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第2章 水の底
相変わらずのべったり兎
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また一つ、記憶がよみがえった。
忘れたままだった、懐かしい記憶。
それらが、ここに来てから次々と思い出される。
どうして忘れたままだったのだろう。
疑問は、その一点だけだった。
今まで、思い出していない記憶があることにも気付かなかった。
つまり、自分自身でも違和感を持たないほどに、彼女たちとの出会いから別れまでの一切を忘れていたということになる。
「………」
胸に重い澱が落ちていく気分だった。
綺麗に忘れたままだった記憶の断片を思い出した今は、この記憶の欠落が気持ち悪くて仕方ない。
思い出そうと努力しても、自分の意識の力では何も思い出せない。
それが、ただでさえ気持ち悪い気分をさらに悶々とさせていた。
もどかしい。
自分の記憶なのに、自分でどうすることもできないなんて。
気持ちばかりが逸って、苛立ちは募る一方だった。
とはいえ、ずっと部屋で考え込んでいても負の感情ばかりがくすぶるだけ。
それだけは確実だと自覚していたので、実は部屋を出ることにした。
回廊のように伸びる廊下を、無為に歩き続ける。
廊下のガラスの向こうには、深い青がずっと遠くまで広がっている。
上方へと視線を滑らせると、そこは湖面に差し込む太陽の光でほんのり明るかった。
そんな外の風景を、暗い気持ちで眺める。
光が届かず、闇を含んだような深い青。
それが、自分の記憶と重なって見えた。
見通したくても闇に紛れて見えない青の向こうと、思い出したくても途切れて闇に飲まれる自分の記憶。
見つめれば見つめるほど、気分は沈んでしまう。
外に出たのは間違いだったかもしれないと、少し後悔した。
溜め息を吐きながらまた歩き出す実の後ろで、小さな気配が動く。
自分が一歩進めばその気配も一歩進み、自分が止まれば気配も止まる。
部屋を出てから、ずっとこんな感じだ。
「……仕方ないなぁ。」
微笑み、実は後ろを振り返った。
床に膝をついて、両手を出す。
「ほら―――」
おいで、まで言う必要はなかった。
自分がしゃがんだ瞬間、後ろをついてきていた兎が、狙いすましたように差し出した手の中に飛び込んできたからだ。
「まったく。」
実は苦笑して立ち上がる。
「忘れないもんなのかな?」
この兎とは、一緒にいた時間よりも離れていた時間の方が明らかに長い。
それにもかかわらず、昔と全く変わらずに懐いてくるとは。
こちらの疑問を理解するわけもなく、兎は安心したように腕の中で目を閉じている。
それを見ていると、少し気分が癒された。
「そういえば、名前をつけてなかったな。」
ふと思った。
「お前、ここで名前は……つけてもらってるわけないな。あいつらには、名前っていう概念がないんだった。」
一人で納得する実。
「うーん…。そうだなぁ……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、深く考え込む。
どうしたものか。
いくつか候補はある。
日本語の名前をつけるのも悪くないけど、ここは郷に従って―――
「じゃあ……シャールルなんてどうかな?」
呟くと、兎の耳がピクリと揺れた。
「何? わっ…!?」
途端に、兎が腕から飛び下りていった。
驚く自分の周りを、兎は狂ったように飛び回る。
「え? 何? 気に入らない?」
訳が分からずに困惑していると、兎はまたこちらの胸へ勢いよく跳んできた。
その体をなんとか抱き止めると、兎は胸に顔をすり寄せた後に再び目を閉じる。
「………?」
一体、何が起こったのだろう。
目をしばたたかせる実の耳に小さな笑い声が入ってきたのは、その時のことだった。
「違うよー。気に入らないんじゃなくて、すっごく喜んでるんだよ。」
顔を上げると、自分の頭よりも少し高い位置に一人の精霊がいた。
精霊はいいことを聞いたというような笑みをたたえて、実の肩に降りる。
「えへへ、聞いちゃったぁー。実って、結構ロマンチックなネーミングセンスしてるんだねー。」
「なっ…!?」
しまった。
独り言をずっと聞かれてたらしい。
自分としては真剣に名前を考えていただけなのだが、名前を決めるまでの過程を聞かれていたと思うと、急激に恥ずかしくなってくる。
「いや……だから、その……変な名前はつけられないから……」
「真っ赤になっちゃって、可愛いなー。」
赤い顔で狼狽える実に、彼女はにやにやと笑いながら言う。
それで、顔が余計に熱くなった。
「とりあえず…っ。俺がどんな名前をつけようと、俺の勝手でしょ!? 忘れて!!」
「なんでー? せっかくつけた綺麗な名前でしょ? 褒めてるのにー。」
「俺にとっては、褒め言葉じゃないんだよ!!」
「えー?」
精霊は実の周りをくるりと一周し、次にシャールルの背に跨がった。
「よーし、シャールル!! みんなに報告だぁ!!」
精霊が無邪気な笑顔で高らかに言うと、実の腕にすっぽりとはまっていたはずのシャールルが、あっさりと飛び降りていった。
「へ? ちょっ……」
止める間もない。
シャールルたちは、廊下の向こうへ一直線に走っていく。
「まっ……待ってよ!! シャールル、お前……さっきまで、俺にべったりだったじゃんか!?」
あれを言いふらされると思うと、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
実は大慌てでシャールルたちを追いかける。
「ほんとに待って! 嬉しかったのは分かったから、余計なことまで言うのはやめてーっ!!」
必死に訴えたが、前を走るシャールルたちからは笑い声が聞こえてくるだけ。
こちらの訴えを聞く気がないのは明らかだ。
長い廊下を走っていくと、シャールルたちは廊下の途中で左折。
