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Rainy Rainy Days 雨ノ降ル村ニ 前編

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 雨。時には恵みをもたらし、時には災厄と化す。しんしんしとしとと降る雨は、気分をほの暗くさせる。
 植物は歓喜に打ち震え、人は豊作を祈る。
 特に、日本にも存在する『梅雨』なんていうものはインバワルズにも存在する。数日止まない雨が村々の畑を濡らし、川幅を増させる。
 俺は雨は嫌いじゃない。しとしとと静かな雨音は、聞いていて心が落ち着く。でも、今回はそんな雨音をかき消すようなそんな事件。





「これで四日目か……」
 俺は空を見上げる。空には、鉛色の雨雲が立ち込め、涙を流している。インバワルズの梅雨は、日本よりは長くない。でも、それでも長いことは長い。
「まあ、嫌いではないけれど、さすがに鍛錬などはできないよなぁ……」
 雨は人の行動をかなり制限させる。魔法の練習か、筋トレ。もしくは本を読むなど色々やっていたが、さすがにやることが無くなってきた。しかもなんかみょーに力が満ちてるんだよなここ数日。
「……出かけるか」
 一念発起。家にこもってばかりじゃいけない。少年よ書を捨てよ! 街に出よ! ……だっけ。
 俺は日本で買ったレインコートを着てみる。
「おお、悪くない」
 この世界の傘は、とにかく重い。革を縫い合わせて作った傘は、重量が五キロほどある。しかも、水を吸うと倍以上重くなる。貴族が使う布製の傘でさえ、二キロはくだらない。まあ、魔法の傘もあると言えばあるが、それは魔力消費が激しいため、使えるものは限られる。
「この世界でビニール傘売ったら大儲けだな」
 あの安くて恐ろしいほど軽い傘のことを思い出し、苦笑する。
「あ、少し出かけてくるから」
「出かけるのか? せっかく帰省中なんだから、もうちょいゆっくりしてろよ」
 リビングで木の彫り物をしていた親父が手を止め、俺に話しかける。
「いやいや、もう四日もぐーだらしたからな。家にばっかりいたらカビちまうぜ」
「あ、そうかい」
 親父はけだるそうにまた、木の彫り物を始めた。





「これ、めちゃくちゃいいな!」
 俺はレインコートに興奮を隠せない! すげぇ! 便利! 傘と違って手もふさがらないし!
「これはみんなの分買っとかないとな」
 頭の中でメモしておき、ぶらぶらと街を歩き回る。雨が降っているから、ほとんど人の姿はない。昼間なのに、まるで真夜中のような静けさ。しとしとと降る雨音がなければ時が止まったかのようだ。
「……あれ? だれか走ってるぞ?」
 急遽、ばしゃばしゃと水たまりも気にせず走る音が聞こえてきた。
「おぉ、ネリア。久しぶりじゃの」
「あ、ソアさん。お久しぶりです」
 走っていたのは、ソアさんだった。
「うー、寒いのぉ……して、それはなんじゃネリア」
「あ、これですか? レインコートです。めちゃくちゃいいですよ。後で買ってきますね」
「ほお、びにーるで作ったローブというわけじゃな。なるほどなるほど」
 よく見たらソアさんは傘もささず、全身びしょぬれだった。……というか、服、スケスケなんですけど!
「そ、ソアさん! 服スケスケですよ!」
 俺は慌てて横を向く。紳士的配慮。これ大事ね!
「お、興奮したか? したのか?」
「なんでそんな嬉々としてるんですか……」
 普通の反応なら、キャー! えっち! とかじゃないの?
「……いかん! こんなことしている場合ではなかったわい! ネリア!お主もちょうどいいから来るのじゃ!」
「え? どこへですか?」
「サイフォスの家じゃ!」







