8 / 63
二公演目――弟たちのセレナーデ
一曲目:ウィリアム・セイラー
しおりを挟む
「アーティー大丈夫? 疲れてない?」
「……大丈夫。間に合ってよかった」
そう言いながら躓いたアーティーを支えて、キャンディ屋の横にあった階段に座らせる。ネオンサインの位置を調整してたおばさんは無表情でオレたちをチラッと見たけど、特に何も言わずに店へ戻って電気を点けた。
「結構歩いたね。二時間ぐらい? 寮を出たときはまだ明るかったのに」
「ぼくに合わせてゆっくり歩いてもらったから……ほんとは半分ぐらいの時間で来れる、はず」
「だとしても結構遠いよ? こんなとこまで毎月来てたの?」
ロウアーマンハッタンも大概ビルだらけだけど、此処はタイムズスクエアに近いだけあってどこもかしこもギラギラしてる。うちに来てよって着飾りすぎて、逆に埋もれてるとこばかり。演劇やミュージカル用の劇場に映画館――あっ、あのアヒルのカートゥーン新作できたんだ、いいなあ。サイン狂だってさ――まあとにかく、どこからどう見てもショービジネスの街って感じ。この辺りに住んでるんでもない限り、こどもだけで来るような場所じゃない。
「ううん、いつもはもっと近いとこだけど……せっかくビリーが来てくれるんなら、お気に入りのとこがいいかなって」
「アーティーぃぃ~!」
ほにゃって笑ったアーティーをぎゅううって抱きしめたくなったけど、抑えてちょっと控えめにきゅっと包み込む。海色の優しい目が幕を閉じた。
「それで、どのへんにあるの? そのお気に入りのエンターテイメントホール」
「そこの通りの突き当たり。女の人のおっきい看板あるとこ」
「あーあれ? 青のドレス着た。あの人が歌うの?」
「……多分。でも時々違う人が混ざったりもするから分かんない」
「ふうん。聴いてみてのお楽しみ、か!」
十字路の向かい側。めかしこんだ紳士淑女が看板の下に吸い込まれてく。通りの時計はもうすぐで短針が八をさすところ。そろそろ開演の時間ってところかな。裏手に忍び込むならそのあと。突き当たりってことは、周り込めさえすれば通行人の目が届かなくなる。問題があるとすれば。
「ねえ、あそこの裏手側ってさ、裏口のドアとかある?」
「うん、あるよ。出演者用」
「やっぱり? じゃあさ、いるよね」
「……警備員? そうだね。でもドアの中だから、開かない限りは見られない、はず。時々寝てるし」
それならドアの死角にいれば大丈夫かな。公演中は開くこともほぼないだろうし。なあんだ、意外と簡単に聴けちゃうもんなんだな……なんて、余裕ぶった矢先だった。
『乞食野郎は帰りやがれ!!』
目の前を走る車のクラクションにも負けない大ボリュームの怒声。次の瞬間、宙を舞う男の人。呆然と立ち止まる通行人。その視線の先に、べちゃって効果音がつきそうな姿勢で男の人が落っこちた。当然時を止めたままの群衆を掻き分けて、ホールの横道へノシノシ歩いてく黒くて大きな背中。
「……へっ? 今の、え?」
「あ、あれが警備員のアロさん」
「今のが!?」
前言撤回! 俄然心配になってきた。あんな人に投げられたらタダじゃ済まない。それなりにちゃんと食べてそうな大人の男だってあのザマだ。毎日お腹と背中がくっつきそうなオレたちなんかひしゃげるに決まってる。ましてやアーティーなんて。
「そろそろ開演時間だね。行こうか」
「行くの!? そんな、確かに行きたいとは言ったけどそこまで命削らなくても……」
「大丈夫。ビリーには怪我ひとつさせないよ。チャーリーに怒られちゃう」
「いやオレがっていうか!」
右半身を傾けて、アーティーはよたよたと歩いてく。追いかけるのは容易いけど、その意思は止められそうになかった。
「嬉しいなあ。やっとビリーに紹介できる」
青いドレスとネオンサイン、響きだすトランペット。心躍らせるはずのそれらが、今のオレには処刑の合図にしか思えなかった。
