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第13歩目 こじれた絆
夫婦の事情
しおりを挟む「つ、疲れた……」
シュルクはげっそりと息をつく。
ベッドの上では、すやすやと穏やかな寝息を立てるミシェリアが。
話したいことを好きなだけ話して満足したのか、ようやく睡魔に負けて眠ってくれたのだ。
やることはやりきった。
肉体も精神も疲労困憊である。
本音を言うなら、もう一ミリも動きたくない。
しかし、ここで眠ろうものなら、外でニコラを待たせた意味がない。
泥のように重たい体を引きずり、シュルクはよろよろとドアへと向かった。
「シュルクさん、大丈夫ですか!?」
ようやく寝室からの脱出に成功すると、慌てた様子で駆け寄ってきたニコラが気遣わしげな仕草で肩に手を置いてきた。
「なんとか…。ミシェリアさんも、色んな意味で無事ですよ。」
とにかく、身の安全が確保できる場所で休みたい。
シュルクはニコラの体をやんわりと押し退け、目についた椅子に座って、テーブルに突っ伏した。
「シュルク、大丈夫?」
次に聞こえてくるのは、軽やかな鈴のような声。
「お前、なんでここにいるんだよ。」
見上げた先では、フィオリアが心配そうな視線をこちらに向けていた。
「シュルクが帰ってくるのを待ってたの。本当は部屋の外で待ってるつもりだったんだけど、なんかすごく大変そうな声が聞こえてきたから……その……心配で、ニコラさんに入れてもらっちゃった。」
文句でも言われると思っているのか、フィオリアは眉を下げて、叱られる姿勢になってしまっている。
(なんだかなぁ……)
シュルクはぼんやりと、フィオリアを見つめた。
つい一月くらい前までは、イラついて仕方がなかったはずのこの表情。
今はさほど気にならないのは、こんなに気弱に見える彼女にも、強い信念があると知ったからだろうか。
それとも、自分が彼女のことを好きだと認めたからだろうか。
(もしそうなら、誰かを好きになるってのは、ある意味病気かもな……)
そんなことを考えながら、シュルクはゆっくりとフィオリアに手を伸ばした。
「ありがとな。」
ぽんとフィオリアの頭に手を置き、白銀色の川を下るように髪を梳いて手を下ろす。
「………」
あまりにも驚いたのか、フィオリアはなでられた場所に手をやったまま、石のように固まってしまった。
シュルクの手が辿った軌跡を追いかけるように、自分の手を髪に滑らせて……
ふわり、と。
フィオリアは、嬉しそうにはにかんだ。
そんな彼女の様子を見ていると、自分が窮地を脱したことが今さらながらに身に沁みてきて―――
「なんか、お前の顔を見たらほっとしたわ。」
その言葉は、自然にするりと出てきたものだった。
「えっ……それって―――」
「ニコラさーん。さすがに休みたいんですけど、部屋ってどこですか?」
いつまで経っても寝室から出てこないニコラに声をかける。
それと同時にフィオリアが何かを言ったような気がして目だけで問いかけてみたが、彼女はふるふると首を横に振って何も言わなかった。
「いやはや、申し訳ございません。」
フィオリアの態度にシュルクが不思議そうに頭を傾けたところで、ニコラがようやく寝室から出てくる。
「穏やかに眠っておられました。あんな風に眠る奥方様を見るのは、久方ぶりかもしれません。」
「まあ、あんだけストレス溜め込んでたなら、無理もないですね。」
素直な感想を一言。
すると、ニコラは瞬く間に表情を曇らせてしまった。
「そうですね。あのお二人がご結婚されてから、もう五年。お二人の関係は、こじれるばかりでしたから……」
五年以上もこんな感じなのか。
ずんと、頭が重くなるような気分になった。
「あの……部外者の俺が言うのもあれですけど、どうにかならないんですか?」
今回はどうにか問題を起こさずに済んだものの、今後のことまではさすがに分からない。
ミシェリアはヒンスが好きなようだから、ヒンスさえどうにかすればいい話だろう。
だがまあ、簡単に改善できるなら、五年なんて時間は流れないわけで……
予想どおり、ニコラは切なそうな様子で胸に手を当て、静かに首を振った。
「旦那様の命で、お二人のことには口を出せないのです。私どもとしても、奥方様がお可哀想だとは思いますが。それに……」
ニコラは寝室の方を振り返る。
「奥方様が、ご自身の生まれを気になさっておられるのは分かっております。でも、奥方様は決して私どもに弱音を吐きません。……吐けないのでしょうね。下働きとはいえ、私どもも一定の身分と教養があります。そんな私どもに、奴隷だった自分の味方についてくれだなんて。」
ニコラも、思うところは自分と同じらしい。
「この家の人はみんな、ミシェリアさんのことをどう思ってるんですか?」
「正直に申し上げますと、旦那様にはもったいないくらい素敵な方だと思ってますよ。」
頬を緩めて即答したニコラは、次にふと目を伏せる。
「ただ、奥方様がいらっしゃった当初は少なからず、奥方様のことを軽んじる者もおりました。家の中はともかく、外ともなると旦那様に対して、運命のお相手が奴隷だなんてお可哀想にと、憐れんだり皮肉ったりする方が多いのも事実です。家の中でそんなことを言う者たちは旦那様が遠ざけましたが、家の外までは旦那様も完璧には手を回せません。だからこそ旦那様は、奥方様を傷つけないためには、奥方様を屋敷の中に閉じ込めるしかないとお思いなのでしょう。」
頭が痛いのはここからだ。
眉間に深くしわを寄せたニコラの表情が、そう語る。
「ですが、旦那様が言葉足らずのせいで、奥方様にはその配慮が伝わっていないようです。旦那様はあのような方ですので、誤解されても仕方ないことではありますが……」
まあ、そんなもんだろうな。
それが素直な感想だ。
皆が皆そうというわけではないが、貴族の中には、庶民のことすら平然と見下す輩もいる。
庶民に寛容的な貴族も、奴隷となれば見る目も変わってこよう。
ミシェリアに対しては、庶民の自分には奴隷を軽蔑する理由が分からないなんて、そんな綺麗事を言った。
しかし実際のところ、庶民の全員が奴隷を軽蔑しないかといえば、それはまた違うと思う。
奴隷になったのが自分の意志じゃないとしても、それは変えられない世界の一面だ。
ミシェリアには申し訳ないが、正直な気持ちを言うならば、そこに関しては彼女に同情していない。
不特定多数の悪意をどう認識するかは、結局のところ彼女の心の強さに左右されるからだ。
そして、彼女の強さをどこまで高められるかは、ヒンスの態度次第だろう。
(早いとこ用事を済ませて、出ていった方が無難だろうな。)
そんなことを思いながら、いい加減眠気に負けそうになって目をこするシュルクだった。
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