あなたのいちばんすきなひと

名衛 澄

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エピローグ

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「ハンバーグステーキのセットを二つ、両方ライスで飲み物はアイスコーヒーとアイスカフェオレで。あと、トロピカルフルーツパンケーキのカップル割でお願いします」

 さわやかな笑みを携えてメニューの冊子を店員に渡す実晴をよそに、俺は暑さとは別の理由で汗が止まらなかった。

 木目調のインテリアで統一された空間に軽快なBGMが流れる。店内中央にある二人がけの席に座る俺たちの他には、大学生らしき女子グループ、椅子から落ちそうなほどいくつも置かれたショッピングバッグをかたわらに座る若い夫婦、仲睦まじくメニューを指さし合うカップル、その他カップル、カップル……。

 八月も中ごろ、俺たちは再びショッピングモール内にあるカフェを訪れていた。

 かしこまりました、と注文を聞き取った店員は前回同様、義務的にカップル割についての説明をおこなう――のではなく、俺たちを見やって質問を投げかける。
「こちら利用されたことはございますか?」
「はい!」
「承知しました。それではどうぞ!」

 元気よく返事をした実晴が椅子から立ち上がった。時間をかけられないので、俺も渋々腰を上げる。

 一番奥の壁際に座る女子大生たちの視線がちらちらと飛んでくることに、いたたまれなくなってうつむいていると、近づいてきた実晴がすくい上げるように俺の手を取った。指の間を広げるようにして実晴の手がすべり込んでくる。

 さらに一歩距離を詰めた実晴が俺の背中と腰に腕を回し、やさしく包み込んだ。周囲から思わずといった感じの、感嘆の声が漏れるのが聞こえ、顔から火が出ているんじゃないかと思うくらい熱くなる。

「チューもしとく?」
「誰がするか……」

 ハグしたまま耳元でささやかれ、小さな声で答えるのが精一杯だった。


 無事カップル割が適用されて十分もしないうちに、頼んでいたハンバーグステーキセットが運ばれてくる。鉄板の上で肉が焼ける匂いがして、きゅるきゅると腹の虫が鳴いた。

 手を合わせ、早速ナイフとフォークを手に取って一口サイズに肉を切る。柔らかい肉の食感と玉ねぎの甘味を堪能していると、付け合わせのポテトをフォークに刺しつつ実晴がこちらを見る。

「なんであんなに恥ずかしがってたの? 前来たときはそんな素振りまったくなかったけど」
「……あのときはノルマ達成するぞ、みたいな意気込みでやってたから…………」

 俺がそう答えると、不満げに顔をしかめられる。実晴はその顔のまま、ポテトを口にほうりこんだ。緊張はしていたが、とにかく目的を果たしたくて、周囲に人がいるとか、バカップルしかやらないだろうサービスだとかは完全に頭から抜け落ちていたのだ。なんとなくばつが悪く、カフェオレの入ったグラスを引き寄せ、ストローを吸う。

「……実晴こそ、前はガチガチに固まってたくせに」
「そりゃそうでしょ。ずっと好きだった子からいきなり手をつながれたと思ったら、ハグまでされたんだから」

 少しからかってやったつもりが、真顔で返されて口を閉じる。やっと引いた熱が再び頬に集まってくるのを感じ、手のひらで顔を覆った。

「もったいなかったよね。ずいぶん前から両想いだったっていうのに、ずっとただの幼なじみしてたんだから」
「……べつに、幼なじみもいいだろ。今だってそうだし、これからもずっとそうだ」

 指のすき間から実晴に視線をやる。ただ長くいっしょにいたというだけではない。俺は実晴の、人に合わせられるやさしさだとか、気負わせない態度だとか、そういうことをそばにいながらゆっくり、ゆっくり知っていったのだ。俺の心にじんわりと染みついていくように。

 それは多分、今までの関係があったからで。そしてこれからも、新たな関係性を加え、お互い再発見しながら年を重ねていくのだ。

「…………じゃあ、幼なじみで友達で、恋人ってことか。……いいね、それ」

 実晴は、ふ、と頬をゆるめた。フォークを握った手は動きを止めていた。


 ハンバーグを食べ終えると、南国のフルーツがごろごろのったパンケーキがデザートとして運ばれてきた。フォークに刺したパイナップルを口に運んでいた実晴が、思い出したようにたずねる。

「一島さんとはどうなったの?」
「あぁ、それなんだが……」


 夏祭りが終わった数日後、盆で学校が完全な休校となる前に、一島さんと槻川さんと三人で面談の時間があった。

 午前中ということもあってか、学校に来ている人たちは部活動にいそしんでおり、食堂へ人が来る気配はなく、神妙な面持ちの三人が静かにテーブルを囲む。

 一島さんと槻川さんはそれぞれ午後から部活らしく、集まるのにちょうどいいだろうと集合したわけだが。

「あの、一島さん……」
「何も言わないで。今日は黙って愚痴を聞いてもらうために呼んだんだから」
「なんで私まで呼ばれたの?」
「第三者がいたほうが話がこじれない場合もあるのよ」

