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第16歩目 迷夢へ
彼女を迎えに行くのは―――
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部屋に一歩足を踏み入れたヒンスは、そこに満ちる空気の異様さに足をすくませてしまった。
この重苦しさはなんだろう。
恐怖やおぞましさという類いではない。
そんな穢らわしいものではなく、もっと清浄で厳かな。
この部屋は、そんな圧倒的な何かに満たされていた。
「さて。お前に話がある。」
シュルクは椅子から立ち上がり、ヒンスと真正面から対峙した。
「色々と調べてみた結果、分かったことがある。俺だけじゃ、ミシェリアさんを連れ戻すのは無理だ。」
そう断言すると、物陰から話を聞いていた人々が小さく悲鳴をあげるのが聞こえた。
だが、ヒンスは一片も表情を変えない。
「―――だけじゃ。つまり、何か他に必要なものがあるんだな。」
「そういうこと。話が早くて助かる。じゃあ本題の前に、俺がこれから何をするのか言っておく。」
シュルクは手近にあった本を取り、それをヒンスに向かって投げた。
「ドリオンを大人しくさせるには、その上位である第九霊神のサフィロスが必要なわけだが、サフィロスはあくまでも、ドリオンにのみ効果を発揮する霊神だ。俺らに……ましてや、迷夢に引き込まれた奴に使っても意味がない。一度迷夢に引き込まれた奴をどうにかしたいなら、必要になるのはサフィロスよりも上位の霊神。俺が召喚しなきゃいけないのは、第十霊神のブリッグレーだ。この時点で、本来ならミシェリアさんを連れ戻すことが、限りなく不可能に近いってことは認識しとけ。」
渡した本の印がつけられた部分に目を通しながら解説を聞くヒンスに、シュルクは真っ先にその現実を明示しておいた。
その現実をしっかり認識してもらわないと、この後の話なんてできないからだ。
「ただ、このブリッグレーも全能ってわけじゃない。この霊神の二つ名が現夢の架け橋というように、こいつは現実と迷夢を繋ぐことしかできないんだ。で、俺は二つの世界を繋ぎ続けるために、橋の中から動けない。」
そこで、ヒンスの表情に変化が訪れた。
おそらく、こちらが言いたいことに気付いたのだろう。
周りの人々にも、大きなどよめきが広がっていく。
「―――そう。ミシェリアさんを連れ戻しに行くのは、お前の仕事だ。」
手遅れになった人を助けるには、それ相応の危険と対価を伴う。
そういうことなのだろう。
シュルクは続ける。
「迷夢の中がどうなってるのかは、俺にも分からない。お前以外の奴を一緒に連れていくこともできない。それでもお前は、ミシェリアさんを連れ戻したいと思うか?」
目の前に広がっているのは、奈落のような暗闇だ。
一度そこに飛び込んだら、誰も彼を助けることはできない。
こちらが投げかけた質問の重さを理解しているのか、ヒンスはすぐに軽はずみに返事をすることはしなかった。
目を伏せ、じっくりと言われたことの意味を噛み締めるように黙り込む。
一瞬にも、永遠にも思える無の時間。
「―――分かった。私が行く。」
彼が告げたのは、イエスという答え。
「なら、約束してくれ。」
ヒンスの答えを聞き、シュルクは次の言葉を述べる。
「迷夢に入ったら、絶対にミシェリアさんを連れて帰ってこい。間違っても、ミシェリアさんと一緒になって迷夢に残ろうなんて思うな。この霊神の怖いところは、そこなんだ。」
きつく目を閉じるシュルク。
無意識に動いた手が、机の上に置いてある手記を握った。
〈ジルは行ってしまった。悲しげに笑って、もういないはずのルルーシェと生きるんだと……そう言って、橋の向こうへと行ってしまった。私には、彼を止められなかった。〉
ブリッグレーを創ったことで、確かにたくさんの人々が救われた。
しかしその分、消えなくてよかったたくさんの人々が、甘い夢の中へと消えていってしまった。
〈今思えば、私はジルに無茶をさせすぎた。彼は何度も迷夢へと潜り、何人もの人々を取り戻してくれた。その中で、迎えに行っても帰ることを拒絶した人もいたと言う。きっとジルは、そんな人々に触れ続けるうちに、引き込まれてしまっていたのだ。迷夢という、甘くて儚い、出口のない世界に。〉
同胞を救いたい一心で身を砕いて、大切な友を失ってしまった。
ここには、そんな彼の悔恨が込められている。
彼が心を抉りながらもこれを未来に残したのは、未来でブリッグレーを召喚する人に、自分と同じ過ちを繰り返してほしくないと願ったからだと思う。
この手記を読んだ以上、自分はこれを書いた彼の願いを無駄にできない。
ミシェリアを救いたくて、ヒンスまで失ってしまう。
そんな最悪の結末にはしたくない。
そんな悲しい思いを、この屋敷の人たちにさせるわけにはいかないのだ。
「……これは、君だけに約束することじゃないな。約束しよう。ここにいる皆に。」
ヒンスは周囲をぐるりと見回し、最後にシュルクに向けて深く頷いてみせた。
正直、ヒンスのことは好きじゃないし、彼のことを信用しているかと言えば違うけれども。
