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第3章 錯綜
〝大丈夫〟
しおりを挟むドカッ
「うぐっ」
「あ…」
無言で男性に蹴りを入れた拓也に、実は茫然と呟くことしかできなかった。
拓也に腹を蹴り上げられた彼は、呻き声をあげて身を折る。
そんな男性に、拓也が呆れ顔で冷たい視線をやった。
「いきなり顔を観察する奴がいるか。実が困ってんだろ、馬鹿野郎。」
「いや、だって…。こりゃ似すぎだよ。本人がちっこくなって出てきたって言われても、疑う余地ないって。」
「まあ……それは同感だけどな。」
男性の言葉に同意しながらも、腕を組む拓也の目は冷ややかだ。
まだ蹴られた腹が痛むのだろう。
腹部をさすりながらも、彼は姿勢を戻す。
そして、にこりと人懐こい笑みをその表情に浮かべた彼は、実に手を差し出した。
「オレはキース・アイレン。こっちでは便宜上、植松尚希って名乗ってる。そこにいる、拓也の保護者代わりをしているんだ。分かりやすく言うと、腐れ縁ってやつだな。これから、何度も会う機会はあるだろう。よろしくな。」
「あ……は、はじめまして。宮崎実です。」
実は差し出された手を、丁寧に握り返した。
尚希は満足そうに笑みを深めると、自然な仕草で実の髪に手を伸ばした。
「それにしても、苦労しなかったか? オレや拓也は元から黒髪だったから、目の色さえ隠せばどうにかなるけど……この髪の色は、何かと目立っただろ。」
「まあ、それなりに。」
実も自分の髪を一房つまむ。
「でも、母さんからハーフだって聞かされてたし、周りにもそう認知されているんで、今はあまり苦労していませんよ。」
「ふうん……」
尚希はまた興味深そうに実を見つめる。
自分は、そんなに珍しい生き物ですか…?
好奇心に満ちた尚希の視線にさらされ、実は再び困惑してしまう。
「ハーフか…。その目鼻立ちなら通るかも―――ぐほ…っ」
拓也の蹴りが再び尚希を直撃する。
よろけた尚希に拓也は問答無用で足払いをかけ、仰向けに倒れた尚希の鳩尾を遠慮なしに踏みつけた。
そのあまりの容赦のなさに、実はポカンとした表情でまばたきを繰り返すしかない。
「だーかーらー、顔の観察はやめろって言ってんだろ。相手に失礼だとは思わないのか?」
「いってーな…。だって、興味湧く……うぎゃっ」
拓也が黙ったまま、尚希を踏みつける足に体重をかける。
「相変わらず、その悪癖は直ってないのか…。おい実、こいつのことは変態とでも呼んでやれ。」
「へ、変態って……」
それ以上の言葉が続かない。
言葉をなくす実に対し、尚希は拓也の足の下で喚き始めた。
「なんだよ、この恩知らず! 一体、誰がお前の保護者代わりをしてると思ってるんだ!?」
「おれは別に、何も頼んでない。」
「よく言うよ。オレのところに迷わず直行してきたくせに!」
「だからって別に、ここに住もうとしてたわけじゃないし。おれが来るのを予想して、わざわざこんな広い部屋に住み替えていたのは尚希だ。それに、おれを向こうに帰してくれないのも尚希じゃねぇかよ。」
「お前のことだから、そうでもしないと居座らないって思ったんだよ。ってか、なんでそれを……」
「初めてここに来た時、生活の香りが全くなかったからな。おれの鼻が利くのは知ってるはずだけど?」
拓也が当然といった口調で畳み掛ける。
そんな拓也に尚希は目をぱちくりとまたたかせ、次にやれやれと息を吐いた。
「あー、やだやだ。これだからこの子は…。人の配慮ってものに気付いておきながら、礼の一つも言わないんだからなぁ。どこで教育を間違ったんだか。」
大袈裟に憂いたような顔をして見せる尚希。
「……ふーん。」
声のトーンを一気に下げた拓也の目が、剣呑に細められる。
拓也の全身から爆発的な力が噴き出し、黒かった瞳が抜けるように鋭い紺碧色に変わった。
それを見た尚希が表情を一変させる。
「わっ、待て待て! ここで本気を出すな! 家が壊れるだろ! 家賃、それなりに高いんだぞ!?」
尚希は焦って拓也に訴える。
拓也はじっと尚希を睨み、しばらくして目を閉じた。
「分かった。実に免じて、今日は勘弁してやる。」
拓也がそう言うと、迸っていた力がすっと収まる。
それに、尚希だけではなく実までもがほっとして緊張を解いた。
そして、そんな自分の反応に実は複雑にならざるを得なかった。
今の拓也の力に込められていたのは、明らかな敵意だった。
それが分かるということは、魔力に対する自分の感度が確実に変わってきているということなのだろう。
ちょっと前は、不気味な力としか感じなかったのに……
「実…」
実の沈黙に振り返った拓也が、視線の先でうつむいている実の姿に気付いて表情を曇らせる。
「大丈夫か?」
そっと、肩に手を置かれる。
気遣わしげに眉を下げる拓也に、実はなんとか笑顔を返した。
「……ごめん。ちょっと……まだ、混乱してる……かな。」
正直に本心を伝える。
一気に色んなことが起こりすぎて、そのどれもが自分の常識を飛び越えすぎていて、何からどう受け止めていけばいいのか分からない。
自分が何をしたらいいのかも分からないのだ。
「仕方ないな。オレだったら、とっくに参ってる。」
その言葉にハッとして、思わず顔を上げる。
そこには、いつの間にか立ち上がっていた尚希の穏やかな表情があった。
尚希は手を伸ばすと、実の頭を柔らかくなでる。
「大丈夫だよ。無理に、全部を受け入れようとしなくても。」
実は大きく目を見開いた。
〝大丈夫〟
その言葉は、胸の奥に大きく響いて―――
「………っ」
気が抜けると同時に、両目から雫が零れていた。
「すみ……ませ…っ」
慌てて涙を拭う実に対して、尚希は頭をなでながら微笑む。
「今まで、よく泣かずに頑張ったな。拓也から事情は聞いてるよ。エリオス様とも、知らない仲じゃない。拓也やオレの前では、遠慮も我慢もしなくていいからな。」
優しく語りかけられる言葉に、実は何度も頷いた。
ずっと我慢していた感情が、涙と一緒にあふれ出してしまう。
本当は、認めたくなかった。
受け入れたくなどなかった。
でも、受け止めないと先に進めない。
受け入れないと、自分の明日も分からない。
だけど、自分の平和が壊れるのは怖くて仕方なくて―――
声にならない心の叫び。
それを、拓也と尚希は黙って受け止めてくれていた。
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