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二週間後に中間テストが始まると担任が言っていた。すっかり忘れていたが、そういえばそろそろそんな時期だ。
窓にほど近い位置に植えられた背の高い木々の葉は、綺麗な新緑の色をしている。ようやく最近はブレザーを脱いでカーディガンとシャツだけになっても寒さを感じなくなってきた。
もっとも、俺を除いたクラスメイトはもう白いシャツだけという出で立ちがほとんどだが。こういうときに俺は人よりも寒がりなのだなと実感する。
「江角」
「うん?」
呼び掛けられ、窓から隣に視線を移す。両腕を枕にして机に伏せた状態で、岸田が上目遣いに俺を見ていた。顔を合わせたまま、二度その少し鋭い目が瞬く。なんとなく真剣な雰囲気だ。体勢のわりに。
「得意科目あるか」
体を起こした彼の端的な質問に少し考えてから口を開く。
「国語と英語」
「そうか―思った通りだ」
「どうした」
「俺に英語を教えてほしい」
何か考えるような間を開けるので、こちらの方から聞いてみると、思いもよらないことを言われた。俺がぽかんとしているように見えたのか、岸田は低いトーンのまま事情を話し始めた。
どうやら彼は英語が苦手らしい。利発そうに見えるから、勝手に勉強は得意なのだと思っていた。曰く、風紀は忙しいわりに委員数が少なめなので一人でも抜けると周りに負担がいくのだという。もしも赤点をとって補習なんかになったら、先輩方に迷惑をかける……といつもの不機嫌そうな顔のまま、とてつもなく深刻げに額を押さえる様子に少し笑ってしまいそうになる。
「岸田が俺でいいなら、手伝う」
「本当か。江角がいい。頼む」
「分かった。いつやる? あと二週間だからな」
身を乗り出した岸田に頷いて、苦手というのはどの程度なのだろうと考える。以前より会話が増えて、俺のなかでの岸田は顔つきで少々損をしている真面目な人間になっている。
多分、授業もしっかり聞いた上でのわからない、なんだろう。それなら基礎から教えるわけではないからなんとかなる。
話し合って、昼休みと放課後、委員会での仕事が終わってから勉強をするということにした。そのことをメッセージアプリで岩見に言うと放課後は自分の部屋でやらないかと返ってきた。
岸田と岩見は多少だが面識もある。それを伝えれば岸田は迷惑じゃないのならとやはり深刻な表情で応じた。
▽▽▽
「範囲のなかで一番分かんないのは?」
「完了形―?」
昼休み、食事を終えた俺と岸田はさっそく机を寄せてノートや参考書その他を広げていた。疑問符つきで返ってきた答えに頷く。
グラマーとリーディングの二科目ある英語で、どちらかといえば面倒なのはグラマーの方だろう。
「じゃあまず過去形と現在完了の違いから」
ノートに日本語で「父は飲酒をやめた」と「父は飲酒をやめている」の二つの文を上下に並べて書く。岸田はまじまじとそれを見つめ、「字綺麗だな」と言った。ありがとう、だが見てほしいのはそこではない。
「まず、日本語でこの違いわかるか」
「……上のは昔やめた、で、下のは―今もやめてる……?」
ものすごく自信なさげだ。
書いていることをそのまま言っているだけのような気持ちになっているのだろう。眉間のしわがすごい。顔が怖い。
それだけ真剣になってもらえるだけ分かりやすく教えられるかは疑問だったが、出来るだけはしようと思う。
「合ってる。今、岸田が言ったみたいに、過去形は昔やめたっていう過去のことだけで、今もその父親が酒を飲んでいないのかどうかは関係がない」
「……、なるほど」
「今もやめたままだって言うふうに今のことも含めて言いたいときは、過去形じゃ伝わらないから現在完了形にする」
先に書いた二つの文をそれぞれ英語に書き直してみせると、岸田はなんとなくわかったようなわからないような表情になった。そこで理解を助けるために一つ英文を書いてもらうことにする。
英語はまだなんとなく教えられるけれど、国語は無理だったかもしれない。現代文なんかは知識がどうこうというより感覚的なものだと思うし。
誰かが開けた窓から吹き込んだ風が、俺が言った日本語を考え考え英語に変換する岸田の暗い赤の髪をふわりと舞い上がらせた。
