、ずっと想っていたなんてな。……別れて正解だったよ」
その一言は、群衆の囁きよりも重く、深く、彼女の胸に沈んでいった。
「何よ! あなたも、私のおかげで伯爵から侯爵になれたんじゃないの!」
悔しさに震え、元夫を睨んで叫ぶ。
アルンベルク侯爵は鼻で笑った。
「俺は頼んでいない。お前が望んだだけだろう。……まぁ、おかげで今は“侯爵”だがな。」
レナーテは縋るように手を伸ばす。
だが、その手は煤で黒く、爪は欠け、かつての栄華の面影はなかった。
侯爵はその手を一瞥し、目を伏せる。
「……これ以上、言うことはない。せいぜい頑張れ。自分が蒔いた種は、自分で刈り取るしかないんだ。
いずれ、お前が他人に与えてきた屈辱の意味を思い知る日が来るだろうよ。」
そう言い捨てて踵を返すと、侯爵は群衆の中に消えて行った。
レナーテはその場に立ち尽くす。
風が川面を走り、濡れた裾を撫でた。
喉の奥が熱くなり、こみ上げるものをどうにもできない。
泣くな――そう言い聞かせても、頬を伝うものは泥水か涙か、もはや分からなかった。
季節がいくつか巡った。
街路の泥、川底の汚泥、夜明けとともに始まる収集と、暗くなってからの仕分け。
監視は常に半歩後ろを歩き、彼女の沈黙を確かめた。
ある朝、門のところに兵と書記官が立った。
「レナーテ。送致令。」
読み上げられた文言は短い。
――辺境の島、終身労役。
小舟から中型の船へ、船腹は煤で黒く、錆びついた鎖が軋んでいる。
空は重く曇り、海は鉛のように鈍い。
甲板の隅に座らされ、彼女は海を見た。
遠い。どこまでも塩の匂いがして、陸の音は届かない。
「泳げば、逃げられると思うか。」
監視が冗談めかして言う。
レナーテは答えない。指先は膝の布を握り、白くなっていた。
島は、海の底から突き出た黒い背骨のようだった。
斜面に刻まれた鉱口、煤でくすんだ屋根、風に揺れる洗濯綱。
女たちが行き交い、桶を運び、濯ぎ板を打つ音が乾いた空気に響く。
「ここだ。」
彼女に割り当てられたのは、石を積んだだけの狭い部屋。
藁と薄い毛布、壁に釘、床に煤。
監視が鍵を鳴らし、扉が閉まる。
翌朝、鐘が鳴る。
レナーテは桶と刷毛、布束を手渡され、説明を受けた。
――鉱夫の寝台の清掃、衣類の洗濯、食堂の給仕、道具の磨き、鉱口周りの粉塵払い。
炭を掘ることはない。だが、煤はどこにでもある。
食堂では、汗と塩と熱い湯気が立ち昇る。
無言で椀を置き、無言で空の皿を集める。
肩が当たる。謝る。返事はない。
洗い場では灰色の泡が指の皺に入り込み、冷たい水で血が薄くなる。
昼の粉塵払いでは、喉の奥がざらつき、咳を噛み殺すたび、脇腹が痛む。
夜、藁に身を横たえる。
天井の隙間から星は見えない。
遠くの鉱口で風が鳴り、海が低く唸る。
(バルテル……)
名を呼べば、過ぎ去った日々が皮膚の裏を流れる。
けれどそれは、彼が自分に与えたことのない温もりだった。
本当は、リリアナとバルテルが分かち合っていたはずの愛情、家庭の温かさ。
それを奪った。――その結果、自分はバルテルから憎悪の眼で見られることになった。
だからいま、ここには何も残っていない。
叫んでも、波が砕けるだけだ。
――幾十年が過ぎた。
髪は白く、背は曲がり、煤に蝕まれた肺は、夜ごとに苦しい咳を吐き出した。
それでも鐘が鳴れば、彼女は桶を手に取り、今日も黙って床を磨く。
ある黄昏、作業の合間に腰を下ろしたとき、不意に胸を突くものがあった。
リリアナの澄んだ瞳、バルテルの憎しみ、そして自らが踏みにじってきた数々の顔。
そのすべてが煤煙の奥から押し寄せてくる。
「……ごめんなさい。私が……間違っていた」
もうずっと、そう懺悔していた。
この屈辱に満ちた日々こそが、自分がバルテルの家族を引き裂いた痛み――。
そう思うようになったのは、いつの頃からだったろう。
誰にともなく洩れた言葉は、煤と潮風にさらわれて消えていった。
誰も聞いてはいない。けれど、それが彼女の人生で初めての悔悟だった。
そのまま膝を折り、藁の上に崩れる。
視界の端に、暮れなずむ空と、遠く飛ぶ海鳥の影。
涙とも汗ともつかぬ雫が頬を伝う。
かつて王妃を飾った宝石は、どこにもない。
冠も、絹も、香も、誰かの記憶の底に沈んだ。
残ったのは、灰の色をした、終わりのない日々。
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