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three.
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「っふふ、陽慈くんらしいな」
鍋を覗き込んでいた岩見が、吹き出すようにして笑った。俺は頷きながら流水にさらしたキャベツを次々に千切っていく。
帰ってきてからは、岩見の家で食事がてらいろいろ一緒に作って教えてもらっているので、徐々に俺もちょっとした料理ならできるようになってきた。まだ簡単なものしか作れないし、自分の飯を食うくらいなら断然岩見の料理が食べたいと思うけれど。
「いいよ、いいよ。全然。じゃあ水曜日はエスの家行こうか」
「悪いな、ありがとう。後で小遣いでももらっとけよ」
「大学生に小遣いせびったらかわいそうだろ」
陽慈のリクエストを快諾してくれた岩見に、あいつに代わって礼を言っておく。
今日の昼食はサラダうどんだ。俺が食べたかったから。横で作り方を教えてくれる岩見の指示は結構雑。相変わらず大さじ小さじなんてわざわざ計っていないらしく、お前も感覚で覚えてねと言われたが道のりは長そうだ。
完成した料理を前に、三人でいただきますと唱和する。
しばらく食べ進めたところで、何かを思い出したらしい岩見が「ん!」と声を上げて俺を見た。
「そういえばさ、俺、何か短期バイトしようかと思ってたんだけどね。昨日、高柳さんに会ったら、流れでまたあそこ行くことになった」
「へえ、良かったじゃん。短期もOKとか、融通きくな」
「ほんと。有り難いことです」
高柳さんと言うのは、中学の頃に岩見が手伝いに行っていた喫茶店のおっさんだ。昔ながらの喫茶店を一人で経営していて、岩見を孫のように可愛がっている。
うどんをもごもごと咀嚼している高志の大きな目が俺と岩見を交互に見る。口にモノが入っているときは喋らない、という言いつけを守っているのだろう。こくんと飲み込んでからやっと「兄ちゃん、バイトするの?」と尋ねた。
「うん、少しね。高柳さんとこ、タカも分かるっしょ?」
「うん、分かる! 晴貴くんはしないの?」
「あー、そうだな。暇だしそういう手もあるな」
あまり考えていなかったが、確かにバイトをしようと思えば出来る年齢なのだ。
「あのさ、晴貴くんはあれが似合うよ」
「あれって?」
「図書館にいる人。本借りるときにピってしてくれる、司書さん? ってやつ」
なるほど、と頷きながら、確かに図書館で働けるのはいいなと思った。
この地域の図書館は結構大きくて立派だ。そういえば、帰ってきてから一度も出向いていなかった。
「図書館は多分、資格とか持ってる人じゃないと働けないんじゃないかな?」
岩見がゆったりした声で言うと、高志は目をくりくりと動かした。
「そうなの? 残念」
「タカ、俺が本好きなの知ってるんだな」
「うん、知ってるよ! いっぱい読んでるよね、晴貴くん。 ――あ、読書感想文の本読まなきゃいけないの忘れてた」
前半は元気よく、後半は消火でもされたようにしゅんとなった高志の変わりぶりがおかしくて、岩見と揃って笑い声を上げてしまった。笑わないでと文句を言われたけれど。
▽▽▽
水曜日。陽慈が昼には着くというので、岩見は午前の内に家に来てくれて、パンケーキを用意しはじめている。手持ち無沙汰にそれを見学しながら取り留めもない話をしていると玄関のドアが開く音がした。
「あ、帰ってきた?」
「多分」
ダイニングから廊下に出ると、ちょうど靴を脱いだ陽慈がぱっと顔をあげた。そして俺を認めた瞬間、喜色満面になった。
「陽慈、お帰――」
荷物を持ってやろうと近付いたら、あっという間に伸びてきた手に両頬を包まれた。薄い掌は乾いていてひんやりしている。陽慈は俺に顔を近づけてにこにこしながらじっと見つめてくる。
「晴くん、ただいま! 会いたかったよ」
「お帰り」
「ちょっと背伸びた? 可愛さに磨きがかかったね、後で記念に写真撮ってもいい?」
「だめ」
「残念」
気が済んだのかぱっと手が離れる。陽慈は俺の状態をチェックするときいつもこうやって顔を掴んでくるのだ。小さい頃からそうだから、慣れてしまって嫌とも何とも思わずされるがままだ。兄にしては距離が近いのかもしれないが、普通の兄とは違うのでよく分からない。
「岩見、今作ってくれてる」
「あ、やったー。楽しみ」
荷物はやや大きめのバッグ一つだけらしい。代わりに持って、岩見に声をかけにいった陽慈の背中を追いかけた。
「うわー。さすが明志、お店のより美味しい! 天才!」
バニラアイスを乗せたお望み通りのパンケーキを前に、陽慈はへにゃへにゃと目元を弛ませた。綺麗に均一なきつね色になったパンケーキは温かくて甘い匂いを部屋中に漂わせている。
岩見はエプロンを外して俺の隣に腰かけると、嬉しそうにはにかんだ。
「ありがと、陽慈くん。でもお店のよりってのは褒めすぎじゃない?」
「んーん、全然褒めすぎじゃねえよ。ね、晴貴」
「ん」
俺は頷きで応え、小さく切ったふわふわのパンケーキを口に運ぶ。市販のホットケーキミックスを使っていないからか、甘さが少し控えめで美味しい。
