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第十八話『バタバタとした姉妹』
しおりを挟む駅構内から、学生やサラリーマンらしきスーツ姿の男性、楽しそうに連れ立って歩く着飾った女性たちが、溢れるようにザワザワと出てきた。
社会が、俺とは関係のないところで歯車を回している。
歯車と歯車の間に社会の部品としてカチリとはまるためには、勢いよくポンと、歯車と歯車の隙間を見つけて飛び込まなくてはならない。
俺は社会の威風に押されて怯むこともなく、スッとベンチから立ち上がった。
切符の自動販売機の近くに設置されている無料配布冊子のコーナーへと、堂々と進み、就職情報誌を一冊引き抜く。
薄くて安っぽいそれを丸めて握り、駅に背を向けてターミナルを出る。
よし、まずは掃除をしよう。
部屋を片付けて、キレイにして、風呂にも入ろう。
おお、おお、なんか、調子が出てきたぞ。
俺だって、まだ若いんだ。
高校生じゃないけど、二十代前半。元気になれば、どうとでも動けるんだぞ。
もう、落ち込むだけ落ち込んだ。
恥はもう、俺の心に一滴ずつ溜まる記憶の湖水に混ざり、だいぶ薄まった。
男性ホルモンが活性化するのを感じる。
俺は立ち上がれる。いや、もう立ち上がっている。
駅に来るときの倍速ほどの早足でアパートのほうへ進み、寂れた一方通行路まで急いで戻る。
今日、散歩に出て本当によかった。
反省になっているのかはわからないが、記憶を掘り返したのは効果があった。
アパートの階段を駆けあがり、鍵をあけて扉を開け、自室に入る。
薄暗い、散らかせるだけ散らかした汚部屋。
起きた時に開けた窓が、そのままになっていた。
涼しい外気が、カーテンをはためかせている。
日光が、俺の布団を除菌してくれている。
窓は開けたままにして、まずはゴミの分別から始めることにした。
ポイポイと、ゴミ袋に片端から放り込んでいく。
動きがキビキビしている。
頭も、よく回る。
なにをすべきかが、考えなくてもわかる。
清潔な、健康的な暮らしを取り戻す。
すべてを、やりなおすんだ。
一日では掃除しきれず、部屋が全部キレイになったのは数日後だった。
見違えるように、整っている。
明るく、正しい部屋になった。
仕事も、すぐに決まった。
就職雑誌に載っていた職場に電話し、朗らかに挨拶をして、明るい表情で面接を受けたら、即日合格だった。
前職よりも家から近いところに入社できて、ラッキーだった。
朝、部屋を出る時間は前と同じだが、乗る電車は逆方向。くだり方面になった。
面接に行く時に動悸が異常に激しかったのは、緊張だけが原因じゃないと思う。くだり方面のホームや電車に、トラウマがチクチクと反応したんだ。
彼女と同じ電車で通うとなると、また会ってしまうかもしれない。
そう考えると、まだチクリと胸が痛む。
いいんだ、それが失恋だと自分を励ます。
明日から、新しい仕事が始まる。
今夜は就職祝いも兼ねて、一杯くらい酒が必要かもしれない。
少し酔わないと寝付けなくて、朝寝坊してしまいそうだ。
夜がきて、朝になった。
長い長い休みが終わった。
昨夜は、時間の進みかたがいつもと違った。
だらだらしているうちにムダに過ぎていく時間じゃなく、出勤初日前夜の貴重な自由時間だと思うと、まるでタイムスリップのように、時間が飛び飛びに感じた。
まだこんな時間かと思っていたら、急に、あ、もうこんな時間だと驚く。
時間が進むと明日になってしまうという、この懐かしい感覚。
社会人ぽいなと嬉しくなった。
俺は仕事が決まるまでの間も、何度か駅まで行ってみた。
案外平気で、案外慣れなかった。
辛いというほどの抵抗は感じないが、いつまでも同じだけ心がチクリとする。
出勤初日の今朝も、同じ思いをしながら駅へと向かった。
駅が近づくほどに、下腹がキューッと締め付けられる。
駅のロータリーに入ると、やはり、喫煙所横のベンチを見てしまう。
これはもう、しばらくは抜けない癖なのだろう。
と、思った刹那に固まって、ベンチに置いた視線を動かせなくなった。
「どういうことだ?」
大きめの独り言が出てしまう。
俺がいつも、見るのを楽しみにしていたあのベンチ。
いつも彼女が腰掛けていたベンチに、見覚えのある女子高生が、ちょこんと尻をのせていた。
目を離せないまま、俺は駅の構内に入る。
その娘はスマホを取り出して、どこかに電話していた。
俺は切符を選んで購入する。金がないので、まだ定期券は買えない。
喫煙所から、茶髪でサラサラのストーレートヘアの女性が駆け出してきて、その女子高生に近づいていくのが見えた。
二人は知り合いのようで、親しげに会話をしていた。
俺が視線を外したと同時に、「ひゃーっ!」と、二人が奇声を発して騒いだ。
ついまたチラリと見てしまうが、すぐに視線をそらして改札へと向かう。
バタバタと、慌てたような足音が俺の背後に近づいてくる。
切符を改札に入れようとすると、「待って!」と、女性の声がそれを止めた。
俺は列から外れて、声のほうを振り返る。
俺と同じくらいの年齢に見える、ワンレングスの色っぽい女性が、彼女の友人と二人で、俺のすぐ後ろにいた。
「え?」と、驚きの声がもれてしまう。
茶髪の女性に見覚えはない。
やけにピッタリとしたニットを着ており、豊かな胸を自慢するように突き出している。
二人とも、すごく嬉しそうな笑顔だった。
俺はたぶん、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっていると思う。
制服姿の小さいほうが、満面の笑みで一歩、俺に近寄った。
「あの、私のこと、覚えてますか?」
ファンが芸能人に声をかけるときのようなグイグイ感。
なに? どーゆーこと?
俺は正直に「はい、もちろん」と答えた。
「ホントだ、イケてるね、いい人そうだし」
小柄な女子高生の後ろで俺を見ていた茶髪の女性が、口を挟む。
「でしょ? お姉チャン」
ショートカットの女子高生が、自慢のように答える。
オネエチャン?
この二人は、姉妹なのか?
これは、まさか、その、そんな、ええ?
と、俺が混乱と妄想を行ったり来たりしていると、制服姿の妹のほうが、早口で俺に言った。
「いきなりで失礼ですけど、今、少しだけ、お話しする時間、ありませんか?」
──つづく。
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