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第2話「女神の最後の力」

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第2話「女神の最後の力」


 「ピキッ」と耳元で鳴った小さな音でサーロは目を覚まし、寝具から飛び出した。上着を羽織り靴を履き、寝室を出る。窓の外は夜明けだった。
 (また、結界が傷つけられている。今年に入ってから多すぎる、魔物の数が増えている。)
 サーロが目覚まし代わりに聞いた音は結界がダメージを受け、亀裂が入る音だった。結界は半球体の形をしていて国全体を覆っている。通常、魔物は女神の作った結界に入る事はもちろん、攻撃しても何ともないはずだった。国が出来て200年、使徒団が魔力を注ぎ続けてさえいればびくともしなかった結界に異変が生じたのだ。3年前、初めてこの音を聞いた。聞こえるのは使徒だけだった、離れた場所にいた使徒にも聞こえたらしい。
 魔物が結界に攻撃をしている音だとすぐに分かった。当時巡回をしていたサーロ達の目の前だった。

 魔物は決まって、国の東にある森から複数体で湧いてくる。使徒団は定期的に、結界と外の境界線を巡回して魔物を撃つ。教会の見張り塔から視認出来れば、教会から直接向かうこともある。結界の内側からは攻撃が出来るので、結界の外にさえ出なければ、こちらが負傷することはない。
 しかし、強力な結界とはいえ、攻撃されればその分、結界の核へ魔力を補充しなければいけないし、補充するのは苦痛が伴う。結界は魔物をはじくだけで、倒してくれないし、背中を見せて帰っていく魔物はいない。使徒団は「巡回・討伐」、「魔力補充」の二つを交代制でこなしていた。サーロは第一王子だったが、他の使徒と同じように働いていた。次期国王教育など多忙なサーロが、自分たちと対等の関係を築いていることに、使徒たちは好感をもっていた。
 家畜や畑などは結界内にあるので結界の外に出ることはほぼない。外に出るのは、森で採集や狩猟をして稼ぐ者、干ばつや家畜の疫病等で食量が不足した時、あとは子供が度胸試しをする時くらいだった。だが、戦闘に慣れた者が森から帰らない事は稀にあった。

 3年前、サーロを含む巡回班は怪奇現象を見ている気分だった。200年完璧だった結界から音がするのも、ひびの様な線が入っていくのも信じられなくて、しばらく動けなかった。魔物が強くなったのかと思ったがそんなことはなく、いつも通り弱点の額を狙えば難なく倒せた。幸いひびは魔力を補充すればきれいに消えた。
 その日から3年間、少しずつ音の鳴る頻度が増えていた。女神様の力が弱まっている、という神託が下りた。国と使徒団は対応策として、国民からの希望者で討伐団を結成し、使徒団・国立騎士団・討伐団で協力することにした。
 使徒団は「魔力の補充・討伐補助」を、騎士団・討伐団で「治安保持・魔物討伐」を、と分担した。
 しかし、使徒以外は魔法を使えないため、弓などの飛び道具を使ったり、弓矢の消耗を防ぐため得意な得物を使ったりしていた。怪我も多かったし、弓矢を作るための採集に加え、今年になって魔物が襲撃して来る頻度も増え、疲労は少しづつ重なった。対して、人々の笑顔は減っていった。
 
 寝間着に上着姿で走るサーロの背中に声をかける者がいた。騎士団長だった。サーロのこの行動は頻繁に見かけているので、行き先は分かっていた。
 「サーロ殿下、なりません。討伐団にまかせて、あなた様は少しでもお休みください。」
 「そんなわけにいくか、俺は王子で使徒なのだぞ、援護くらいするべきだ。」
 サーロが足を止めないので、二人は走りながら会話をしていた。
 「その2つは休まず働け、という意味ではないはずです。それに、病人のような顔された殿下が行っても、皆が気を遣って力を発揮出来ません!」
 サーロは失速し、やがて足を止め、皺の増え始めた騎士団長の顔を見た。
 「・・・。俺はそんなにひどい顔しているのか?生まれつきではなく?」
 「まだ18歳でおられるのに眉間のしわが国王陛下に似てきました。」
 それは言い過ぎでは、と思ったが返す言葉が出て来なかったので、サーロは大人しく寝室に戻ることにした。眠れる気はしなかったが、朝食の時間までは横になることにした。目を瞑り眉間を揉みながら、いつもと同じことを考える。
 (もし、結界がなくなったら。もし、魔王が直接攻めて来たら。いや、弱気なるな。)
と。
 
 夜が完全に明けた頃だろうか、頭の中で鐘の音が響いた。神託が下りるいつもの合図だ。この音の後に女神の声が流れる。3年ぶりの神託は、通常と違っていた。通常ならばはっきり聞き取れるはずが、今回は声が遠く、水の中のように聞き取り難い。女神の力は、もはや無に等しいと感じた。

