My heart in your hand.

津秋

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three.

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ぐっと背筋を伸ばす。しばらく前屈みの姿勢を続けていたせいか、流石に腰が怠い。細く息を吐き出して全体を見渡した。
露天風呂の清掃を終えたところだ。時刻は午前一時近く。入浴可能時間を過ぎてからの清掃なので、必然、夜遅くなる。

指示された通りにやったがなかなかの体力仕事だし、洗う場所が多くて浴場だけでも大変だった。これは人手不足が響くのも納得だ。俺でも少しは役に立てるだろうということには安堵する。

「ハル、終わった?」
「はい、ちょうど今」
「ありがとう。来たばっかなのにごめんな」
内風呂と繋がる戸を潜って姿を見せた先輩を振り返る。オレンジの照明が彼の髪に濃淡を作っていた。
「全然。体力だけはあるんで。それに結構楽しいです」
「本当? 良かった」

二人で脱衣場に戻って、濡れた手足を拭く。先輩は、小さい頃掃除の手伝いをしているときに滑って頭を打ったのをよく覚えていると、今で痛むみたいな表情で後頭部を撫でた。
「あ、笑ってる。まじで痛かったんだぞ、大泣きしたからな」
「っふふ、すみません、想像すると、可愛くて。笑い事じゃないのは分かってるんですけど。脳震盪とか大丈夫だったんですか?」
「それが、コブすら出来てなかったらしい。大泣きしたあとはケロッとしてたってさ。転んだこと以外は、あんま覚えてないんだけど」

先輩にもそういうときがあったのだな、と思った。当たり前のことだが、どうしても年上の幼い頃は想像しにくいのだ。
可愛いなと考えながら片付けをする。

「―あ、そうだ。どうする? 眠くないんだったら、遅い時間だけど入るか?」
鏡の前で台を拭いて仕上げていたキヨ先輩が、ぱっと思いついたように言った。振り返って首を傾げる。
「え、でも、いいんですか?」
「うん、いいよ。お客様はこの時間は入れないようになってるから、気にしないで」
「じゃあ、入りたいです」

清掃したばかりの風呂だ。わくわくしているのを隠し切れずに返すと満足げに「よし」と頷かれた。


今日は、庭を見せてもらったり旅館内を案内してもらっているうちにすっかり日が暮れて、夕食は先輩と二人で食べた。彩りもよくとても美味しかった。おっとりしたキヨ先輩のお母さんと学校のことを話したり、やや寡黙らしいお父さんがさほど忙しくないからと料理の様子を見せてくれたりして、そんな一日の最後に温泉に入れるというのは、とても充実した幸せだと思う。
一旦部屋に戻ろうというキヨ先輩の言葉に従って廊下を歩く。横目にこちらを見た先輩が少し不思議そうにした。

「なんか、機嫌いいな? ハル」
「はい。今日はいい日なので」
「そう言ってもらえると、嬉しいな」
「ここはすごく綺麗ですし、それに、先輩のご家族に会えたのも嬉しいです。キヨ先輩のことを知れると、嬉しい」
キヨ先輩を形作ってきた環境と人々。それに触れられたことが嬉しいと思う。
先輩といると自然に笑うことが多くなる。俺はあまり笑わないと思われているらしいけれど、彼と並んでいる俺を見たら誰もそんなことは思わないのではないだろうか。今も、顔は自然に綻んでいた。

キヨ先輩は、ぱちりと音がしそうなほど大きく目を瞬いてから、視線を宙に向け何処と無く気恥ずかしそうな顔で「そっか」と呟いた。それは噛みしめるような声だった。
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