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07:その歪みがどんな味がするのか
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「璃亜夢ちゃん、体調はどう?」
そう笑いながら声をかけてくる永延に、璃亜夢はもう怒る気力もわかなかった。
永延が璃亜夢の妊娠を仄めかしてから、彼は頻繁に璃亜夢に声をかけるようになっていた。
でもやることはいつもと同じだ。
夕食を食べて、ホテルに行って、一晩を共にする。朝になってファミレスで食事をする。帰る際には必ずテーブルに数枚の一万円札を置いて帰っていく。
璃亜夢はその一万円札が欲しかったから永延の誘いに応じていたが、それを手を伸ばしている自分がとても惨めだった。
一万札の乾いた感触を指先で捉えて、これでまた暫く生きていけると安堵している自分に腹が立った。
腹の中の物は確実に育っているのに、璃亜夢は何もできないでいた。
この腹を殴りつけたら、中のこいつは死んでくれるのだろうかと考えない日はなかった。だけどそれをすることで、自分まで道連れにされるのではないかという恐怖が勝った。
璃亜夢の内側から自分の思考を支配してくるような感覚に怯えて、璃亜夢は日に日に眠りが浅くなった。
怖いけれど、誰にも相談できなかった。
だって、誰も助けてくれないのだから。
この頻繁に会ってくる男だって、璃亜夢を助ける気があって誘っているはずがない。
「アンタはどうして私を誘うの」
いつも通りの駅での待ち合わせで、明るい声で璃亜夢に声をかけてくる永延とは対照的に、璃亜夢は青白い幽霊のような顔でそう呟く。
すると永延は微笑みを顔に貼り付けたまま少し考える。
だけど吐き出した言葉はこの上なく最低だった。
「産婦の身体って良いよね。グラマラスな女性も勿論大好きだけど、産婦はまた違った魅力がある」
「さん……何?」
聞き慣れない言葉に璃亜夢は首を傾げる。恐らく最悪な言葉なのだろうと直感したが、念の為に確認する。すると案の定璃亜夢の予想は当たり、永延は「妊婦さんのことだよ」と言いながら人差し指を璃亜夢に伸ばし、腹部を下から上へなぞり上げる。まるで腹部の膨らみを確かめるように。
璃亜夢の食事状況や、元々の体型のせいか腹の膨らみは隠せていたが触るとやはり大きくなっているのは明らかだった。
その指でなぞった時の丸みに永延は笑う。
「今、何週目なんだろうね。病院は行った?」
「……行ってない」
「だろうね、知ってる」
永延は楽しげに笑う。その表情に璃亜夢は殺意すら覚える。
思わず永延を睨む璃亜夢を、永延は憐れむように笑いながら「家出少女の辛いところだよね。保険証もお金もない。問診票に書く住所すらない。可哀想に」と呟く。その言葉に璃亜夢は唇を噛む。
だけど永延は全く気にしていない様子で彼女の肩を抱く。
「春だけどまだ夜は冷えるからね。温かいもの食べようよ。何が良いかな」
永延はそう言うと璃亜夢を連れて焼肉屋へ向かった。
店は個別の部屋になっていて、他人の会話や視線を気にしないで済むのは璃亜夢としても助かった。
永延はやってきたスタッフに適当に注文する。永延が「璃亜夢ちゃんは何食べたい?」と聞いてくるがあまりこういう高そうな店に来たこともないので永延に任せた。
注文してから璃亜夢は一言も話さなかったし、永延もそうだ。
色々聞いてこないのは有り難かったが、それ故にこの男は不気味だった。
得体の知れない。聞けば良いのだろうが、知りたいとも思わない。
でもそれはもしかしから永延も同じなのかもしれない。
だけど今日は聞きたいと思っていることがあり、璃亜夢は水を飲みながら永延を見る。
それはこいつが璃亜夢を誘う理由だ。
駅でも話を振ったがあの時はどうにもはぐらかされた感じがした。
「アンタ、妊婦が好きって言ってたけど、それだけが理由なの? 探せばお金に困ってる妊婦なんて結構いるでしょ。どうして私ばっかり……」
璃亜夢がそう呟いた時、個室にスタッフがやってくる。注文した肉と一緒に。
スタッフはテーブルに皿を置くと「失礼します」と言って去っていく。永延もそんなスタッフに「ありがとうございます」と声をかける。
