My heart in your hand.

津秋

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「ええと、喋ったことないんだよね、あの人と」
「さっき話した通りだって」
「だよねぇ」
手を合わせて食事を始めると、岩見はカツを咀嚼し、美味そうに顔を緩ませた一瞬後でまた難しい表情になった。
先程の湧井さんの様子は、明らかにおかしかった。すぐに取り繕われたようだが、見間違いではない。

スプーンに掬ったグラタンの熱さを確認しながら慎重に口に入れたところでふとあることを思い出した。呑み込んでから、岩見に話しかける。
「―あのさ」
「なあに」
「俺ら、前にあの人に会ったこととか、ないよな? 会ったらさっきみたいに覚えてるよな」

見た目の印象が強い人だ。前回顔を合わせたのが初対面だと思うし、岩見だって俺より人の顔を覚えるのは得意だから会ったことがあるのに俺たちが忘れているというわけではないはずだ。そう考えて確認すれば、予想通り岩見は一も二もなく頷いた。
「うん。それに今の生徒会は全員内部生だって聞いたことあるから中学の時に会ってるってこともないんじゃないかな」
なんで? と問われ、湧井さんの顔を思い浮かべる。

以前に廊下で顔を合わせたあのとき、立ち去る間際、一瞬だけあの人は俺と目を合わせた。あの後それを思い返したときあれは敵意か反撥の類だったような気がしていたが、彼は特に何を言うでもなく去っていったし、心当たりは一つもなかったのでまあいいかと片付けていたのだ。そのことを急に思い出したのだった。

「ふーん……」
「さっきの感じからして、前回のが気のせいだったってことはないと思うし、なら中学の時にでも会ったことあったのかと思ったんだけど」
それくらいしか思い浮かぶことがなかったが、ほとんど俺と行動を共にしている岩見がないというなら確かだ。そも、直接的に言葉を交わしてもいないのに俺に対して何を感じたというのだろう。彼の感情の動きが全く分からなかった。

とにかく俺に何か思うところがあるのは確かで、前回と同じような反応なら単に嫌われているのだろうと判じられたが先程の様子を見るにそういうわけでもないように思う。睨まれたというわけではなかった。むしろ動揺して避けられたように見えたのだ。思い違いかもしれないが、少なくとも俺はそう思った。

「―わっかんねぇ……」
眉を寄せて考え込む俺を、岩見がじっと見ている。
どうにもすっきりしなかった。


▽▽▽

[湧井、ちょっと調子悪くなっただけだって言ってた]
[気にしてると思ったから、伝えておく]

吹き出し型の中のメッセージを、自室のベッドに寝転びながらじっと見つめる。
嘘だろうな、と思った。調子が悪くなったというのは、恐らく取り繕うための言葉だ。キヨ先輩がそれを信じているのかそうでないのかは文字列の中からは読み取れなかった。
―だが、真実はどうであるにしても本人がそう言ったのならばそれが事実ということでいいのかもしれない。気にはなるが、他人のことをそこまで掘り下げようとは思わない。

よく知らない人間が何を感じて本当はどう思ったかなど、分かるわけがない。相変わらずすっきりはしていないけれど、考える必要性も今のところないだろう。俺が感じた諸々が気のせいじゃなかったとしても、それは相手が何か言ってくることがなければ問題にしなくてもいいはずだ。
結論付けてから、寝返りを打ちうつ伏せで肘を突いて返事を打ち始めた。

[確かに気になってました。なんで分かったんですか?]
[だって湧井のこと凝視してたから]
メッセージの後、すぐにぷいっと顔を背けたクマのスタンプが続いた。画面を見ながら首を捻る。このスタンプにはどういう意図があるのだろう。

[次はキヨ先輩を凝視します]
少し考えてそう返してから、ちょっと意味が分からない返事をしてしまったなと思ったが、今度は万歳をしているスタンプが届いたので笑ってしまった。
凝視されたいのか?

[喜ぶところではないのでは]
[そんなこともない]
[変なの]

互いに似たようなゆっくりしたテンポでやり取りが続く。そのうちに真ん中に陣取っていたもやもやが隅に追いやられていくのを感じる。
お陰でよく眠れそうだった。
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