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二章 貧村の救世主

十一話

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 農業課の女性は、どこか落ち着きがないというか、わちゃわちゃした人だった。

「あの、わたくし農業課のクラリコといいます。グラーネ・クラリコです。お願い聞いてもらえますか? 」

課の入り口でまくし立てる彼女をとりあえず中へと案内した。

 椅子に座らせるとクラリコはだいぶ落ち着いた。彼女は息をふっと吐きおろすと事情を話し始めた。

「今、農業課では抱えている問題があります。危急の事態でもないのですが、これがなかなかのくせものでして……。」

彼女は机の上に地図を広げた。

 ホルンメランと、周辺一帯の地図だった。クラリコは地図の端の方にある小さな村を指さした。

「ホルンメランから出て湿地帯を越えた先にあるここの村。名前をソナリ村というのですが、ホルンメランの管轄になっております。その村ですが、慢性的な作物の不作に悩まされているのです。原因は明らか。土地が痩せているんです。」

 この手の話は元の世界でも聞いたことがあった。どこでも共通の問題らしい。土地に栄養が無ければ作物は勿論育たない。とりわけ農業だけで成り立っているような小さい村にしてみれば、死活問題なのだ。

 クラリコは続けた。

「原因が分かっていても、土地そのものを入れ替えてしまうことは出来ませんから我々農業課は頭を悩ませているのです。」

 ライアンくんが途中で淹れた紅茶をクラリコの前に出すと、彼女はどうもと言って一口だけカップに口をつけた。

「それで、結論としては、痩せた土地でも育つ作物があればいいということになりました。」

「なんとも他力本願な結論ですね。」

「はい、お恥ずかしい限りで。」

クラリコは苦笑し、またカップに口をつけた。

 「そこで、痩せた土地でも育つ作物の品種を生物開発課の皆さんに作って頂こうと依頼に参った次第なのです。」

 初仕事としてはちょうどいい。最初に同じ官庁の他の課からの依頼を受けることには大きな意味がある。できたばかりの僕たちの課の存在を周知し、認めさせる意味だ。

 他の二人も聞くまでもなく依頼の受諾を了承した。クラリコによき返事を伝えると、彼女の表情がにわかに明るんだ。随分と素直な人だ。

「では! 実際に状況を見てもらうためにお三方にはソナリ村まで足を運んでいただきます。」

「え、いつ? 」

「今日ですが。」

「え、今日? これから? 」

もうすでに昼過ぎだった。

「そうです。今から馬車を手配しますね。」

僕たちが呆気に取られている間に、クラリコは馬車の手配を済ませてしまった。

 程なくして官庁の前には馬車が到着した。馬車を引っ張っていたのは、驚くことにウイングレーだった。二頭が足並み揃えて大きな馬車を引っ張ってくる様子は微笑ましかった。早速、色々なところで導入されているらしい。

 馬車は軽快に走り続け、すぐに門のところまで着いた。ここからはまた徒歩かと思って荷物を用意したが、馬車は全くスピードを緩めることなく門を通過してしまった。

 どういうことかと前に座る車夫に聞いてみると、村まで行くのだと言う。いくらウイングレーが引っ張っているからといって、湿地の中を馬車でいくのはさすがに無理があるだろう。

