花嫁は王を選ぶ。そして死を告げる

ヤマザキ

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誘いと孤独のワルツ

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――運命を賭けた夜会への序章は、静かに、しかし確実に幕を開けていた。

 ルシアナが退出し、その余韻が消え入るかと思われたその瞬間、再び足音が響いた。今度は扉の前で軽くノックをしたあと、静かにすり抜けるように開かれる。

「失礼します、アヴェリン様」

 声の主は、第五王子マイロ・ヴァレリアンドだった。黒絹の礼服に銀糸の王家紋章をあしらい、白磁のような手をそっと扉にかけている。柔らかな空気を背にした彼の瞳は、先刻の厳かな場面とは異なり、少しだけはにかんでいた。

 アヴェリンは、手にした藤色のリボンと薔薇のコサージュをぎゅっと抱え込み、声を潜める。

「マイロ様……今、ルシアナ様がいらしていたのをご覧になりましたか?」

マイロは首を傾げ、静かに笑みを含んだ声で答えた。

「はい。ここに来る途中すれ違ったので挨拶をさせていただきました。アヴェリン様の部屋の方から歩いていらっしゃったので、もしやと思いましたが。何か、ご相談なさっていたのですか?……」

 アヴェリンは小さく息をつき、胸の内で幾つもの思いを巡らせる。侯爵令嬢として完璧に振る舞うルシアナ。政略婚約者候補としての義務と誇り。その言葉の端々に込められた「ここが私のテリトリー」という牽制。

「ええ……。少しばかり、夜会での立ち居振る舞いについて――お気遣いをいただきました」

「そうでしたか」

 マイロはアヴェリンの言葉を優しく受け止めると、少し間を置いてから、控えめに口を開いた。

「アヴェリン様。その夜会についてなのですが……以前の件で、無理にお返事をなさらずとも構いません。ですが、僕は――」

 静かな沈黙のあと、彼は片膝をつき右手をそっと差し出した。その掌は深雪のような白さを帯び、瞳は凛とした誠意を伝えてくる。

「先の夜会、もしよろしければ、僕の隣に立っていただけませんか?」

 招かれるのは、ただの舞踏のパートナーという枠を超えた、深い期待と信頼。アヴェリンの心臓は一拍、一拍と音を立てるように高鳴った。

「マイロ様……」

 言葉を探す彼女に、マイロは優しい声で続ける。

「ルシアナ様も兄さん達も、それぞれの想いを胸に抱えてこの夜会に臨まれるでしょう。ですが、僕は――君がただ“選ばれた存在”だからではなく、君自身と共に、この時間を過ごしたいのです」

 アヴェリンは差し出された手の甲にそっと指先を重ねる。そのぬくもりが、先刻の冷気を溶かすようにじんわりと広がった。

――私は、ただの祝福の客でも、政略の駒でもない。

 あの光に照らせた日から、私は選択する立場となった。しかし、夜会へはその立場を無くして参加できる。

 そしてマイロ殿下は私を選んでくれた。
 断る事はできる。選ばれる側とはいえ、誰かに選ばれる「受動」の存在から、自ら選ぶ「能動」の存在でもあるのだから……でもこの清らかな瞳に見つめられ、その誘いを断る乙女がいるだろうか。
 この選択は女神としてではなく1人の人間の女としての意志選択――
 

 静かに頷くと、アヴェリンは微笑みを湛えた。

「……はい、マイロ様。ぜひ、お傍でお相手をお務めさせてください」

 その言葉に、マイロの瞳が柔らかく潤み、胸元でそっと礼をした。

「こんな嬉しい事はありません」

 満面の笑顔であるにもかかわらず今にも泣き出しそうなマイロの表情を見て、アヴェリンはいとま自分が女神の代行者という立場である事を忘れてしまっていた。


***

――静かな午後の中庭。花影が揺れる石畳の奥に、第三王子ジュリアン・ヴァレリアンドが現れた。彼は手に軽く巻かれた招待状を握りしめ、緊張の面持ちでアヴェリンを探している。

「アヴェリン――ちょっとお話できるかい?」

 声にかすかな緊張と期待を含ませ、ジュリアンはにこりと微笑む。
 しかしその声を向けられたアヴェリンは、さきほどのマイロとのやり取りを思い出し、胸の奥がチクリと痛む予感があった。

 アヴェリンは藤色のドレスの生地をそっと撫でながら振り返る。

「ジュリアン殿下……はい、何でしょうか?」

「実は……今度の夜会の件なんだが…………」

 言葉は自然だが、一瞬だけ声のトーンが強まる。アヴェリンは小さく息を飲み、ふと視線を逸らした。

 目を合わそうとしないアヴェリンの態度を見て何かを察したのか、ジュリアンの表情が一瞬強張る。胸に抱えていたはずの次の言葉が、喉の奥でしぼんだように消えた。

「先ほどマイロ殿下に夜会のお誘いをいただいて……マイロ殿下と出席する事になったのです」

「そ、そうか……そうなのか……」

――けれど、彼はすぐに優しい笑みを取り戻す。

「もう誰かに誘われているのではないかと思っていたよ。なら、マイロと一緒に来るんだね。きっと素敵な時間になるだろう……」

 言葉を選び、寂しさを隠しながらも、ジュリアンは静かに頷いた。手にしていた招待状の存在を思い出し、恥ずかしそうにそっとポケットにしまい込む。

「その………君が美しく舞う姿を見るのを――僕は、どんな形でも楽しみにしているよ」

 微かな震えを含む声に、アヴェリンは胸が締めつけられる思いをした。だが、優しく微笑み返す。

「ありがとうございます、ジュリアン殿下。お気持ち、とても嬉しいです」

 王子は深く礼をして、背筋を正す。

「それじゃあ、当日は――君のダンスをなるべく近くで見られることを祈っているよ」

 二人は静かにその場で会話を終えた。ジュリアンが去って行く背中に、アヴェリンはそっと小さく手を振る。心の奥では、彼の寂しさに胸を痛めながらも、運命の夜への一歩を確かに踏み出していた。
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