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第2章 声
〝逃げないでほしい〟
しおりを挟む「まったく……あいつは、どこに行ったんだよ。」
拓也は内心にくすぶる苛立ちを持て余しながら、至る所を歩き回っていた。
尚希がニューヴェルへと発った後、今日は一日中実に避けられている。
香りを追って向かった場所には見計らったかのように姿がないし、なんだが終わらない追いかけっこをしている気分だ。
さっきも部屋の様子を見に行ったのだが、もぬけの殻という結果である。
「実ー、どこだー?」
無駄とは知りつつも、呼びかけながら廊下を歩く。
すると―――
「……ん?」
ふと何かに呼ばれたような気がして、拓也は立ち止まる。
その何かは、自分の内側から放たれるものだった。
声とは言い難いが、間違いなく自分に訴えてくる意思のような念。
拓也は、それに耳を傾ける。
「……上?」
拓也は廊下の柵に掴まり、上空を見上げる。
この上となると、すでに探した場所は除外するとして、残っているのはウェールの民の住居になっている渓谷の上しかない。
「なるほど。そこは盲点だった。」
呟いた拓也は足に魔力を集中させると、柵を踏み台にして大きく跳躍した。
一度最上階の柵に着地し、勢いをつけてもう一度跳ぶ。
渓谷の上に降り立つと、乾いた強い風が頬をなでた。
空を覆う漆黒はぐんと近く、地上を飲み込むかのよう。
月が、あんなにも大きい。
その圧倒的な雰囲気の風景に気を取られかけたが、拓也はハッと我に返って首を振る。
当初の目的を思い出して周囲を見回すと、捜していた姿はすぐに見つかった。
彼は固い岩の上にごろりと横になり、冷たい夜風に当たりながら無防備に目を閉じている。
「実。」
ゆっくりと近付いて呼びかけると、実は静かに目を開けた。
「拓也…。どうしてここが分かったの?」
見つからない自信があったのに、と。
実は不満そうに唇を尖らせている。
拓也はふうと息を吐いた。
その右手が、仄かな光を宿す。
「こいつが教えてくれた。」
拓也の右手に現れたのは、短い状態の槍だった。
「ああ…」
実は半目でそれを見やる。
思わぬ伏兵が現れたものだ。
拓也だけならかわせると思っていたのに。
仕組みもよく分からない以上、拓也が持つあの槍からは逃げられる気がしなかった。
「今日、一日中避けてたよな。」
ふてくされていると、拓也から単刀直入に指摘された。
とっさにしらばっくれようとしたけど、ここにいるのを見つかった時点で言い訳は無駄だろうと思い直す。
「まあ、ね。」
「なんで?」
それは、当然の問いかけ。
しかし、実はその当然の問いに対する答えを瞬間的に繕うことができず、気まずげに言い澱んでしまった。
ここで正直に〝正体不明の謎の声がうるさくて参っている〟なんて言ったら、どうなるだろうか。
十中八九、拓也のお怒りスイッチを押してしまう。
まあ、今言おうと後日言おうとお怒り展開は変わらないとは思うけど、一応口止めされている状況だ。
今言うのはやめた方がいいかもしれない。
「ちょっと……考え事をしてて。」
苦し紛れに言ったのは案の定拓也にばれていて、彼がそんな回答で納得するはずがなかった。
「ふーん。で、実際のところは?」
「う…」
華麗に切り返され、実は内心で諸手を挙げる。
「なんとなく、分かってはいるんだけどさ。ただ、追い詰める決め手がないっていうか、なんていうか……」
「追い詰める? ……へぇ?」
拓也は考え込むように眉間にしわを寄せたかと思うと、何やら意味ありげに口の端を吊り上げて実の隣に腰かけた。
「つまり、追い詰めなきゃいけない相手がいる、と。」
「まあ、そういうこと。」
「で、それが一段落するまでは、できることなら話したくはないわけだ?」
「まあ……」
そのうち、拓也には嘘も言い訳も通用しなくなるかもしれない。
うっすらとそんな危機感を抱きつつ、最初から半ば降参だと諦めていたので、実は渋々肯定する。
「分かった。」
「うん……って、ええ!?」
あっさりとしすぎた拓也の態度がにわかには信じられなくて、実はそんな素っ頓狂な声をあげていた。
「はぁ…。お前のその反応を見るの、何度目だろうな。」
拓也は苦笑する。
「友達を信用できないほど、性根は腐ってない。待てって言うなら、ちゃんと待ってやるからさ―――」
拓也は膝の上に額をつけ、深く息を吐き出した。
「頼むから、逃げないでくれ。」
「………っ!!」
その言葉に、実は思わず息を止める。
「お前は、目を離したらすぐにいなくなって帰ってこなくなりそうで、見てるこっちは気が気じゃないんだ。正直……距離感が分からない。でもな、それでもお前にとことん付き合うって決めたのはおれだ。だから歩み寄ってくれとか、気を許してくれとは言わない。でも、せめて……逃げないでほしい。」
「………」
うつむいて心の内を吐露する拓也は気付かない。
その時の実が、どんなに複雑な表情を浮かべていたのかということに。
実は震える手を拓也へと伸ばしかけて、やめる。
口を開き、結局は何の音も発することなく閉じる。
相対する気持ちと行動。
結局、いつだってこうだ。
背を向けるのは、いつだって―――
「………善処、する。」
脳内では色んな思いが嵐を起こしているのに、表に出るのは必死に絞り出したような切なげな声だけだった。
拓也がゆっくりと顔を上げる。
その目を見ただけで、拓也があふれそうになる感情を一生懸命押し殺しているのが分かってしまった。
彼は、直情的な性格を捻じ曲げてまで自分の心を抑えているのだ。
それなのに、拓也はこちらを見ると微かに笑った。
「―――っ」
途端に込み上げてきた、なんとも形容できない衝動。
とっさに何かを言いかけたが、それは「あ…」という拓也の呟きに阻まれてしまった。
拓也は実の耳元に手を伸ばす。
「これ……」
どうやら、拓也が手にしたのは耳飾りのようだ。
「何?」
「いや…。なんかこれ、少しだけ光ってるなって思って。」
「え?」
言われて、実は耳飾りの片方を外してみた。
拓也が言うとおり、それは月の光を受けて微かに光っている。
それを確認して拓也の耳飾りを見てみるが、そちらは光っていなかった。
「………」
しばしの無言。
その間にも、実の頭は高速で回転する。
「ありがとう、拓也。」
「は?」
唐突に礼を言われ、拓也は不思議そうに首を傾げる。
そんな拓也の前で、何か確信した実は笑みを深めた。
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