あなたのいちばんすきなひと

名衛 澄

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【番外編】あじきくんのおべんとう 前編

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 激動の夏休みが終わり、新学期を迎えた。
 とはいっても、外を出歩けば秋風が肌を撫でる、なんてことはない。

 窓を閉め切り、冷房をかけた教室内ではわからないが、外に足を踏み出そうものなら、蝉の大合唱とともに焼けた鉄板の上に放り出された感覚に陥るだろう。

 俺は弁当袋を片手に、ガラス張りで陽が差し込み放題の廊下を歩いて一組を訪れていた。

 そわそわと落ち着かない様子の実晴を横目に、そぼろを詰めたおにぎりをほおばる。

 実晴はいつもなら一口で消える卵焼きを、小鳥がついばんでいるのかというくらい細かく分けて食べている。ようやくひと切れ食べ終えると、真剣な面持ちで箸を置いた。

「有誠にお願いがあって……」

 ちらりとこちらをうかがう実晴に、ごはんを咀嚼しながら首を縦に振り、続きをうながす。

「週末に試合があるんだけど、それに持って行くお弁当を作ってほしいんだ」
「弁当?」

 予想外の言葉に咀嚼する動きが止まる。
 そんなもの作ったことない、と断ろうとするが、それ!と指を差される。

 手には己の拳より二回りほどの大きいサイズのおにぎり。まさかこれではないだろうと、おにぎりを持つ手を左右に動かしてみるが、実晴の指はそれを追ってくる。

「有誠がいつも作って持ってきてるでしょ……それが食べたい」
「食べたいって……」

 米は母が冷凍してくれているご飯を解凍しただけ。具のおかずは家事代行の人が作り置いてくれたものを詰めただけ。タッパーのサラダは市販のカット野菜を袋から出して入れただけ。

 強いていうなら、おにぎりをにぎる行為は唯一自分でやったことだといえなくもない。が、それ以外は本当に他人の努力の結晶を拝借したにすぎない。

 果たしてこれを弁当と呼べるのか。
 眉を寄せて考えこんでいる俺に、実晴は背中を丸めてあごを引き、上目遣いでこちらを見上げる。

「……だめ?」
「だめ、というか人に食わせることを想定してないものだからな……」

 視線を実晴の弁当に向ける。メンチカツに、ほうれん草のバター炒め、にんじんのきんぴら、そして、つるりときれいに巻かれた卵焼き。

 どれも実晴のお母さんが用意した、ぴかぴかのおかずたちだ。
 栄養バランスも加味して作られたであろう品々は、俺の手の中にある質量だけは一丁前のものとは比ぶべくもない。

 そっか……と、眉を八の字にしてしょぼくれてしまった実晴に、罪悪感が刺激される。どうにかしてやりたい衝動に駆られたが、自分に人を喜ばせるような弁当を作れるとは思えなかった。

 俺がうなっている間にチャイムが鳴って、その場は流れてしまう。授業中、昼食後の独特な眠気におそわれながらも、実晴の残念そうな顔が頭から離れなかった。


 その日の夜。夕食を食べ終え、ソファに寝転がりながら英単語帳をペラペラめくっていると、インターホンが来客を知らせた。

 この時間に訪ねてくるのなんて一人しかいないが、用心のためモニターを確認してから玄関へ出向く。

「桃食べない?」

 案の定、立っていたのは実晴だった。左手にはうっすら毛に覆われた淡いピンク色の球体。顔の前にずいっと差し出されると、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「そのまま持ってきたのかよ」
「どうせすぐ食べるから」

 扉を押さえて実晴を家に通すと、勝手知ったるといったようにキッチンまで迷いなく歩を進める。シンクで手を洗うと、包丁立ての中の一番刃渡りが短いものを指し、使っていいかとたずねた。

