息つく間もなく見ています

井村つた

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④昔の記憶

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 この話は、雅哉さん(仮名)から聞いた話を再構成しています。

 皆さんは、昔の記憶で曖昧、微かに覚えているが詳細が分からないという出来事はないでしょうか?今回はそんなお話です。

 時は遡る事、四半世紀以上前の雅哉さんが小学校1年生の頃の話です。雅哉さんは文化住宅の1階に住んでいました。2階建てでそれぞれのフロアに3部屋ずつある小ぢんまりとした文化住宅です。玄関の横にキッチンがあり、6畳2間の部屋があります。奥の部屋の扉を出るとトイレがあり、トイレの前に洗濯機が置けるスペースがあります。分からない人もいるかもしれませんが、砂壁と言って指で突っつくと、ボロボロと剥がれ落ちるような壁だったそうです。お風呂がなかったので、近所の銭湯によく行っていたそうです。

 雅哉さんは、母子家庭でお母さんとお姉さんの3人暮らしだったそうです。貧しいながらも誕生日にはお母さんがケーキを買ってきてくれてたり、クリスマスには靴下の形をした入れ物にお菓子がいっぱい入ったプレゼントが枕元に置いてあったりするような、イベントごとだけはきっちりとしてくれる優しいお母さんだったそうです。

 小学校1年生の節分の日、お母さんが買ってきてくれた恵方巻を黙って食べました。雅哉さんの地域では、恵方巻を食べている時に喋ると良くないとされているらしく、口を紡いで黙々と食べたそうです。

 食べ終わると鬼のお面がついた豆まきセットをお姉ちゃんと雅哉さんそれぞれ1つずつお母さんからもらったそうです。本当は違うのですが、お母さんが「年の数だけ豆を外に撒いときなさい」と言ったそうです。後から分かったのですが、年の数に1つ足した数の豆を食べると健康で幸せに過ごせるそうなのですが、それでは小学1年生なので8粒しか食べることができません。そのため、お母さんが嘘をついたのだろうと雅哉さんは言っていました。

 先にお姉ちゃんが玄関を開け、何粒か撒いた後、早々と奥のテレビがある部屋に行ったそうです。雅哉さんは、本当は袋に入っている豆全部を食べたかったそうなのですが、お母さんに年の数だけ撒きなさいと言われているため、玄関を開けて、7粒撒いたそうです。7粒の豆は空中から地面に落ち、色んな方向に散らばっていきました。
 
 近所の野良猫が食べに来るんじゃないだろうか。通った人が拾って食べるのじゃないだろうか。豆はその後、どうなってしまうのだろうか。と雅哉さんは好奇心に駆られてしまいました。玄関の扉を少し開けた状態でこっそりと外を見ながら、袋に入っている豆をポリポリ食べていたそうです。お母さんに「あんた何やってる。もういいからドアを閉めて、テレビでも見なさい」のような事を言われたそうなのですが、「もうちょっとだけ豆見とく」と言って観察を続けたそうです。

 10分ぐらい観察を続けた頃です。男が何かを言い合っている声が聞こえます。少しだけ開けているドアの幅を広げます。視界が広がります。雅哉さんと男達との距離は10メートルもありません。男がガムテープのようなもので、もう1人の頭を殴ります。殴られた男は、倒れこみ下にあったマンホールに頭を打ち付けます。「ゴッ」という低い音がしたそうです。マンホールに頭を打ち付けた男は、動きません。殴った男は立ったまま倒れている男を観察しているようでした。10秒ぐらい経ち正気を取り戻したのか膝をつき、倒れている男の頭を触りながら、キョロキョロと左右を見渡していました。男が突然、雅哉さんの家がある方に振り返ります。その瞬間に雅哉さんはドアを閉めたそうです。閉めたら、ドアノブの真ん中にある出っ張りを押しました。この出っ張りを押すと鍵がかかるそうです。気づかれなかったか、男が家に来たらどうしようなどと思いながら、気配を消して外の物音を聞いています。何も音がしません。怖くなった雅哉さんは、奥の部屋でテレビを見ているお母さんとお姉さんの所は、急いでいきました。

 そんな事が起こったとは知らない2人は、時代劇を見ていたそうです。男が来たらどうしよう。見てたのがばれたら、殴られるのではないか。そのような恐怖があったのですが、お母さんにはその話はできなかったそうです。30分ほど、経ったでしょうか。あの2人がどうなっているか、気になってしょうがない雅哉さんは、恐る恐る玄関の方に戻ったそうです。

 玄関のドアに耳を当てて、外の気配を観察します。まったく何も気配がしません。ドアの鍵は内側から、ドアノブを回すと自動的に解除される仕組みになっているそうです。しかし、この解除の時に「ガチャ」という音が大きな音が鳴ってしまいます。ドアノブの真ん中の鍵を抑えながら、ゆっくりと細心の注意を払いながらドアノブを回します。「ガチャ」いつもよりかは、小さい音だったそうなのですが、あの男に聞かれたんじゃないかと心臓の鼓動がとても速くなったそうです。

 数秒経っても物音1つしません。ドアを少しずつ開けながら外の様子を窺います。誰もいません。ドアを少しずつ開けると先ほど男が倒れていた、マンホールの部分まで見えるようになってきます。誰もいません。一度ドアを閉めて、心を落ち着けます。思い切って、靴を履き、平然を装いながら外に出てみたそうです。

 誰もいません。遠くで犬の遠吠えが聞こえるだけでほとんど音もしません。マンホール付近まで歩いて行くと、使いかけのガムテープが落ちていました。多分、先ほどの男が殴ったガムテープだと思います。雅哉さんは、それを拾い上げると、家に戻ったそうです。玄関を開けるとお母さんが玄関横のキッチンで、洗い物をしています。

 「何してるん」と聞かれたので、「ガムテープを拾った」と言ったそうです。お母さんは、何の感情もなくガムテープを受け取ると、キッチンのライスエース(米を保管する機械)の上に置いて、洗い物を続けます。雅哉さんは、先ほどの2人の男の話もする事もなく、奥のテレビのある部屋に行って、お姉ちゃんと一緒にテレビを見たそうです。

 これで雅哉さんの話はおしまいです。後日、警察が殺人事件や傷害事件で捜査に来たなどという話もなく、その男2人が誰で、マンホールに頭を打ち付けた男が生きているのか死んでいるのかも分からないそうです。

 よくよく思い出すとあれなんだったのだろうって記憶、誰にでもありますよね。皆さんも思い出したら、教えてください。思い出してみたら、あれなんだったのだろうというお話でした。


昔の記憶 おしまい。

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