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第3章 過去に刻まれた罪
踏み込まれる一歩
しおりを挟む「実。お前はもっと、自分の限界を把握しろ。」
尚希の事情説明は、そんな第一声から始まった。
「実が一週間も姿を見せないって拓也から聞いて、様子を見に行ってもらったんだ。そしたらどういう状況だったのか、言わなくても分かってるよな?」
「………」
その辺りについては自覚があったので、実は気まずげ尚希から目を逸らす。
「あの後、お前は高熱を出してずっとうなされてたんだぞ。どのみち一人にはしておけないから、ここに運んできて今日が三日目。理解したか?」
「………」
実は答えない。
言葉も出ない、というのが本音だった。
(……ああ、そうか。)
ふいに、とあることに思い至る。
拒絶する間もなく現実を突き付けられて、無性に笑いたくなってしまった。
(そうか。俺は、こんなにも……)
拓也たちがいなかったら、大声で笑い出していたかもしれない。
それほどまでに、思い至ってしまった事実は滑稽で仕方なかったから。
自嘲的な感情に浸っていた実は気付かない。
無意識にうつむいた前髪の向こうで浮かべているその笑顔が、どれだけ悲しそうなものだったかに。
実は深い呼吸を数度繰り返す。
それだけで、今まで脳裏を飛び交っていた感情が一瞬で停止する。
さっきまで感じていた後悔も含め、何もかもを頭の奥にしまい込んだ。
「……すみませんでした。」
最終的に、実は頭を下げたまま小さく謝った。
「分かればいい。」
尚希は実の言葉に破顔して、親が子供にするように頭を掻き回した。
「あ、あの…。絶対安静って言ってましたけど、もう大丈夫なんで。学校もあるし、母さんも心配するし、家に帰らないと―――」
結局は自分の心を言えずに尚希たちを欺こうとしているのに、こんな風に優しくされるのは気が引ける。
そう思って話を変えようと思ったのだが、これが失敗だった。
途端に、尚希の顔から穏やかさがさっぱりとなくなったのだ。
実の肩に手を置いた尚希が、やけに晴れやかな笑顔を見せる。
それを見てとっさに〝しまった〟と思ったが、言葉にしてしまった後ではどうしようもなかった。
「大丈夫。家にも学校にも代わりの影を置いてあるから、安心して大人しく寝てろ。な?」
「う…」
笑顔なのに、ものすごい気迫だ。
予期せぬ尚希の変化に、こちらはたじろぐしかない。
「分かり……ました。」
ここは、折れざるを得なかった。
こちらの諦めを察したらしく、尚希が満足そうに笑う。
「よし。いつもこのくらい素直だと、こっちはものすごーく助かるんだけどなぁ。そう思わないか、実?」
「ははは……」
返す言葉もない。
空笑いでその場を受け流しながら、実はようやく認識した。
(尚希さん、めちゃくちゃ怒ってんじゃん……)
冷や汗が背中に浮く気分だった。
表情や口調がいつもと変わらないだけで、実際の尚希は拓也と同じくらい自分に対して怒っているようだ。
こんな状態の二人が相手では、さすがに分が悪い。
しばらくは、とことん行動が制限されてしまいそうだ。
「じゃ、後はよろしくな。もう一仕事してくる。」
「了解。」
ほら。
今の時点で、拓也と尚希は互いに示し合わせたように隙がない。
こちらを信用する気ゼロである。
もはや逃げる気もなかったのだが、この徹底ぶりには少しばかり驚いてしまった。
「ああ、実。」
部屋から出かけた尚希が、こちらに背を向けた状態のまま立ち止まった。
「なんですか?」
どうせ、また説教じみたことだろう。
聞き流す気満々で、とりあえずは尚希に目を向ける。
しかし、この後に続いた尚希の言葉は、とても聞き流せるような内容ではなかった。
「別に、オレは実の全てを知ろうとは思ってない。実が頑なに口を閉ざすなら、それもいいだろう。誰にでも、知られたくないことの一つや二つはあるもんだ。オレもそうだしな。だから、オレは基本的に世話を焼きはしても、他人のプライベートを無理に聞き出すなんてことはしない主義だ。」
今までの会話からは、まるで繋がらないその言葉。
それを聞いて、嫌な確信が生まれた。
尚希に向けた表情が、無意識に歪んでいくのが分かる。
「……何が、言いたいんですか?」
あえて訊ねる。
分かってはいるけれど、もし違うのなら……
ゆっくりと振り向いた尚希。
彼の顔を見た瞬間、訊くまでもなかったと後悔した。
できることなら、この先は聞きたくない。
だけど、現実がその願いを叶えてくれるはずもなくて……
「今回は別だ。オレたちは、実がどれだけ隠すことや耐えることが上手いかを知ってる。だけど、そんなお前が今回はこの有り様だ。状況がひっ迫してるのは、言うまでもないよな?」
尚希のまっすぐな視線が、胸を抉るように痛い。
耳を塞ぎたい衝動をぐっと押さえて、続きを待った。
「―――話してもらうぞ。話せることも、話したくないことも、全部。余計なお世話だと思うかもしれない。でもな、もう隠し通せる問題じゃないと、実も分かってるはずだ。オレたちも実を保護した手前、知らないで済む問題じゃないと思ってる。いいな?」
「………」
実は、震えそうになる唇を思い切り噛んだ。
熱で火照っているはずなのに、全身から血の気が引いて寒気がする。
胸の内で、今まで忘れられていたはずの恐怖が鎌首をもたげた。
それは、爆発するような勢いで脳裏を埋め尽くしていく。
理性が一瞬で恐怖に飲み込まれ、危うく悲鳴が出そうになった。
「―――っ」
悲鳴を懸命に押し殺す。
恐怖を表に出さないように、全身に力を込める。
厳密に言えば、話すことが怖いわけではない。
この部屋で目覚めた時から、きっと話さなければいけないと思っていたから。
怖いのは、思い出してしまうこと。
ただ、それだけだ。
事情を話せば、嫌でも脳裏にあの記憶がよみがえるだろう。
理性で厳重に蓋をしていたあの記憶を思い返してしまうことが、何よりも怖かった。
夢の中でレティルに会った時のことが頭をよぎる。
あの時だって、ふいに襲ったフラッシュバックに、なす術もなく震えることしかできなかったのだ。
二人に全てを話し終えるまで、果たして自分は平静を保っていられるだろうか。
「明日まで時間をやる。それまでに、覚悟を決めろ。」
部屋から出た尚希が、ドアを閉めようとする。
見えなくなっていく尚希の背中に、頭が真っ白になって―――
「時間なんていりません。今、話します。」
とっさに口が動いて、そう言い放っていた。
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