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熟れすぎた果実
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その瞬間、時が止まったように感じた。街を歩く人は動きを止め音は鳴り止み、自分の心臓の鼓動だけが聞こえていた。
そして次に時が動いた時は目の前の人が口にした「もう少し早かったら」という言葉が脳を支配していた。
入学式の朝僕は駅に向かいながら期待に胸を膨らませていた。何を隠そう高校の入学式だ、きっといい出会いがあるに決まっている。ただそれだけの理由で舞い上がれる自分が恥ずかしかったが舞い上がれるのだから仕方がない。
クラス分けの掲示板をみると知り合いは一人もいないクラスだった。心細くはあったが覚悟を決め教室のドアに手をかける。開くと同時に時が止まるのを感じた。
窓から外を眺めている女の子がこちらを振り向き視線が交錯した瞬間、それまで静かだった水面に一滴の水が零れ、波紋を広げるように僕の心の中に恋という名の衝撃がゆっくりと広がっていった。
その子の名前は佐倉あかりと言うらしい。大人しそうな見た目の通りあまりクラスには馴染めておらず内気な印象ではあるが、その可憐さ、儚さに僕は惹かれたのだろう。どうしても連絡先が知りたい。僕はただその一心で話しかけた。
「あああ、あの、同じクラスの桃田なんだけど、れれ、連絡先を教えてくれない?」
きっと頬は紅潮し、目は泳ぎ最悪な第一印象だっただろう。しかしこんなこと初めてなんだから仕方がない。簡単に聞ける方がおかしいのだ。
「...いいよ」
ただそれだけをいい少し俯きながら彼女は携帯のロックを開く。この時彼女が赤く染まっていたのは恥ずかしさなのかそれとも窓から僕らを照らす夕暮れのオレンジがかった日差しの所為なのかは分からないが、何はともあれ連絡先を手に入れることができた。
それから時折連絡はとるものの、臆病な僕には休日や放課後に遊びに誘う勇気もなくただ漫然と時間だけがすぎ高校生活初めての一大イベントである文化祭を迎えた。
僕のクラスでは演劇をやることになりそのテーマはかぐや姫に決まった。このテーマが決まった時からかぐや姫役は佐倉しかいないとそう思っていた。入学式の頃は話せる人などいなかった佐倉だが、今では控えめではあるが笑いながら話せる友達が数人いるようだ。
その友人達がかぐや姫役に真っ先に佐倉を推薦した。他に推薦も立候補も無かったのですんなりとかぐや姫は佐倉で決定となった。衣装などはまだ何も用意されていなかったが、僕の頭の中では天の羽衣を身に纏う佐倉の姿が鮮明に思い描かれていた。
「似合うかな、?」
演劇の開演時刻直前に佐倉が話しかけてきた。僕は答えることができなかった。さらさらと音がなりそうなほど綺麗に伸びた髪、低すぎるわけではないが可愛げのある背丈、衣装班が何日もかけて作った美しい衣。そして伏し目がちに問うてくる表情。その全てが完璧すぎたからだ。
「いいと思うよ」
やっとの思いで喉奥から絞り出した。演劇は立ち見客が入り口までいるという大盛況で幕を閉じた。
文化祭も終わり夏休みがきたがその宿題の多さに僕は絶望した。想像していた夏休み通りとはいかなかったが、僕にも楽しみが一つあった。
佐倉が夏休みは週一で学校で勉強しているとメールで知ったのだ。それを知った日は生ぬるい風が優しく吹いていた。
体が溶けるのではないか。そう何度も思いながらも登校したが、教室に着いた途端そんなことは頭からすっぽりと抜け落ちた。なぜならそこには涼しげな顔をし髪をかきあげる佐倉がいたからだ。
「会いたかった」
不意に口からこぼれ出た。こんなこと思っていなかったと言えば嘘にしかならないが、言うつもりは毛頭もない言葉だった。
「おはよう、あたしも会いたかったよ」
暑さが脳に幻覚を見せたのかと思った。教室には僕たち二人しかおらず確認する人もいない。聞き間違いだとすれば僕は相当頭がやられてるだろう。
「なんで無言になるの?黙られると恥ずかしいんだけど」
佐倉がはにかみながらそういった時、僕は幻覚でも聞き間違いでもないことを確信すると同時に言葉に出来ない嬉しさを味わった。強いて言うなれば、萎れそうだった果実が水を浴びその身に旨味を凝縮していく感じだろうか。
その後は他愛もない話をしたはずだ。さっきのことが嬉しくてあまり覚えてはいない。
その日を境に、一緒に登下校することや放課後残って勉強することが増えていった。この頃から佐倉のことを下の名前で呼べるようになっていった。