それを追いかけて同じ方向に曲がった実は―――その先に広がっていた空間に、言葉を失うことになった。
忘れたままだった、懐かしい記憶。
それらが、ここに来てから次々と思い出される。
どうして忘れたままだったのだろう。
疑問は、その一点だけだった。
今まで、思い出していない記憶があることにも気付かなかった。
つまり、自分自身でも違和感を持たないほどに、彼女たちとの出会いから別れまでの一切を忘れていたということになる。
「………」
胸に重い澱が落ちていく気分だった。
綺麗に忘れたままだった記憶の断片を思い出した今は、この記憶の欠落が気持ち悪くて仕方ない。
思い出そうと努力しても、自分の意識の力では何も思い出せない。
それが、ただでさえ気持ち悪い気分をさらに悶々とさせていた。
もどかしい。
自分の記憶なのに、自分でどうすることもできないなんて。
気持ちばかりが逸って、苛立ちは募る一方だった。
とはいえ、ずっと部屋で考え込んでいても負の感情ばかりがくすぶるだけ。
それだけは確実だと自覚していたので、実は部屋を出ることにした。
回廊のように伸びる廊下を、無為に歩き続ける。
廊下のガラスの向こうには、深い青がずっと遠くまで広がっている。
上方へと視線を滑らせると、そこは湖面に差し込む太陽の光でほんのり明るかった。
そんな外の風景を、暗い気持ちで眺める。
光が届かず、闇を含んだような深い青。
それが、自分の記憶と重なって見えた。
見通したくても闇に紛れて見えない青の向こうと、思い出したくても途切れて闇に飲まれる自分の記憶。
見つめれば見つめるほど、気分は沈んでしまう。
外に出たのは間違いだったかもしれないと、少し後悔した。
溜め息を吐きながらまた歩き出す実の後ろで、小さな気配が動く。
自分が一歩進めばその気配も一歩進み、自分が止まれば気配も止まる。
部屋を出てから、ずっとこんな感じだ。
「……仕方ないなぁ。」
微笑み、実は後ろを振り返った。
床に膝をついて、両手を出す。
「ほら―――」
おいで、まで言う必要はなかった。
自分がしゃがんだ瞬間、後ろをついてきていた兎が、狙いすましたように差し出した手の中に飛び込んできたからだ。
「まったく。」
実は苦笑して立ち上がる。
「忘れないもんなのかな?」
この兎とは、一緒にいた時間よりも離れていた時間の方が明らかに長い。
それにもかかわらず、昔と全く変わらずに懐いてくるとは。
こちらの疑問を理解するわけもなく、兎は安心したように腕の中で目を閉じている。
それを見ていると、少し気分が癒された。
「そういえば、名前をつけてなかったな。」
ふと思った。
「お前、ここで名前は……つけてもらってるわけないな。あいつらには、名前っていう概念がないんだった。」
一人で納得する実。
「うーん…。そうだなぁ……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら、深く考え込む。
どうしたものか。
いくつか候補はある。
日本語の名前をつけるのも悪くないけど、ここは郷に従って―――
「じゃあ……シャールルなんてどうかな?」
呟くと、兎の耳がピクリと揺れた。
「何? わっ…!?」
途端に、兎が腕から飛び下りていった。
驚く自分の周りを、兎は狂ったように飛び回る。
「え? 何? 気に入らない?」
訳が分からずに困惑していると、兎はまたこちらの胸へ勢いよく跳んできた。
その体をなんとか抱き止めると、兎は胸に顔をすり寄せた後に再び目を閉じる。
「………?」
一体、何が起こったのだろう。
目をしばたたかせる実の耳に小さな笑い声が入ってきたのは、その時のことだった。
「違うよー。気に入らないんじゃなくて、すっごく喜んでるんだよ。」
顔を上げると、自分の頭よりも少し高い位置に一人の精霊がいた。
精霊はいいことを聞いたというような笑みをたたえて、実の肩に降りる。
「えへへ、聞いちゃったぁー。実って、結構ロマンチックなネーミングセンスしてるんだねー。」
「なっ…!?」
しまった。
独り言をずっと聞かれてたらしい。
自分としては真剣に名前を考えていただけなのだが、名前を決めるまでの過程を聞かれていたと思うと、急激に恥ずかしくなってくる。
「いや……だから、その……変な名前はつけられないから……」
「真っ赤になっちゃって、可愛いなー。」
赤い顔で狼狽える実に、彼女はにやにやと笑いながら言う。
それで、顔が余計に熱くなった。
「とりあえず…っ。俺がどんな名前をつけようと、俺の勝手でしょ!? 忘れて!!」
「なんでー? せっかくつけた綺麗な名前でしょ? 褒めてるのにー。」
「俺にとっては、褒め言葉じゃないんだよ!!」
「えー?」
精霊は実の周りをくるりと一周し、次にシャールルの背に跨がった。
「よーし、シャールル!! みんなに報告だぁ!!」
精霊が無邪気な笑顔で高らかに言うと、実の腕にすっぽりとはまっていたはずのシャールルが、あっさりと飛び降りていった。
「へ? ちょっ……」
止める間もない。
シャールルたちは、廊下の向こうへ一直線に走っていく。
「まっ……待ってよ!! シャールル、お前……さっきまで、俺にべったりだったじゃんか!?」
あれを言いふらされると思うと、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
実は大慌てでシャールルたちを追いかける。
「ほんとに待って! 嬉しかったのは分かったから、余計なことまで言うのはやめてーっ!!」
必死に訴えたが、前を走るシャールルたちからは笑い声が聞こえてくるだけ。
こちらの訴えを聞く気がないのは明らかだ。
長い廊下を走っていくと、シャールルたちは廊下の途中で左折。
それを追いかけて同じ方向に曲がった実は―――その先に広がっていた空間に、言葉を失うことになった。
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