My heart in your hand.

津秋

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ぱらぱらとめくっていた本から顔を上げる。キヨ先輩はとても優しい表情をしていた。
ああこの人、俺のことが好きなんだよなとふと思う。言われた時は混乱の方が強かったけれど、今思えば彼に好きだと言われるなんてすごいことだ。自分の気持ちを考えることにばかり目がいっていて、あまりその事実の特異性について意識していなかった。
なんで、こんな人が俺を好きだなんて言うのだろう。

俺はキヨ先輩が好きで、尊敬もしているし大切だ。だからそういう気持ちを持って接しているけれど、万人に対してキヨ先輩に対するのと同じ接し方をしているわけではない。明らかに差をつけていて、優しくしようとも思わない。可愛げなどというものは備わっていないし、どちらかというと冷たいという自覚もある。
それでいいと自分で思っているからこそだが、逆にそんな人間を好きになるかと言われたらなるわけないだろとも思う。いや、本当にキヨ先輩は俺の何がいいのだろう。大丈夫だろうか。

「……キヨ先輩」
「ん?」
「疑問があるんですけど」
低く切り出した俺に、彼はぱちりと密な茶色い睫毛を上下させてなに? と応じた。
「俺は優しくないし公平でもない。キヨ先輩に、好きになってもらえる要素が思い浮かばないんです」
いっそ案じるような気持ちになる。彼が俺をいいふうに誤解しているのではないかと。理解されていると感じていながらそう思うのがおかしいのは分かっているが、それならそれで不可解なのだ。俺を知っているのにどうして好きになる?

口にしたのは、俺のどこが好きですかと尋ねたのと変わらない台詞だった。かなり気持ち悪いけれど、自分では絶対に答えが見つからないし聞かずにいられないから、もうそれでもよかった。

キヨ先輩はすっと表情を消し、俺を凝視した。そして数拍の間を開けて「どうしようか」とだけ言った。
「え?」
「気持ちを簡潔に伝えられる言葉がない」
透明な色合いの瞳が宙を向いた。やや薄い唇の端を曲げて、ほんの少し眉を寄せる。そうやってしばらく考えたあと、彼はこちらを見て、なお言葉を探している様子でゆっくりと口を開いた。

「ハルの価値観を、好きだって思う。ハルは優しくないって言うけれど、目の前で困っている人がいたら普通に助けるだろ」
「それは、」
「分かってる。そうすべきだって思ってるからだよな? 助けないことが、お前の倫理に反してるから」
否定しようとしたのを遮って言われたことは、おおよそ、その通りだった。だから俺がもし他人のために何かをしたって、それは本当のところその人のためではなくて単なる俺の自己満足なのだ。

「でも当然のこととしてそれができるのは、優しくしようとしてそうするよりずっと優しいと、俺は思ってる」
先輩が真っ直ぐに俺を見ているので、俺も俯くこともできずに見返す。
「律儀で、自分に厳しいところが好きだし―」
ああ、そうだ。前に律儀だと言ってくれたことがあった。それは俺には嬉しくて大切なものだったけれど、好きな要素としてまで挙げてくれるのだな、と思う。

「ハルのことを人として尊敬してる」
は、と声にならない声がこぼれた。……尊敬? 今、尊敬って言ったか? キヨ先輩が俺を。
咄嗟には言葉が出てこなかった。いや、今の言葉に対しての返事なんて、きっとよく考えたって出てこない。

「好きなところを上げ連ねて全部言いたいけど、そうしたら安っぽく聞こえるかハルに引かれるか、どっちかな気がするし、伝わり切るって自信も言葉を上手く選べる自信もないから、言わない」
真剣な表情を崩し、目を細めて冗談めかしたふうに笑ってから、キヨ先輩は身を乗り出して机の上に置いていた俺の手にそっと触れた。相変わらず、こういうときの彼は驚くほど丁寧な触り方をする。

「強いて言うなら、江角晴貴っていう人間の考え方と行動が好き。――って、これもなかなか重くて引く?」
悪戯っぽい顔をしたキヨ先輩に返せる言葉はやはり見つからなくて、それでも引いたりなんかしないということだけは伝えたくて首を横に振る。

これほどのことを言われて受け止める心構えなんかしていなかった。多分、どんな答えが返ってくるかすら考えていなかった、軽率な質問だったのだ。もらった言葉の数々の価値が高すぎて、今何を言ってもそれに見合うとは思えなかった。心臓が苦しい。

自分から尋ねておいてそうやって黙り込んだままの俺に文句を言うこともなく、先輩は「だから好きになる要素がないなんて言わないでね」とまた普段とは少し違うおどけたようなあくまで軽い口調で付け加えた。
ちょっと照れくさそうにしつつも、目がとても真摯で真剣で、俺はただ重ねられた手の温度を強烈に意識していた。
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