17 / 192
one.
17
しおりを挟む
四月も終わりに近づいた休日。自室にこもっていると、軽くドアが叩かれる音がした。
「なに?」
「江角くんにお客さんだよー」
北川ののんびりした声。ベッドに寝そべったままドアを振り返る。
「エスー」
「あ、岩見か」
誰かと聞く前に少し遠くから声が聞こえた。反動をつけて起き上がりドアを開けば、目の前には北川がいて玄関の方から岩見がひらひらと手を振る。
「どうした」
「プリン作った! 北川くん? も、食べてくれたらいいなと思って」
名前を確認するようにこちらを見たまま疑問符つきで北川を呼んだ岩見は、俺が合っているという意を込めて頷くと、柔和な表情で北川を向いて友好的に笑いかけた。
「え、俺もいいの? プリンめっちゃ好き」
ぱっと北川の顔が明るくなる。常にどこか眠そうな雰囲気だから、そんな顔も出来るのかと少し意外に思った。
部屋を出て、飲み物を用意しようとキッチンの方に向かう。北川と共有しているコーヒーはインスタントの粉のやつ。俺に大したこだわりはないので、北川が好んでいるものだ。俺はどちらかというと紅茶や日本茶が好き。コーヒーより少しだけ手間がかかるから気が向いたときしか飲まないけれど。
「北川、岩見と初対面だっけ」
「あ、うん、そうかも。一方的に知ってるだけだわ。初めまして、北川嘉昭です、江角くんのルームメイトです」
「初めましてー。岩見明志です。エスの友だちです」
ぺこりと頭を下げ合う二人の少し冗談混じりの畏まったやりとりに軽く笑って、洒落っ気のないマグカップに用意したコーヒーを運ぶ。
ローテーブルのそばに座るついでにクッションを隣に用意して、腰を落ち着ける位置に迷っている岩見を座らせる。北川はソファの定位置に収まると、早速コーヒーに口をつけた。
そしてふうと息をついてから思い立ったように俺と岩見とを見比べて口を開く。
「そういえば、岩見くんは江角くんをエスって呼んでるんだね?サディスティックって意味のエス?」
岩見が噎せた。「え? 大丈夫?」と首を傾げる北川。
「違う」
口元を抑えて咳き込んでいるのか笑っているのか分からない状態になっている岩見に代わって、端的に答えを返す。渋い顔になっている自覚がある。
「うん?」
「っ、はあ、北川くんおもしろー。そういうのじゃなくて、普通に名前からだよ。江角のエス! まあちょっとサディストかもしれないけど、そういうのは俺の預かり知らぬことだからね」
「普通に全否定してくれ」
顔をしかめて、コーヒーの湯気を吹く。
なるほどと納得した様子の北川を尻目に、岩見はまだ笑いの余韻を残しながら持ってきた袋から小ぶりな器に入ったプリンを取り出した。
滑らかな卵色をしている。
「すげー、岩見くんってこういうの得意なの?」
「得意っていうか、好きなんだ」
照れたふうに笑ったと思えば、エスの分は甘さ控えめにしておいたからねとどうだと言わんばかりの顔をする。
「わざわざ甘さ変えたのか」
「うん、だってエスにも美味しいって思ってほしいだろ」
「別に甘くても、うまいと思う」
「黙って食べろって」
俺の為にわざわざ調整しなくていいと思って言ってるのに、この言い草である。岩見が面倒に思ってないなら、まあいい。
甘いものが苦手というわけではないが、市販のプリンは甘すぎると感じることが多いから、気持ちは嬉しい。
はいはい、と返事をして柔らかく弾力のあるプリンにスプーンを差し込んだ。口に含めばほのかに甘くとろける。
「うまい」
「だろー」
岩見はふふんと笑ってスプーンをくわえる。視線を感じて前を向くと、北川が不思議そうに俺たちを見ていた。
「なあ、不快に思ったらごめん。二人って付き合ってるの?」
「ない」
「ないな」
揃って即答する。むしろこっちが不思議だ。
「なんでそんなこと聞く?」
「違うのかー。ごめん、なんか夫婦的な空気を感じた」
「夫婦! 夫婦だって、エス! 俺が旦那さん?」
「主夫か」
完璧にこなしそうだな、と軽口を叩く。
北川はプリンを食べて今度はそちらに意識が向いたのか、美味しい美味しいとしきりに褒めて岩見を照れさせていた。
なんで俺がうまいって言ったときと反応が違うんだ、こいつ。
それにしても、俺たちのなにが付き合っているふうに感じさせるのだろうか。別の人間から同じ内容のことを言われるとは思わなかった。もちろん、悪意のない北川に腹を立てたりはしないが。
俺は岩見を友人だと思っている。抱いている感情としては兄弟に対するものが近いのかもしれない。
いや、だからといって実の兄に対してと岩見に対する感情が同じかと言えば違うのだと思うけれど。
