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第五十四話『カールスキーの日記』
しおりを挟むここから先は、ぼく、サブ・カールスキーがマッキーのかわりに記録をのこす。
ぼくは今、マッキーの入院している病院でこの日記を読み、続きを書いている。
彼女は大切な、大好きな親友だ。
ぼくが彼女を愛しているのと同じように、彼女もぼくを想ってくれていたことを知り、とても嬉しかった。
彼女はぼくを信頼して、この日記を預けてくれた。
信頼は光栄だし、とても嬉しいけど、ぼくがこれを代筆しているということは、彼女は今、日記を書くこともできない状態だということだ。
本来は誰にも見せたくなかったであろう日記をぼくに託すほどに、肉体も精神も弱っており、予断を許さない状態なんだ。
容態が悪化して手術室へと運ばれていく彼女の、見たこともない弱りきった姿が忘れられない。
麻酔で朦朧とした手でぼくの手をギュッと握り、続きを書いてと言った。
そんな、これでお別れみたいな言いかたはやめてくれと頼んだのだけど、彼女はぼくの胸もとに日記を押し付けて、またベッドに倒れ込み、病院のスタッフたちに運ばれていった。
彼女を失いたくないし、それを認めてしまうような、遺言のように彼女の日記を読むなんて、縁起でもないと思う。
「忘れないうちに、ちゃんと書いてね」という、彼女の苦しそうな声。
切れ長の美しい両目いっぱいにためた涙。
断れなかった。
わかったと、言ってあげることで彼女が安心するなら、そう言ってあげたくて。
心配だし、悲しいし、悔しい。
ぼくは彼女を救えなかったし、今だって、なにもしてあげられない。
だから、彼女がそう望むなら、できることはしたいんだ。
マッキーがぼくに話して聞かせてくれたこと。
それにぼくの知っていることを合わせて、できるだけ正確に、手術が成功して、快復した彼女が後でこれを読んだときに納得してくれるように、しっかりと事件の記録をのこそうと思う。
マンデスさんの構えを見て、マックはすぐに、相手が怖がっていると覚った。
でもそれは、マックも同じだった。
そりゃ怖いよ。
金網のなかで顔見知りと殺し合えなんて、言われてもできることじゃない。
マックはお父さんといつも遊びでやっていた、取っ組み合いを思い出して、そのとおりに筋肉を動かそうと考えた。
これは、ぼくの勝手な想像なんだけど、日頃からお父さんが娘に仕込んでおいたセルフディフェンスだったんじゃないかな。
この事態を想定していたなんて言わないけど、お父さんの話だと、柔術ってのはレイプセーフとも呼ばれている、女性にも向いた護身術みたいだからね。
マックは頭を抱えるように両腕を直角に曲げて、顔面をしっかりとガードした。
その構えのまま、摺足で対角コーナーの相手に近付いていく。
両者が動いたらすぐに、物騒なカウントダウンのアナウンスは止まった。
相手のマンデスさんは怖がって少し後退りしたんだけど、コーナーに立っているから、ほんの数歩で後方に逃げる空間がなくなってしまい、蟹歩きみたいに金網に沿って横移動するしかなくなった。
マックが回り込むようにして逃げ道を塞ぐと、それ以上は横にも進めなくなり、立ち止まって、威嚇するように前蹴りを振り上げたり、猫が爪で引っ掻くような、振り回すパンチを見せた。
変な打ちかたになってしまうのはわざとじゃなく、パンチというのは、素人には真っ直ぐ打つのが難しいので、自然と弧を描くような軌道になってしまうらしい。
マックは冷静にその動きを観察し、ジワジワと近付いたり止まったりした。
肩に力の入った素人の猫パンチなんて無意味だし、パタパタと振り上げるだけの当てる気もないような前蹴りも、マックには届かなかった。
威嚇の意味しかないので、マックは相手の蹴りかたの癖やタイミングを、冷静に見ることができた。
あ、ちなみにだけど、格闘技に関する知識は全部、マックのお父さんが言ってたままを書いているから、ぼくの意見でもなんでもないよ。
マックが自分の経験をぼくらに話してくれたときに、お父さんが横から解説してくれたんだ。
だからもしかしたら細かい描写や解釈を間違えちゃうかもしれないけど、そこは許してほしい。
マックはマンデスさんの前蹴りのタイミングを読み、蹴りを打ち落とし始めた。半身立ちで、足は前後に置くという基本の構えは崩さずに、前に置いたほうの足を振り上げては、踏むようにして蹴った。
平泳ぎの蹴り足を片足だけでやるような動き。
その技はマンデスさんの前蹴りを止めて、威嚇を無効にした。
マンデスさんが蹴り足をおろして両足で立つと、マックは少し前進しながら同じ蹴りを相手の膝関節に向けて放つので、相手は止まっていられない。
止まれないけど攻撃も威嚇も封じられており、逃げれば逃げたぶんだけマックは追ってきてまた膝関節を蹴るので、八方塞がりの状態だった。
膝関節を正面から蹴るなんてエゲツない技だけど、これが基本らしい。
膝を蹴られると相手は脚を前に出せなくなる。
関節蹴りは上半身を反らすようにして蹴るので、脚を止められた相手がマックの顔を殴ろうとしても、下半身が止められているために手が届かない。
相手が体勢を整えようとして動けば、動いたほうへとマックはスキップのように前進しながらまた踏み蹴りを打つ。
相手にしてみれば文字通り、手も足も出ない状態だった。
柔術の技で相手を封じた後、マックは次にボクシングの技をつかった。
反らしていた背を前傾させて背を丸め、腰を曲げて顔を前に出した。
なんでわざわざこんな殴られやすい姿勢に変えるのかと言うと、マックはすでに相手が殴るときの癖を見抜いてしまったので、打ちやすい位置に不意に的を与えてやることで、反射的な攻撃を誘発したのだ。
狙いどおり、マンデスさんはマックの顔を横から殴るフックのような、振り回すパンチを打ってきた。
振りかぶって振り下ろす、序動が丸見えのパンチ。
腰が入っていないため動きは鈍重で、フェイントも緩急もない素人攻撃なので、マックには丸見えだった。
丸めていた背を再び反らしただけで、パンチは見事に空振りした。
左右に振り回すパンチが空振りしたので、マンデスさんは腕の重みでバランスを崩し、隙だらけになった。
マックは半身の後ろ足で地面を蹴って、ぐんと一気に相手の懐に飛び込んだ。
踏み込みの体重移動ものせた、下から振り上げるパンチを、移動と同時に打つ。
腰の回転、手首の固定など、完璧なボディアッパーだった。
マックは相手のパンチの振り切った瞬間を狙ったので、相手は呼吸を吐ききってしまっており、吸い込む直前だったらしい。
そんなところまで見えてたの? と聴いていて驚いたけど、お父さんに教わったからねと、平然とした顔で返された。
マックのパンチはカウンターで、相手の鳩尾を打ち抜いた。
腹筋に力が入らないタイミングで、胃に強烈な打撃を刺されたマンデスさんは、一撃で呼吸困難に陥った。
「ゴブッ」と、えずきながら、すとんと落ちてマットに膝をつく。
でもマックだって格闘家じゃないから、綺麗に決まったのは幸運が重なっただけだと、お父さんは言っていた。
手首の角度が少しでも甘ければ、捻挫するか、運が悪ければ骨折だってあり得ただろうって。
そういうものなのかと、ぼくは聴いているだけで冷や汗がでた。
──つづく。
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