 馬車は湿地帯を前にして停車した。どういうことかと三人で見ていれば、車夫は馬車の車輪を前後四つとも外してしまった。

 次に車夫は荷台から細長い板を二枚取り出してきた。彼はそれを車輪があった場所に取り付けた。そうか、スキーの原理だ。

「これ、技術課の人たちが考案して下さったんですよ。」

車夫は笑いながらそう言った。

 馬車ならぬ馬ソリは確かに泥の上をスムーズに滑っていった。しかも車の時と違って揺れが少ないので、むしろ快適だった。

 景色は流れても流れても変わらないので、どのくらい来たのかが分からない。ただ、今までで一番遠出したことは確かだ。

 やがてゆく先に小さな影がポツンと見えた。

「あれがソナリ村ですよ。」

「一体徒歩だったらどれだけ掛かったんだろうね? 」

「まあ僕は軍馬を借りてきますけどね。」

遅めの昼飯を食べながら、そんな感じに三人で談笑するうちに村はみるみるうちに大きくなってきた。

 ソナリ村は想像していたよりもずっと大規模な村だった。もはや小さな町だ。農耕民ばかりが住んでいるわけじゃなく、軽く見回しただけでもいろいろな施設があった。

 僕たち三人は村に着くなり、村長の家に案内された。村長宅は木造の小さな家だった。中で待っていた村長は、どこにでもいる普通のおじいちゃんという感じ。

 村長の話は大体クラリコから聞いたのと被っていた。割と発展していそうなこの村だが、農業に頼りきりになっているという。村の規模に比べるとやや小さいように見える農地をずっと使ってきたらしい。しかし、その土地が最近になって痩せてきてしまったらしい。

 まああり得る話だ。ずっと同じ土地を使っていればそうなってしまう。元の世界で勤めていたときも、田舎だったので実際にこの問題に直面したことがある。

 ただし農地を増やすことはできないようである。湿地帯に囲まれているから仕方がない。あの泥だと水はけがかなり悪いだろう。

 思ってたより難題だ。ライアンくんは唸っていたし、兵士くんは……話をそもそも聞いていないようだ。まあこういう場で彼の活躍は期待していないのだが。

 一通り話が終わって村長の家を出ると、夕暮れが空を染めていた。哀愁なんて微塵もないほど真っ赤に燃えていたので少し元気が出てきた。

 しかしどうしたものか。植物を扱うのは何気に初めてだ。農作物の品種なんて果たして作れるものだろうか。

「とりあえず晩飯どきだし、ご飯行きません? 」

兵士くんはのんきにそんなことを口にした。

 だが兵士くんの言うことにも一理ある。とりあえず飯にしようということで、僕ら三人は一番手近に見えた食堂に入った。

 中が明るかったので、営業しているのはすぐに分かったが、客が一人も居なかった。

「ちょっとタイセイさん。この時間に客が一人もいないなんてワケありじゃないんですか? このお店。」

ライアンくんが小声で心配そうに言うが、もう入ってしまったんだから出て行くわけにもいかないだろう。

 店のカウンター席の奥には店主と思われる女性がいた。客がいないのをいいことに、頬杖をついてだらけていたが、ぼくたちの存在に気づくと目を見開いて色めきたった。

「あら! いらっしゃい。」

驚いたのは彼女の風貌だった。髪、服、肌、体の隅々に至るまで真っ白だったのだ。いや、それだけじゃない。何より目を引いたのは、背中についた大きな羽だった。

「何、あの羽? 」

僕は唖然とした。けれどライアンくんと兵士くんは特段驚く様子を見せない。

「あれ、タイセイさんもしかして魔族の人見るの初めてですか? 」

と、兵士くん。魔族? そんなのいたのか。ホルンメランの中では会ったことがなかったが。

「まあかなり珍しいですしね。こんな小さな村にいるのが驚きですよ。」

ライアンくんは僕をフォローするようにそう言ってくれた。

 女性は自分の見た目が注目されていることに気づくと、少し恥ずかしそうにした。

「珍しいでしょう。私、蚕姫のローブっていうの。魔族だからってあなたたちを取って食ったりはしないわ。」

「あ、いや、失礼。別に怖がってるわけじゃないですから。」

僕たちは空いているテーブルについた。

 しかし店主は近くで見ても透き通る白さだった。平坦な白ではない。淡い虹の輝きを浮かべていた。蚕姫といったか。するとあの羽は蚕の羽だったのか。

 ローブは白いエプロンをつけていた。自分自身が真っ白なのに、白いエプロンを身につけるのは、何か白に対する強烈なこだわりがあるのだろうか。

 やがて彼女は僕たちのテーブルにメニュー表を持ってきた。そのときにローブの真っ白なエプロンが間近に見えたのだが、不思議なことに縫い目が見当たらなかった。気になって聞いてみると

「そうなんですよ。私が自分で作ったんです。すごいでしょ。」

と言って、彼女はご機嫌になった。

 ローブは「注文が決まったらまた呼んでね。」と言い残して、また店の奥に戻っていった。後ろ姿の大きな羽二枚は鷹揚とはためいていた。
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