陽慈は一口食べる毎に感嘆の声を挙げていて、ちょっと面白かった。
鍋を覗き込んでいた岩見が、吹き出すようにして笑った。俺は頷きながら流水にさらしたキャベツを次々に千切っていく。
帰ってきてからは、岩見の家で食事がてらいろいろ一緒に作って教えてもらっているので、徐々に俺もちょっとした料理ならできるようになってきた。まだ簡単なものしか作れないし、自分の飯を食うくらいなら断然岩見の料理が食べたいと思うけれど。
「いいよ、いいよ。全然。じゃあ水曜日はエスの家行こうか」
「悪いな、ありがとう。後で小遣いでももらっとけよ」
「大学生に小遣いせびったらかわいそうだろ」
陽慈のリクエストを快諾してくれた岩見に、あいつに代わって礼を言っておく。
今日の昼食はサラダうどんだ。俺が食べたかったから。横で作り方を教えてくれる岩見の指示は結構雑。相変わらず大さじ小さじなんてわざわざ計っていないらしく、お前も感覚で覚えてねと言われたが道のりは長そうだ。
完成した料理を前に、三人でいただきますと唱和する。
しばらく食べ進めたところで、何かを思い出したらしい岩見が「ん!」と声を上げて俺を見た。
「そういえばさ、俺、何か短期バイトしようかと思ってたんだけどね。昨日、高柳さんに会ったら、流れでまたあそこ行くことになった」
「へえ、良かったじゃん。短期もOKとか、融通きくな」
「ほんと。有り難いことです」
高柳さんと言うのは、中学の頃に岩見が手伝いに行っていた喫茶店のおっさんだ。昔ながらの喫茶店を一人で経営していて、岩見を孫のように可愛がっている。
うどんをもごもごと咀嚼している高志の大きな目が俺と岩見を交互に見る。口にモノが入っているときは喋らない、という言いつけを守っているのだろう。こくんと飲み込んでからやっと「兄ちゃん、バイトするの?」と尋ねた。
「うん、少しね。高柳さんとこ、タカも分かるっしょ?」
「うん、分かる! 晴貴くんはしないの?」
「あー、そうだな。暇だしそういう手もあるな」
あまり考えていなかったが、確かにバイトをしようと思えば出来る年齢なのだ。
「あのさ、晴貴くんはあれが似合うよ」
「あれって?」
「図書館にいる人。本借りるときにピってしてくれる、司書さん? ってやつ」
なるほど、と頷きながら、確かに図書館で働けるのはいいなと思った。
この地域の図書館は結構大きくて立派だ。そういえば、帰ってきてから一度も出向いていなかった。
「図書館は多分、資格とか持ってる人じゃないと働けないんじゃないかな?」
岩見がゆったりした声で言うと、高志は目をくりくりと動かした。
「そうなの? 残念」
「タカ、俺が本好きなの知ってるんだな」
「うん、知ってるよ! いっぱい読んでるよね、晴貴くん。 ――あ、読書感想文の本読まなきゃいけないの忘れてた」
前半は元気よく、後半は消火でもされたようにしゅんとなった高志の変わりぶりがおかしくて、岩見と揃って笑い声を上げてしまった。笑わないでと文句を言われたけれど。
▽▽▽
水曜日。陽慈が昼には着くというので、岩見は午前の内に家に来てくれて、パンケーキを用意しはじめている。手持ち無沙汰にそれを見学しながら取り留めもない話をしていると玄関のドアが開く音がした。
「あ、帰ってきた?」
「多分」
ダイニングから廊下に出ると、ちょうど靴を脱いだ陽慈がぱっと顔をあげた。そして俺を認めた瞬間、喜色満面になった。
「陽慈、お帰――」
荷物を持ってやろうと近付いたら、あっという間に伸びてきた手に両頬を包まれた。薄い掌は乾いていてひんやりしている。陽慈は俺に顔を近づけてにこにこしながらじっと見つめてくる。
「晴くん、ただいま! 会いたかったよ」
「お帰り」
「ちょっと背伸びた? 可愛さに磨きがかかったね、後で記念に写真撮ってもいい?」
「だめ」
「残念」
気が済んだのかぱっと手が離れる。陽慈は俺の状態をチェックするときいつもこうやって顔を掴んでくるのだ。小さい頃からそうだから、慣れてしまって嫌とも何とも思わずされるがままだ。兄にしては距離が近いのかもしれないが、普通の兄とは違うのでよく分からない。
「岩見、今作ってくれてる」
「あ、やったー。楽しみ」
荷物はやや大きめのバッグ一つだけらしい。代わりに持って、岩見に声をかけにいった陽慈の背中を追いかけた。
「うわー。さすが明志、お店のより美味しい! 天才!」
バニラアイスを乗せたお望み通りのパンケーキを前に、陽慈はへにゃへにゃと目元を弛ませた。綺麗に均一なきつね色になったパンケーキは温かくて甘い匂いを部屋中に漂わせている。
岩見はエプロンを外して俺の隣に腰かけると、嬉しそうにはにかんだ。
「ありがと、陽慈くん。でもお店のよりってのは褒めすぎじゃない?」
「んーん、全然褒めすぎじゃねえよ。ね、晴貴」
「ん」
俺は頷きで応え、小さく切ったふわふわのパンケーキを口に運ぶ。市販のホットケーキミックスを使っていないからか、甘さが少し控えめで美味しい。
陽慈は一口食べる毎に感嘆の声を挙げていて、ちょっと面白かった。
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