再び静かになる個室で、永延は早速肉を焼き始める。
またはぐらかされてしまったのかと、璃亜夢は俯くが、今度は永延が口を開く。
「璃亜夢ちゃんって焼肉とかよく来る?」
「あんまり」
「そっか。俺は焼肉好きなんだ。食べるのは当然だけど、焼くのも割と好きな方」
そう言いながら、永延はトングで肉を網へ並べていく。網は熱がしっかり入っているようで、肉を置くと叫ぶように音がした。
璃亜夢は永延の言葉を聞きながら、それがどうした、と内心思う。だけど永延は璃亜夢の相槌もなく話を続けていく。
「肉を焼くことを育てるって言うでしょ。好い焼き加減になるまで見守るの。今、それと同じ状況なの、璃亜夢ちゃんって」
永延はそう言いながらトングで璃亜夢を指す。
璃亜夢は永延の言葉の意図がわからず、ただ永延を見るばかりだった。
永延は笑う。
楽しそうに。
そして呟く。
「だから言ったでしょ? 『俺が育ててあげようか』って」
その言葉を聞いて、璃亜夢はもう数ヶ月前になる、永延との最初のファミレスで同じことを言われたのを思い出す。
思い出して、血の気が引く。
あれはそういう意図だったのか。
この男は、網の上で食べ頃になる肉をじっくり見守るように、璃亜夢にも同じようなことをしているのだ。
ただそれがどういう『完成』なのかはわからない。
璃亜夢がどうなることが、永延の望む『完成型』なのかは想像もつかないが、確実に言えるのがそれが璃亜夢にとって良いことではないことだけ。
璃亜夢は思わず息を呑む。
この男の歪みを真正面に受けて、逃げ出したい気持ちに襲われている。
そんな璃亜夢の気持ちに気付いているのかいないのか、永延は「あっ、これはもう好い感じ」と言いながら、トングで好く焼けた肉を璃亜夢の皿に乗せた。
「よく焼けてるから大丈夫だって」
美味しいよ、絶対。
そう言いながら永延は肉を、自分の皿と璃亜夢の皿に上げていく。
その中で、ひとつだけ、肉が小さいせいで火の通りが早すぎたのか黒く焦げてしまったものがあった。
永延はトングでその黒くなった肉を掴むと「これはもうダメだね」と空いた皿へ落とした。
そう笑いながら声をかけてくる永延に、璃亜夢はもう怒る気力もわかなかった。
永延が璃亜夢の妊娠を仄めかしてから、彼は頻繁に璃亜夢に声をかけるようになっていた。
でもやることはいつもと同じだ。
夕食を食べて、ホテルに行って、一晩を共にする。朝になってファミレスで食事をする。帰る際には必ずテーブルに数枚の一万円札を置いて帰っていく。
璃亜夢はその一万円札が欲しかったから永延の誘いに応じていたが、それを手を伸ばしている自分がとても惨めだった。
一万札の乾いた感触を指先で捉えて、これでまた暫く生きていけると安堵している自分に腹が立った。
腹の中の物は確実に育っているのに、璃亜夢は何もできないでいた。
この腹を殴りつけたら、中のこいつは死んでくれるのだろうかと考えない日はなかった。だけどそれをすることで、自分まで道連れにされるのではないかという恐怖が勝った。
璃亜夢の内側から自分の思考を支配してくるような感覚に怯えて、璃亜夢は日に日に眠りが浅くなった。
怖いけれど、誰にも相談できなかった。
だって、誰も助けてくれないのだから。
この頻繁に会ってくる男だって、璃亜夢を助ける気があって誘っているはずがない。
「アンタはどうして私を誘うの」
いつも通りの駅での待ち合わせで、明るい声で璃亜夢に声をかけてくる永延とは対照的に、璃亜夢は青白い幽霊のような顔でそう呟く。
すると永延は微笑みを顔に貼り付けたまま少し考える。
だけど吐き出した言葉はこの上なく最低だった。
「産婦の身体って良いよね。グラマラスな女性も勿論大好きだけど、産婦はまた違った魅力がある」
「さん……何?」
聞き慣れない言葉に璃亜夢は首を傾げる。恐らく最悪な言葉なのだろうと直感したが、念の為に確認する。すると案の定璃亜夢の予想は当たり、永延は「妊婦さんのことだよ」と言いながら人差し指を璃亜夢に伸ばし、腹部を下から上へなぞり上げる。まるで腹部の膨らみを確かめるように。
