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第18話『飛揚跋扈⑤-ヒヨウバッコ-』
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あの後警備部が駆けつけてくれ、西澤顕人と滝田晴臣は事なきを得た。
恐らく晴臣の声を聞きつけた誰かが警部に連絡してくれたのかもしれない。
さて。
これまでの人生を振り返ってみて一体どれだけの人が、人気のない夜の道で突然鉄パイプで殴り掛かられたという経験をしたことがあるだろう。
顕人は当然あるはずもなかった。
あんなもので殴られたら最悪死ぬ。
相手はもしかしたら死んでも構わないという気持ちで向かってきたのかもしれない。
それを考えると、顕人は、一体あの黒い影に何をしてしまったのかと悩むしかなかった。
どうしたら誰かに『死んでもいい』と思われてしまうのか。
これまでの人生を振り返ってみて一体どれだけの人が、誰かに『死んでもいい』と考えることがあるだろうか。
これも、顕人には経験のないことだった。
『どうでもいい』と思うことは多々ある。
だけど『死んでもいい』と言う感情を抱き尚且つそれを実行されて、顕人はひどく恐怖した。
警備部が駆けつけても、警備部が通報した警察がやってきても、顕人はあの鉄パイプを振り上げられた瞬間のことが頭をぐるぐる回りそれどころではなかった。
意外にも警備部と警察への対応が晴臣がしてくれた。
時間、場所、どういう状況で襲われたか、そしてそれに対してどう対処したか。
晴臣は顕人と違って冷静だった。
『僕は素手でも勝つ自信あるけど?』
あの自信が、今の落ち着きに繋がっているのか。
晴臣も怪我をしている感じはないし、二人共無事で良かった。
そう思うと漸く安心して、顕人は大きく息を吐いた。
「あっ、戻ってきた?」
突然晴臣が顔を覗き込んでくるので、顕人は思わず後退る。だけど晴臣の顔に焦点があい、何処かホッとする。
「別に何処にも行ってない」
「そう? 心ここにあらずって感じだったけど」
晴臣に指摘されて癪だが、確かにそんな感じだった。
顕人は黒い影と遭遇した歩道であのまま座り込んだままだったが、周囲を見ると警備部と警官たちは撤収の準備をしていた。
「アキが呆けてる間に僕が一通り話しといたよ。今日はもう帰っていいってさ。また何か思い出したら来てくれって」
「あぁ、悪いハル。ありがと」
「どういたしまして。ところで立てる? 僕が背負って帰ろうか?」
冗談ぽく笑う晴臣の顔を見て、苛立ちを覚えるがこんなどうでも良いやり取りができる状態まで自分の日常が戻ってきたように顕人は感じた。
「ちゃんと立てる」
「本当かなー」
「……」
うわ、本気で腹が立ってきた。
何だか言われっ放しなのが腹立たしくて、顕人はゆっくりと腰を浮かせる。
だけど、腰が僅かに浮くが、足に力が入らない。
浮いていた腰はすぐに地面に戻ってしまう。
「……」
「……」
「背負う?」
「要らない!」
顕人は意地でも自分自身の力で立とうと断るが、晴臣は「まあまあそう言わずにさ」と言いながら顕人の腕を自分の肩に回させる。
顕人が抵抗する間もなく、晴臣は顕人に肩を貸して立ち上がる。
顕人も晴臣に支えられる形で立ち上がるが、さっきまであれだけ足に力が入らなかったのにちゃんと立てるか不安になった。
だけどそんな顕人の不安を余所に、晴臣は支えていた顕人の手をあっさりと離すのだ。顕人は焦ったが、晴臣が離れても何とか立てていた。
「うん、大丈夫そうだね」
晴臣は顕人が立っているのを確認して、今度こそ正門に向かって歩き出す。途中で撤収作業中の警備部と警察の人たちに「お先に失礼します!」などと声をかけている。