 『ゆ…資格を…異世界…けた。サーロ…旅を…神器…なさい。魔…妨害…つけて。』
 
 (何故、俺の名が。)
 サーロは混乱していたが、神託が下りた時、使徒は全員教会に集まる決まりだったので、すぐに支度をして城を出た。教会と王城は隣合わせで建ち、その2つを中心に、内側から町・居住区・工場地区・農業地区、の円形の王国となっている。この世界唯一の国はとても小さかった。
 サーロが教会の聖堂に着いた時は、まだ使徒の半分も集まっていなかったが、騒めきは大きかった。話を聞けば、どうやら他の使徒も、サーロ以上に聞き取れた事はないようだった。
 やがて、全員が集まった事を確認した使徒団長が壇上に現れ、皆が口を閉じた。背筋が伸びていた老人は、いまや70歳相応の姿となっていた。だが、最低限の言葉で話すところは変わらない。
 「恐らく、今回の神託で最後だ。まず、皆で意見を出し合い、女神様のご神託を完成させよう。」
 使徒全員で議論を重ね、導き出した神託は『勇者の資格を異世界人に授けた。サーロと共に旅をして、神器を集めなさい。魔王の妨害に気をつけて。』だった。けれど、異世界人というのが分からない。なぜ異世界人なのか、どこから来るのか。疑問は多々残ったが、国王に神託の詳細を報告し、更に、3人の団長・サーロ・国王・臣下達で重要会議が開かれた。不安と希望が混ざった複雑な味はいくら水を飲んでも消えることはなかった。
 会議の結論が出るのに、あまり時間はかからなかった。女神に守られているだけの弱くて、少ない人間に出来る事など少なかったからだ。
 国はその日の内に、全国民に次のように告げた。
『結界に万が一の事があった時のために、全ての国民は、騎士団員が指導する臨時戦闘訓練に積極的に参加すること。守られてばかりではいけない事。女神から勇者の話があった事。希望を持ち、備えること。』
 戦を宣言したも同然であったが、パニックに陥る者は一人もおらず、身を抱え震えあがる者がいても、周りが何か声をかければ震えを止め、拳を強く握り、顔を上げた。
 旅のお供をするサーロは、特別戦闘訓練として、団長など実力者達から指導を受ける事になった。サーロは、名誉ある使命だ、と張り切って訓練を受けた。
 幼い頃から剣術は習っていたが、師が複数になってからは学ぶ事が一気に増えて楽しかった。書類の活字を相手にするより体を動かす方が何倍も好きだった。

 最後の神託から5日後、人が空から降ってきた。
 その日は厚い雲が覆っていて昼でも暗かった。だから、稲妻が光ったように空がぱっ、と明るくなった事に多くの人が気付いた。しかし雷鳴は聞こえない。
 不思議に思って空を見上げると、黒い点が空から落下していた。目を凝らせば、それは人だった。動いているようには見えない、気絶しているようだった。まさか勇者候補が上から降ってくるとは思いもしなかったため、見張りをしていた使徒はかなり焦った。仲間を集め魔法を使い、無事救助に成功した。この世界では見たことのない装いだったので、異世界人で間違いなかった。空からの登場にも驚いたが、成人女性であることも予想外だった。
 教会に呼び寄せた医者によると、命に別状はなくそのうち目を開けるだろう、とのことだったので、意識が戻るまで教会に隣接している使徒寮に寝かせることになった。





 昌は寝ぼけ眼のまま身を起こし、枕元にあるはずの目覚まし時計を手で探った。いつも朝4時に目が覚めるはずだが、やけにカーテンの向こうが明るい気がした。手が幾度も空振りをしたところで目を見開いた。
 (目覚ましがない!やらかしたか!)
 と、慌ててカーテンを開けた昌は固まった。
 夕日が照らしていたのは、木造の出店や、レンガ造りの建物が並ぶ見慣れない町だった。部屋を見渡せば、寝台・椅子・机だけの閑散とした部屋だった。
 昌はここでやっと全てを思い出した。

 女神に言われて目を閉じ意識を失った後、風を感じて目を開けると遥か上空にいた。今度は立っていなかった。うつ伏せの体勢で目の前には海の上に浮かぶ島が2つ並んでいた。背中側には分厚い雲が太陽を隠していた。
 (え?なぜ空中?)
 と考えた時、ふっ、と音がして落下が始まった。
 昌は悲鳴を上げながら雲から離れていった。人生最大の声量だ、という現実逃避の思考を押しのけ、必死に自分の冷静さを手繰り寄せた。今にも飛びそうな意識にしがみつきながら、2つの島に顔を向ける。島の地形だけは確認したかった。
 左手の島は円形で、右半分は緑に染まっており右端に白い点があった。左半分は、人間が住んでいるような灰色の円が真ん中にあり、その円の下側は茶色の中に血を一滴垂らしたような、火山が見えた、上側は黄緑一色だがこちらにも白い点が上端にあった。
 一方、右手の島は黒単色で生気を感じられなかった。しかも形が歪で、まるで黒い島が左の島に手を伸ばしているような、不吉な形をしていた。
それ以外は覚えていない。この世界の人がここまで運んでくれたのだろうか。
(あれ?どこかで一瞬明るくなったような気がしたけど、この部屋で日に当たったのかな。)
 ひとまず状況の整理がついたので、人を呼ぶことにして部屋を出た。
 廊下に出て階段を見つけると、夕餉の支度をしているのだろう、下の階から美味しそうなシチューの匂いがした。階段を下ると食堂と思われる場所に出た。白いローブを着た二十歳前後の青年が昌に気づいて駆け寄って来た。
 「勇者様、お目覚めになられましたか。体調に異常はございませんか?」
 勇者と呼ばれた昌は、痛みを感じた時のように顔を歪めた。
 「勇者と呼ぶのは止めて下さい、精神的ダメージを受けてしまうので。」
 
  これが後の勇者と救世主の出会いだった。

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