「ネリアよ、雨はどれぐらい降り続いておる?」
「あー、四日ぐらいですけどどうかしました?」
 俺とソアさんは、サイフォスさんの家に向かって走っている。
「マズいの……リミットぎりぎりじゃ」
「リミット? あの、さっきから話がわからないんですが」
「今話す余裕はない! 確認したら話すのじゃ!」
 逼迫したソアさんの顔を見て、俺は走るスピードを上げた。
「……見えてきたぞ! サイフォスのボロ屋じゃ!」
 ……もうちょい別の言い方してあげてよ……。
 ソアさんはドアをノックするのももどかしいのか、無理やり扉を引きちぎった。
「ちょっ!」
「こんなん後で直すわ! 今はサイフォスの確認が先じゃ!」
 どたどたと家に上がり込む。
「おじゃましまーす……」
 俺は一応靴は脱ぎ、中に入る。
「……あー! もしかしてぇ! 師匠とネリアくん! わーい!」
 一番奥の部屋から、嬉しそうなサイフォスさんの声が聞こえてきた。
「……はぁ、間に合わなかったようじゃ……」
 ソアさんが、苦々しげな顔でため息をついた。
「あの、さっきから本当に話が読めないんですけど、説明お願いします」
「ああ、そうじゃったな……」
 ソアさんは、こめかみを抑え、また一つため息をついた。
「ネリア、今のこの時期は梅雨だということは、もちろん知っておろう?」
「はい。それぐらいは一般常識ですけど」
「うむ。で、梅雨というのは、ただ大量に雨が降るだけではない。同時に大量の水のマナが大気中を漂うのじゃ。ここまではわかるな?」
「はい。それで、大気中に水のマナが漂うとなにが起きるんです?」
 それなら一応俺でも知ってはいる。ただ、それが何を引き起こすんだ?
「別に何も、が答えじゃ。もともと大気中に漂っているものが増えるだけじゃから、そこまで何か起きるとかそういうわけではない。まあ、多少じっとりする程度じゃろう」
「じゃあ全然焦ることはないじゃないですか」
「……もちろん、物事には例外というものが存在する。水の魔法使いがそうじゃ」
「水の魔法使い、ですか」
 ってことは、サイフォスさんと……俺?
「そうじゃ。水の魔法使いは、空気中に漂う多量の水のマナを無意識的に吸収する。そして……その無意識的に吸収されたマナが溜まりすぎると、オーバーヒート状態になるのじゃ」
「まじですか⁉」
「うむ。まじじゃ」
 ってことは俺も?
「あ、お主は大丈夫じゃ。もともとセンスが無いから、そこまで吸収しとらん」
「ヒドイ……」
 傷つきました、ぐすん。
「問題なのは、あの天才、サイフォスじゃ。お主とは比べ物にならないぐらいのマナを、無意識的に吸収しておる。少しやりずらいかもしれないが、集中してサイフォスの魔力を見てみるのじゃ」
「わ、わかりました」
 俺は少し集中し、サイフォスさんの魔力を探る――
「っあっ⁉」
 俺ははじかれたように、頭を反らした。
「……感じ取ったか、サイフォスの魔力を」
「……はい、やばいです」
 そう、今のサイフォスさんの魔力は、普段の数倍ほど。もともと高い魔力を持つサイフォスさんが、数倍強い魔力を持っているとか……今のサイフォスさん、ソアさんよりも強いかも。
「しかも厄介なことに、サイフォスは魔力酔いするのじゃ……」

