蓮の水葬

SaKI

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突然ふたりの母に

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娘を誤って井戸に落とした日から、私の人生は一変した。
すぐに離縁を言い渡され、実家に出戻りをした。

昭和33年、東京タワーが完成した頃の日本では、離縁された女性の居場所はないに等しかった。
近所からも白い目で見られ、ひそひそと噂話が聞こえてくる。

そんなときだった。父から縁談の話があった。
相手は隣町の29歳の男性で、前妻を病気で亡くしたという、気の毒な人だった。

「断ることは許さん」父はそれだけ言い残し、襖をぴしゃりと閉めた。
もともと断る気などない。というより、断らせないような威圧感が、父にはあった。

昭和33年3月15日。
私はこの日、顔すら見たこともない男性と婚礼の日を迎えた。

「これから先の人生、よろしくお願いします」低くもなく高くもない、心地の良い声だった。

そっと頭を上げて男性を見た。想像していたよりもずっと男前で、ぎょっとして、思わず前髪を整えた。
「そんなに緊張しなくていいんだよ、これから一緒に暮らしていくんだから」男性は屈託のない笑顔を見せた。
その笑顔を見た瞬間、私は前妻に対しての微かな嫉妬心を覚え、胸がきゅっと締めつけられた。

「僕は稔といいます、もう知ってるかもしれないけど。あなた、名前は?」
私は鬱陶しく目にかかる前髪を何度も耳にかけながら言った。
「共子です•••」

稔にはすでに、前妻とのあいだにもうけた娘が2人いた。
ひとりは7歳、もうひとりは3歳になったばかりであった。
私は突然、妻となり、ふたりの娘のお母さんとなった。
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