 俺がうなずくと、実晴は軽く洗った桃の皮にすーっと切れ目を入れる。甘い香りがさらに強くなって、思わずすん、と鼻から空気を吸いこんだ。

「今日の晩ご飯すき焼きだったんだ。有誠のお母さんがいつものお礼にってお肉を贈ってくれたから。実はこの桃もそうなんだけどね」

 俺がたびたび与木家の食卓にお邪魔させてもらうので、母がそのお礼にいろいろ贈るのだ。それを俺に持ってきたら、お礼の意味がないのだけれど。

「すごいんだよ、お肉は一枚、一枚フィルムに包まれてて、桃は化粧箱に入ってて……」

 実晴は話しながら縦に包丁を入れ、種を取り除く。器用なやつだ。俺に弁当を頼まずとも、自分でどうとでもできるだろうに。

「……皮のむき方とか知ってるんだな」
「家で練習してきたからね……はい、口開けて」

 切り分けたうちのひとつが、俺の口もとに差し出される。ぱくりとそれを口内に納めると、歯を入れた瞬間にさわやかな甘みの果汁があふれた。うまい。

 じゅわ……と広がる果肉の甘さを目をつぶって堪能していると、隣からくすりと笑う声が聞こえる。俺のことをまじまじと見ていた実晴の細められた目と視線がかち合って、ぶわっと一気に体温が上昇する。

 熱を持った頬や耳を見られぬように、勢い良く顔を背ける。付き合ってからというもの、実晴はとろけるような甘さを含んだ表情を向けることが多くなった。そのゆるんだ顔に俺は一向に慣れない。

 ぱたぱたと手で顔をあおいで、食器棚の中から少し深さのある白い器を取り出す。
 実晴は桃を全部その中に入れ、テレビ前のテーブルまで運んだ。ソファの足元を背もたれにして、ラグの上に腰を落ち着ける。

「……それでさ、昼間の話なんだけど……やっぱり難しい?」
「おまえ……もしかしてこの話するために桃持ってきたな?」

 頬をぽりぽりかいてごまかすように桃をひと切れ口に入れた。明日も普通に学校なのに、俺の晩飯終わりを見計らい、わざわざ皮むきをしにやって来ただけではないと思った。

「なんでそんなに食べたいんだよ」
「有誠が僕だけのためにしてくれることって、なんか、すごくない?」

 きょとんとしている俺の顔を、実晴は自身の立てた膝の上に頬をのせ、見上げるようにして見つめる。

「お弁当って有誠の日常を分けてもらえる気がして……それって特別なことでしょ」

 日常。意識したことがなかったかもしれない。長くいっしょにいるせいでなんでも共有してきた気になっていた。俺の日常を実晴にもおすそ分けする。そんなささやかなことが、実晴の特別に。

「適当に具詰めて握っただけでも?」
「うん。有誠の食べてるもの、僕も食べたい」

 そう言うと、実晴は肩をすくめてはにかんだ。その表情をぼうっと眺めながら、俺は甘い汁ごと桃のやわらかな果肉を飲みこんだ。


 翌日。相変わらず時間のかかる終礼を終えた俺は、図書室を訪れていた。バスケ部の活動日なので実晴はいない。

 開室中と書かれた札がさがった扉をスライドする。大きな音は立てていないはずだが、思いのほか音が響いた気がして肩が跳ねる。室内は蛍光灯の青白い明かりと、かすかに差す陽光が混ざり合っていた。

「あれ、亜食じゃん。やっほー」

 入ってすぐ左手にあるカウンターに肘をつき手を振る透山がいた。

「ボランティア部って委員会の仕事も代わりにやるのか?」
「これは個人的な頼まれ事。まあボランティアには変わりないけど!」

 人がいないのをいいことに、大してボリュームを抑えずに話す。どうやら司書の先生も不在のようで、カウンターには「ご用の方はしばらくお待ちください」と書かれた札が立てられている。

「本借りに来たんだったら先生戻るの待たなきゃだめだぜ。目当ての本があるっていうならいっしょに探すくらいはできるけど」
「あー、弁当のレシピ本? みたいなのがあればうれしいんだが……」
「えっ! あの爆弾おにぎりやめちゃうん?」