とてもじゃないが、少し前に暴漢に襲われたヤツの姿じゃない。
そう思うと、やっぱり安心して顕人は声を出して笑いそうになるのを、口を抑えて堪える。
晴臣は顕人がちゃんと付いて来ているか確認するためか、振り返ると口元を抑えて俯く顕人を怪訝そうに見る。
「大丈夫?」
晴臣がそう尋ねると、顕人は堪えきれず少しだけ声を出して笑う。
幸い警備部や警察は見ていない。見られていたら不謹慎だと怒られるだろうか。
突然笑う顕人に、晴臣は「やっぱり背負って帰ろうか?」とボヤくので、顕人は首を横に振る。
「大丈夫。何というか、ハルがいてホント助かったと思って」
「えっ、何、どうしたの突然」
顕人の言葉に晴臣は訝しむ。改まってどうしたのか。そう言いたげだ。
顕人はそんな晴臣の言葉を聞き流して「何か今日は疲れたな」と大きく腕を伸ばす。
安心したせいか、急に空腹が迫ってくる。考えてみたら食べ物を口に入れたのは、昼間の宮准教授の部屋での今川焼きが最後だ。
それ以降、晴臣が食べるのを見てはいたが、顕人は水など飲み物ばかりだった。
「……何か腹減ったな」
「あっ、じゃあ駅前の牛丼行く?」
「まだ食うの? お前さっきラーメンと炒飯食べてただろ」
「あんなのもう消化されてるって。軽く運動したし余計に」
その『軽い運動』が一体何を指している言葉なのかを考えて顕人は思わず苦笑する。
「何頼もっかな」
既に牛丼チェーン店に行くつもりになっているのか晴臣は楽しげに笑って歩いていく。顕人もそんな晴臣を追いかけて歩き出す。
あれだけ固まっていた足が今は簡単に動く。
顕人は漸く『日常』が帰ってきたような気がした。
前を歩く晴臣に、顕人は牛丼くらいなら奢ってやってもいいかな、という気分になった。だがしかし、少し後に店に着いて晴臣が凄い勢いで注文していく様子に顕人は後悔することになるなんて知る由もなかった。
恐らく晴臣の声を聞きつけた誰かが警部に連絡してくれたのかもしれない。
さて。
これまでの人生を振り返ってみて一体どれだけの人が、人気のない夜の道で突然鉄パイプで殴り掛かられたという経験をしたことがあるだろう。
顕人は当然あるはずもなかった。
あんなもので殴られたら最悪死ぬ。
相手はもしかしたら死んでも構わないという気持ちで向かってきたのかもしれない。
それを考えると、顕人は、一体あの黒い影に何をしてしまったのかと悩むしかなかった。
どうしたら誰かに『死んでもいい』と思われてしまうのか。
これまでの人生を振り返ってみて一体どれだけの人が、誰かに『死んでもいい』と考えることがあるだろうか。
これも、顕人には経験のないことだった。
『どうでもいい』と思うことは多々ある。
だけど『死んでもいい』と言う感情を抱き尚且つそれを実行されて、顕人はひどく恐怖した。
警備部が駆けつけても、警備部が通報した警察がやってきても、顕人はあの鉄パイプを振り上げられた瞬間のことが頭をぐるぐる回りそれどころではなかった。
意外にも警備部と警察への対応が晴臣がしてくれた。
時間、場所、どういう状況で襲われたか、そしてそれに対してどう対処したか。
晴臣は顕人と違って冷静だった。
『僕は素手でも勝つ自信あるけど?』
あの自信が、今の落ち着きに繋がっているのか。
晴臣も怪我をしている感じはないし、二人共無事で良かった。
そう思うと漸く安心して、顕人は大きく息を吐いた。
「あっ、戻ってきた?」
突然晴臣が顔を覗き込んでくるので、顕人は思わず後退る。だけど晴臣の顔に焦点があい、何処かホッとする。
「別に何処にも行ってない」
「そう? 心ここにあらずって感じだったけど」
