あ・い・う・え・お

夢=無王吽

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第八話『俯瞰者は呆れている』

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 車内は、かなり混雑していた。
 右にも左にも向けない、ギュウギュウの状態だ。
 普通なら『のぼり方面』のほうが混むだろうに、俺がいつものっている電車は、これほどには混んでいない。
 この時間は、『くだり方面』のほうが混むのか?
 と、車内の人間の発する湿気に息苦しさを感じた俺は、急に彼女のことが心配になった。
 彼女の制服のスカートは、けっこう短い。
 フトモモの真ん中くらいまでしか裾丈がなく、いつもヒラヒラと、危なっかしく揺れている。
 地元駅の構造上、地下鉄でもないのにホームまでの階段は下りしかなく、改札を抜けてから彼女と離れるまでのいつもの時間には、彼女の下方から階段をのぼるという場面は、残念ながら、ではなく、あいにく、でもなく、えー、なんと言うか、とにかく一度も、そういった位置関係にはなったことがなかった。
 だから俺は、彼女のスカートのなかをのぞく機会、じゃなく、のぞくチャンス、でもなく、そういった恵まれた状況? などという考えを持ったこともなければ、そういった、目のやり場に困るような経験をしたことがない。
 そのような想像をしたことも、発想に至ったことすらないような気がするのは、はたして俺の理想論なのか。
 なにもごまかしてなどないし、ごまかすという言葉をこの場面で使うようでは、国語の成績が悪かったのではないかと疑いたくなる。まぁ疑ったところで、自分のことは自分が一番よく知っているのだから、成績は決して悪くなく、かと言って、よくもなく、ごく普通だったということは、よく知っているのだが。
 なんの話だったっけ?
 ああ、そうだった。身動きもできないほど混雑した車内に押し込められている、華奢な体格の彼女を護らなければという、カッコつけとかではない、ちゃんとしたヒロイズムが、俺の脳内で警鐘を鳴らしていたという場面まで、思い出したところだった。
 テレビで警察の活動を追ったドキュメンタリーなどを観ると、痴漢をするような連中は、満員電車が大好物だろう?
 短いスカートの制服の女子を駅のホームから追いかけて、同じ車両にのりこみ、ずっと触るチャンスをうかがってたりするじゃないか。え? 途中まで完全に俺と同じだなとはどういう意味だ? 俺を痴漢呼ばわりしているのか? 許さんぞ? いや、自己分析を厳しくするというのは誠実な反省のしかたなのかもしれないが、それはないだろう。痴漢扱いは無礼だぞ、詫びろ。スマン。よし。ずっと、独りでなにを言ってるんだ、俺は。
 俺には痴漢の気持ちなどわからないが、想像したんだ。
 乗客同士が否応なく密着してしまうこの混雑した車内で、あんなカワイイ娘が、「短パンかよ!」と言いたくなるほどの、ほぼ防御力ゼロのあんな短いスカートをヒラヒラさせていたら、どうなると思う? いや、俺にはどうなるのかを想像することも不可能だが、おそらく痴漢のヤル気スイッチは、フルパワーでONになるのではないだろうか?
 それがどういう状態なのかは不明だが、俺のなかには、正義の心が燃えており、決して、女子高生の短いスカートに萌えたりなどはしていなかった。
 ウマイことを言ってごまかそうなどという気は、毛頭ない。
 電車が左右に揺れたり、加減速でバランスを保ちにくくなるたび、彼女のそばにもし劣情を抱く不埒な輩がいたとしたら、車内の揺れに合わせて身体を密着させているのではないか、という不安が俺の心を締め付ける。これは嫉妬とかではない。その証拠に、羨ましいなどとは微塵も思っていない。その状況を想像して興奮などしていないし、下心などない俺には、そのような願望など持ちたくても持てない。しつこく下心を否定するのは真実だからであり、全く怪しくはない。痴漢の欲求と俺の正義感を同一視されたら、俺は怒る。
 怒りと不安を胸に、俺は下心など全くない純粋な、赤子のような気持ちで、人を縫って強引に車内を進んで行った。
 それは不可抗力で彼女と密着したいなどという下劣な考えからの行動ではなく、万一そのようなラッキー……ではなく、困った事態に遭遇したとしても俺は彼女に触れたことを喜んだりはしないだろう。
 ところどころに本音が挟まっているなどという感想は求めていないし、的外れが過ぎて失笑してしまいそうだ。
 そういうのを客観と呼ぶと勘違いしているのかもしれないが、我ながらそういうイジワルなところは反省するべきだ。
 では百歩、いや千歩、いや一万歩も譲って、仮に、あくまで仮の話としてだが、そのときの俺の心にほんの少しだけ、僅かな、人間にはほぼ感知できないくらい、微量な、顕微鏡でも見えない程度の下心があったとしようか。
 本当は、そんな空想上の話は時間のムダなので、したくないのだが、そのような妄想を俺が抱いていたとして、好きな異性に、ほんのちょっぴりHな考えを持つというのは、そんなにイケナイことなのか? イケナイことだよな。そうだ、相手は高校生だった。すっかり忘れて、など、いないし、Hな考えなどもハナから抱いていないが、ダメだぞと、念のために釘を刺しておく。グサリと。
 俺にはそんな願望はなく、俺の望みは、痴漢野郎から彼女のミニスカートを護ることだけだった。嘘じゃない。本当だ。俺自身は彼女のミニスカートなど意識していないし、したこともないが、彼女がミニスカートであることは、この状況下では危険を呼ぶ要因となるおそれがあり、麗しき彼女の可憐なミニスカートに迫る魔の手から、彼女のミニスカートを護るために、俺はミニスカートの彼女をめがけて、必死で車内を移動しているだけなのだ。
 ミニスカートミニスカートと何度もウルサイが、それ、さっきから何度言ったか自分でわかっているのかという質問は、その数値になにか意味があって確認をしているのだろうか? もし重要な計算式にでも使われるような情報でないなら、そのようなゲスなカウントはさせないでほしい。
 ミニスカートのことなど考えたこともないので、自分が何度言ったかなど数えていないし、数える気にもならない。
 ただ、その言葉が耳にのこったという事実は、看過してはならない重要な点かもしれない。
 それほど、言葉だけでも、ミニスカートというものは、人の意識を引きやすいという証拠なのかもしれないからだ。
 それほど魅惑的な魔力のある、痴漢を誘引しやすいものとして、ミニスカートを認識しているならば、俺の正義感も理解してもらえたことだろう。
 俺はもしかしたらあのとき、車内に潜む悪意を感じ取っていたのかもしれない。
 または、自分の脳が発想できることは、他人の脳も発想できると無意識に感じ、起こり得る事件を推察して、行動に出ていた可能性もある。
 俺は乗車時の混乱で離れてしまった彼女を追い、ジリジリと人波を泳いでいた。俺の目は背の高い彼女の後頭部を一心に見詰め、追っていた。彼女の後頭部を追うことには、慣れている。
 いつもしていたことは、この日のための訓練だったのかもしれない。
 正義を行い、大切な人を護るための!


 ──つづく。
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