 魔力酔い。それは、魔導士の中でもごくまれに存在する病気のようなものだ。大量の魔力を浴びると、まるでお酒でも飲んだかのように酩酊状態へ陥るというものだ。
「本来はこんな状態になるほど魔力を浴びる機会なんて言うのは、そう無い。じゃが、梅雨は別じゃ。絶え間なく吸収される魔力が、サイフォスを狂わすのじゃ」
 ……久しぶりソアさんのやばい時の顔を見たな……。
「多分じゃが、今のサイフォスは、わしよりも強い。一番いいのは、梅雨が終わるまで放置……なのじゃが」
「ねー、二人ともどうしたの? 入っておいでよ! 来ないの? あ、じゃあ私から行くね!」
 がちゃり。サイフォスさんは待ちきれなくなったのか、部屋の扉を開け、廊下に出てきた。
「……あれ? サイフォス、さん?」
「ん? どうしたのネリアくん?」
 出てきたのは、いつもの黒髪と違い、鮮やかな青色の髪のサイフォスさんだった。
「今のサイフォスは、過剰に吸収した水のマナを髪の毛にも溜めておる。そのため、このような色になっているのじゃ」
 ソアさんがさらりと解説を入れてくれる。
「あ、お茶いれますねー。どーぞそこでお座りください!」
 テンションが、いつもとは比べ物にならないほど高いサイフォスさん。
「うーあー、そのじゃなサイフォス」
「はい? どうしたんですか師匠。……あーもうだめ、やっぱ師匠かわいいよぉぉぉぉ!」
 サイフォスさんはソアさんを少しの間見つめたのち、はぁはぁ言い出しながらソアさんに突撃しだした!
「ちょっ⁉ 落ち着くのじゃサイフォス!」
「落ち着いてなんていられませんよー! かわいいよー! 師匠……ソアちゃんぺろぺろ!」
 …………重症だー!
「えぇい! 面倒じゃ! いでよ式神! 式神式分身じゃ!」
 身の危険を感じたのか、ソアさんは急いで式神による分身を行った。その数五体! す、すげぇ!
「ふふ、わが弟子サイフォスよ」
「本物かどれか、さすがにわからんじゃろう?」
「わしもどれが本物かはわからんぞ?」
「さあ、当てられるものなら当ててみよ!」
 次々にソアさんたちが話しだし、サイフォスさんを惑わせる。
「わー! ソアちゃんがいっぱい!全員抱きしめないと!」
 サイフォスさんは目を輝かせたかと思うと、両手を広げ、水を大量に生成する。そして、その水は徐々に人の形を取り始め……サイフォスさんとまったく同じ顔、服、姿になった。これは……サイフォスさんの水分身⁉ でも、あれは三体が限界だったはず!
 しかし、現れた水分身は、サイフォス三合わせると十体。……ソアさんの二倍⁉
「な、なにっ⁉」
 ソアさんたちは顔を引きつらせて、逃げようとする。しかしサイフォスさん軍団がソアさんたちに突撃し、もみくちゃにし、一人ずつ抱きしめられていく。
「幸せー! やーんもうかわいい! 大好き!」
「む、無念じゃ……あとは任せたぞネリアよ……」
 そして最後の一人……つまり本物のソアさんはサイフォスさん十人に抱きしめられ、がくりと気絶した。
「……いやどうしろと⁉」
 あの人、大事なことを何ひとつ言わずに気絶したんですけど!
「さあ、次はネリアくんだねっ! 何して遊ぼうか?」
 マズい! 次の標的は俺だ! ど、どうしよう……!
「……ご主人! 私に考えがあります!」
 こ、この声は!
「じゃじゃーんと登場ナナカですっ! お話は聞かせていただきました! 私に考えがあります!」
「本当か⁉ その策とはなんだ⁉」
「でも! 余裕がないのでここは一人犠牲にしましょう! イチカお姉ちゃんー! 私、今すぐ会いたいなー、なーんて……」
「呼んだか我が愛しの妹よー!」
 ぼんっ! といつものナナカの登場と同じ煙が出て、そこからイチカが出てきた。
「よし! 召喚成功! 早速ですがお姉ちゃん、少しだけサイフォスさんのお相手、お願いできます?」
「ぬ? それはどういうことだ?」
 とりあえず勢いで来たものの、状況が呑み込めていないイチカ。
「お願いお姉ちゃん!」
 説明する暇もないと、勢いで乗り切ろうと強引にお願いするナナカ。
「よくわからんが承知した! このイチカ! ナナカの願いを聞き、申し訳ないがサイフォス殿の前に立ちふさがらせて頂こう!」
「よし! ちょろい! 行きますよご主人!」
「ひどい……」
 あまりにも雑な姉の扱いに涙を隠せない。
「いいんですよ! あれぐらいのがいいんです!」
 笑顔でさらりとひどいことを言うナナカに連れられ、サイフォスさんの家を脱出した。