晴臣に指摘されて癪だが、確かにそんな感じだった。
顕人は黒い影と遭遇した歩道であのまま座り込んだままだったが、周囲を見ると警備部と警官たちは撤収の準備をしていた。
「アキが呆けてる間に僕が一通り話しといたよ。今日はもう帰っていいってさ。また何か思い出したら来てくれって」
「あぁ、悪いハル。ありがと」
「どういたしまして。ところで立てる? 僕が背負って帰ろうか?」
冗談ぽく笑う晴臣の顔を見て、苛立ちを覚えるがこんなどうでも良いやり取りができる状態まで自分の日常が戻ってきたように顕人は感じた。
「ちゃんと立てる」
「本当かなー」
「……」
うわ、本気で腹が立ってきた。
何だか言われっ放しなのが腹立たしくて、顕人はゆっくりと腰を浮かせる。
だけど、腰が僅かに浮くが、足に力が入らない。
浮いていた腰はすぐに地面に戻ってしまう。
「……」
「……」
「背負う?」
「要らない!」
顕人は意地でも自分自身の力で立とうと断るが、晴臣は「まあまあそう言わずにさ」と言いながら顕人の腕を自分の肩に回させる。
顕人が抵抗する間もなく、晴臣は顕人に肩を貸して立ち上がる。
顕人も晴臣に支えられる形で立ち上がるが、さっきまであれだけ足に力が入らなかったのにちゃんと立てるか不安になった。
だけどそんな顕人の不安を余所に、晴臣は支えていた顕人の手をあっさりと離すのだ。顕人は焦ったが、晴臣が離れても何とか立てていた。
「うん、大丈夫そうだね」
晴臣は顕人が立っているのを確認して、今度こそ正門に向かって歩き出す。途中で撤収作業中の警備部と警察の人たちに「お先に失礼します!」などと声をかけている。
とてもじゃないが、少し前に暴漢に襲われたヤツの姿じゃない。
そう思うと、やっぱり安心して顕人は声を出して笑いそうになるのを、口を抑えて堪える。
晴臣は顕人がちゃんと付いて来ているか確認するためか、振り返ると口元を抑えて俯く顕人を怪訝そうに見る。
「大丈夫?」
晴臣がそう尋ねると、顕人は堪えきれず少しだけ声を出して笑う。
幸い警備部や警察は見ていない。見られていたら不謹慎だと怒られるだろうか。
突然笑う顕人に、晴臣は「やっぱり背負って帰ろうか?」とボヤくので、顕人は首を横に振る。
「大丈夫。何というか、ハルがいてホント助かったと思って」
「えっ、何、どうしたの突然」
顕人の言葉に晴臣は訝しむ。改まってどうしたのか。そう言いたげだ。
顕人はそんな晴臣の言葉を聞き流して「何か今日は疲れたな」と大きく腕を伸ばす。
安心したせいか、急に空腹が迫ってくる。考えてみたら食べ物を口に入れたのは、昼間の宮准教授の部屋での今川焼きが最後だ。
それ以降、晴臣が食べるのを見てはいたが、顕人は水など飲み物ばかりだった。
「……何か腹減ったな」
「あっ、じゃあ駅前の牛丼行く?」
「まだ食うの? お前さっきラーメンと炒飯食べてただろ」
「あんなのもう消化されてるって。軽く運動したし余計に」
その『軽い運動』が一体何を指している言葉なのかを考えて顕人は思わず苦笑する。
「何頼もっかな」
既に牛丼チェーン店に行くつもりになっているのか晴臣は楽しげに笑って歩いていく。顕人もそんな晴臣を追いかけて歩き出す。
あれだけ固まっていた足が今は簡単に動く。
顕人は漸く『日常』が帰ってきたような気がした。
前を歩く晴臣に、顕人は牛丼くらいなら奢ってやってもいいかな、という気分になった。だがしかし、少し後に店に着いて晴臣が凄い勢いで注文していく様子に顕人は後悔することになるなんて知る由もなかった。
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