日に日に体を打ち付ける風が冷たくなっていったが僕の心は日を追うごとに暖かくなっていった。師走に入り街が様々な色を纏い鈴の音が鳴り響くようになってきた頃、僕はこの想いを伝えるとしたらクリスマスの日しかないと決心をし、メールを送った。
迎えたクリスマスはすごく風が冷たい日だった。強いわけではないのだが、体の芯から冷えるような寒さを帯びている風だった。
あかりとは駅で待ち合わせ、高校生に人気のあるお洒落な喫茶店で食事を済ませ、二人とも気になっていた映画を見た後、近くにある夜の街並みを見渡せる公園に来ていた。映画の感想なども話し終わり静けさが二人の間を繋いでいる。
「僕さ、あかりのことが好きだ。あかりの照れた時に見せる表情や、笑った顔、たまにするメガネ姿も全部全部大好きだ。入学式の日からずっと君を好きだった。付き合ってほしい」
いつかのように噛んだりおどおどするのとはなく、はっきりと想いを伝えることが出来た。
街を見下ろすと爛々と光る店や家々を飾る電球がとても美しかった。しかし、公園に来た時よりは時間も遅くなって来たせいか賑わいも少なくなっており、寂しさを感じた。
「そう思ってくれてたんだ、嬉しい」
透き通る声が言った。
「もう少し早かったらな」
そう言葉が続いた時、街を歩く人は動きを止め音は鳴り止み心臓の鼓動だけが僕を支配した。
上手く意味を頭が理解してくれなかった。もう少し早かったらという言葉が何度も頭を反芻した。しかし何度も頭でその言葉を繰り返しても意味を理解することは出来なかった。
「あたしも桃田が好きだったんだよ。入学式の日に連絡先を聞いてくれた時から惹かれてたんだ。夏休み二人で一緒に勉強したりして、桃田も私に気があるのかなって思ってたよ。勘違いじゃなかったんだね...私は桃田がいつになっても好きっていう言葉を伝えてくれないから、私の勘違い、自意識過剰だと思って諦めて、その頃仲良くなった彼氏と付き合うことにしたんだ」
頭が空白に侵された。何も考えることが出来なかった。じゃあ僕はもう少し早くこの気持ちを伝えていたら付き合えていたのか。僕のこの気持ちは成長しすぎた故に衰えてしまったのか。もっと早くに伝えればよかった。そうは思えなかった。その代わりにこう思った。僕の気持ちはまるで熟れすぎた果実のようだな。一番美味しい時期ならどれだけ甘く、その甘美さで人を虜にしてしまう果実でも、その時期を逃してしまえばただ渋く後味が悪いゴミになってしまう。まるで今の僕は時期を逃してしまった熟れすぎた果実だな、と。そして彼女はこう告げた。
「だから、ごめんなさい」
そして次に時が動いた時は目の前の人が口にした「もう少し早かったら」という言葉が脳を支配していた。
入学式の朝僕は駅に向かいながら期待に胸を膨らませていた。何を隠そう高校の入学式だ、きっといい出会いがあるに決まっている。ただそれだけの理由で舞い上がれる自分が恥ずかしかったが舞い上がれるのだから仕方がない。
クラス分けの掲示板をみると知り合いは一人もいないクラスだった。心細くはあったが覚悟を決め教室のドアに手をかける。開くと同時に時が止まるのを感じた。
窓から外を眺めている女の子がこちらを振り向き視線が交錯した瞬間、それまで静かだった水面に一滴の水が零れ、波紋を広げるように僕の心の中に恋という名の衝撃がゆっくりと広がっていった。
その子の名前は佐倉あかりと言うらしい。大人しそうな見た目の通りあまりクラスには馴染めておらず内気な印象ではあるが、その可憐さ、儚さに僕は惹かれたのだろう。どうしても連絡先が知りたい。僕はただその一心で話しかけた。
「あああ、あの、同じクラスの桃田なんだけど、れれ、連絡先を教えてくれない?」
きっと頬は紅潮し、目は泳ぎ最悪な第一印象だっただろう。しかしこんなこと初めてなんだから仕方がない。簡単に聞ける方がおかしいのだ。
「...いいよ」
ただそれだけをいい少し俯きながら彼女は携帯のロックを開く。この時彼女が赤く染まっていたのは恥ずかしさなのかそれとも窓から僕らを照らす夕暮れのオレンジがかった日差しの所為なのかは分からないが、何はともあれ連絡先を手に入れることができた。
それから時折連絡はとるものの、臆病な僕には休日や放課後に遊びに誘う勇気もなくただ漫然と時間だけがすぎ高校生活初めての一大イベントである文化祭を迎えた。
僕のクラスでは演劇をやることになりそのテーマはかぐや姫に決まった。このテーマが決まった時からかぐや姫役は佐倉しかいないとそう思っていた。入学式の頃は話せる人などいなかった佐倉だが、今では控えめではあるが笑いながら話せる友達が数人いるようだ。
その友人達がかぐや姫役に真っ先に佐倉を推薦した。他に推薦も立候補も無かったのですんなりとかぐや姫は佐倉で決定となった。衣装などはまだ何も用意されていなかったが、僕の頭の中では天の羽衣を身に纏う佐倉の姿が鮮明に思い描かれていた。
