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第六十五話『殺意』
しおりを挟むマックのいい点は、ここだ。
わからないことに焦って、無闇に突っ込んでいったりしない。
打撃にも組技にも対応できる構えで、相手を観察しながら待ち、そして崩す。
相手の構えや体勢が崩れ、いざ動くとなったら、躊躇せずにやりきる。
これも、迷ってしまうとそのスキに必ずタップをとられるという、お父さんとの遊びのなかから自然と身に付いたものだそうだ。
リングの上ではまだ両者、距離があった。
マックはコーナーから一歩ほどの位置、フェラウはまだコーナーから動いてすらいない。
リングの対角で睨み合うようなかたちになっていた。
ケガは? と、マックは気になっていた点を観察する。
フェラウの全身を、上から下まで、じっくりと。
フェラウがそのマックの目付きにイラついたのか、すっと一歩前進した。
会場の端から端まで、ため息のような声がさざ波のように流れていく。
その一歩には、足を引きずっている様子はなかった。
相手の少ない動きのなかから、確実に情報を読み取る。
マックが注目していたのは、フェラウの手だった。
手首から先に、分厚く包帯が巻かれていた。
自分の右手と同じように、殴って拳を痛めたのかなと予想する。
隠された半身からチラリと見えた後ろ手にも、同じように包帯が巻かれていた。
両手を痛めたのか? と、なんとなく違和感を抱く。
フェラウは威嚇するように、また一歩前進した。
ジロジロ見られるのが気に食わないらしい。
リング中央に近い位置まで来たので、もう今は、一足一刀の間合いだった。
どちらが仕掛けてもおかしくない、始まりの距離。
マックの背筋にゾワリと悪寒が走った。
止まっていたと思ったら、大胆に詰めてくる。
その移動法は、摺足だった。
跳ねていない。
半身の前足をぐんと進めては、後ろ足を追い付かせる。
素人の歩法じゃない。
素人は、あんな風には歩かない。
スポーツというより、武道、武術の足捌きに見えた。
スポーツは護身よりも勝敗が重要なので、常に動く。
動きのなかに次の動きを隠すので、足捌きも跳ねるように動くことがある。
対して武術の勝敗は命懸けだ。
だからスキを生みやすい〈常に動く〉という構えや移動は、あまりしない。
動きに合わせてステップを踏むのが跳ね足の、そして、いきなり予備動作なしで移動するのが摺足の特徴らしい。
摺足は体軸がぶれず、頭の高さも変わらない。
マックの歩法も、同じ摺足だった。
お父さんも、取っ組み合いのときに摺足をつかった。
だから摺足に慣れてはいるが、対応策があるわけではない。
極度の緊張下では、リラックスしているときとは、頭も身体も柔軟さが違う。
どうしても、動かれるとびくりと驚くように反応してしまい、驚いたぶんだけ、対応は遅れてしまう。
落ち着けと自戒し、深呼吸をする。
マックの教わった戦術は、シンプルだった。
離れているときは、どうするか。
相手にくっつくためには、どうするか。
くっついた後、くっつかれた後、どうするか。
立ち組み攻防から寝技へと移行するには。あるいは、移行しないなら。
各場面で、相手がこうならこうすると、常に2つか3つの選択肢があった。
相手と自分との距離、位置関係、体勢などで、することが変わる。
実戦の場面で迷わず動くため、フローチャートのように対応策を選べる仕組みになっていた。
簡単にできることだけを、繰り返して覚える仕組み。
だからマックはこれまでの試合で、やっていいかどうかを迷うことはあっても、できることや、すべきことで迷ったりはしなかった。
今この場面でも、基本的な考えかたは変わっていない。
フェラウの戦術や得意技、ケガの具合などがわからないことを不気味だと感じてはいるが、この距離でできることは、実は、一つしかない。
一歩、こちらに踏み込んで来ることだ。
フェラウのつかう技が打撃系だろうと組技系だろうと、闘いかたが乱暴だろうとスマートだろうと変わらない。
この距離では、一歩進まないとなにもできない。
駆け寄るのか、飛び込むのか、踏み込んで打つか、回転して打つかの違いだけ。
必ず足は、最低でも一歩は進めてくる。
どんな奇策を隠していても、その一歩だけは変わらないのだ。
その一歩を出すか、迷わせるかも、先手を打てばコントロールできる。
こちらが一歩踏み込むと同時に、相手の膝関節を蹴ればいい。
否応なしに相手を動かすため、マックはそうした。
摺足で一歩進み、同時に低い踏み蹴りを放った。
半身に立つフェラウの前足の膝を、上から押し込むように蹴る。
ムリに抵抗すれば膝は逆方向に折れるし、重心移動して前足を蹴り上げるなら、それを蹴り落とせる。足を止めてしまえば、手技はこちらには届かない。
その柔術の、えげつない初手殺しの蹴りは、フェラウの膝に当たった。
基本どおり軽く屈伸していた膝関節をがくんと強引にのばされ、フェラウの膝は可動方向とは逆側へと押された。
靱帯がのびてしまう前に、フェラウは慌ててその前足で地面を蹴って後退した。
止まったままでも、前進したとしても膝関節は壊れていただろう。
フェラウは咄嗟の判断で、唯一の正解を選択した。
柔軟な対応だった。
その見事な判断に、マックは目を見張った。
これも、素人にはできない芸当だ。
距離ができたので、ちらりとフェラウの顔を盗み見るように確認する。
表情でダメージの有無を読めればと思ったのだが、マックはすぐに後悔した。
見えたのは、相手を絶対に殺すと決めた人間の、おぞましい表情だった。
──つづく。
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