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第十七話『思い出してから忘れる儀式』
しおりを挟む彼女やその友人に謝られている間、俺は俯いて「いえいえ」などと首を振ることしかできなかった。
自分の口が吐いたセリフが現実のものとは思えず、穴を掘って、埋まってしまいたいと、恥ずかしさで死にそうになっていた。
痴漢の疑いをはらすためなどという自分本位の理由で、大好きな彼女に、相手はまだ高校生だというのに、告白をしてしまった。
あの日ずっと俺は、控えめに言っても、ただの糞野郎だった。
ここまでが、俺の記憶のすべてだ。
散歩しながらあの日のことを細かく思い出しているうちに、いつの間にか頭痛は楽になっていたが、自己嫌悪値は増幅した。
でも頭痛とともに、心のモヤモヤも、どこかへいってしまったような気がする。
良くも悪くも、スッキリはしたようだ。
これが、吹っ切れるというやつか? と、足を止めて辺りを見渡す。
ここは、どこだ?
ずっと歩き続けていたので、俺のアパートから徒歩二十分くらい離れた場所まで来てしまったようだ。
そのくらい遠くにあったと記憶している団地と、その敷地内にある公園が、目の前に広がって、現在地を俺にしらせている。
吹っ切れはしたが、細かく思い返してみて心にのこったのは、後悔と恥ずかしさだけだった。
一人反省会をしながらの散歩というアイデアは、悪くなかったと思う。
自己嫌悪は消えなくても、心は前向きになれたような気がする。
あれ以来、俺は彼女を見ていないし、もちろん喋ってもいない。
責められて、告白して、謝られて、凹んだだけ。
銀杏の黄色をヒラヒラと降らす秋風に誘われるように公園内に入り、ベンチへと向かう。疲れたので、一休みすることにした。
腰掛けて、ふうと体内にのこった僅かな毒素を吐き出す。
団地の住人だろうか。二組の親子が砂場で遊んでいた。
子供らを連れているのは両方母親で、片方は男の子一人、もう一方は女の子と、男女どちらか判別できない、オムツをしたチビだった。
みんなで、なにをしているのかは見ていてもわからないが、なにかをして遊び、楽しそうに笑っている。
幸せそうだなと思った。
俺は大きく息を吸ってとめると、勢いよくベンチから立ち上がった。
楽しげな他人を見て、幸せホルモンでも分泌されたのだろうか?
できること、したほうが良さそうなことが一つあると、気がついたのだった。
急ぎ足で公園を出て、来た道を引き返した。
目指しているのはアパートではなく、駅だ。
駅に行くという行動への恐怖心をなんとかしなければ、新しい仕事を探すこともできない。
だから、駅に行ってみようと思った。
今なら、行ける気がした。
足取りは微かに重いけど、でも立ち止まらずに進めている。
駅に行こうと考えるだけであんなに抵抗があったのに、今はそうでもなかった。俺は、もう大丈夫だ。きっと。
今回の最大の反省点は、高校生を好きになったこと。
恋愛感情が沸き起こることはコントロール不能だとしても、それでもどこかに、引き返せるタイミングはあったはずだ。
気持ちを抑えられず、つい尾行してしまうようになる前に、どこかにブレーキはあったはずなんだ。
どうにもならない相手を好きになるから、暴走じみたマネをしてしまった。
ここまでならいいけど、これはダメとかじゃない。
そんな考えだから、事件に巻き込まれた。
もっと前に、諦めるべきだった。
今こうして娑婆を歩いているのは、奇跡に近い。
あんな風に他人に助けられることは、まずないと思う。
不幸中の幸いどころか、超幸運だったと考えるべきだ。
あの勇気ある女性には、足を向けて寝られない。
どこの誰かも知らないので、足を向けない方法は、わからないけども。あんなに汗だくになって他人を助けるなんて、俺もいつか、そうできる機会があったなら、絶対にそうしよう。面倒だなんて考えずに、他人を助けてあげよう。俺はあの日、ヒーローに会ったんだ。ペイ・フォワード。俺は救いのバトンを返すのではなく、いつかきっと、次の誰かに渡す。
アパートの前を通り過ぎる時は、少し動悸が乱れた。
この先は、出勤の時に見ていた景色だからだ。
アパートの前は細い一方通行路で、その先の住宅街を抜けると大きな工場のある通りに出る。その先にもっと大きな、片道二車線の、ガードレールで歩道と車道が分けられた大通りがあり、そこで歩行者用信号を渡る。渡ってすぐに同じくらいの大通りが左側に現れるので、そこを左折して真っ直ぐ行くと、駅前のロータリーが見えてくる。
景色を観ていると、感情にワクワクが混じる。
これは、あの楽しかった日々の残存兵力だ。
ロータリーが近くなると、ドキドキする。
彼女がいるかな? いるといいなと考えながら、毎朝ここを歩いた。
あの甘酸っぱさがよみがえり、同じ気持ちになる。
ロータリーに入ると、つい喫煙所横のベンチに視線を向けてしまうのも、もう、クセになった動きだからだ。
あのベンチは今も変わらず、そこにある。
いつも彼女はあそこに、一人で座っていた。
今は、当然いない。そりゃそうだ。今日が平日なら、まだ学校にいるだろうし、祝日なら、いる理由がない。
バス停から遠く、不便な位置にあるベンチなので、誰も座っていない。
俺はそのベンチへと歩み寄り、初めて腰掛けてみた。
彼女の体温の記憶とベンチがリンクして、温もりを感じるように錯覚する。
彼女の体温の記憶は、電車のなかで感じたものだ。
俺に凭れかかってくれた時の、彼女の匂いや感触が再生されている。
ホワッと、また謎の幸福感が、そよ風のようによぎる。
ああ、いいお別れだ。
よし、もう、大丈夫。
今回の恋は、これにて終了だ。
──つづく。
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