「いや、やめるというかなんというか……」

 カウンター近くの机から椅子を引き出して、透山と向かい合う形で座る。五階の角にあるこの教室は、歩道にもグラウンドにも面していない棟のため、喧騒からは遠く離れていた。

「もしかしてはるに?」

 図星を突かれ、目を見張る。友人に弁当をつくることはまずない。俺と実晴が付き合ったことは透山は知らないはずである。なのにどうして実晴に向けたものだとわかったのか。

 疑問が顔に出ていたのか、透山はふはっ、と力が抜けるように笑った。

「槻川に聞いたんだよ。夏祭りの日、二人は消えるし一島は急に屋台飯全制覇するって言い出すし、なんなんだ、って。槻川は一島が失恋したとしか言わなかったけど……状況的に考えて? 一島にあれも食べるこれも食べるって、あちこちパシられた」

 焼きそばやりんご飴を手に、祭り会場を駆け回る透山を想像する。

「その……悪い」
「ほんとにな! あ、言うの忘れてた。おめでとう! 記念にボランティア部の透山が、レシピ本探しを手伝って進ぜよう」

 椅子を引き、勢いよく立ち上がった透山は、カウンターを出て左奥の本棚へと進んでいった。俺も椅子を元の場所に戻してそのあとに続く。

 レシピ本はあまり多くなく、その中でも弁当について書かれたものは二冊しかなかった。そのうちの一冊を棚から抜き出し、二人してページをのぞきこむ。

 彩りばっちり、夫に持たせる弁当レシピ。まずはグリルで鮭を焼き……。

 パタン、と本を閉じた。ページを閉じるときの勢いで風が起こり、古くなった紙のにおいが通り抜ける。

「いきなり魚はハードル高いだろ! っていうかこれだいぶ年季入ってるな」

 透山が元の位置に戻してくれるのを横目に、もう一冊も手に取るが、『絶対にかわいいと言われるキャラ弁!』というタイトルと、のりや薄焼き卵が細かく切り貼りされた写真の表紙が目に入り、無言で棚に戻す。

 ネットで検索もしてみたが、なんせ情報量が膨大で何がいいのかわからなかった。だから図書室に行けば参考になりそうなものを探し出せると思ったのだが。

 思わずため息がもれ出る。それを見て、透山は戻した本の背表紙をなぞりつつ俺に問いかけた。

「はるにこんなの作ってって言われたん?」

 その言葉にぱちくりと目を瞬かせる。
 俺の日常を分けることが特別だと、実晴はそう言っていた。

「……俺がいつも食ってるやつがいいって」
「じゃあそれでいいじゃん」

 母親が作った、あのきれいな弁当を毎日食べる実晴に、出来合いを詰めただけのものを差し出していいのか自信がなかった。だから図書室にまで、弁当の参考になりそうな本を探しに来たのだ。

 いいのだろうか。本当にあのままを実晴にあげても。

 透山は、うつむいたまま考えこんだ俺の肩をぽん、と叩いた。

「どうしても気になるなら、一品だけ作るっていうのは?」
「一品だけ……」
「そ。それなら自分で難易度選べるし、ちゃんと作った実感も得られるんじゃね?」

 昨日の昼休み。恥ずかしそうに話を切り出した実晴を思い返す。

 窓から入るやわらかな光に照らされ、ほこりがきらきらと舞っているさまが見えた。


「ほんと!? いいの?」
「あぁ。あんまり期待はしないでほしいけど」
「やばい、うれしい……シュート百本入れられるかも」

 期待するなと言っているにもかかわらず、実晴は頬を染めて掴んだ俺の手をぶんぶん振り回す。

 一品だけ作るという透山の案に乗った俺は、図書室をあとにし、自宅で卵焼きの作り方を検索した。弁当のおかずといえば、という料理だったし、作る人によって味の違いを出しやすいだろうと踏んでのことだ。

 昨日の練習段階では焦げるわボロボロだわで、味も見た目も人に出せるものには至らなかった。試合は明日。つまりあす朝には弁当が出来上がっていなくてはならない。

 目を輝かせる実晴を前に、俺の不安はふくらんでいくのだった。
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