「あー! イチカちゃん! イチカちゃんもかわいい! どう? こういうかわいい系の服とか着てみない?」
「か、かわいい⁉ 私が⁉」
 突然の言葉に動揺するイチカ。
「うん! とーってもかわいいよ!」
「はぅ!」
 かわいいと褒められたことのないイチカは、赤面し、口元を抑える。
「あぁー、その反応、かわいいぃ……」
 サイフォスはイチカに抱き着く。
「うふ、うふふ……」
「ひゃっ⁉」
 そのままサイフォスは抱き着いたままイチカの耳を甘噛みし、耳にふっ、と息を吹きかける。
「な、なんのつもりだ?」
「んー、もう反応がかわいすぎるから、こうなったらとことんやらないと……」
 耳元でささやかれ、顔がその髪と同じような赤色に染まる。そして、サイフォスは緩んだ着物のたもとに優しく手を入れ、首筋を舐める。
「さあ、あなたのかわいいところを全て私に見せて……?」
「ひぅ……」
 

 数分後、サイフォスの家には、顔を上気させ、口の端から軽くよだれをたらし、とろんとした目で女の子座りをしているイチカがいるだけだった。
「さあ、待ってね? 私のとーっても大好きなネリアくん!」






「はぁ、はぁ、こ、これぐらいでいいだろ……」
 俺は汗か雨かわからないが、滴るものを拭う。ここはサイフォスさんの家からかなり離れた森だ。少しの間は安心だろう。
 俺たちは濡れるのも気にせず、話し合う。
「で、ナナカ。お前が言っていた策とはなんだ?」
 あのソアさんですら敵わなかったサイフォスさんを、一体どうやって止めるんだ?
「ふっふっふっ……私はシスターズですよ? それぐらいバッチリです!」
 おお、頼もしい。
「それでですね、軽くあのサイフォスさんの状況を補足説明させていただきますと、まあ、今のサイフォスさんをソア様は『纏』と呼んでいました。あの状態は、本当の精霊にも劣らない魔力量なんですよ。ここまでわかりました?」
「ああ。確かにあの魔力量はヤバすぎる。ゾッとするぜ」
 俺も自分の魔力が高まっているのは感じている。しかし、あれは尋常じゃない。
「そうです。だから、正面からは当然無理なので……」
 ニヤッ、とナナカが悪そうに笑った。

「サイフォスさんと、デート、しましょうか」

「……は?」
 何を言っているんだコイツは。
「ご主人、ふざけていると思うかもしれませんが、これにははしっかりとソースがあります。しかも、何件も成功例が」
「……マジかよおい……」
 ナナカが自信たっぷりに言う。
「十数冊に渡り、その事例や方法が記された書があるんです。その方法に基づき、サイフォスさんを倒すのでは無く、その魔力を『封印』してしまいましょう」
 ……なるほど。倒すのではなく、その原因となる魔力を封印してしまおうということか。 確かに、抜くには魔力が漏れる危険もあるし、意外と合理的だ。……方法を除けば。
「さあ、時間がないですよご主人! 急いで着替えましょう!」
 ナナカは俺たちサイズになり、俺の手を引く。
「わ、わかったから! で、どこに行けばいいんだ?」
 ええい! こうなりゃヤケよ! やるしかねぇのさ俺!
「……どうしましょうかねぇ」
「ズコーッ!?」
 いきなりのノープランに俺はずっこけた。
「うーん、図書館とかどうです?」
「アホか! 図書館デートとか、地味すぎるだろ!」
 全然頼りにならねー!
「こうなったら俺が急いで考える! ナナカは俺の部屋のタンスの二段目に入っている服とクローゼットにある右から三番目の服を持ってきてくれ!」
「……四段目の奥に入っている本は――」
「触らんでいい! 頼む! 触らないで!」
 それはあかんやつ! 友達にもらったやつ!
「ふふーん、冗談ですよ。では!」
 ナナカは再び妖精サイズに戻り、急いで俺の家まで飛んでいった。途中途中で大きな雨粒に当たってよろけてるけど、大丈夫か?
「……んで、一体どこへ行けばいいのか……」
 まず、雨が厄介すぎる。本当に厄介。外を巡る系は封じられているし、ブルーライドに行こうにも、この雨じゃな……。かなりの難題だ。ぬーん……。
「あ! いた! ネリアくーん!」 
 しまった! もう見つかってしまった! どうしよう!
「さ、サイフォスさん!」
 もう俺は腹をくくった。やるしか無い!
「んー? どうしたのネリアくん? あ! もしかして……愛の告白?」
「い、いえ、そういうわけではないんですが。……サイフォスさん、俺とデートしましょう!」










