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暗部
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故郷を離れ、最初に住んだ賃貸物件は母と選んだ学生用のアパートだった。
家具もインターネットも揃っていて不自由なく学生生活を送ることができた。
不自由なくと言っても、私は普通誰でもできると言われるようなことをあまりできなかった。
特に家事にはかなり苦しんだ記憶がある。
それはさておき、当時は携帯電話を持っているのが既に当たり前だったので、固定電話を契約するかどうか最初は迷ったものだった。
結局、携帯電話で事が足りるということで契約しないことにした。
他方で、私のようにお喋り好きな人間にとって、固定電話は青春だったのではないだろうか。
友達と電話帳でお互いの電話番号を調べ、電凸して遊びに行く日々。
仲の良い女の子が親の目を盗んで電話をかけてくることもあった。
昔はそれがもっと好意的な了解のもとで行われていた。
固定電話を契約していない今はそうする可能性も、そして必要性もなくなってしまった。
あの時代の雰囲気、若さゆえの勢い。
それは失われた財産に違いない。
もちろん悪い例もあったが、そんなことは気にしなかった。
一人暮らしを始めるときに固定電話を契約するかどうか迷ったのは、青春に引き摺られたからだろう。
まあ、今は今でLINEや電話番号を教え合う楽しみもあるし、それでいいのかもしれない。
さて、昔の固定電話はたまに混線することがあった。
同時刻に時報にかけると混線により会話できるという話が有名である。
時報でなくて一般の家庭と電話しているときでも混線することがあった。
うちで聞こえる場合は小さい声でぼそぼそと聞こえる程度だったので、誰の声かどんな会話の内容なのかも分からなかった。
家族は気にせずに会話を続けていたと思う。
考えてみると当然であるが電話の最中にしか混線しないはず。
ところがある日、電話中ではないのに他者の声が聞こえることがあった。
誰と電話をするつもりだったかは覚えていないが、鳴ったから取ったのではないことは覚えている。
母親に何時に帰ってくるのと聞こうとしたとか、友達とゲームの話をしようとしたとか、そんな軽い気持ちの電話だったと思う。
受話器をとってボタンを押そうとした瞬間、何かを相談しているようなおじさんの声が聞こえた。
発信音を頭の中で消し、声に集中する。
「...カネ...キョウ...」
うーん?もう少しで聞こえそうなのに。
「..........」
だめだ、一体何を話しているのやら。
しかももう一方の声はほとんど聞こえず、おじさんがずっと喋り続けているようだった。
電話をかける気が削がれた私は、時間を置いてまたかけることにした。
曾祖母は隣の仏間でいつものようにお菓子を作っている。
宿題をする気にもならないのでテレビを見て時間を潰した。
さすがに先程の会話は終わっただろう、と思った頃にまた受話器を取った。
「...オカネナラキョウニモ...」
お。詳しい内容は分からないが、さっきよりは鮮明に聞こえるじゃないか。
っていうか、まだ喋ってるんかい!
しかも同じ内容を喋ってる気がする。
私はお腹が空いてイライラしていたのかもしれない。
普段ならやらないことをやってしまう。
「こんばんはー!聞こえてるよー!」
「.......!」
話す声がぴたっと止んだ。
電話越しに、視線がこちらに向く。
そんな気がした。
その後何も聞こえることはなかったので受話器を降ろした。
どれくらいの時間が経っただろう。
テレビを見ていると
ファミファミファミ~マファミファミマ♪
某コンビニの入店音と同じ実家のチャイムが鳴った。
廊下に出ると、ガラス戸の向こうに人の気配がある。
うちには曾祖母と私しかいなかったので、そのときは私が出ようと思った。
すると人影はこちらに向かってデスボイスのア”音に近い音を一定のリズムで出し始める。
アー。アー。アー。ア。アー。アー。アー。ア。
カラスの鳴き真似か?
いや、頑張ってカラスに似せようともせず、かといって人間味もないそれは、むしろ無差別に悪意を撒き散らすゾンビの声に近いと言っても良いかもしれない。
女性に出せるような低音ではないので、すぐに中年の男性だろうと思った。
私の意識はひといきに黒く塗りつぶされ、足は廊下に張り付けにされた。
アー。アー。アー。ア。アー。アー。アー。ア。
中年男性が玄関先で発狂しながら、家の人が出てくるのを待っている...
そう思うと心が死んだ。
アー。アー。アー。ア。アー。アー。アー。ア。
何が楽しいのか。
病気みたいに同じ音を何度も何度も繰り返す。
気持ち悪...
じっとしていると、
「○○ちゃん、出てくれんけ」
と仏間から曾祖母が顔を出した。
私はキョドることしかできなかった。
すると曾祖母が歩いてきて代わりに出てくれた。
それを後ろで黙って見ていることにした。
「あ。ごめんください、新聞です。購読料を頂戴に参りました。」
は?新聞?
板を急に外され穴に落ちたような気持ちになった。
しかし新聞屋のおじさんの目は異様に見開いていて、焦点は曾祖母にも私にもなく、家の中の虚空に向けられていた。
目は合いそうになかったが、私はすぐに目をそらした。
曾祖母は少し挨拶のような会話を交わすと、家の中に入っていく。
会話の成立は、あの雰囲気からすれば、もはや奇跡だ。
そしてじわじわと疑問に思うことがあった。
この声に聞き覚えがあるんじゃないか?
まさか、電話で聞いた声か?
そう思うと寒気がした。
私がそんなことを考えている間に曾祖母は戸棚から財布を出して支払った。
やり取りが終わると新聞屋さんはあっさりと出ていった。
確信に変わることはなかったが、疑念が消えることもなかった。
「どうしたが?」
曾祖母に声をかけられハッと我に帰るまで、頭の中のサイレンは鳴り続けていた。
そういえば母からは、悪いことをした後には必ず罰が当たる、とよくいわれていた。
盗み聞きをしたので罰が当たったのだろうか?
「ごめん、新聞屋さんが怖かった...。」
「いつもの人やぜ?怖くないちゃ。」
心配そうに私を見るので、いたたまれなくなり生返事をして居間に帰った。
そして、気になって受話器をもう一度とった。
きゅいーーううん。
過敏になっていたのか、発信音がいつもより歪んで聞こえた。
しかしおじさんの声はもうそこにはなかった。
バン。
エンジンを鳴らし遠ざかる車の音は、私の不快感を急速に和らげていった。
数ヶ月後、料金徴収の際にまた新聞屋のおじさんと会うことができた。
そのときは祖父が対応していたが、二人は何か喧嘩をしているようだった。
話を盗み聞きしてみると、どうやらうちに支払っていない期間が一部あるとのこと。
日本語なのかよく分からない怒声が飛んだのでさすがに気になった。
曾祖母が払っているのを見たと言うと、祖父は曾祖母に話を聞きにいき、おじさんは会社に電話をし始めた。
どうやら先方の確認ミスで、支払っていないのは別の家だったらしい。
本当にそうだろうか?
私が見たと言わなかったら?
疑念は尽きない。
おじさんは帰り際にもう一度電話をかけていた。
それを見た私は急いで受話器をとった。
カア。カア。カア。
茜色の畳に漆黒の粒がぽたぽたと零れ落ちた。
残念ながら期待していた声を聞くことはできなかった。
居間から外を見遣る。
急発進で出ていく車の音は、これから広がろうとする闇に溶け込んでいった。
家具もインターネットも揃っていて不自由なく学生生活を送ることができた。
不自由なくと言っても、私は普通誰でもできると言われるようなことをあまりできなかった。
特に家事にはかなり苦しんだ記憶がある。
それはさておき、当時は携帯電話を持っているのが既に当たり前だったので、固定電話を契約するかどうか最初は迷ったものだった。
結局、携帯電話で事が足りるということで契約しないことにした。
他方で、私のようにお喋り好きな人間にとって、固定電話は青春だったのではないだろうか。
友達と電話帳でお互いの電話番号を調べ、電凸して遊びに行く日々。
仲の良い女の子が親の目を盗んで電話をかけてくることもあった。
昔はそれがもっと好意的な了解のもとで行われていた。
固定電話を契約していない今はそうする可能性も、そして必要性もなくなってしまった。
あの時代の雰囲気、若さゆえの勢い。
それは失われた財産に違いない。
もちろん悪い例もあったが、そんなことは気にしなかった。
一人暮らしを始めるときに固定電話を契約するかどうか迷ったのは、青春に引き摺られたからだろう。
まあ、今は今でLINEや電話番号を教え合う楽しみもあるし、それでいいのかもしれない。
さて、昔の固定電話はたまに混線することがあった。
同時刻に時報にかけると混線により会話できるという話が有名である。
時報でなくて一般の家庭と電話しているときでも混線することがあった。
うちで聞こえる場合は小さい声でぼそぼそと聞こえる程度だったので、誰の声かどんな会話の内容なのかも分からなかった。
家族は気にせずに会話を続けていたと思う。
考えてみると当然であるが電話の最中にしか混線しないはず。
ところがある日、電話中ではないのに他者の声が聞こえることがあった。
誰と電話をするつもりだったかは覚えていないが、鳴ったから取ったのではないことは覚えている。
母親に何時に帰ってくるのと聞こうとしたとか、友達とゲームの話をしようとしたとか、そんな軽い気持ちの電話だったと思う。
受話器をとってボタンを押そうとした瞬間、何かを相談しているようなおじさんの声が聞こえた。
発信音を頭の中で消し、声に集中する。
「...カネ...キョウ...」
うーん?もう少しで聞こえそうなのに。
「..........」
だめだ、一体何を話しているのやら。
しかももう一方の声はほとんど聞こえず、おじさんがずっと喋り続けているようだった。
電話をかける気が削がれた私は、時間を置いてまたかけることにした。
曾祖母は隣の仏間でいつものようにお菓子を作っている。
宿題をする気にもならないのでテレビを見て時間を潰した。
さすがに先程の会話は終わっただろう、と思った頃にまた受話器を取った。
「...オカネナラキョウニモ...」
お。詳しい内容は分からないが、さっきよりは鮮明に聞こえるじゃないか。
っていうか、まだ喋ってるんかい!
しかも同じ内容を喋ってる気がする。
私はお腹が空いてイライラしていたのかもしれない。
普段ならやらないことをやってしまう。
「こんばんはー!聞こえてるよー!」
「.......!」
話す声がぴたっと止んだ。
電話越しに、視線がこちらに向く。
そんな気がした。
その後何も聞こえることはなかったので受話器を降ろした。
どれくらいの時間が経っただろう。
テレビを見ていると
ファミファミファミ~マファミファミマ♪
某コンビニの入店音と同じ実家のチャイムが鳴った。
廊下に出ると、ガラス戸の向こうに人の気配がある。
うちには曾祖母と私しかいなかったので、そのときは私が出ようと思った。
すると人影はこちらに向かってデスボイスのア”音に近い音を一定のリズムで出し始める。
アー。アー。アー。ア。アー。アー。アー。ア。
カラスの鳴き真似か?
いや、頑張ってカラスに似せようともせず、かといって人間味もないそれは、むしろ無差別に悪意を撒き散らすゾンビの声に近いと言っても良いかもしれない。
女性に出せるような低音ではないので、すぐに中年の男性だろうと思った。
私の意識はひといきに黒く塗りつぶされ、足は廊下に張り付けにされた。
アー。アー。アー。ア。アー。アー。アー。ア。
中年男性が玄関先で発狂しながら、家の人が出てくるのを待っている...
そう思うと心が死んだ。
アー。アー。アー。ア。アー。アー。アー。ア。
何が楽しいのか。
病気みたいに同じ音を何度も何度も繰り返す。
気持ち悪...
じっとしていると、
「○○ちゃん、出てくれんけ」
と仏間から曾祖母が顔を出した。
私はキョドることしかできなかった。
すると曾祖母が歩いてきて代わりに出てくれた。
それを後ろで黙って見ていることにした。
「あ。ごめんください、新聞です。購読料を頂戴に参りました。」
は?新聞?
板を急に外され穴に落ちたような気持ちになった。
しかし新聞屋のおじさんの目は異様に見開いていて、焦点は曾祖母にも私にもなく、家の中の虚空に向けられていた。
目は合いそうになかったが、私はすぐに目をそらした。
曾祖母は少し挨拶のような会話を交わすと、家の中に入っていく。
会話の成立は、あの雰囲気からすれば、もはや奇跡だ。
そしてじわじわと疑問に思うことがあった。
この声に聞き覚えがあるんじゃないか?
まさか、電話で聞いた声か?
そう思うと寒気がした。
私がそんなことを考えている間に曾祖母は戸棚から財布を出して支払った。
やり取りが終わると新聞屋さんはあっさりと出ていった。
確信に変わることはなかったが、疑念が消えることもなかった。
「どうしたが?」
曾祖母に声をかけられハッと我に帰るまで、頭の中のサイレンは鳴り続けていた。
そういえば母からは、悪いことをした後には必ず罰が当たる、とよくいわれていた。
盗み聞きをしたので罰が当たったのだろうか?
「ごめん、新聞屋さんが怖かった...。」
「いつもの人やぜ?怖くないちゃ。」
心配そうに私を見るので、いたたまれなくなり生返事をして居間に帰った。
そして、気になって受話器をもう一度とった。
きゅいーーううん。
過敏になっていたのか、発信音がいつもより歪んで聞こえた。
しかしおじさんの声はもうそこにはなかった。
バン。
エンジンを鳴らし遠ざかる車の音は、私の不快感を急速に和らげていった。
数ヶ月後、料金徴収の際にまた新聞屋のおじさんと会うことができた。
そのときは祖父が対応していたが、二人は何か喧嘩をしているようだった。
話を盗み聞きしてみると、どうやらうちに支払っていない期間が一部あるとのこと。
日本語なのかよく分からない怒声が飛んだのでさすがに気になった。
曾祖母が払っているのを見たと言うと、祖父は曾祖母に話を聞きにいき、おじさんは会社に電話をし始めた。
どうやら先方の確認ミスで、支払っていないのは別の家だったらしい。
本当にそうだろうか?
私が見たと言わなかったら?
疑念は尽きない。
おじさんは帰り際にもう一度電話をかけていた。
それを見た私は急いで受話器をとった。
カア。カア。カア。
茜色の畳に漆黒の粒がぽたぽたと零れ落ちた。
残念ながら期待していた声を聞くことはできなかった。
居間から外を見遣る。
急発進で出ていく車の音は、これから広がろうとする闇に溶け込んでいった。
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みんなの感想(2件)
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