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第八話『てのひらでゴロンゴロン』
しおりを挟む「ねぇねぇ、そう言えばさっきの話、結局どっちなんですか?」
「さっきのがどっち? って、なんだっけ」
「あ、とぼけた。じゃあサワさんは、どんな女の人がタイプなんですか?」
「うわ、ハッキリ訊かれた」
「だって、とぼけるし」
「んんー、タイプかぁ、それ、簡単なようで難しい質問なんだよなぁ」
俺は箸を銜えて視線を天井に向け、考え込んだ。
彼女がその顔を見て、「マジメか」と笑いながら俺の腕を軽く叩く。
叩いた後も掌は触れたままで、彼女はしばらく笑い続けた。
俺は苦笑しながら、「でもさ」と話を続ける。
「外見のタイプって難しいじゃない。芸能人にたとえるにしても、なんて言うか、その芸能人のことが好きですって言ってるみたいで、しっくりこないし」
「うーん、そか、たしかに」
お好み焼き屋のテーブル席で、俺の正面の席に座っている彼女が微笑んだまま、俺の目を見つめた。
タイプタイプって考えながら彼女の顔を見ると、よけいにかわいく見えてくる。
俺のタイプはこの顔! って、指さしてしまいそうだ。
見つめ合っているみたいになって、俺は慌ててまた話を続けた。
「外見じゃなく、こんな性格がタイプですって説明しようとすると、それはそれで優しい人とか、楽しい人とか、当たり前のことしか言えないしさ」
「私は、サワさんみたいな人がタイプですよ?」
不意打ちの、とんでもない方角からの狙撃。
その弾丸は、俺の心臓をもぎとるようにぶち抜いた。
心停止。血流停止。酸欠。脳死。ああ短い人生だった。
「あ、固まった。ひどーい。そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですかぁ」
言葉とは裏腹に、彼女は楽しそうにケラケラと笑っている。
俺は心臓を叩きたくなるのを堪え、目を大きく見開いて彼女を見返す。
「そら驚くよ、そんなこと急に言われたら」
まっすぐな視線が、俺の目を見つめて動かない。
停止したはずの心臓が、今度は激しく動き出す。
「そう言えば、さっきの話だってたしか、別に顔とか性格じゃなかったですよね。お店で話してたのは、細身かぽっちゃりかって話だったし」
「あ、え? そうだったっけ?」
「そうですよ。どうなんですか? 顔や性格は説明しにくくても、体型の好みなら簡単に言えるでしょ?」
「た、体型?」
「それとも、ぽっちゃりでも細身でもなく、幼児体型が好みとか?」
「幼児体型が好み? そんなひと、いるの?」
「いますよぉ、あれ、サワさんゴマカシてる? 幼児体型が好きなんですか?」
「好きもなにも、それがどんな体型なのかがわからん」
「ふむふむ、てことは、ロリではないと」
彼女が真剣な顔で、掌にメモするようなジェスチャーをする。
今度は俺が、「メモるなメモるな」とツッコむ。
彼女はフフフと悪戯っぽく笑い、「今夜はサワさんを丸裸にしますよ?」と、凄いことを言う。
もののたとえだと、わかってはいてもドキッとした。
なんというワードをつかうのだ。
俺が誤解したらどうする気だ?
「できるかな?」と、とりあえずのっておく。
「じゃあ、オッパイ大きいひとと小さいひとなら、どっちが好きですか?」
またもや不意打ちで、彼女の口から発射された爆弾が炸裂する。
俺は粉々に砕かれ、小さな無数の肉片へと姿を変えた。野良犬が血の滴る細切れ肉を貪りハフハフと美味そうに喰らう。そんなに慌てなくても誰も俺の肉なんて盗らねぇよ。ていうか野良犬なんて日本にいねえし。誰が誰に言ってんだコレ。
いやもう、とにかく一撃の破壊力がエグい。
それはその、どう答えるのが正解なんだ?
