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五章 開戦前夜

二十九話

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 そのあとはもう来客はなかった。当然といえば当然。一応私たちは非公式でシャラトーゼに来ているのだから。警備の都合上お忍びとはいかなかったが、この旅程は公文書には一切記録されない。

「これ、さっきシャラトーゼからの使者の方に渡されたんですけど、ドーナツって。」

そう言って私の部屋にパゴスキーが持ってきた紙袋にセルギアン公からの密書が入っていた。そこに来訪依頼が書かれてあったのだ。

 だから逆にどうしてフリージア少将が私の来訪を知っていたのかは、私にも分からない。




 ようやく落ち着けたあたりで、私たちは呼び出された。

「失礼します、ジョシュア伯爵。セルギアン様がお呼びでございます。」

ドアを開けると役人がたった一人で来ていた。服を見ると普通の官吏のものではなかった。公爵の側付きだろう。

 私とパゴスキーは彼に連れられて宮殿の最上階まで連れていかれた。

「あれ、謁見の間ではないのかしら? 」

「はい、セルギアン様の私室に直接お越しになるようにとのことです。」

あくまで秘密を貫くのか。まさか他の大臣たちにも言ってないのかな。

 セルギアン公の部屋は宮殿の一番上の最奥にある。セルギアン公の許可がなければ誰も入れない。

 黒の大扉の前で側付きは立ち止まった。

「では、ジョシュア伯は中へ。護衛の方は私と共に扉の前で控えていただきます。」

あらら、パゴスキーには許可が下りなかったよう。彼女は異議を唱えることなく側付きに従った。

 私は扉をノックした。「入ってくれ」の声に従ってそのままドアを開けると、中にはセルギアン公爵が座っていた。

 彼は普段着だった。

「よく来てくれたね。」

「ええ、ご機嫌麗しゅう。公爵。」

「そんな堅くしないでくれ、アイラ。」

このライネル・フォン・セルギアン公爵こそがわがシャラパナ公国の国家元首。彼は私の倍ほどの年齢だ。国の長にしてはかなり若い方だと思う。

「今はお互い立場がありますから、そうもいきませんよ。」

「でも今は二人しかいない。」

「まああなたがいいならそれで。」

「まだ固いな。」

彼は苦笑すると私を彼の目の前の椅子に座らせた。そのまま彼自身で紅茶を二杯淹れると私の前に片方を置いた。

「僕の紅茶を飲むのも久しぶりだろう。」

「そうですね、公爵。」

「公爵はやめてくれ。昔みたいにライネルでいいからさ。」

私と公爵は幼馴染というには歳が離れすぎているものの、私が生まれたときから互いを知っている。彼にとっては私はまだまだ子どもなのだろう。

 公爵はカップに口をつけると話し始めた。

「まあいい、本題に入ろう。君を呼んだ理由は、分かるだろう? 」

「ええ、まあ。」

「君が例の魔法記録帳をワイド伯爵反乱の嫌疑の証拠として僕に提出した。それについて詳しい話を聞きたい。」

「聞いたらどうするんです? 」

「決まっているだろう。証拠が信頼に足れば即座にワイド伯爵討伐の軍をおこす。」

 前もって彼から指示されていた通りに、私はパゴスキーから預かった魔法記録帳を持ってきている。私はそれを公爵の目の前に出した。

「これです。」

私は該当のページを開いてスイッチを押した。

「「シャラトーゼを陥落させてやるさ。」」

不遜な声が再び聞こえて来る。公爵は顔をしかめて耳の裏を撫でた。

「なるほど、たしかにワイド伯爵の声だ。」

 魔法記録帳の再生が終わっても、少しの間微妙な沈黙が続いた。公爵が眉も動かさないので、私もどう声をかけたらいいのか分からず、窓の外の街並みに目をやった。

 公爵はおもむろに椅子から立ち上がると、机の引き出しからペンを取り出して、書斎机の上にある紙一枚と一緒にこちらのテーブルまで持ってきた。

「もう躊躇うことはなさそうだ。」

彼が用意した紙は公国命令の宣言書。つまりはセルギアン公が命令をするための紙だ。彼はそこの署名のところだけペンで書き始めた。

 本文はもうすでに書かれていた。内容はやはりワイド伯爵討伐について。これは公爵自身の命令なので、大まかに書かれていたが、計画もあった。

 書かれていたことを省きながらまとめると、以下の通り。

・我が国シャラパナは、反逆の罪でニフライン首長・フランツ・ビクタ・ワイド伯爵を討伐する。

・討伐軍はシャラトーゼ本団とホルンメラン分団で構成する。

・二軍の各司令官は以下の人員
○シャラトーゼ本団・・・ナラン・アギル・フリージア少将
○ホルンメラン分団・・・ピオーネ・パゴスキー少将


って、これは……

「パゴスキー准将を司令官にするんですか!? 」

「ああ。彼女は今回の件で一階級昇進で少将。そのまま討伐も指揮してもらうよ。」

「しかしホルンメランにはエデルハン中将がおります。」