 テーブルに両肘をつき、顔の前で手を組んだ一島さんが目と眉の距離を狭め、眼光鋭く言い放つ。三人の前には自販機で購入した各々の飲み物が置かれている。今回は俺のおごりである。

 夏休みに入り、一時的に役目を解かれている券売機がブーンと音を立て、沈黙を破った。

「……何が最悪って、はなから私のことを好きになる可能性ゼロだったってことよ。最初にはるくんと付き合ったときからね!」

 一島さんは、わーん! と声を上げて机に突っ伏した。ガタンと机が動く。

「何度でも言うけど、結構わかりやすかったと思うよ。特に与木の牽制が。亜食と絡んでると必ずといっていいほど現れるし」

 槻川さんの言葉に一島さんはぴくりと肩を揺らしたが、返事はせずにガバッと体を起こす。

「亜食くんもさぁ、言ってよ! 何好きな人の元カノに協力しちゃってんのよ」

 申し訳なさで顔をくしゃくしゃにさせながら唇を引き結ぶ。何の申し開きもできない。

「なんとか言いなよ」

 心なしか影がかかって彫りが深く見える顔で凄まれ、全身がすくみあがる。黙って聞けとのお達しの通りにしただけなのに。

 涙がこぼれそうになりながら震えていると、一島さんはおもむろにスマホを取り出した。一枚の画像を表示させ、テーブルの上に置く。

 カメラに向かってピースサインをする、短髪の男性。ノリノリのポーズとは裏腹に緊張からなのか表情は硬い。槻川さんがスマホを覗き込む。

「剣道部の人じゃん。特進コースの」
「そうなのか?」
「この前表彰されてたでしょ」

 そう言われてみれば、終業式のときに表彰されていた人の中にいたような気がする。名前もなぜ表彰されたかも記憶にないが。

「期末前にあった選管委員の集まりがきっかけでちょっと仲良くなったんだけど、連絡先聞かれたり、出かけませんかって言われたりしててね」

 両手を頬に添え、うっとりと目を閉じながら話す一島さんに、俺と槻川さんは顔を見合わせた。

「全然興味なかったから断ってたんだけど、もうこの機に乗じてやろうかなって」

 一島さんは麦茶のペットボトルを手にし、中身を勢いよくあおると、酒のCMに出ている俳優みたいなため息をついて、にぱっと笑った。

「やっぱり恋は追う側じゃなくて追われる側でないとね!」
「……なんか……切り替えが早いな」
「元気そうで何よりだよ」

 その後も剣道部の君についての話が止まらない一島さんに、槻川さんと二人でただただ相槌を打って過ごすのだった。


「じゃあ特に仲が険悪になったとかではないんだ」
「あぁ」

 よかったじゃん、と言いながら実晴は小さくパンケーキを切り分ける。

 今思えば、槻川さんを呼んだのも、剣道部の人の話をしたのも、彼女なりに気を遣ってくれたのかもしれない。もし、今後頼み事をされることがあれば、そのときこそは誠実に対応しよう。

 そう心に決め、氷が溶けてやや薄まったカフェオレを、グラスに直接口づけて飲み干した。


「もう一口も食えない……」
「ライスをつけたのはやりすぎだったかもね……」

 ハンバーグステーキセットとパンケーキを完食した俺たちは、腹がはち切れそうになりながら店を後にする。店を出た先の通路脇に、休憩用のソファスツールが設置されていたが、空きがなかったため端に寄って立ち止まる。
 巨大な吹き抜けの空間を見下ろし、人のざわめきをぼんやり聴いているとあくびが出た。食後特有のふわふわした眠気におそわれ、目をしぱしぱと瞬かせていると、目の前に手のひらが差し出される。

「ん」

 一瞬、実晴が何をしているのか考えたが、意図が読めると眠気で鈍っていた頭が急速に冴えていく。つい、むずむずと唇を噛んだ。

「……手ならさっきつないだだろ」
「あれは一応割引のためだったじゃん」
「あ、暑いし……」
「屋内で冷房も効いてるけど?」
「知り合いに見られるかも……」
「いいじゃん。有誠が僕の恋人だって広まれば、もう誰も告白してこないよ」

 ほら、と手のひらが振られ、もう一度差し出される。手汗がにじんできたような気がして、きゅっと服の裾を握りしめた。実晴は手を出したまま、なおも言葉をつむぐ。

「手ってね、目的がなくてもつないでいいんだよ」

 長く骨ばった手を、穴が開くほど見つめる。いつだって温もりを分けてくれるこの手が、昔も今も好きだった。

 差し出された手に、そっと指を絡める。

 実晴の唇が満足そうに弧を描いた。やさしく、しかし、ほどけない強さで握り返された手に目を細める。隣に並んだ俺たちは、二人肩を寄せ合い、雑踏の中へと歩きだした。
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