脳内検索で、『オッパイに関する当たり障りのない答え』を調べ、引用する。
「好きなひとのなら、どっちでもいいよ」
気にしてない風の顔ができているか、顔面神経をスキャンする。たぶん、できていると思う。そうであってほしい。
我ながら、よくこんな適当な答えがスルリと出てきたものだなと感心する。
「じゃあじゃあ、好きになったひとが、たまたま大きかったら嬉しいですか?」
「なにその質問?」
「私、隠れ巨乳なんです」
また不意打ちを食らい、コントロール不能に陥った眼球が勝手に彼女の胸元へと動く。
「着やせするから、わからないでしょ?」
なんでもないことのように言われ、ヤバイと視線を逸らす。
今の言葉から察するに、確実に、胸を見ていたことは気付かれただろう。
心臓が加速し、顔が熱くなる。
『百メートル先から見ても動揺していないとわかる顔』というお題を自分に与え、それを作ろうと顔面筋を動かす。いや、むしろ不自然に動かないようにする。
ザ・おとぼけフェイスが、たぶん今、俺の顔面には出現していると思う。
正解か不正解かで判定するなら、絶対にダメなほうのやつ。でも、どうにもならない。
「ナツキさんは、高校生じゃないの?」
とりあえず大人ぶって、心配している風のセリフを吐いてみる。ダセェ。
高校生だと思っていたのだとしたら、それはそれで、高校生をバイト後に夕食に誘ったということになり、どっちにしてもアウトだ。ニッチモサッチモいかない。
「私、フリーターですよ?」
そーなの?
「え、ゴメン、失礼だけど、今いくつ?」
「二十一です」
「え、俺と三つ違い? もっと歳下かと思ってた」
「歳下?」
「うん、いや、あれ?」
ヤバイ。ドツボにはまってゆく。
「ええー、やっぱりサワさん、ロリ説が再浮上しました」
はわわわわわわわ、はわわわわわわわ。はうわうわうわうわうわう。
「ロ、え、なぜに?」
白々しいトボケかた。穴はどこだ、俺を埋めてくれ。
「ヤミ属性〈女子高生好き〉の疑いがあります」
「ヤミ属性ってなに?」
「病んでるひとのことです。女子高生好きは病気です」
彼女の表情は怒っているようで、完全にフザケていた。
少しだけ、ホッとする。
「女子高生好きって、いや違うけど、そっか、ナツキさん、ハタチこえてるのか」
「え、恋愛対象になりました?」
レンアイ大賞? それ、なんのコンテスト?
「ああ、いや、うん、そう……ね」
大丈夫? 俺、そんなこと言っちゃって、大丈夫?
「やったぁ、一歩前進!」
前進なのか、そうか、よかった……よかったってなにが?
「うん、そうね、アハハハハ、ワハハハ、ハハ」
笑う演技は難しいというけど、本当だなぁ。
「でも私のなかでのサワさんのロリ疑惑は、まだ消えてないですけどね」
どこまで本気なんだ、このコは。
「ロリ扱いやめなさい」
不満そうな抗議声は、笑うよりはよくできた。『あくまで個人の感想です』という注意書きが脳裡の隅っこに表示される。個人の感想求めてねーよと、個人が個人に個人的な文句を言う。……は?
彼女が、「嘘だよぉーん」と、また俺の腕に優しく触れてくる。
俺はまだ少し、怒ったような顔をしているが、正直、ゼンゼン嫌じゃない。
「ねぇサワさん、お酒、本当に、まったく飲めないの?」
「いやまぁ、一滴もってことはないけど」
「じゃあ、この後、私の部屋で少し飲みません? 居酒屋に行くとお金かかるし。私、今、なんとなく飲みたい気分なんです」
「うん、もちろん、いいけど」部屋って、実家の?
「飲みましょ。コンビニ寄って、お酒とお菓子買って、うちでマッタリしよ?」
「そだね」うち? 一人暮らしの? え、どっち?
「やったぁ、今日、バイト来てよかったぁ」
たぶん少しくらい迷うようなふりをして見せたほうが、ガツガツしてるように見えないのだろうというのは重々承知のうえで、俺にはもう、そんな余裕はなかった。
どうやったら『嫌がってはいない、むしろ嬉しいんだけど、理性が迷わせている』という顔や科白を白々しくなく、逆効果にならないように。脳内が蛍光ぎみのピンク色であるにもかかわらず、そう見えないような演技ができるのか。今の俺にはそんな難解な役作りはできそうにない。
一個だけ、迷ってるというか今すぐには席を立てない理由が、あるにはある。
余裕ぽいセリフを吐いておいて、実は、そうなっているとバレたとき、最高にカッコ悪いという状態に、今、俺の股間がメタモルフォーゼしているのだ。
生物学的には誤用なのだろうが、人としては完全変態である。
次の、いや次の次の話題くらいまでには少し、というかせめて、パッと見ではわからないくらいには、一箇所に集中してしまった血液を全身に散らせるよう、他のこと、そう、たとえば『残念な動物シリーズ』というお題についてなどを頑張って考えてみよう。
ていうと、じゃあ今はなにを考えてるんだよって話には、なってしまうのだけれども。
目の前でじっと俺を見て笑っている、世界で一番『残念な生き物』から遠い存在について考えている。……あ、また血液が。目をそらすわけにもいかないし、困ったな、どうしようかなこれ。
──つづく。
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