「しかし彼も歳だろう。若い者が成長する機会にしたい。それに聞くところによれば、彼女は天才なのだろう? 」

まあそうなのだが……結構危なっかしいところがある。

 パゴスキーに気を取られていたが、気になる名前がもう一つ。フリージアってさっき来た男の将官じゃないの。

「フリージア少将って確か財務相の? 」

「そうそう、せがれだよ。本団も若い将官に任せようと思っている。」

「本団こそ大将が何人もいるじゃありませんか。その将軍たちを差し置いて彼を起用するのはさすがに……。」

わざわざ経験の浅いフリージアを抜擢するなんて、どういうことかしら。全然話が見えないわ。

「もしも大将クラスの名がある将軍が動いたとなれば、周辺諸国にシャラパナが乱れていると思われてしまうだろう。そうなればつけ入る隙を与えてしまう。」

 なるほどね。理由は分かった。けれども、よりによってどうしてフリージアを? だって……

「けれど公爵は財務相と折り合いが悪くありませんでしたっけ? 反対されません? 」

公爵はニヤリと笑った。

「大丈夫。むしろフリージア侯は息子の出世のチャンスだと見て喜んで送り出すだろうよ。」

そこまで含めた人事なのかしら。でも心配。さっきとっくに二人の仲はよろしくなかったから。

「パゴスキーくんは君の護衛で来ているのだろう。昇進式も仮の任命式ここでパパッとやってしまおう。彼女を呼んでくれたまえ。」

私は扉から首だけ出して外のパゴスキーに部屋へ入るように合図をした。

 部屋は入るなりパゴスキーは直立で公爵に敬礼した。

「ホルンメラン分団所属、ピオーネ・パゴスキー准将であります。」

「違う、もう君は少将だ。」

「はい? 」

「今回の件で昇進ということ。おめでとう。」

展開がはやすぎます、公爵。さすがにパゴスキーも当惑している。だが公爵は彼女にかまわず話を続ける。

「そして君がニフライン征討の指揮官だ。できるね? 」

「は、はあ。」

「できるね? 」

「は! 」

「よろしい。」

半分押し切られる形だが、パゴスキーはホルンメラン分団のニフライン征討指揮官を拝命した。まあ彼女なら深く考えた後でも引き受けるだろうから問題はないだろう。

 あとはもう長居はしなかった。私もパゴスキーも準備をしなければならない。

「ニフライン征討の公式発表は五日後にしようと思う。間に合うかい? 」

「ええ、問題なく。」

かなりタイトだが、いけるだろう。というか、そのくらいいけなければ大きく遅れてしまう。

 別れを惜しむ暇もなく私とパゴスキーは公爵の部屋を出て、そのまま用意された部屋からも引き払った。

「本当に忙しいですね。首長っていつもこんな感じですか? 」

「そんなわけないじゃない。普段はもっとゆったりしてるわよ。今はなんせ緊急時だから。」



 馬車に乗り込んでからは落ち着くことができた。馬車そのものは全速力で飛ばしていたが、私たちは何もすることがないのでただただ座っている。

「とりあえずは昇進おめでとう。」

「ありがとうございます。しかし私にとっては司令官の話の方が僥倖でしたね。」

「プレッシャーとかないの? 」

「アホな指揮官のもとで死にに行くよりは随分といいでしょう? 」

大した自信だな。彼女のその自信の裏づけのように彼女の軍服には新しい階級章が光っている。

 「それにしても首長、タイセイさんに何か面倒なこと頼んだでしょう? 」

「ええ、学校の乗り物だけど。」

「そんなに彼を戦地に送りたくないんですか? 」

「当たり前でしょう! 一般人なのよ、彼。」

やっぱり。この娘、タイセイと彼のの作った動物を戦地に持ち込もうとしている。そうなるのを薄々気づいて私はタイセイに先に仕事を頼んだ。キツめのデッドラインをつけて仕事にしか頭がまわらなくなるようにすれば戦争なんて参加しようがないから。

「彼の力は是非とも使わせていただきたいのですが。」

「分かってるの? 軍人でもない人を連れていこうとしてるのよ、あなた。」

「閣下こそわかっておられないのではないですか! 彼一人が来れば、万単位の兵が救われるのです。少なくとも小官はそう考えています。」

彼女はめずらしく熱くなっていた。

「しかしあなた変わってるわ。感情的になったほうが軍人らしい口調になるのね。」

「ちょっとした私の癖です。」

 パゴスキーは落ち着きを取り戻した。」

「しかし、彼が従軍に同意すれば閣下にはお許しいただきたい。」

まあ、彼がいいと言うのなら考えなくもないが、しかし……

「でも彼はすでに私の仕事を受けてるのよ。そんな暇はないわ。」

「首長閣下はタイセイさんを見くびっております。あんな感じですが仕事となれば実に優秀な男です。おそらくすでに仕事を完了しているのではないでしょうかね。」

まさかね……そのあとホルンメランに着くまで、私たちはもうその話題を出さなかった。
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