「ナイス時間稼ぎですよご主人!」
 数分後、服を抱えたナナカが俺たちサイズで走ってきた。あ、そうか。妖精サイズだと、服が重すぎて飛べないのか。
「いや、根本的解決になってないからな。で、得られた時間は二時間」
 そう、俺は先程こう言ったのだ。

「デートしましょう!」
「えっ! ネリアくんから誘ってくれるなんて……嬉しい! じゃあ、すぐに行こ?」
「あ、そのことなんですけど、流石にこの服で行くのは失礼だと思うので、二時間後、ここに待ち合わせでいいですか? 着替えたり、いろいろ用意しますので」
「……うん! 私もイロイロ、準備しとくね?」
 妖しい笑みを一瞬浮かべたものの、また天真爛漫な笑顔に戻りまた二時間後、と家に上機嫌で帰っていったわけだ。
「……ご主人もタラシになってきましたねぇ」
「第一声がそれか! 俺の努力をその一言で片付けるな!」
 けっこう緊張したんだからな! 
「……そういうの、私にも言って欲しいですよぅ……」
「ん? なんか言ったか?」
「いいえ何も。さて、どうするつもりですかご主人」
 ナナカが小声でなにか言った気がしたが、まあ、いいだろう。
「そうなんだよな。屋外系は封じられてる。……ショッピングも正直グレーゾーンだ」
 二時間という決して長くない時間が俺を焦らせる。
「……しょうがないですね! 私にお任せください! こんなこともあろうかと、アドバイザー数名に声をかけておきました。今、ご主人の家に集まってもらっているので、念話を繋ぎますので、少々お待ちを」
 ナナカが俺と意識をつなぎ、そして複数名の意識もつないだ。
(……あー、あー、聞こえるか我が弟子よ)
「……師匠?」
 この渋くて低いイケボは、俺の師匠、ガヤエアのものだった。
(おう。なんでもこの村のピンチだと言われて来た)
(俺もいるぜー!)
 マザイの声もした。
「……ナナカよ」
「はい! 何でしょうかご主人!」
「……恋愛で成功していない二人を呼んでどーすんだよ!」
 恋愛に関しては超奥手な師匠と、そこそこイケメンのはずなのに、なぜかモテないマザ兄を呼んでも戦力にならんだろうが!
「ええ、そうですご主人! 正直いらないかと思いましたが、いないよりマシかと思って連れてきました!」
((扱いがヒドい⁉))
「結局アドバイザーが使えないじゃんかよ……」
 俺が諦めて自力でなんとかしようと思ったその時だった。
(はーい、ネリアくん。私もいるわよ~)
「こ、この声は!」
 俺はこの声の主に期待を抱く。
(ナナカちゃんがね、緊急だって言って連れてきたの。あ、『事情』は聞いているから、フェイウには何も言ってないわよ)
「……あざっす」
 そう、この人はフェイウのお母さん――メーナさんだ! 恋愛経験豊富で、なによりもフェイウよりも、そう、フェイウよりも今どきの女の子の心を心得ているのだ! あ、大事なことだから二回言ったからね。
(たしかに雨の日は行動範囲が限られるわよねー。外で何かをするというのも難しいし、かと言って買い物もアレだし……)
「そうなんですよ。今、そのことでとっても困っていて」
 俺が正直に悩みを打ち明けると、メーナさんは向こう側でうふふ、と含み笑いをした。
(大丈夫よ。私がしっかり考えてあげる。でも、それよりもまず、その服はアウト。はい、今から戻って来なさい?)
「え? 今着替えを持ってきてるんですけど?」
(あうと。先程ナナカちゃんが持ち出した服よね? 季節感のかけらもないし、野暮ったいわ。さあ、戻ってきなさい?)
 言葉遣いは丁寧だが、なかなかの罵倒。
「あ、はい……」
 結局逆らうことができなかった俺は、急いで俺の家まで戻った。






