誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる

吉乃

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第83話 バルテルの想いを託す

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  バルテルの体調は安定しているように見えた。

 子供たちと過ごす時間は彼の心を癒し、頬にわずかな血色を取り戻させていた。リリアナもようやく安堵の息をつき、日々を大切に味わうように過ごしていた。

 だが、その安らぎは長くは続かなかった。

 ある午後。庭でリアムとエアリスが追いかけっこをしている。バルテルは椅子に腰掛け、彼らの姿を見守っていたが、ふいに咳き込み、胸元に布を押し当てる。

布の端に、紅い染みが広がった。

 リリアナは息を呑む。だがバルテルは微笑み、布を隠した。
「大丈夫だ。少し冷えただけだ」

 彼の声はいつもと変わらぬ穏やかさを装っていたが、リリアナの胸は痛みに締め付けられていた。

 その夜、子供たちが眠りについた後。
 バルテルはひとり、ラファエルを呼び寄せた。

「殿下……いや、ラファエル殿、突然お呼び立てして申し訳ございません」
 寝台に凭れながら、彼はかすかな笑みを浮かべた。

「いいえ。……体調はどうですか?」
 ラファエルは年上であるバルテルに敬意を払いつつ問いかけた。

「今は落ち着いております。殿下のおかげで、リリアナ達と共に暮らすようになってから、心も随分と楽になりました。ただ……私はもう、自分の命が長くないことを分かっております」

 ラファエルは瞳を見開いた。
「何を……そんなことを……。バルテル殿、まだ希望は――」

「いいえ」
 弱々しい声が遮る。
「自分のことは、自分が一番わかっているのです」

 沈黙が流れた。蝋燭の炎が小さく揺れる。

「愛するリリアナと子供たちを……託せるのは、あなたしかいない。
 あなたが彼女を想っていることも、私は知っています。
 思いやり、心を砕いてくださっていることも……。
 どうか――よろしく頼む」

 ラファエルは胸を衝かれる思いで、その言葉を受け止めた。
「……何を仰るのです。リリアナ殿のためにも、もっと生きていただきたい! 貴方でなければ、彼女の隣は務まらない!」

 バルテルは静かに首を振った。
「……これが、私の最後の願いです」

 その言葉は遺言となった。

 ラファエルは唇を噛みしめた。
 もっと早く彼を助けられなかったことが悔やまれてならない。

 だが同時に、リリアナの笑顔を目にするたび、自分の心も救われてきたのだと気づかされる。
 ここに来て分かった。彼女が詩を朗じる声が、どれほど温かく、どれほど彼を愛していた証なのかを。

 ――だからこそ、生きていて欲しい。少しでも長く。
 そう強く願い、彼は行動を決意した。

 そんなラファエルの想いを知らぬまま、バルテルは筆を執り、震える手でリリアナに宛てた手紙をしたためた。

 ――長くは共にいられぬことを詫び、
 ――彼女の幸せを祈り、
 ――子供たちを託す言葉を残す。

 もっと彼女と共に生きていたかった。
 たった数年しか共に居られなかった。
 それでも、幸せを沢山もらった。

 彼女だからこそ、朴念仁の自分でも自然に心を開き、大切にしようと思えた。
 戦いしか知らなかった自分が、温かな人生を授かり、幸せだと思えたのは彼女のおかげだった。

 明るく真っ直ぐで素直な子供たちを産んでくれたこと、その全てに感謝して――最愛の言葉を託すために、最後の力を振り絞った。

 窓の外に、夜空の星々が瞬いていた。
 その光は、未来へと続く道を照らすように、彼の手元を導いていた。
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