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第四十九話『悪意を知らない子供たち』

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 ダウンタウンは空き家も多く、居住者のない建物やマンションの部屋には、よくホームレスが住みついていたりする。
 殺人事件や放火事件も多く、それらが発生しても、警察や消防はなかなか来ない地区だった。
 治安の問題もあるが、殺人は通報されず、放火は保険金目当ての自作自演である場合が多いからだ。
 貧民街などとも呼ばれ、そこの住人たちはスラム以外の地区に暮らす人間から、犯罪者か売春者だろうという差別的な目で見られることも多い。
 ミラは母親に連れられて、幼い頃にダウンタウンに越してきた。
 児童福祉局の尽力により公立の小学校に通えるようになり、担当者の計らいで、補助金や学費免除などの複雑な手続きを経て、高校まで無償で通えていた。
 だが貧民街に暮らす生活に余裕などないはずのミラの母親が、豊胸だけでなく、顔にもアンチエイジング手術を施し、脂肪吸引などもしているという噂があった。
 噂というものは普通、第三者により振り撒かれるものだが、ミラの母親は自慢のように公言しており、服やメイクなどにも金がかかっていると認めていた。
 売春の噂もあったが、それにしても全身整形では予算が合わない。
 セレブ専門の高級娼婦ならともかく、美人で若作りしているとはいえ、高校生の娘のいる一般の母親が身を売ったくらいで稼げるような額ではないだろう。
 ではその費用は一体、どこから湧いて出たのか。
 私やハナやケッカーが恋バナで盛り上がっていたとき、またそれが原因で喧嘩をしていたときに、ミラがどこかさめたような、バカにしたような口調や表情だった理由。
 うちらのような平均以下の下位グループの一員だったミラが、いくら仲間内ではモテるほうだからといって、校内最上位クラスの、プライドが服を着て歩いているような女王バチのグループにすんなりと、ある日突然、仲間入りできた理由。
 先週、私がトランをフッた後、急に学校全体の雰囲気がおかしくなった理由も、もしかしたら同じなのではないだろうか。
 いや、もっと言えば、スラムのギャングが縄張りから出て、サブの家まで来たのだって、あれもよく思い出してみれば、あいつらは私をさらおうとしていたのではなかったか?
 あのときの被害者はサブだったから、今の今まで繫がりなんて考えもしなかったけど、サブは私に絡んできたチンピラを止めて、暴力を振るわれていたような気がする。
 全部、繋がっていた? なら、どれもこれもミラの差し金だったってこと?
 不自然すぎるような気もする、突拍子もない推理。
 ミラ個人でできることか? と自問する。
 ミラが主犯だったとしても、フェラウやトランも、どれかの事件のどこかには、影響を与えていたのかもしれない。
 嫉妬、怨恨、強欲、渇望。
 きっと私が誰かの、触れてはいけない逆鱗に触れたのだ。
 ただ、だとしても、今なぜこうなっているのかの説明にはなっていない。
 あと一歩で答えに辿り着けそうなのに、合理的な説明がつかない。
 と、私が回らない頭を必死で動かそうとしていると、外から解錠音がした。
 ガシャンという、大きな音が室内に響く。
 私も驚いたが、ハナはひっくり返って慌てているようだった。
「おら、入れ!」
 男の声の後で、バタバタと誰かが押し込まれる音がした。
 悲鳴や泣き声が、私たちのほうに倒れ込んでくる。
 新たな捕虜もまた、女の集団のようだった。
 両手をつかえないハナが、小便を終えた犬みたいに地面を掘るように蹴り、逃げ惑う音を発しているすぐそばで、何人かが苦痛のうめき声をあげている。
 鉄扉を閉める、錆びた軋み音と、コンテナが揺れる気配、また外から施錠される音が連続する。
 後から入れられた女たちのなかに、半狂乱で喚いている者がいた。
 その声に、聞き覚えがあるような気がして、私が声をかける。
「ケッカー?」
「え? マック? マック! なにこれ、お願い助けて!」
 やはり思ったとおりケッカーだった。
 なぜケッカーまでここに? と問うよりも先に、悪いけど助けるのはムリだと、私やハナ以上に状況を受け止めきれていないケッカーに、現実をしらせる。
 こっちこそ助けてほしい状況なのだと。
 ケッカーは「なんでなんで」と、駄々をこねるように大泣きした。
「うるさい!」
 別の誰かが、イライラした声をケッカーに叩き付ける。
 その声にも聞き覚えがあった。
「フェラウ?」
 私の声が、驚きのあまり裏返る。
 なぜフェラウが? という新たな疑問が頭を埋め尽くす。
 ついさっき私は、彼女がこの事件の犯人側の人間だと推理したばかりだからだ。
 違うのか? と考えを整理しようとするが、フェラウの名を聴いた他の女たちが一斉に助けを求めて騒ぎだし、それどころではなくなってしまった。
 ニコ・ニコシテ・ルダッケ。
 ジーツ・ハワキン・ゲーボボ。
 キヨニ・ユーダッケ・ガジ・マンデス。
 フェラウに世辞をピーチクと鳴いて、恩恵という餌を与えられてきた取り巻きの女たち。
 助けを求める彼女たちの脳ミソに少しずつ状況が染み込んでいき、助けを求める無意味さに思い至り、あっさりとへつらいを捨てる。
「なんだよこれ! ちょっとフェイ! 説明しろよ!」
 フェラウを責め立てる、隷従の仮面を脱ぎ捨てた雑魚どもの悲痛な声。
 フェラウにしても、説明を求められても、返せる答えはないようだった。
 そしてその喧騒の切れ間に、もっとも意外な声が私の名を呼んだ。
「うう、マックぅ、うう、ううう……」
 紛うかたなき、今現在絶望を味わっている捕虜の泣き声。
「ミラ?」私は呆然として、その声に応えた。
 混乱が限界を超える。
 なんでミラが、ここにいる?
 フェラウがこの犯罪行為の一味なら、ミラは首謀者じゃないのか?
「マック、ごめん、ごめんん、うう、私、私……」
 嗚咽して謝るミラの声には、もう食堂で私に物を投げつけていたのときのような攻撃性も、傲慢さもなかった。


 ──つづく。
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