璃亜夢の食事状況や、元々の体型のせいか腹の膨らみは隠せていたが触るとやはり大きくなっているのは明らかだった。
その指でなぞった時の丸みに永延は笑う。
「今、何週目なんだろうね。病院は行った?」
「……行ってない」
「だろうね、知ってる」
永延は楽しげに笑う。その表情に璃亜夢は殺意すら覚える。
思わず永延を睨む璃亜夢を、永延は憐れむように笑いながら「家出少女の辛いところだよね。保険証もお金もない。問診票に書く住所すらない。可哀想に」と呟く。その言葉に璃亜夢は唇を噛む。
だけど永延は全く気にしていない様子で彼女の肩を抱く。
「春だけどまだ夜は冷えるからね。温かいもの食べようよ。何が良いかな」
永延はそう言うと璃亜夢を連れて焼肉屋へ向かった。
店は個別の部屋になっていて、他人の会話や視線を気にしないで済むのは璃亜夢としても助かった。
永延はやってきたスタッフに適当に注文する。永延が「璃亜夢ちゃんは何食べたい?」と聞いてくるがあまりこういう高そうな店に来たこともないので永延に任せた。
注文してから璃亜夢は一言も話さなかったし、永延もそうだ。
色々聞いてこないのは有り難かったが、それ故にこの男は不気味だった。
得体の知れない。聞けば良いのだろうが、知りたいとも思わない。
でもそれはもしかしから永延も同じなのかもしれない。
だけど今日は聞きたいと思っていることがあり、璃亜夢は水を飲みながら永延を見る。
それはこいつが璃亜夢を誘う理由だ。
駅でも話を振ったがあの時はどうにもはぐらかされた感じがした。
「アンタ、妊婦が好きって言ってたけど、それだけが理由なの? 探せばお金に困ってる妊婦なんて結構いるでしょ。どうして私ばっかり……」
璃亜夢がそう呟いた時、個室にスタッフがやってくる。注文した肉と一緒に。
スタッフはテーブルに皿を置くと「失礼します」と言って去っていく。永延もそんなスタッフに「ありがとうございます」と声をかける。
再び静かになる個室で、永延は早速肉を焼き始める。
またはぐらかされてしまったのかと、璃亜夢は俯くが、今度は永延が口を開く。
「璃亜夢ちゃんって焼肉とかよく来る?」
「あんまり」
「そっか。俺は焼肉好きなんだ。食べるのは当然だけど、焼くのも割と好きな方」
そう言いながら、永延はトングで肉を網へ並べていく。網は熱がしっかり入っているようで、肉を置くと叫ぶように音がした。
璃亜夢は永延の言葉を聞きながら、それがどうした、と内心思う。だけど永延は璃亜夢の相槌もなく話を続けていく。
「肉を焼くことを育てるって言うでしょ。好い焼き加減になるまで見守るの。今、それと同じ状況なの、璃亜夢ちゃんって」
永延はそう言いながらトングで璃亜夢を指す。
璃亜夢は永延の言葉の意図がわからず、ただ永延を見るばかりだった。
永延は笑う。
楽しそうに。
そして呟く。
「だから言ったでしょ? 『俺が育ててあげようか』って」
その言葉を聞いて、璃亜夢はもう数ヶ月前になる、永延との最初のファミレスで同じことを言われたのを思い出す。
思い出して、血の気が引く。
あれはそういう意図だったのか。
この男は、網の上で食べ頃になる肉をじっくり見守るように、璃亜夢にも同じようなことをしているのだ。
ただそれがどういう『完成』なのかはわからない。
璃亜夢がどうなることが、永延の望む『完成型』なのかは想像もつかないが、確実に言えるのがそれが璃亜夢にとって良いことではないことだけ。
璃亜夢は思わず息を呑む。
この男の歪みを真正面に受けて、逃げ出したい気持ちに襲われている。
そんな璃亜夢の気持ちに気付いているのかいないのか、永延は「あっ、これはもう好い感じ」と言いながら、トングで好く焼けた肉を璃亜夢の皿に乗せた。
「よく焼けてるから大丈夫だって」
美味しいよ、絶対。
そう言いながら永延は肉を、自分の皿と璃亜夢の皿に上げていく。
その中で、ひとつだけ、肉が小さいせいで火の通りが早すぎたのか黒く焦げてしまったものがあった。
永延はトングでその黒くなった肉を掴むと「これはもうダメだね」と空いた皿へ落とした。
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