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第5章 夜の獣と統一の儀
力の核
しおりを挟むこのままでは、死ぬのは拓也の方。
その言葉に顔を青くする尚希と、気まずげにうつむく拓也。
それだけ、状況は最悪だった。
この世界に生きる人間には、生命そのものである魂の他に、魔力の供給源となる力の核が存在する。
どちらも生きていくには絶対的に必要なものであり、どちらか片方でも失えば、それは死を意味するのだ。
「いい? 気合で意識を繋いどいて。あいつも、力の核まではすぐに吸収することはできないはずだから。十分以内にケリをつける。」
「……分かった。悪い。」
「謝らないで。俺が油断してたんだ。」
実は首を振り、今度は尚希を見る。
「尚希さん、俺はあいつを引きつけます。その間に、拓也を連れて家の中に避難してください。家の中なら、ハエルの守護下に入るので安全です。」
「でも……」
「俺の心配をしている余裕があるなら、尚希さんからも拓也に魔力を分けてやってください。笑っていられる状況ではないんですから。……と、その前に。」
実は手を伸ばし、尚希の胸元に手をかざした。
「―――っ」
尚希が顔を歪める。
「すみません。気持ち悪いかもしれませんけど、耐えてください。念のためです。」
言う実も、険しい表情で魔法を操る。
触れている尚希の胸から意識を這わせ、彼の体内に存在する魂と力の核を探す。
感じ取った尚希の力の核は、鮮やかな橙色をして優しげな力を放っていた。
それを自分の魔力でぐるぐるに包み、尚希の体に固定する。
相手は魔力を奪い取る奴だ。
ほとんど気休めのようなものだが、これなら仮に獅子に襲われたとしても、一回は力の核を取られずに耐え凌ぐことができるだろう。
やることを終えた実は、ゆっくりと立ち上がる。
獅子は何もせず、こちらの動向を見ているだけだった。
「もう時間がない。」
実は低く言い、自分の魔力を全解放した。
それは、出してくれと蠢いているあの子供を抑える力すらも目の前の獅子に向けるということ。
ある意味、自分を窮地に追い込む行為に等しかった。
―――でも、やるしかない。
実の目に灯る、静かで底冷えするような光。
そこに込められた殺気とも受け取れる敵意に、獅子が大きな声で吠える。
その全身から、すさまじい闘気と力が噴き出した。
「てめえ…っ。他人の魔力を無駄遣いしてるんじゃねぇよ。」
舌を打って粗雑に吐き捨てた実は、高く跳躍した。
その後屋根に着地して、無言のまま走り出す。
「早くしないと……」
向かう場所もやるべきことも決まっている。
拓也を助けられる自信もある。
だが、どうしようもなく脳裏で駆け巡る苛立ちと焦りを拭い去ることができない。
後ろに感じた気配だけを頼りに、実は走りながら軽く横にステップを踏む。
半瞬前まで自分がいた場所を獅子が通り過ぎていき、その爪がワイシャツをかすめた。
獅子は流れるように実の進行方向に着地。
それと同時に、その体が透明度を増した。
「―――っ!!」
全身を貫くのは危機感。
獅子に自ら突っ込むことになる前に、なんとかその場から上方に向かって跳ぶ。
だが、完全には間に合わなかったようで、右足に風を感じたと思った瞬間に力が抜けた。
おかげで着地に失敗し、背中から屋根に落ちるはめになってしまう。
「くそ……どれだけ持っていかれた…?」
気力で立ち上がり、実は再び走り出す。
獅子は実に追撃を加えることはなく、実が走り始めるとそこに追走するように自身も駆け始めた。
「なるほど…。俺は、じっくり時間をかけてってか。」
苦笑が浮かぶ。
さすがに、これ以上魔力を取られるのはまずい。
守護獣たちの魔力は補うだけで十分だが、拓也の魔力は完全に自分がまかなっている状態だ。
自分の力が弱まれば、それだけ拓也にも影響してしまう。
「狙いは、俺の魔力切れ……かな。」
時おり襲来する獅子の攻撃を注意深く避けながら呟く。
魔力を使い切ることは、すなわち死。
その事実を思い浮かべた瞬間、あの破滅衝動が津波のように押し寄せてきた。
このまま死んでしまうのなら、それもいいのかもしれない。
反射的にそう思った瞬間、地を蹴り続けていた足が急に頼りなくもつれそうになって、実は慌てて頭を振った。
何をしているのだ。
今かかっているのは、自分の命だけじゃない。
自分の死は、拓也の死にも直結するんだぞ?
自分が死ぬのはどうでもいいけど、そこに他人を巻き込んではいけない。
それは、自分が許せない。
そう思えるのは、人を殺したくないと願う今の自分を失っていないという、確固たる証拠じゃないか。
何度も自分にそう言い聞かせ、理性を侵食しようとする破滅衝動を振り払う。
屋根の上を、道路の上を。
高さを変えながら、実と獅子はタリオンの街を走り続ける。
人の姿は全くない。
どうやら、住民の避難は間に合ったようだ。
(見えた!)
目指す先に見えるのは、鬱蒼とした雰囲気を漂わせる森。
実は、躊躇いなく森の中に飛び込んだ。
途端に足元の環境が悪くなるが、それは獅子の方も同じだ。
木々や下草の間を器用に縫って進み、かなり奥まった位置まで辿り着いたところで実は素早く振り向いた。
地面に手をつき、意識を周囲の木々に集中させる。
近付いてくる気配を待ち、ギリギリまで引きつける。
そして―――
「行け!」
短く命令する。
すると、周囲の木々が一斉に獅子へと枝を伸ばした。
始めは枝を避けられていた獅子も、数の暴力には勝てなかったようだ。
枝があっという間に獅子の体にまとわりついて、実の数センチ前で獅子の動きが止まった。
実は獅子にもがく間を与えず、その体の中に自分の手を突き入れる。
「逃がさない。」
暴れる獅子を無視して、実は獅子の体に突っ込んだ手を探るように動かした。
獅子が拘束から逃れようと体を透明にするが、それを見越して枝には魔力を流し込んで細工してある。
もしかしたら抜けられてしまうかもしれないが、時間稼ぎにはなるはずだ。
「あった!」
目的のものを掴んだ感触を得て、一気に獅子の体から手を引き抜く。
途端に、獅子の体が白さを失った。
完全に色を失わなかったのは、それだけこちらの魔力を奪い取っていた証拠だろう。
実は、ほっとしながら手に浮かぶ碧い球体を見つめる。
かなり弱々しい光になっているが、今ならまだ間に合う。
「帰れ。己のあるべき場所に。」
言ってやると、力の核は目に留まらぬ速さで木々の向こうへと消えていった。
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