「うん、やっぱりだめ。こんなムシムシ暑いのに、その服を着ようと思ったの?」
「す、すいません……」
 うぅ、ファッションセンスゼロなんですよぉ……(泣)。
 ちなみに三人とも俺の部屋にいます。で、邪魔な男二人は今は廊下に出してます。ぶつくさ文句を言っていたが無視だ無視。
「全くもー、フェイウもアレだし、ネリアくん、もうあの娘とお似合いのカップルじゃない?」
「えちょ、そういうのやめてください」
 それ、本気で洒落にならんやつ! つーか『あの』フェイウのファッションセンスと一緒にしてほしくない!
「ふふふ、冗談よ。おねーさんの」
 と、無邪気に笑う。……やっぱ美人だ。しかもフェイウにそっくり。……ってイカンイカン! 変なことを考えている余裕は無い!
「そ、それで、プランは決まったんですか?」
「そうね、だいたい固まったわ。ふふっ、楽しみにしてなさいな」
 そう言いながらメーナさんは俺のタンスを漁る。
「んーと、これはダメ、これもダメ……あー、これなら、まあ……。他は……」
 俺のお気に入りの服が次々とダメ出しされていく。
「……うーん……妥協点、って感じかしら?」
 少し渋い顔したメーナさんが服を渡してくれる。
「とりあえず着てみて? それで考えるから」
「わ、わかりました」
 メーナさんに別部屋に移動してもらい、急いで着替える。渡された服は、マザ兄からもらったお下がりのジーンズ、水色で無地のVネックのTシャツ、そしてチェック柄のシャツだ。

「…………不合格!」
「そんなっ⁉」
 メーナさんの選んだ服なのに⁉ やっぱり顔か⁉ 顔なのか⁉
「どうしてかって言うとね、ポイントは二つ。その一。ズボンの裾があまり過ぎ。だから……こうやってっと」
 メーナさんがかがんで俺のズボンの裾をまくる。
「……うん、このズボン、裏地がおしゃれなの。ほら、まくったけど、全然大丈夫でしょう?」
「そうですね、むしろ自然な感じがします」
先程のダボついた印象が一気に無くなった。スッキリした感じ。
「そして、その二。どーしてシャツのボタンを留めてるの?」
「えっ? 留めるもんじゃないんですか?」
 その質問に俺は驚きを隠せない。
「もー! 二人揃って同じこと言ってる!」
 ぷりぷりと可愛らしく起こるメーナさん。
「別に閉めても悪くはないのよ? ただ、そんな首元までカッチリ留めてたらキツいでしょ?」
「あー、それは……」
 自衛隊ではここまでしっかり留めないとすっげー怒られるんだよな……。
「どこまで外していいんですか?」
 第一ボタンまでぐらい?
「んーとね、せっかくVネックのTシャツ着ているんだし、いっそ留めないってのはアリかもね」
「なるほどー……」
 うーん、おしゃれって難しいのな……。
「服なんて動きやすければいいのにな」
「そう! ガヤさんわかってるぅ!」
 ……モテない二人組のモテないトークが廊下から聞こえてきた。……救いようがない。
「よし、とりあえずはこれでオーケー。じゃあ、あとはデートコースなんだけど……」
「なんだけど?」
「とりあえず秘密!」
「……へ?」
 な、なんで?
「だって今言っちゃったら、ネリアくんの楽しみが無くなりそうだからよ」
「別に俺は楽しまなくても問題ないんですが……」
「ダーメ。女の子はね、男の子が一緒に楽しんでいないと、楽しくないのよ」
「そうなんですか?」
「そうよ。だから今度うちの娘とデートするときはよろしくね!」
「うっ、す、するかはわからないですけど、まあ、頭の片隅には入れておきます……」
 あくまで覚えておくだけですから!
「そう? 楽しみにしているわね。……さて、それは置いておいて。そろそろ出発しましょうか」
「あ、結構時間経ちましたね」
 俺は日本で買った腕時計を見る。残り時間はだいたい一時間ぐらい。
「待ち合わせに遅れるのが一番やっちゃいけないことだからね」
「そうですね。……あなたの娘さんは毎度毎度三十分ほど遅刻してくるのですが……」
「……ご、ごめんなさいねぇ……」
 ひじょーに申し訳なさそうなメーナさん。お互い大変ですね……。