「似合うかな、?」
演劇の開演時刻直前に佐倉が話しかけてきた。僕は答えることができなかった。さらさらと音がなりそうなほど綺麗に伸びた髪、低すぎるわけではないが可愛げのある背丈、衣装班が何日もかけて作った美しい衣。そして伏し目がちに問うてくる表情。その全てが完璧すぎたからだ。
「いいと思うよ」
やっとの思いで喉奥から絞り出した。演劇は立ち見客が入り口までいるという大盛況で幕を閉じた。
文化祭も終わり夏休みがきたがその宿題の多さに僕は絶望した。想像していた夏休み通りとはいかなかったが、僕にも楽しみが一つあった。
佐倉が夏休みは週一で学校で勉強しているとメールで知ったのだ。それを知った日は生ぬるい風が優しく吹いていた。
体が溶けるのではないか。そう何度も思いながらも登校したが、教室に着いた途端そんなことは頭からすっぽりと抜け落ちた。なぜならそこには涼しげな顔をし髪をかきあげる佐倉がいたからだ。
「会いたかった」
不意に口からこぼれ出た。こんなこと思っていなかったと言えば嘘にしかならないが、言うつもりは毛頭もない言葉だった。
「おはよう、あたしも会いたかったよ」
暑さが脳に幻覚を見せたのかと思った。教室には僕たち二人しかおらず確認する人もいない。聞き間違いだとすれば僕は相当頭がやられてるだろう。
「なんで無言になるの?黙られると恥ずかしいんだけど」
佐倉がはにかみながらそういった時、僕は幻覚でも聞き間違いでもないことを確信すると同時に言葉に出来ない嬉しさを味わった。強いて言うなれば、萎れそうだった果実が水を浴びその身に旨味を凝縮していく感じだろうか。
その後は他愛もない話をしたはずだ。さっきのことが嬉しくてあまり覚えてはいない。
その日を境に、一緒に登下校することや放課後残って勉強することが増えていった。この頃から佐倉のことを下の名前で呼べるようになっていった。
日に日に体を打ち付ける風が冷たくなっていったが僕の心は日を追うごとに暖かくなっていった。師走に入り街が様々な色を纏い鈴の音が鳴り響くようになってきた頃、僕はこの想いを伝えるとしたらクリスマスの日しかないと決心をし、メールを送った。
迎えたクリスマスはすごく風が冷たい日だった。強いわけではないのだが、体の芯から冷えるような寒さを帯びている風だった。
あかりとは駅で待ち合わせ、高校生に人気のあるお洒落な喫茶店で食事を済ませ、二人とも気になっていた映画を見た後、近くにある夜の街並みを見渡せる公園に来ていた。映画の感想なども話し終わり静けさが二人の間を繋いでいる。
「僕さ、あかりのことが好きだ。あかりの照れた時に見せる表情や、笑った顔、たまにするメガネ姿も全部全部大好きだ。入学式の日からずっと君を好きだった。付き合ってほしい」
いつかのように噛んだりおどおどするのとはなく、はっきりと想いを伝えることが出来た。
街を見下ろすと爛々と光る店や家々を飾る電球がとても美しかった。しかし、公園に来た時よりは時間も遅くなって来たせいか賑わいも少なくなっており、寂しさを感じた。
「そう思ってくれてたんだ、嬉しい」
透き通る声が言った。
「もう少し早かったらな」
そう言葉が続いた時、街を歩く人は動きを止め音は鳴り止み心臓の鼓動だけが僕を支配した。
上手く意味を頭が理解してくれなかった。もう少し早かったらという言葉が何度も頭を反芻した。しかし何度も頭でその言葉を繰り返しても意味を理解することは出来なかった。
「あたしも桃田が好きだったんだよ。入学式の日に連絡先を聞いてくれた時から惹かれてたんだ。夏休み二人で一緒に勉強したりして、桃田も私に気があるのかなって思ってたよ。勘違いじゃなかったんだね...私は桃田がいつになっても好きっていう言葉を伝えてくれないから、私の勘違い、自意識過剰だと思って諦めて、その頃仲良くなった彼氏と付き合うことにしたんだ」
頭が空白に侵された。何も考えることが出来なかった。じゃあ僕はもう少し早くこの気持ちを伝えていたら付き合えていたのか。僕のこの気持ちは成長しすぎた故に衰えてしまったのか。もっと早くに伝えればよかった。そうは思えなかった。その代わりにこう思った。僕の気持ちはまるで熟れすぎた果実のようだな。一番美味しい時期ならどれだけ甘く、その甘美さで人を虜にしてしまう果実でも、その時期を逃してしまえばただ渋く後味が悪いゴミになってしまう。まるで今の僕は時期を逃してしまった熟れすぎた果実だな、と。そして彼女はこう告げた。
「だから、ごめんなさい」
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