花嫁は王を選ぶ。そして死を告げる

ヤマザキ

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儀礼の影で響く誓い

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 アヴェリンが夜会の準備に追われる控え室。
 まだ先だというのに衣装合わせやなんやらで部屋の中はバタバタと慌ただしかった。藤色のドレスを手に取り、彼女は静かに息を整える。そのとき、重厚な扉の前で、まるで時間を計ったかのように軽やかな足音が響いた。

 扉が開き、銀白の礼服に身を包んだ侯爵令嬢――ルシアナ・フォン・ヴァーレが、一歩ずつ室内に入ってくる。控え室に差し込む午後の西日を背に、長いプラチナブロンドの髪はまるで琥珀色の光を帯び、生まれながらに宮廷の空気を知るひとりの少女の気品を漂わせていた。

 侯爵家の令嬢として――
 彼女は十数年前、国王の妹にあたる伯爵令嬢のもとに生を受けた。父は冷静沈着、母は高貴な血筋を宿す女傑。幼いルシアナは生後まもなく王立学院に送られ、学問も礼法も常に首席を誇った。
 音楽の旋律を紡ぐ才、舞踏においてもひとり際立つ優雅さ……「完成された令嬢」と称されるゆえんである。

 ルシアナは無言のまま侍女に合図し、小さな銀箱を差し出させた。その動作は几帳面で、まるで宮廷舞踏の一場面を演じるかのように緻密だ。

「アヴェリン様、お忙しいところ失礼いたします」

 柔らかな声に、その場の空気がほんの一瞬、凍りついた。青みがかった瞳は曇りなく澄み、口元にはかすかな微笑をたたえている。しかし、その背後にはいつも孤高の覚悟が潜んでいた。

「私はルシアナ・フォン・ヴァーレ。侯爵家の令嬢でございます」

 その名が意味するのは、代々王家と深く結びつき、国政を支えてきた家柄。幼い頃から「第ニ王子ケイラン殿下の政略婚約者候補」として噂され、舞踏会のダンスパートナーとして呼ばれるのも慣れたものだった。しかし、近年聞こえだした噂は、―女神の代行者という異例の称号をまとったアヴェリンに――心を乱されつつある自分を自覚させるものだった。

 侍女がそっと箱の蓋を開けると、中には藤色のリボンと、真珠をちりばめた小さな白薔薇のコサージュ。ルシアナは静かに微笑みながら、アヴェリンの手元へそれを差し出した。

「夜会では、装いひとつで評判が左右されます。侯爵家の令嬢としての心尽くしですが、どうかお使いくださいませ」

 アヴェリンは震える指先でリボンに触れつつ、思わず問いかける。

「ルシアナ様……これは、本当に……?」

 日夜に学問を仕込まれ、舞踏の礼法を叩き込まれた令嬢は、穏やかに首を傾げた。

「ええ。私も幼い頃、王立学院で学ぶ間に、さまざまな『しきたり』を身につけました。貴女がどんな身分の方であっても、身だしなみと振る舞いは、神託の前にも必須のものかと存じまして」

 その言葉に、アヴェリンは胸が締めつけられる思いをした。侯爵家の重み――彼女が幼い頃から背負ってきた「義務」と「誇り」。自らの生い立ちを誇らしげに語りながらも、ルシアナはどこまでも潔く、しかし確実にアヴェリンを牽制している。

「私は、王妃殿下のご意向でケイラン殿下の婚約者候補となりました。それが私の役目と信じ、十二年間その立場を全うしてきたのです」

 その気高い視線は揺らがない。

「ですが、女神の代行者という新しい光――貴女の存在は、侯爵令嬢として積み上げた私の自負心を揺るがします。それゆえ、今ここで敬意を示しつつも、同時に『ここが私のテリトリー』であることをご理解いただきたいのです」

 ルシアナの微笑には、皮肉も敵意も含まれているように感じた。ただ、それと同時に誇り高き令嬢として当然の主張をなぞっている。しかしその重みは、まるで氷の刃のようにアヴェリンの胸を突き刺して離さない。

「当日は、どうか品位と笑顔をお忘れなく。舞踏場は祝典の場であると同時に、政治の舞台でもありますから」

 言い終えると、ルシアナは軽く礼をして窓際へと歩み寄り、午後の光を背に去っていった。侍女の裾がわずかに揺れ、控え室の扉が静かに閉じられる。

──侯爵令嬢としての生い立ちと誇り。
──政略婚約者候補として課せられた義務。
──十二年間、学び続けた礼法と学問。
 そのすべてを背負いながら、ルシアナは確信をもって宣言した。

「私も、私の立場に恥じぬよう臨みますわ」

 残された藤色のリボンは、ただの装飾ではない。侯爵令嬢の誇りが織り込まれた証──アヴェリンは深呼吸し、凛とした決意を新たにした。

「――私は、私の神託に恥じぬ選択を示してみせるわ」

中庭の風が、淡い花びらを再び舞い上げる。運命を賭けた夜会への序章は、静かに、しかし確実に幕を開けていた。
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