「……ふぅー……」
 俺は何度目かわからない深呼吸を繰り返す。
「落ち着け、落ち着け……」
 今はサイフォスさんとの待ち合わせの十分前。雨は相変わらず降り続いている。
「……お待たせー! 待った?」
 そんな時、雨が若干強く降ってきた。……サイフォスさんが近づいてきた証拠だ。
「い、いや、全然ですよ」
 少し声が上ずる。な、なんていう威圧感……!
「それなら良かった! その、どうかな! この服!」
 サイフォスさんはにニコーッと普段とは違う無邪気な笑みで聞いてくる。
「とってもいいと思います……! サイフォスのイメージにも合っていて、それでいて新鮮味もあって……」
「んー! ありがとう! どんな服を着ようかすっごーく悩んだの! 嬉しいわ、褒めてくれて!」
 にっこりとサイフォスさんが笑う。普段よりも表情豊かで、感情表現が激しい。
 今、サイフォスさんが着ている服は、『雨』というのを俺に強く意識させた。まず、上はおしゃれな編み込みが肩の部分に入ったゆったりとしたTシャツ。そして生足が眩しいホットパンツ。それに加えてレインブーツというのだろうか? 水を弾く膝下まである編み上げブーツを履いていて、ジメジメした中でも不快感を感じさせない、むしろ見ているだけでさわやかになる格好だ。そして何よりも……
「め、珍しいですねポニーテールなんて」
 そう、サイフォスさんが今は水色に輝く長く、艷やかな髪をポニーテールにしているのだ。いつもは見えることのないうなじなどが見えて、とても新鮮味を感じる。
「ふふっ、たまには気分を変えてみないとね。それにね? ネリアくんとデートするんだから、ネリアくんの知らない私を見てほしくって……」
 その言葉に俺は、気恥ずかしさと、嬉しさを感じ、頬を掻く。
「か、買いかぶり過ぎですよ……さ、そろそろ行きましょうか」
 俺はエスコートするようにサイフォスさんに傘を差し出す。
「ありがとう、でも、大丈夫よ」
 笑いながらパチン! とサイフォスさんは指を鳴らした。すると――
「えっ……?」
 膨大な魔力が大気を揺らし、サイフォスさんの周りに集まった。
「少しだけ、雨を止めておくね?」
 ………………うっそだろオイ……。
 今、サイフォスさんが行ったのは、天候操作だ。天候を操るというのは、たとえ水魔法や、風魔法の熟練の使い手でも難しい、というか不可能に近い。できても数秒程度だろう。本当にやべぇよこの人……。今の状態が凄いってのもあるけど、元々持っている素質が高すぎる……!
「さ、行こうネリアくん!」
 そう言って彼女は俺の手を掴む。
「うおっ……!」
 女性の手って柔らかい……! と感じ、ドギマギしながら歩き出す。
(やっほー、聞こえてるネリアくん? あ、返事はしなくて大丈夫よ。さて、このまま道をまっすぐ進んでね。その都度連絡するからー)
 メーナさんの声が聞こえる。心強い!
(あー! 俺もサイフォスさんとデートしてぇよー! つか、変われネリア!)
(あー、なんだ、青春してるなーネリア。あ、フェイウちゃんにバラしたら面白そうだなぷくく)
 ……外野、うるさい。まじで使えん。それと師匠、それだけはやめてください、後生ですから。

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