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第5章 人々の裏表
ターニャが身を置く環境
しおりを挟む「私、ずっとあなたに謝りたかったんです。」
きゅっと。
掴まれた腕に込められる、ささやかな力。
「へっ!?」
とんでもない展開に、キリハは何度も目をしばたたかせた。
「きゅ、急にどうしたの? 謝りたかったって……ターニャ、俺に何かしたっけ?」
もし何かターニャにそう思わせることがあったなら、絶対に何か誤解がある。
謝るべきは自分の方かもしれない。
キリハは椅子に座るターニャの前に片膝をつき、自分の腕を掴むターニャの手をもう片方の手で包んだ。
「ターニャ?」
できるだけ優しく、刺激しないように訊ねる。
「………アが……」
大きく歪むターニャの表情。
涙は零さなかったものの、今にも泣き出してしまいそうな、そんな彼女の顔を見るのは初めてだった。
「ディアがあそこまでひどい立場に立たされているのは、私のせいなんです。」
必死に嗚咽をこらえるような声で言われたのは、そんなことだった。
唐突な告白に、キリハは大きく目を見開く。
「……へ?」
「ディアは、私が自分を救ってくれたなんて言いましたけど、本当は違うんです。彼をあそこまで追い込んだのは、私のわがままなんです。」
「ちょっと……」
「ディアのためにも、私のためにも、こうするしかなかった…。でもきっと、そもそも私とさえ出会わなければ、ディアは今頃ちゃんと―――」
「落ち着いて!!」
どうしようかと対処に迷ったが、キリハはターニャの肩を掴んで大きく揺さぶった。
「ディア兄ちゃんもみんなも、ターニャのせいだなんて一言も言ってなかったじゃん。悪いのは、国防軍の奴らでしょ?」
「……では、どうして総督部の人々がディアを排除したがっているのか、あなたは知っていますか?」
「そ、それは……」
キリハは返答に窮してしまった。
「ディアは、影響力がとても強い人です。」
ターニャは訥々と語る。
「そんな人が私の味方についていることが、総督部の人々は気に食わないのですよ。」
悲痛さを帯びていくターニャの声。
「私は……役目を終えれば捨てられる、ただのお人形ですから。」
「ターニャ!!」
キリハはもう一度ターニャの肩を揺らした。
「本当にどうしちゃったの? なんか、嫌なことでもあった?」
真正面から目を合わせて、穏やかな口調を意識して訊ねる。
いつものターニャらしくない。
もしかしたら口に出していないだけで、ターニャも総督部の奴らから、何かしらの脅しでも受けているのかもしれない。
「すみません…。困らせていますよね。でも、事実なんですよ。」
「事実って……」
「あなたは、疑問に思ったことはありませんか? 竜使いを疎んでいるこの国で、どうして竜使いである私が、神官という立場にいられるのか。」
ターニャの問いに、キリハはなんともいえない顔で固まった。
「その様子だと、ないのですね。」
「えっと……その……」
狼狽えるしかないキリハ。
言われてみれば確かに妙な気もするのだが、ターニャがあまりにも神官として立派に振る舞っていたので、これまで全く違和感を抱いたことがなかったのである。
「答えは、責任を取らせるためですよ。」
ターニャは寂しげに口の端を上げる。
「セレニアの各地にドラゴンが眠っているという話を、人々はただの伝承だと言いながらも、心のどこかで恐れていたのです。この国を治めるということは、いずれドラゴンという脅威と向き合わねばならないということ。だから、私たちユアンの直系が選ばれたのです。もし伝承が本当で、いつかドラゴンが目覚めるなら、その責任は私たちが取るべきだと。」
「そんなのって……」
言葉が続かなかった。
そんなの、ただの押しつけだ。
だってユアンがリュドルフリアと血を交わしたのは、ドラゴン大戦よりもずっと前ではないか。
ドラゴンと戦争を起こすことになったから、ドラゴンと共に生きようとしたこと自体が間違っていただなんて。
そんな考え方、あまりにも乱暴すぎる。
「言ったでしょう。私たちは、都合のいいお人形として神官に祀り上げられているだけなんです。最初こそドラゴンに関する責任を取らせるための存在だったものが、今は都合の悪いことを押しつけるための存在になっています。」
彼女がそう言った根拠は、すぐに明らかにされる。
「私の父は病気で他界しましたが、祖父は濡れ衣を着せられて任を追われました。もし私に跡継ぎになる子供でもいたなら、私もとっくに宮殿を追い出されていたかもしれません。ディアほどの人を味方につけて、総督部としては私のことが煙たいでしょうから。」
ターニャは眉を下げて微笑む。
「総督部と神官は、決して相容れない関係です。そしてディアは、たまたま出会った私に手を差し伸べてくれたことで、総督部に目をつけられました。国を追われかけたディアを救うためには、特例を適用してでも、私直轄のこの部隊に巻き込むしかなかった。でも……」
とうとう、ターニャは顔を両手で覆ってしまった。
「ドラゴン殲滅部隊はいわゆる特攻部隊…。彼を助けたかったのに……戦地の最前線に送ることしかできなかった。彼の夢を……潰すことしかできなかったのです。」
悲痛な心の叫び。
それに、何を言うこともできなかった。
キリハが返答に窮している間にも、ターニャの独白は続く。
「私は他人を、ひどい戦いの中に放り込むことしかできないのです。あなた方竜騎士だって、本当はもっと穏やかな生活があったはずなのに、私が《焔乱舞》に選ばれなかったから、こうして巻き込まれることになって……」
「それは……」
「私は皆さんに、無茶ばかりさせています。ディアは私が自分を救ったんだと言ってくれますし、他の皆さんも私のせいだとは言いません。でも、キリハ……あなたにだけは、もう嘘をついていられない…。ディアが愛しているあなたには、これ以上…っ」
「………」
とっさに何か言ってあげようと思ったけど、やはり彼女にかける言葉を見つけられない。
知らなかった。
いつも誰よりも凛としているターニャが、こんなに思い詰めていたなんて。
これは宮殿の闇なのだと、過去にターニャは語っていた。
今自分の前に広がっているのはその闇のほんの一部だけど、その闇の限りなく根幹に近い部分。
そしてその闇は、涙も流さずに小さく震えるだけのターニャの肩に、こんなにも重たくのしかかっているのだ。
自分の味方についてくれた人が、ひどい仕打ちを受けてしまう。
彼女が抱く恐怖と絶望は、その立場を経験していない自分には想像し尽くせない。
こうして自分のことを責めてしまうターニャのことを、誰が〝それは違う〟と諭せるだろうか。
自分を責める必要はないのだ、と。
そう口にするのは簡単だ。
しかし、ちょっとでも彼女の立場を思い描けるのなら、 とてもそんな言葉は言えない。
自分なら、そんな風に励まされたり慰められたりするほど、余計に自分のことを責めてしまうと思うから。
「……ターニャ。」
長い沈黙の末、キリハは意を決して口を開いた。
「ごめん。俺には、なんて言っていいのかよく分かんないんだけど。でも……」
きっと、今のターニャには取り繕った言葉など響かないだろう。
それに、彼女がどんな言葉を求めているのかも分からない。
だから。
「ターニャって、神官を続けていることを後悔はしてないよね?」
キリハは率直に、感じたままのことをターニャに告げた。
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