それを周りから付き合っているようだなどと言われると頭の中がこんがらがってしまう。考えると分からなくなる。感情というものは本当に不確かだ。
例えば同じ喜びでも他人と自分が抱く感情が同じとは限らない。そんな状態でどうやって恋や友情やその他の感情の区別をするのだろう。
俺も誰かに恋をしたらそう気がつくのか? 全く予想ができない。とても遠い話に感じた。
「なに?」
「江角くんにお客さんだよー」
北川ののんびりした声。ベッドに寝そべったままドアを振り返る。
「エスー」
「あ、岩見か」
誰かと聞く前に少し遠くから声が聞こえた。反動をつけて起き上がりドアを開けば、目の前には北川がいて玄関の方から岩見がひらひらと手を振る。
「どうした」
「プリン作った! 北川くん? も、食べてくれたらいいなと思って」
名前を確認するようにこちらを見たまま疑問符つきで北川を呼んだ岩見は、俺が合っているという意を込めて頷くと、柔和な表情で北川を向いて友好的に笑いかけた。
「え、俺もいいの? プリンめっちゃ好き」
ぱっと北川の顔が明るくなる。常にどこか眠そうな雰囲気だから、そんな顔も出来るのかと少し意外に思った。
部屋を出て、飲み物を用意しようとキッチンの方に向かう。北川と共有しているコーヒーはインスタントの粉のやつ。俺に大したこだわりはないので、北川が好んでいるものだ。俺はどちらかというと紅茶や日本茶が好き。コーヒーより少しだけ手間がかかるから気が向いたときしか飲まないけれど。
「北川、岩見と初対面だっけ」
「あ、うん、そうかも。一方的に知ってるだけだわ。初めまして、北川嘉昭です、江角くんのルームメイトです」
「初めましてー。岩見明志です。エスの友だちです」
ぺこりと頭を下げ合う二人の少し冗談混じりの畏まったやりとりに軽く笑って、洒落っ気のないマグカップに用意したコーヒーを運ぶ。
ローテーブルのそばに座るついでにクッションを隣に用意して、腰を落ち着ける位置に迷っている岩見を座らせる。北川はソファの定位置に収まると、早速コーヒーに口をつけた。
そしてふうと息をついてから思い立ったように俺と岩見とを見比べて口を開く。
「そういえば、岩見くんは江角くんをエスって呼んでるんだね?サディスティックって意味のエス?」
岩見が噎せた。「え? 大丈夫?」と首を傾げる北川。
「違う」
口元を抑えて咳き込んでいるのか笑っているのか分からない状態になっている岩見に代わって、端的に答えを返す。渋い顔になっている自覚がある。
「うん?」
「っ、はあ、北川くんおもしろー。そういうのじゃなくて、普通に名前からだよ。江角のエス! まあちょっとサディストかもしれないけど、そういうのは俺の預かり知らぬことだからね」
「普通に全否定してくれ」
顔をしかめて、コーヒーの湯気を吹く。
なるほどと納得した様子の北川を尻目に、岩見はまだ笑いの余韻を残しながら持ってきた袋から小ぶりな器に入ったプリンを取り出した。
滑らかな卵色をしている。
「すげー、岩見くんってこういうの得意なの?」
「得意っていうか、好きなんだ」
照れたふうに笑ったと思えば、エスの分は甘さ控えめにしておいたからねとどうだと言わんばかりの顔をする。
「わざわざ甘さ変えたのか」
「うん、だってエスにも美味しいって思ってほしいだろ」
「別に甘くても、うまいと思う」
「黙って食べろって」
俺の為にわざわざ調整しなくていいと思って言ってるのに、この言い草である。岩見が面倒に思ってないなら、まあいい。
甘いものが苦手というわけではないが、市販のプリンは甘すぎると感じることが多いから、気持ちは嬉しい。
はいはい、と返事をして柔らかく弾力のあるプリンにスプーンを差し込んだ。口に含めばほのかに甘くとろける。
「うまい」
「だろー」
岩見はふふんと笑ってスプーンをくわえる。視線を感じて前を向くと、北川が不思議そうに俺たちを見ていた。
「なあ、不快に思ったらごめん。二人って付き合ってるの?」
「ない」
「ないな」
揃って即答する。むしろこっちが不思議だ。
「なんでそんなこと聞く?」
「違うのかー。ごめん、なんか夫婦的な空気を感じた」
「夫婦! 夫婦だって、エス! 俺が旦那さん?」
「主夫か」
完璧にこなしそうだな、と軽口を叩く。
北川はプリンを食べて今度はそちらに意識が向いたのか、美味しい美味しいとしきりに褒めて岩見を照れさせていた。
なんで俺がうまいって言ったときと反応が違うんだ、こいつ。
