【完結】翠くんは、可愛いがられたい

日月ゆの

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33.ぱちぱち弾けてふかふかです

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「じゃ、俺のわがままを先に叶えてくれよ。ちょっとついて来て」

 なぜだかお兄さんはいたずらを今から仕掛けようとする笑顔で、僕をひょい、と持ち上げます。

 こともなげに僕をかかえたまま旧校舎の階段を昇っていきます。

 そして、あとは屋上だけというところまで登ってしまいました。

 この先の屋上は原則として生徒の立ち入り禁止です。

 それに警備上の理由で鍵がかかっていたような気がします。

 やはり階段を塞ぐように立ち入り禁止と書かれたホワイトボードがあります。
 ですが、お兄さんはホワイトボードを気にも留めずに、足で横にずらし階段を登っていきます。

 な、なんかお兄さん手慣れていませんか?

「長く学校にいんと色々詳しくなるし、変わった知り合いも増えんだよ」

 僕の気持ちを見透かしたように罰が悪そうにお兄さんが答えます。

「はい。ここに立って」

 階段を登りきり、屋上の扉前にお兄さんの腕から降ろされます。

 屋上へ続く鉄製の扉はところどころ錆びており塗装が剥がれています。グレーの扉に赤胴色のまだらな模様ができて不気味です。

 採光窓からは光が漏れていて、もう雨が上がったみたいです。

 それにしても、今から屋上になんの用なんでしょうか。ビシャビシャに上履き濡れますよ。

 扉とにらめっこをしていると、お兄さんがポケットから取り出した鍵をドアノブに差し込み回します。

 やがてぎいっと重たい音を立てながら扉を開きます。

 薄暗い場所から出ていきなり明るい日差しを受け、一瞬視界が真っ白に満ちます。

 眩しさで思わず目を瞑ります。

 頬へ強い陽射しの温かさを感じながら、目を開けると。

 視界いっぱいのどこまでも続く澄み渡る青い空。

 屋上の水面が晴れた真っ青な空を鏡のように反転し映していました。


 日差しを反射した輝く粒が、光が溢れる虹をかけています。

 虹も水鏡に反転してつながり、7色のまあるい光の束が浮かんでいます。

 キラキラ輝き、逆さまで空の境目がない、夏の気配を滲ませる濃い青色の滑らかなグラデーションの空。

 果てなく続いていきそうな空は、手を伸ばせば違う世界に触れられそうです。

 ダイナミックなのに、幻想的で神秘的な美しさに、瞬きするのも惜しんでしまいます。

「……きれい」
「だろ?雨上がりのここを翠と見たかったんだ」

 僕の肩に手を置いたお兄さんは満足気に呟きます。
 その見たこともないくらい優しくて甘い微笑みに見惚れます。

『欲しい』

 ストン、と僕の心の真ん中へ落ちてきました。
 そして、弾ける。

 色んな気持ちが胸に止めどなくパチ、パチ、気泡のように弾け出します。

「僕だけがみていたい」
「僕だけに向けてほしい」
「そんな笑顔のお兄さんのすべて欲しい」
「僕を好きになって欲しい」
「僕だけを見ていて欲しい」

 あさましいですね。この笑顔を僕だけに向けて欲しいんです。
 お兄さんのすべてが僕は『欲しい』です。

 ざぁ、と強い風が吹く。

 僕の髪が舞い上がり、水面が波たちさざめきます。

 呆気なく水鏡の中の真っ青なお空と虹は消えてしまいました。

 残したいのに。欲しいのに。

 儚く消えてしまったきらきらの瞬間。

 あの眩しい笑顔を僕の中へ残しておきたい。せめてかけらだけでもいい。

「えっと、お兄さんのお名前呼びたいです。その……今日のわがまま……です」

 変わりにこんなことしか言えません。

 ちゃんと言葉にしてしまったら、お兄さんに嫌われてしまいますから。

 いくらお兄さんが優しくても、限度があると思います。

 独占欲まじりのこの気持ちは押し付けてはいけません。

 だから、せめて名前だけでももらいたかった。

 名前ぐらいしか僕がもらえそうにないですから。

「は? まじ? ど、どうぞっ!」

 両肩を持たれぐりんっと体を回され、力ずくでお兄さんと向き合わされました。

 期待の眼差しで見つめられています。

 真っ直ぐお顔を見るのが恥ずかしくて、そっと視線を外し口にします。

「げん……さん」

 小さく呟いた僕の言葉を拾ったお兄さんはなぜか複雑な表情です。

 ですが、僕は鼓膜を揺らすその名前に胸がうずうずと甘酸っぱく疼きます。

「ん。玄くん。復唱」

 先程の発音練習が突如として始まってしまいました。

 なぜ? と目を向けると、ぶすっと拗ねたような表情をしたお兄さんです。

「……玄さんだと大工のやつと同じだからヤなんだよ。それに佐倉は君付けで俺はさん呼びは悔しい……」

 最後のほうがもごもごお口の中でいうので聞き取れません。

 お兄さんなりにこだわりがあるそうです。

 年上の先輩を君付けというのはかなり忍びないです。

 幼馴染の伊織くん、恭くんは小さい頃からの癖みたいなものなので例外です。累くんも。

「なあ、翠。呼んで?」

 身を屈めて覗き込み、優しいお声でお願いするのはずるいです。

「玄くん?」

 僕はお兄さんのお願いに弱いです。
 お兄さんのシャツへ手を伸ばしぎゅっと握りしめ、緊張しながら呼びます。

「おう!」

 心臓がドクンと大きな音を立てます。

 屈託無い笑みは可愛い。

 やっぱり僕は玄くんの笑顔が欲しくなります。

 それに……ひたひたと胸に満ちるこの甘やかな気持ち。
 体も心もふかふかになって自然と笑顔になってしまいます。

 これが『幸せ』ってことなんでしょうか。



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