あ・い・う・え・お

夢=無王吽

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第十九話『質問の多い喫茶店』

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 初日に当欠するワケにもいかないので、俺は二人に事情を説明し、今夜、仕事が終わってから、この駅前のロータリーで待ち合わせる約束をした。
 今日はまだたいした仕事は任せてもらえず、先輩の手伝いといった程度のヒマな一日を過ごす中、丸一日考える時間があると、いい予想ばかりでなく、悪いほうもたくさん頭に思い浮かんだ。
 いいほうの予想は、もう、そのままというか、妹に冤罪事件のあらましを聞いた姉が、俺に興味を持ったという、都合のいい筋書きから派生する、現実味のない、妄想の枝葉ばかりだった。
 で、悪いほうはというと、いわゆる『ゆすり』系が、次々と思い浮かぶ。
 痴漢事件を盾に、俺から大金を脅し取ろうとする、タチの悪い若者。茶髪の姉の怖そうな男友達の登場。ケツの毛まで抜かれて一文無しになる俺。
 あの姉は頭がよさそうな印象だったので、いいほうに転がれば前者になり、悪いほうに転がれば後者で、俺など簡単にペシャンコにされそうだと思った。
 そう考えると少し、待ち合わせに行くのが怖い気もした。
 安易に誘いにのるべきじゃなかったか? と、後悔がよぎることもあった。
 行くのをやめるという選択肢もあるが、利用駅と利用時間を知られている以上、相手がそこまでの悪人だった場合、引っ越しでもしないと逃げられない。
 そして俺には今、そんな金銭的余裕はない。
 終業の時間になり、俺は覚悟を決めた。


 地元駅のロータリーには、いろんな店舗が、タクシーやバスにのるための円形の道路を囲んで並んでいた。
 たばこ屋、パン屋、ラーメン屋、不動産屋、服飾店まである。こういうところに店を出しているオバちゃん専用の服屋って、客が入っているのを見たことがないのだけど、どうして何十年も潰れずにのこっているのだろうか。
 ロータリー周りの店をゆっくり観察したことなどなかったので、そんなどーでもいいことを考えながら、ぐるりと一周してみた。
 その謎の服飾店の隣に、昔ながらの喫茶店があった。
 カフェとはとても呼べない、昭和風味の、純喫茶とか呼ばれるやつだと思う。
 窓という窓に、ステンドグラス風のシールが貼ってあり、店内の様子はほとんど見えない。
 俺は、コントでしか見ないような、カランコロンカランとベルの鳴るドアを押し開けて、薄暗い店内へと入った。
 トースト、ナポリタン、コーヒーなどの、いかにもといった匂いがする。
 タバコの煙も漂っている。
 どこもかしこも艶々のダークブラウンでできた、典型的な喫茶店。
「いらっしゃい」
 カウンターから年配女性が、ほとんど聞き取れない掠れ声で迎えてくれたので、「ども」と、会釈を返す。
 老店主は、「どこでも、お好きな席へどうぞ」と、手振りをつけて言った。
 朝、あの姉妹と、この喫茶店で待ち合わせる約束をした。
 時間はだいたいこのくらいとしか指定できなかったので、まだ来てないかなとも思ったんだけど、店内を見渡すと四人がけのテーブル席に女性の二人連れがいて、そこからタバコの煙がゆらゆらとあがっていた。
 向かい合わせに座っていた二人の、奥側の席、小柄な制服姿のショートカットの女の子が、俺に手を振ってくれた。
 こっちが気付くより先に、向こうが俺の入店に気付いたようだった。
 正面でタバコをくゆらす茶髪の後頭部は、まだ振り返らない。
「おおい」と、妹のほうが呼びながら、姉の横へと席を移った。
 妹に比べて無反応な姉の態度が不気味で、俺はオドオドしながらそちらへ行き、さっきまで妹が座っていた席に尻を滑り込ませた。


 店内は、色合いだけじゃなく、とても落ち着いた雰囲気だった。
 グイグイ喋ってくるオジサンが店主でも、漂う音楽が静かなボサノバ以外でも、この感じにはならないだろうなと思った。
 俺が席についてすぐに、老女が冷水を出してくれた。
 俺はブレンドを注文した。湯気の香るコーヒーとお手拭きがテーブルに並ぶと、より落ち着いた雰囲気が濃くなった。
 コーヒーの香りが、ゆったりとしたBGMと、絶妙に合っていた。
 その数分後、俺は黙って、使用済みのお手拭きタオルと、飲みかけのコーヒーを見詰めてしばらく黙り込むことになる。
 口は閉じていても、脳ミソはグルングルン回っていた。
 気分が悪くなったのでも、酒を飲んで酔ったのでもなく、あまりに予想どおりのことを予想通りに言われてしまうと、人間はこうなってしまうのだろうなと、もう何度目かわからないが、同じ思考を巡らせた。
 ストレートに予想そのままだと、かえって混乱するらしい。
「どうかな?」という姉の問いへの俺の答えを、興味津々の顔で女子高生が待っている。
 ……まいったな。