そこは、ニコラたちが彼に向けている目に込められた信頼感に賭けるとしよう。
シュルクはヒンスに応えるように頷き返し、再度覚悟を決めることにした。
この重苦しさはなんだろう。
恐怖やおぞましさという類いではない。
そんな穢らわしいものではなく、もっと清浄で厳かな。
この部屋は、そんな圧倒的な何かに満たされていた。
「さて。お前に話がある。」
シュルクは椅子から立ち上がり、ヒンスと真正面から対峙した。
「色々と調べてみた結果、分かったことがある。俺だけじゃ、ミシェリアさんを連れ戻すのは無理だ。」
そう断言すると、物陰から話を聞いていた人々が小さく悲鳴をあげるのが聞こえた。
だが、ヒンスは一片も表情を変えない。
「―――だけじゃ。つまり、何か他に必要なものがあるんだな。」
「そういうこと。話が早くて助かる。じゃあ本題の前に、俺がこれから何をするのか言っておく。」
シュルクは手近にあった本を取り、それをヒンスに向かって投げた。
「ドリオンを大人しくさせるには、その上位である第九霊神のサフィロスが必要なわけだが、サフィロスはあくまでも、ドリオンにのみ効果を発揮する霊神だ。俺らに……ましてや、迷夢に引き込まれた奴に使っても意味がない。一度迷夢に引き込まれた奴をどうにかしたいなら、必要になるのはサフィロスよりも上位の霊神。俺が召喚しなきゃいけないのは、第十霊神のブリッグレーだ。この時点で、本来ならミシェリアさんを連れ戻すことが、限りなく不可能に近いってことは認識しとけ。」
渡した本の印がつけられた部分に目を通しながら解説を聞くヒンスに、シュルクは真っ先にその現実を明示しておいた。
その現実をしっかり認識してもらわないと、この後の話なんてできないからだ。
「ただ、このブリッグレーも全能ってわけじゃない。この霊神の二つ名が現夢の架け橋というように、こいつは現実と迷夢を繋ぐことしかできないんだ。で、俺は二つの世界を繋ぎ続けるために、橋の中から動けない。」
そこで、ヒンスの表情に変化が訪れた。
おそらく、こちらが言いたいことに気付いたのだろう。
周りの人々にも、大きなどよめきが広がっていく。
「―――そう。ミシェリアさんを連れ戻しに行くのは、お前の仕事だ。」
手遅れになった人を助けるには、それ相応の危険と対価を伴う。
そういうことなのだろう。
シュルクは続ける。
「迷夢の中がどうなってるのかは、俺にも分からない。お前以外の奴を一緒に連れていくこともできない。それでもお前は、ミシェリアさんを連れ戻したいと思うか?」
目の前に広がっているのは、奈落のような暗闇だ。
一度そこに飛び込んだら、誰も彼を助けることはできない。
こちらが投げかけた質問の重さを理解しているのか、ヒンスはすぐに軽はずみに返事をすることはしなかった。
目を伏せ、じっくりと言われたことの意味を噛み締めるように黙り込む。
一瞬にも、永遠にも思える無の時間。
「―――分かった。私が行く。」
彼が告げたのは、イエスという答え。
「なら、約束してくれ。」
ヒンスの答えを聞き、シュルクは次の言葉を述べる。
「迷夢に入ったら、絶対にミシェリアさんを連れて帰ってこい。間違っても、ミシェリアさんと一緒になって迷夢に残ろうなんて思うな。この霊神の怖いところは、そこなんだ。」
きつく目を閉じるシュルク。
無意識に動いた手が、机の上に置いてある手記を握った。
〈ジルは行ってしまった。悲しげに笑って、もういないはずのルルーシェと生きるんだと……そう言って、橋の向こうへと行ってしまった。私には、彼を止められなかった。〉
ブリッグレーを創ったことで、確かにたくさんの人々が救われた。
しかしその分、消えなくてよかったたくさんの人々が、甘い夢の中へと消えていってしまった。
〈今思えば、私はジルに無茶をさせすぎた。彼は何度も迷夢へと潜り、何人もの人々を取り戻してくれた。その中で、迎えに行っても帰ることを拒絶した人もいたと言う。きっとジルは、そんな人々に触れ続けるうちに、引き込まれてしまっていたのだ。迷夢という、甘くて儚い、出口のない世界に。〉
同胞を救いたい一心で身を砕いて、大切な友を失ってしまった。
ここには、そんな彼の悔恨が込められている。
彼が心を抉りながらもこれを未来に残したのは、未来でブリッグレーを召喚する人に、自分と同じ過ちを繰り返してほしくないと願ったからだと思う。
この手記を読んだ以上、自分はこれを書いた彼の願いを無駄にできない。
ミシェリアを救いたくて、ヒンスまで失ってしまう。
そんな最悪の結末にはしたくない。
そんな悲しい思いを、この屋敷の人たちにさせるわけにはいかないのだ。
「……これは、君だけに約束することじゃないな。約束しよう。ここにいる皆に。」
ヒンスは周囲をぐるりと見回し、最後にシュルクに向けて深く頷いてみせた。
正直、ヒンスのことは好きじゃないし、彼のことを信用しているかと言えば違うけれども。
そこは、ニコラたちが彼に向けている目に込められた信頼感に賭けるとしよう。
シュルクはヒンスに応えるように頷き返し、再度覚悟を決めることにした。
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