いい天気だ。
窓にほど近い位置に植えられた背の高い木々の葉は、綺麗な新緑の色をしている。ようやく最近はブレザーを脱いでカーディガンとシャツだけになっても寒さを感じなくなってきた。
もっとも、俺を除いたクラスメイトはもう白いシャツだけという出で立ちがほとんどだが。こういうときに俺は人よりも寒がりなのだなと実感する。
「江角」
「うん?」
呼び掛けられ、窓から隣に視線を移す。両腕を枕にして机に伏せた状態で、岸田が上目遣いに俺を見ていた。顔を合わせたまま、二度その少し鋭い目が瞬く。なんとなく真剣な雰囲気だ。体勢のわりに。
「得意科目あるか」
体を起こした彼の端的な質問に少し考えてから口を開く。
「国語と英語」
「そうか―思った通りだ」
「どうした」
「俺に英語を教えてほしい」
何か考えるような間を開けるので、こちらの方から聞いてみると、思いもよらないことを言われた。俺がぽかんとしているように見えたのか、岸田は低いトーンのまま事情を話し始めた。
どうやら彼は英語が苦手らしい。利発そうに見えるから、勝手に勉強は得意なのだと思っていた。曰く、風紀は忙しいわりに委員数が少なめなので一人でも抜けると周りに負担がいくのだという。もしも赤点をとって補習なんかになったら、先輩方に迷惑をかける……といつもの不機嫌そうな顔のまま、とてつもなく深刻げに額を押さえる様子に少し笑ってしまいそうになる。
「岸田が俺でいいなら、手伝う」
「本当か。江角がいい。頼む」
「分かった。いつやる? あと二週間だからな」
身を乗り出した岸田に頷いて、苦手というのはどの程度なのだろうと考える。以前より会話が増えて、俺のなかでの岸田は顔つきで少々損をしている真面目な人間になっている。
多分、授業もしっかり聞いた上でのわからない、なんだろう。それなら基礎から教えるわけではないからなんとかなる。
話し合って、昼休みと放課後、委員会での仕事が終わってから勉強をするということにした。そのことをメッセージアプリで岩見に言うと放課後は自分の部屋でやらないかと返ってきた。
岸田と岩見は多少だが面識もある。それを伝えれば岸田は迷惑じゃないのならとやはり深刻な表情で応じた。
▽▽▽
「範囲のなかで一番分かんないのは?」
「完了形―?」
昼休み、食事を終えた俺と岸田はさっそく机を寄せてノートや参考書その他を広げていた。疑問符つきで返ってきた答えに頷く。
グラマーとリーディングの二科目ある英語で、どちらかといえば面倒なのはグラマーの方だろう。
「じゃあまず過去形と現在完了の違いから」
ノートに日本語で「父は飲酒をやめた」と「父は飲酒をやめている」の二つの文を上下に並べて書く。岸田はまじまじとそれを見つめ、「字綺麗だな」と言った。ありがとう、だが見てほしいのはそこではない。
「まず、日本語でこの違いわかるか」
「……上のは昔やめた、で、下のは―今もやめてる……?」
ものすごく自信なさげだ。
書いていることをそのまま言っているだけのような気持ちになっているのだろう。眉間のしわがすごい。顔が怖い。
それだけ真剣になってもらえるだけ分かりやすく教えられるかは疑問だったが、出来るだけはしようと思う。
「合ってる。今、岸田が言ったみたいに、過去形は昔やめたっていう過去のことだけで、今もその父親が酒を飲んでいないのかどうかは関係がない」
「……、なるほど」
「今もやめたままだって言うふうに今のことも含めて言いたいときは、過去形じゃ伝わらないから現在完了形にする」
先に書いた二つの文をそれぞれ英語に書き直してみせると、岸田はなんとなくわかったようなわからないような表情になった。そこで理解を助けるために一つ英文を書いてもらうことにする。
英語はまだなんとなく教えられるけれど、国語は無理だったかもしれない。現代文なんかは知識がどうこうというより感覚的なものだと思うし。
誰かが開けた窓から吹き込んだ風が、俺が言った日本語を考え考え英語に変換する岸田の暗い赤の髪をふわりと舞い上がらせた。
いい天気だ。
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