それにしても、俺たちのなにが付き合っているふうに感じさせるのだろうか。別の人間から同じ内容のことを言われるとは思わなかった。もちろん、悪意のない北川に腹を立てたりはしないが。
俺は岩見を友人だと思っている。抱いている感情としては兄弟に対するものが近いのかもしれない。
いや、だからといって実の兄に対してと岩見に対する感情が同じかと言えば違うのだと思うけれど。
それを周りから付き合っているようだなどと言われると頭の中がこんがらがってしまう。考えると分からなくなる。感情というものは本当に不確かだ。
例えば同じ喜びでも他人と自分が抱く感情が同じとは限らない。そんな状態でどうやって恋や友情やその他の感情の区別をするのだろう。
俺も誰かに恋をしたらそう気がつくのか? 全く予想ができない。とても遠い話に感じた。
0
あなたにおすすめの小説
アイドルくん、俺の前では生活能力ゼロの甘えん坊でした。~俺の住み込みバイト先は後輩の高校生アイドルくんでした。
天音ねる(旧:えんとっぷ)
BL
家計を助けるため、住み込み家政婦バイトを始めた高校生・桜井智也。豪邸の家主は、寝癖頭によれよれTシャツの青年…と思いきや、その正体は学校の後輩でキラキラ王子様アイドル・橘圭吾だった!?
学校では完璧、家では生活能力ゼロ。そんな圭吾のギャップに振り回されながらも、世話を焼く日々にやりがいを感じる智也。
ステージの上では完璧な王子様なのに、家ではカップ麺すら作れない究極のポンコツ男子。
智也の作る温かい手料理に胃袋を掴まれた圭吾は、次第に心を許し、子犬のように懐いてくる。
「先輩、お腹すいた」「どこにも行かないで」
無防備な素顔と時折見せる寂しげな表情に、智也の心は絆されていく。
住む世界が違うはずの二人。秘密の契約から始まる、甘くて美味しい青春ラブストーリー!
ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる
cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。
「付き合おうって言ったのは凪だよね」
あの流れで本気だとは思わないだろおおお。
凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?
モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?
兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?
perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。
その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。
彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。
……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。
口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。
――「光希、俺はお前が好きだ。」
次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。
僕を守るのは、イケメン先輩!?
刃
BL
僕は、なぜか男からモテる。僕は嫌なのに、しつこい男たちから、守ってくれるのは一つ上の先輩。最初怖いと思っていたが、守られているうち先輩に、惹かれていってしまう。僕は、いったいどうしちゃったんだろう?
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
学校一のイケメンとひとつ屋根の下
おもちDX
BL
高校二年生の瑞は、母親の再婚で連れ子の同級生と家族になるらしい。顔合わせの時、そこにいたのはボソボソと喋る陰気な男の子。しかしよくよく名前を聞いてみれば、学校一のイケメンと名高い逢坂だった!
学校との激しいギャップに驚きつつも距離を縮めようとする瑞だが、逢坂からの印象は最悪なようで……?
キラキライケメンなのに家ではジメジメ!?なギャップ男子 × 地味グループ所属の能天気な男の子
立場の全く違う二人が家族となり、やがて特別な感情が芽生えるラブストーリー。
全年齢
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる