世界の十字路

時雨青葉

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第6章 命の代償

―――許さない!!

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 桜理からの問いに、実は大きく顔を歪めた。


 何も言えない。
 言えるわけがない。


 桜理が言っていることは、紛れもない事実なのだ。
 どう言いのがれができるというのか。


「本当、なんだね…?」


 実の様子をうかがっていた桜理の表情が、さらに冷たくえていく。


「……許せない。」


 桜理の声が震えた。




「実のこと、大好きだったのに! 一番信じてたのに!! ………許せない、許せない許せない許せない―――許さない!!」




 桜理が激情のままに、憎悪の言葉を振りまく。


「さっき私に、私らしくないって言ったよね? 私をこんな風に変えたのは実だわ! 実が私をこんなに歪めたのよ!! 実やみんなが私を裏切ったから、私は……こんなに…っ。もう嫌。傷つくのは、もう嫌なの。なんで私がこんなにつらい思いをしなきゃいけないの? 友達に囲まれて、ママやパパと楽しくおしゃべりして……なんで、そんな普通の生活ができないの? ……返してよ。私に、幸せだったあの時を返してよ! みんな、みんなみんな大っ嫌い!!」


 桜理の言葉を、自分はただ聞くことしかできなかった。


〝信じていたのに〟


 その一言が、胸を深くえぐる。


(ああ……俺は、なんてことを……)


 自分だって、これが怖かったんだ。


 信じていた人から裏切られること。
 それが怖くて、必死に孤独に逃げ込もうとしていたじゃないか。


 考えるだけでこんなにも怖いと思うことを実際に経験した桜理は、どれだけ傷ついたのだろう。


 ―――何もかも、自分のせいだ。


 思考が勝手に暴走して、頭が強烈な痛みを訴える。


 胸の奥がざわめく。
 ずっと罪悪感で傷ついていた心に、桜理の言葉がナイフと化して突き刺さる。


 意識しては触れられないほどの自分の奥底から、様々な感情があふれ出してくる。


 罪悪感。
 絶望。
 悲しみ。
 悔しさ。
 自分への憎悪や殺意。


 そんな負の感情が、自分の全てを支配する。


 自分では抑えようのない感情の奔流に、奈落の底へと飲み込まれるような錯覚を覚えた。


 この感情は、過去の自分が―――本来の自分が感じているもの。


 あくまでも失った記憶の上に成り立っている今の自分が、彼の動揺を押さえ込めるわけがない。


 今までは彼が心を揺らすようなこともなく、そこまで現実に執着することもなく奥に引っ込んでいた。


 だから、自分は彼を抑えられていると思い込んでいられただけ。


 彼がその気になって自分を取り込もうとすれば、自分はあっさり消えてしまうのだろう。


 漠然と、それを理解する。


 さらに、桜理のことだけに限って言えば、彼と自分の価値観は完全に合致している。
 桜理に関してだけは、彼が感じていることが自分の感じていることでもあるのだ。


 その状況下で、彼女からぶつけられる想いを拒むことなんてできない。


「許せない。」


 桜理が激しい憎しみを込めて実を睨む。


「人が生きるには、どうしても理由がいるのよ。何もなくなった私は、ただ実に復讐するためだけに生きてきた。私以上の苦痛を与えるために、悲しみを憎しみに変えてきた。今となっては、実への憎しみだけが私を支えている唯一の柱なの。……実のそんな顔が見れて、少しは清々したわ。生きている分には、もう十分よ。」


 大袈裟に溜め息をついてみせた桜理は、どこか愉快そうに口の端を吊り上げる。


「あとはさっさと死んで、あなたに一生消えない傷を作ってあげる。忘れたくたって忘れられないくらい、深い傷をね。実のせいで私は死ぬ。今の実も、私が知っている昔の実も、死にたくなるくらいズタズタに傷つけばいいんだわ。私は永遠に実の心に居座って、実をむしばみ続ける。死ぬしかない私には、ピッタリの復讐方法だと思わない?」


「―――っ!? それも知ってるのか!?」


 今の実も、昔の実も。
 そんな想定外の言葉に、実は瞠目した。


 すると、桜理の眼光がより一層険しさを増す。


「知ってるわ。実がこの世界の人だってことも、記憶と一緒に私の知っている実が封印されたってことも。全部、知ってるんだから。」


 そう言い捨てた桜理は、ゆっくりときびすを返す。


「逃げたければ逃げなよ。まあ、この現実から逃げたって、あなたたちの心は二度と私から逃げられないでしょうけど。」


 そのまま去ろうとする桜理。
 実は、とっさにその手を掴んだ。


 桜理が手を振り解こうと抵抗する。
 しかし、実は意地でも桜理の手を離さなかった。


「何か、方法はないの?」


「今さら何? 私を生かして、恩でも着せるつもり? それで許してもらおうっていうの?」


「―――違う。」


 実の即答に、桜理の動きが止まった。
 涙で濡れた闇色の瞳を、実はまっすぐに見つめる。


 桜理の瞳に映る自分は、自分でも驚くほど冷静な顔をしていた。
 先ほどまでの激情はなくなり、逆に心が静まり返っていく。


「桜理が俺を憎むのは仕方ない。自分のことで精一杯だった俺の弱さが、結果としてこういう事態を招いたんだ。何も言い訳できない。」


 そこまで言って、実はふと表情をやわらげた。


「……むしろ、ほっとした気分だよ。ゆるされる方が、俺はつらい。何事もなく赦されてしまうくらいなら、憎まれていた方が何倍もマシだ。それだけ、俺の間違いは重いんだから。」


 その時、瞬間的に桜理の表情が微かな動揺を見せた。


 桜理が何に対して驚いているのかは分からないが、自分は伝えることを伝えて、やるべきことをやるだけだ。


 決意が固くなった実は、責められていても堂々としていた。


「俺は、桜理の願いを叶えたい。罪滅ぼしでもなんでもなく、ただそう思う。顔も見たくないって言うなら、大人しく消えてもいい。だけど、その前に桜理が生き延びる方法を見つけないといけない。俺に復讐するために死にたいっていうのも本当の気持ちなら、生きたいって願う気持ちも本物のはずだ。俺は、少しでも長く桜理に生きていてほしい。少しでも多く笑ってほしい。そのためなら、なんだってやる。―――桜理、生きたいんだろ?」


「―――っ!!」


 今度は、桜理の表情に明らかな動揺が走った。


 何かを言いかけて、やめる。
 結局、彼女は口を固く引き結んでこちらから目をらした。
 そんな仕草で直感する。


 ―――何か、桜理が助かる方法があるのだ。


「……そんな方法、あるわけないよ。」
「違う。桜理は、その方法を知っているはずだ。」


 鋭く断言すると、桜理の表情が歪んだ。


「なんでもいい。教えてくれ。」


 畳み掛けるが、桜理はぎゅっと目を閉じて首を振った。


「知らない。」
「桜理!」
「知らないったら! 何も知らないの! いい加減にしてよ!!」


 言葉の勢いで、実の手を振り切る桜理。
 十分に実と距離を取った彼女は、肩をいからせて実を威嚇する。


「………」


 実は深くうつむいていて、言葉を発しない。


 部屋が静まり、荒くなった桜理の息だけが響く。
 その中、実は―――


「……そう。分かった。」


 そう言って、顔を上げた。


「………っ」


 いきなり変わった実の雰囲気に、桜理は息を飲む。


 刃物のように鋭く、氷のように冷えきった雰囲気。
 澄んだ薄茶色の瞳は何の感情に揺れることなく、ただ空虚だった。


 どこか殺伐としてすら見えるその姿は、とても懐かしくて……


 実に洗練された何かを感じ、桜理はしばし思考を奪われた。


「なら、自分で見つける。」


 すぐ側の扉を開き、闇をたたえる廊下へと消える実。
 桜理は、その後ろ姿に何を言うこともできなかった。

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