「……大丈夫。間に合ってよかった」
そう言いながら躓いたアーティーを支えて、キャンディ屋の横にあった階段に座らせる。ネオンサインの位置を調整してたおばさんは無表情でオレたちをチラッと見たけど、特に何も言わずに店へ戻って電気を点けた。
「結構歩いたね。二時間ぐらい? 寮を出たときはまだ明るかったのに」
「ぼくに合わせてゆっくり歩いてもらったから……ほんとは半分ぐらいの時間で来れる、はず」
「だとしても結構遠いよ? こんなとこまで毎月来てたの?」
ロウアーマンハッタンも大概ビルだらけだけど、此処はタイムズスクエアに近いだけあってどこもかしこもギラギラしてる。うちに来てよって着飾りすぎて、逆に埋もれてるとこばかり。演劇やミュージカル用の劇場に映画館――あっ、あのアヒルのカートゥーン新作できたんだ、いいなあ。サイン狂だってさ――まあとにかく、どこからどう見てもショービジネスの街って感じ。この辺りに住んでるんでもない限り、こどもだけで来るような場所じゃない。
「ううん、いつもはもっと近いとこだけど……せっかくビリーが来てくれるんなら、お気に入りのとこがいいかなって」
「アーティーぃぃ~!」
ほにゃって笑ったアーティーをぎゅううって抱きしめたくなったけど、抑えてちょっと控えめにきゅっと包み込む。海色の優しい目が幕を閉じた。
「それで、どのへんにあるの? そのお気に入りのエンターテイメントホール」
「そこの通りの突き当たり。女の人のおっきい看板あるとこ」
「あーあれ? 青のドレス着た。あの人が歌うの?」
「……多分。でも時々違う人が混ざったりもするから分かんない」
「ふうん。聴いてみてのお楽しみ、か!」
十字路の向かい側。めかしこんだ紳士淑女が看板の下に吸い込まれてく。通りの時計はもうすぐで短針が八をさすところ。そろそろ開演の時間ってところかな。裏手に忍び込むならそのあと。突き当たりってことは、周り込めさえすれば通行人の目が届かなくなる。問題があるとすれば。
「ねえ、あそこの裏手側ってさ、裏口のドアとかある?」
「うん、あるよ。出演者用」
「やっぱり? じゃあさ、いるよね」
「……警備員? そうだね。でもドアの中だから、開かない限りは見られない、はず。時々寝てるし」
それならドアの死角にいれば大丈夫かな。公演中は開くこともほぼないだろうし。なあんだ、意外と簡単に聴けちゃうもんなんだな……なんて、余裕ぶった矢先だった。
『乞食野郎は帰りやがれ!!』
目の前を走る車のクラクションにも負けない大ボリュームの怒声。次の瞬間、宙を舞う男の人。呆然と立ち止まる通行人。その視線の先に、べちゃって効果音がつきそうな姿勢で男の人が落っこちた。当然時を止めたままの群衆を掻き分けて、ホールの横道へノシノシ歩いてく黒くて大きな背中。
「……へっ? 今の、え?」
「あ、あれが警備員のアロさん」
「今のが!?」
前言撤回! 俄然心配になってきた。あんな人に投げられたらタダじゃ済まない。それなりにちゃんと食べてそうな大人の男だってあのザマだ。毎日お腹と背中がくっつきそうなオレたちなんかひしゃげるに決まってる。ましてやアーティーなんて。
「そろそろ開演時間だね。行こうか」
「行くの!? そんな、確かに行きたいとは言ったけどそこまで命削らなくても……」
「大丈夫。ビリーには怪我ひとつさせないよ。チャーリーに怒られちゃう」
「いやオレがっていうか!」
右半身を傾けて、アーティーはよたよたと歩いてく。追いかけるのは容易いけど、その意思は止められそうになかった。
「嬉しいなあ。やっとビリーに紹介できる」
青いドレスとネオンサイン、響きだすトランペット。心躍らせるはずのそれらが、今のオレには処刑の合図にしか思えなかった。
0
あなたにおすすめの小説
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる