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七公演目――チャイナブラザーズ
四曲目:コルダ・グローリア
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「それにしてもおっきいワンちゃんだね。ふさふさ!」
「何という犬種でしょう?」
「これはねえ、レオンベルガーというんだ! ドイツから連れて帰ってきたのだよ」
茶色くてもふもふの大型犬は、僕とアルコに撫でられて緩みきった顔で寝転がってる。まだ十月とはいえ、楽屋の床じゃ冷たくないかな。でもそれ以上に心配になるワードに、僕より早く父さんが食いついた。
「ドッ……! ドイツって、まさかボリス、きみドイツに居たのか!? 危ないだろう!」
「いやあ、そうなる前に行って帰ってこようと思ったんだがね。ま、この国に居たくともドイツ系には肩身が狭いだろう? 落ち着くまでまたどこかの国で遺跡調査やら財宝発掘やらに勤しむとするよ」
「ええ~! 博士また居なくなっちゃうの? 今度こそサックス教えてもらおうと思ったのに!」
「ははは! コルダ坊ちゃんはもうなんだってできるだろう? さっきの公演も最高だったじゃないか」
「そんなあ。でもほんとに僕アルトサックスが一番微妙なんだって! アルコもそう思うでしょ?」
「えっ。うーん……コルダにしては? 僕そもそもトランペットしか……」
やっぱり! サックスって音を出すだけなら易しいほうだけど、その分吹けるようになってから自分のスタイルを掴むまでが長い楽器な気がするんだよね。安定しにくいというか。だから博士の口の形とか音を参考にしたかったんだけどなあ。ここにアーノルドくんが居たら、こういうときの交渉術とか聞くんだけど。デパートに戻っちゃったからしょうがない。
「そういえばアジアはあまり行ったことがないかもしれん。今日会った青年も中華系だったようだし、次は東方を目指すとするか」
「青年? ああ、迷子探しの……でしたっけ」
「そうなんだよ! チャイナタウン内で幼い弟を遊ばせていたはずが、見失ってしまったようでね。時間ギリギリまで探すのを手伝っていたのだよ」
「ギリギリじゃない、遅刻だ」
だがジュリオ、演奏は問題なかっただろう? って博士がにこにこで言えば、父さんは溜息まじりで頷く。実際、演奏は問題ないどころか聴く人みんな骨抜きにされちゃうダンディーさだったからなあ。一年以上ぶりとは思えない。
「博士、中国語話せるの?」
「いや? 青年がこちらに合わせてくれたのだよ。片言だったけれどね」
「ふうん、そっか」
そうだよね。学校でもまだスペイン語しか教えてもらえないし。イタリア語は話せるけど、他にも色んな言語の人が住む国だからなあ。
「ねえアルコ、スペイン語とイタリア語以外で何か覚えるなら何が良いと思う?」
「独学で? いや、コルダならできるか……でも急にどうして?」
「こっちが相手に合わせられれば、もっと色んな人と話せるでしょ? ジャズって今はほぼ英語だけど、そのうち違う言語圏の曲も生まれるかもしれないし! そうじゃなくても、自分たちの言葉で歌うバージョンがあったら嬉しいんじゃないかな~って」
「そっか、メロディーや声色は伝わっても、歌詞自体は分からないまま聴いてくれてるお客さんが今もいるかもしれないもんね」
とはいえ、チケット売り場でお客さんの出身地なんて聞いてないし。人口が多い言語からにする? でもむしろ、マイナーな言語の人たちの方が喜んでくれるんじゃないかな。日本語とか。
「でもそれって……んー……」
「ん?」
アルコがなにか考えてる。『上手く言えないんだけど』とか『コルダは……えっと、』とか。考えがまとまらないのか、言葉を選んでるのか。こういうときのアルコはそのどっちかのパターンだけど、今は……どっちだろう?
「その……コルダ自身が、特定の国の言葉を学びたいわけじゃない、んだよね?」
「え? うん。できる限り色々覚えたいけど、まずはどれにしようかな~って」
「そう、だよね。その、ほら。普通は……んん……でもコルダなら……できちゃうからなあ……」
あ、これは言葉を選んでくれてるほうが大きいかも。別に何も気を遣うことないんだけどな。数秒沈黙が続いたところで、突然頭の上に何か大きなものがのっかった。温かくてちょっと角ばってる。視線だけ上に向けると、ボリス博士がにっこり微笑んでた。
「ふむ。学ぶ意欲があるのは実に素晴らしい! コルダ坊ちゃんなら本当に何十、何百言語も習得してしまうかもしれんな」
勿論、アルコ坊ちゃんもその気になれば沢山学べるだろうね。そう付け足してから、博士は僕らを犬みたいにわしゃわしゃ撫でた。
「ただコルダ坊ちゃん、君にはひとつだけ惜しい点がある」
「惜しい点?」
「そしてアルコ坊ちゃんはそれに気付いているね?」
「えっそうなの!? なになにアルコ!!」
「えっ、でも、間違ってるかもしれないし! というか間違ってるよ、コルダがわかんないなら僕にわかるはずない!」
「でも僕本当にわかんないんだって!」
「ははは! まあ、今回は私が代わりに答えておこう。コルダ坊ちゃん。君は善意で満ち溢れているね。だが同時に、無自覚に高慢でもある」
高、慢? どこがだろう。そんなつもりはなかったんだけどな。誰かを見下したわけでもないし……見下す? 見下すって、なんだろう。相手が自分より劣ってると思うこと。でも自惚れじゃないよ。だって実際、そうだから。相手に覚えてもらうより、僕がやったほうが早いでしょ? だから……だけど、全部が全部そうじゃない。楽譜は読みたくないし、朝起きるのも得意じゃない。そういうのはアルコのほうが……というか、みんなのほうが。……あ。
「そっ、か。僕がマイナーになることも、あるのかあ」
「おや、もう理解したようだね。そう。君は能力にも、金銭にも、立場にも恵まれている。だが同じイタリア系移民でもここまで成功した一家はそういないし、人口もそう多いわけじゃあない。戦況によっては我々のように肩身が狭い思いをすることもあるだろう。それに何より」
博士がアルコにウィンクを飛ばす。それを受けてアルコは躊躇いながら、小さく口を開いた。
「アメリカの外に……英語以外の言語がメジャーな国に行けば、僕らは当然マイナー側になる。だから、……この言葉を話してあげよう、じゃなくて、この国の言葉を話したい、で決めたほうが良いんじゃないかなって……その、僕みたいな普通の人間はせいぜい二、三か国語しか覚えられないから、特に好きな国とかよく使う言語を選ぶと思う、から」
「確かに、そうだよね。つまり……僕にはリスペクトが足りなかったってことかな。ありがとう、アルコが言ってくれなかったら気付かなかったよ」
「いや、僕は何も……でも、役に立てたならよかった」
「ははは! 素晴らしいコンビネーションじゃないか! 君たちふたりなら、レオンベルガーもちゃんと育ててくれるに違いない!」
「「「……育てる?」」」
僕らだけじゃなく、父さんも素っ頓狂な声をあげる。件のレオンベルガーはお腹をみせて嬉しそうに僕らを見上げていた。
「何という犬種でしょう?」
「これはねえ、レオンベルガーというんだ! ドイツから連れて帰ってきたのだよ」
茶色くてもふもふの大型犬は、僕とアルコに撫でられて緩みきった顔で寝転がってる。まだ十月とはいえ、楽屋の床じゃ冷たくないかな。でもそれ以上に心配になるワードに、僕より早く父さんが食いついた。
「ドッ……! ドイツって、まさかボリス、きみドイツに居たのか!? 危ないだろう!」
「いやあ、そうなる前に行って帰ってこようと思ったんだがね。ま、この国に居たくともドイツ系には肩身が狭いだろう? 落ち着くまでまたどこかの国で遺跡調査やら財宝発掘やらに勤しむとするよ」
「ええ~! 博士また居なくなっちゃうの? 今度こそサックス教えてもらおうと思ったのに!」
「ははは! コルダ坊ちゃんはもうなんだってできるだろう? さっきの公演も最高だったじゃないか」
「そんなあ。でもほんとに僕アルトサックスが一番微妙なんだって! アルコもそう思うでしょ?」
「えっ。うーん……コルダにしては? 僕そもそもトランペットしか……」
やっぱり! サックスって音を出すだけなら易しいほうだけど、その分吹けるようになってから自分のスタイルを掴むまでが長い楽器な気がするんだよね。安定しにくいというか。だから博士の口の形とか音を参考にしたかったんだけどなあ。ここにアーノルドくんが居たら、こういうときの交渉術とか聞くんだけど。デパートに戻っちゃったからしょうがない。
「そういえばアジアはあまり行ったことがないかもしれん。今日会った青年も中華系だったようだし、次は東方を目指すとするか」
「青年? ああ、迷子探しの……でしたっけ」
「そうなんだよ! チャイナタウン内で幼い弟を遊ばせていたはずが、見失ってしまったようでね。時間ギリギリまで探すのを手伝っていたのだよ」
「ギリギリじゃない、遅刻だ」
だがジュリオ、演奏は問題なかっただろう? って博士がにこにこで言えば、父さんは溜息まじりで頷く。実際、演奏は問題ないどころか聴く人みんな骨抜きにされちゃうダンディーさだったからなあ。一年以上ぶりとは思えない。
「博士、中国語話せるの?」
「いや? 青年がこちらに合わせてくれたのだよ。片言だったけれどね」
「ふうん、そっか」
そうだよね。学校でもまだスペイン語しか教えてもらえないし。イタリア語は話せるけど、他にも色んな言語の人が住む国だからなあ。
「ねえアルコ、スペイン語とイタリア語以外で何か覚えるなら何が良いと思う?」
「独学で? いや、コルダならできるか……でも急にどうして?」
「こっちが相手に合わせられれば、もっと色んな人と話せるでしょ? ジャズって今はほぼ英語だけど、そのうち違う言語圏の曲も生まれるかもしれないし! そうじゃなくても、自分たちの言葉で歌うバージョンがあったら嬉しいんじゃないかな~って」
「そっか、メロディーや声色は伝わっても、歌詞自体は分からないまま聴いてくれてるお客さんが今もいるかもしれないもんね」
とはいえ、チケット売り場でお客さんの出身地なんて聞いてないし。人口が多い言語からにする? でもむしろ、マイナーな言語の人たちの方が喜んでくれるんじゃないかな。日本語とか。
「でもそれって……んー……」
「ん?」
アルコがなにか考えてる。『上手く言えないんだけど』とか『コルダは……えっと、』とか。考えがまとまらないのか、言葉を選んでるのか。こういうときのアルコはそのどっちかのパターンだけど、今は……どっちだろう?
「その……コルダ自身が、特定の国の言葉を学びたいわけじゃない、んだよね?」
「え? うん。できる限り色々覚えたいけど、まずはどれにしようかな~って」
「そう、だよね。その、ほら。普通は……んん……でもコルダなら……できちゃうからなあ……」
あ、これは言葉を選んでくれてるほうが大きいかも。別に何も気を遣うことないんだけどな。数秒沈黙が続いたところで、突然頭の上に何か大きなものがのっかった。温かくてちょっと角ばってる。視線だけ上に向けると、ボリス博士がにっこり微笑んでた。
「ふむ。学ぶ意欲があるのは実に素晴らしい! コルダ坊ちゃんなら本当に何十、何百言語も習得してしまうかもしれんな」
勿論、アルコ坊ちゃんもその気になれば沢山学べるだろうね。そう付け足してから、博士は僕らを犬みたいにわしゃわしゃ撫でた。
「ただコルダ坊ちゃん、君にはひとつだけ惜しい点がある」
「惜しい点?」
「そしてアルコ坊ちゃんはそれに気付いているね?」
「えっそうなの!? なになにアルコ!!」
「えっ、でも、間違ってるかもしれないし! というか間違ってるよ、コルダがわかんないなら僕にわかるはずない!」
「でも僕本当にわかんないんだって!」
「ははは! まあ、今回は私が代わりに答えておこう。コルダ坊ちゃん。君は善意で満ち溢れているね。だが同時に、無自覚に高慢でもある」
高、慢? どこがだろう。そんなつもりはなかったんだけどな。誰かを見下したわけでもないし……見下す? 見下すって、なんだろう。相手が自分より劣ってると思うこと。でも自惚れじゃないよ。だって実際、そうだから。相手に覚えてもらうより、僕がやったほうが早いでしょ? だから……だけど、全部が全部そうじゃない。楽譜は読みたくないし、朝起きるのも得意じゃない。そういうのはアルコのほうが……というか、みんなのほうが。……あ。
「そっ、か。僕がマイナーになることも、あるのかあ」
「おや、もう理解したようだね。そう。君は能力にも、金銭にも、立場にも恵まれている。だが同じイタリア系移民でもここまで成功した一家はそういないし、人口もそう多いわけじゃあない。戦況によっては我々のように肩身が狭い思いをすることもあるだろう。それに何より」
博士がアルコにウィンクを飛ばす。それを受けてアルコは躊躇いながら、小さく口を開いた。
「アメリカの外に……英語以外の言語がメジャーな国に行けば、僕らは当然マイナー側になる。だから、……この言葉を話してあげよう、じゃなくて、この国の言葉を話したい、で決めたほうが良いんじゃないかなって……その、僕みたいな普通の人間はせいぜい二、三か国語しか覚えられないから、特に好きな国とかよく使う言語を選ぶと思う、から」
「確かに、そうだよね。つまり……僕にはリスペクトが足りなかったってことかな。ありがとう、アルコが言ってくれなかったら気付かなかったよ」
「いや、僕は何も……でも、役に立てたならよかった」
「ははは! 素晴らしいコンビネーションじゃないか! 君たちふたりなら、レオンベルガーもちゃんと育ててくれるに違いない!」
「「「……育てる?」」」
僕らだけじゃなく、父さんも素っ頓狂な声をあげる。件のレオンベルガーはお腹をみせて嬉しそうに僕らを見上げていた。
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