 数分前に妹のほうが、質問で、この会合の口火を切った。
「ねえ、名前、なんていうの?」
 俺は彼女がぐいと前に出たぶんだけ身を引いて、怯えたように答えた。
「稲津です、稲津義春」
「私、玉木茉実。こっち、姉のアキね」
 親指で指されたアキさんに眼を向けると、「どもども」と彼女はおどけるように顎を突き出して、挨拶をしてくれた。
 俺の返事も、「はぁ、こんにちは」という、バカみたいなものだったので、人のことはとやかく言えないが。
 たぶん、互いに照れていたのだと思う。今もだけど。
 妹のタマキ・マミさんは、笑顔から一転、殊勝な顔つきになって、ペコリと頭を下げた。
「こないだは本当にゴメンネ。私が勘違いしたせいで、イナヅさんを犯人みたいにしちゃって」
 こないだと言っても、もう数ヶ月前だ。
 マミさんはその瑞々しい記憶力で、昨日のことのように悲しそうな表情になり、ついさっきのことのように謝ってくれた。
 あの日の事件は、この姉妹の間では相当に盛り上がって、なぜか、俺を捜そうということになったらしい。
 毎朝のように駅前のあのベンチで、姉の喫煙タイムも兼ねて、俺を待ってくれていたのだという。
 駅はここで間違いないうえに、出勤時間も知っている。すぐ会えると思ったのになかなか遭遇できず、それが逆に妄想を膨らませて、探索は日課になった。二人は毎日毎日、諦めずに見張り、俺がどこかに引っ越してしまった可能性を考えては、励まし合い、今日まで俺を捜し続けてくれていたらしい。
 突然現れた俺を発見した妹が即座に姉に電話をして、姉が喫煙所から緊急出動、今朝の騒ぎになったとのことだった。
 なるほど興奮するわけだと、納得できたような、できないような。
 朝の出勤時間はほとんど誰も声を発しておらず、大勢の靴音と車の走行音くらいしか聴こえないので、若い女性二人の悲鳴のような興奮した声はかなり目立った。
 あの場の全員が、俺たちを見ていた。
 なにをそんなに盛り上がったのか知らないが、今の謝罪を見るに、ちゃんと謝りたいと思ってくれていたのかもしれない。
 そんな風に俺は勘違いをして、頭を掻いて照れた。
「いや、あれはほら、俺も悪かったし」
 顔を赤くして答える俺の言葉が終わる前に、姉のアキさんが身を乗り出して口を挟む。
「ねぇ、ミキに警察の前で堂々と告ったって、ホント?」
 無遠慮な距離感で、目を輝かせて聞いてくる。
 質問の内容よりも、質問のなかに俺の好きな彼女の名前らしき情報が入っていたことに、集中力を持っていかれた。
「えぇえ、ええ、まぁ、はぁ」
 俺の返事は、すかしっ屁のようにヘロヘロと漏れた。
「いいね。ワタシさ、その話を妹から聞いてすごく感動して、キミに会ってみたくなってさ、どんな人なのかなとか気になっちゃって」
 やっぱりそうか。
 予想通りとは、このことだった。
 俺が真っ先に、こうなのかな? と妄想したやつ。
 妹の話を聞いた姉が俺に興味を持ったっていう、都合のいい筋書き。
 一番マシなというか、いいほうの予想が当たったのは良かったけど、予想だけでその対応を全く考えていなかった俺は、ただ混乱してコーヒーとお手拭きをじっと見詰めるという、童貞のような反応をしてしまった。
「ねぇ、ライン交換しようよ」
 アキさんは構わずに、グイグイ押して来る。 
「あ、俺、スマホ持ってないんです」
 俺の答えに、姉妹はナゼか爆笑した。
「なんで? なんでスマホ持たないの? ポリシー?」
 姉が腹を抱えながら訊いてくる。
 よほど俺を変わったやつだと思っているのだろうか?
 俺はそのあがったハードルに、返答を止められてしまった。
 正確に言うと、スマホを持っていないワケではなく、失恋のショックで寝込んでいるうちに、使いもしない携帯料金がもったいなくて、解約しただけの話なのだ。
 誰とも話したくないと、少しヤケになっていたのもある。
 こんなのはただの、男のヒステリーだ。
 これをどう伝えたら理解してもらえるのか?
 少しカッコつけたいという気持ちもあって、答えを逡巡していると、アキさんが真顔で質問を重ねた。
「失恋のショックで解約したとか?」
 ……するどい。
 呼吸が止まり、「んはうっ」と、イエスなのかノーなのかよくわからない反応をしてしまう俺。
 姉妹は、テーブルや椅子をバンバン叩いて笑った。
 は、はずかしい……。


 ──つづく。
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