昨日の君に未来の僕を

春血暫

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第9話

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 やっぱり、『かんばる』とかいう男が愁哉を惑わしたんだ。

 僕のなのに。

 愁哉には、僕しかいないのに。
 僕にも、愁哉しかいないのに。

「なに? 僕と、ずっと一緒でしょ? 愁哉は、僕のだからね」

「……んだよ、クソガキ。だったら、悲しませたりすんじゃねえよ」

「は?」

「もう、主人とかそういうのどうでもいい」

 男は、僕に向かってイライラしたような顔をする。

「てめえが、ガキだから。この人が、苦しんでんだろうが」

「何言っているの?」

「そりゃ、こっちの台詞だ」

「……もう、ワケわかんない」

 僕はそう言って、愁哉のところに行く。

「行こう? 部屋に戻ろうよ」

「え、ちょっ――」

「何? まさか、あの男のことが好きとか、そういうの言わないよね? やめてよ、そんな冗談。愁哉が好きなのは、僕で。僕が好きなのは、愁哉しかいない。他は、なんもない!! そうでしょ!?!?」

「ゆ、優馬……」

 愁哉は、僕を見て困ったように笑う。

「お願い、今は来ないで」

「は?」

 何それ。信じられない。
 どうして? こんなにも、愛しているのに。

「何?」

「俺、ゲロったからさ。汚くなるよ?」

「気にしないよ。僕がきれいにしてあげるから」

 行くよ、と愁哉の手を引くと。
 愁哉は、僕の手を軽く振りほどく。

「ごめんね」



 どういうことかは、自分でもわからない。

 でも、俺は優馬の手を振りほどいて。
 小さく謝罪をして。

 そこから、逃げた。

 怖かったんだと思う。
 苦しかったんだと思う。

 願っていた世界とは、自分は違うところにいて。
 怖くて、逃げた。

 遠く離れたって、愛していて欲しいと願った。

 だけど、こんなのは間違っている。

 誰も、こんな狂った世界。
 望んでなんかいなかった。

「っくそ!!」

 俺は近くにある壁を殴り、そのままズルズルと落ちる。

「こんなん――誰も望んでねえだろうが!!」

 ぽた、ぽた、と雨が降る。

 ああ、今日は雨なんだ。
 そんな、ことを思って雨に打たれていると。

「何やってるんですか」

 と、聞き覚えのある声がする。

 振り向くと、そこには神原さんがいた。



 百鬼さんが、つらそうな顔を隠しながら(でも、バレバレ)走ったのを俺は追いかけた。
 坊っちゃんは、というと。
 ただ、ぼーっと立っていた。

――つれえなら、連れ戻すくらいしろ。

 そう思いながら、走っていたとき。
 雨が降りだした。
 俺は、折り畳み傘を差して行くと。
 すぐそばのところで百鬼さんは雨に打たれていた。

 百鬼さんは、身体が弱い方だから。
 風邪を引いてしまう。

 俺はため息混じりに、彼の上に傘をやって声をかける。

 彼は、少し驚いたような表情で俺を見て、小さく笑う。

「悪いね、神原さん」

「いや、いいんですよ。それより、どこかで一服しますか?」

「うん」

「じゃ、行きますよ。立てますか?」

「立てるよ」

 と言って、百鬼さんは立ち上がったが。
 すぐに、フラッとして。
 思わず支える。

あっねじゃねか」

「何語?」

 と、百鬼さんは笑う。

「ありがと。神原さん」

「いや。その、うっかり地元の方言が出ちゃうんですよ」

 出たとき、すごく恥ずかしいけど。

「わけわかんないですよね。すみません」

「いや、いいよ。地元、どこだっけ。神呪さんと同じかな」

「いや、それはどうでしょう。俺、鹿児島です」

「そうなんだ」

 百鬼さんは、興味深そうに頷き、ニコッと笑い俺を見る。

「今度さ、地元紹介してよ。俺、あんまり見たことないんだよね。外の世界」

「そうなんですか?」

「そうだよ。ずっとこの辺にいるの」

「……電車とか、わかります?」

「乗れば、なんとかなるでしょ!」

「ダメだ、この人。乗るまでに時間がかかるよ」

 はあ、とため息を吐くと。
 百鬼さんは「あ」と言う。

「ため息ばかりだと、幸せが逃げていっちゃうんだぞ」

「……なんで、そんなかわいい声で言うんですか。あんた、男なの? 本当に」

「男だと思えば、男だし。女だと思えば女だよ。まあ、俺は自分のことはおとこだと思うよ」

「そんな身体とか弱いくせに」

「あ、バカにしてるでしょ?」

「してないですって」

「嘘だね、してるね。してるよ、その感じぃ」

 あはははは、と百鬼さんは笑った。

 さっきまでの愛想笑いとかではなく。
 心の底から、のような笑顔と声。

 もし、俺がいるから。
 俺の傍にいるから。

 とか、そういうのだったら。
 とても、嬉しいし。
 幸せだと思う。

「ね、百鬼さん」

「何?」

「俺と、このまま駆け落ちします?」

「え――」

 吃驚したような表情で百鬼さんは固まる。

「あの、本気?」

「本気ですよ。俺は、あなたを守りたいんだ。あなたがずっと笑顔で、幸せであってほしいから」

「…………」

「これを恋というのかもしれない。いわないかもしれない。どっちでもいいと思えるくらい、俺は百鬼さん――あなたが、大好きだし。大切だよ」

「……うん」

 百鬼さんは、俺のネクタイを持って接吻する。

 衝撃過ぎて、長くされているような気がした。

 でも、実際は数秒だと思う。

 吃驚して、固まっていると。
 百鬼さんは、ニコッと笑い「ファーストキスだったかな?」と言う。
 俺は、小さく頷いて「そうだよ」と言う。

「20で、童貞。悪かったな!」

「あはははは」

「笑うな! で、答えは?」

「うん。君の好きなように、どこにでも連れていって」

 百鬼さんはそう言って、俺を見る。

「恋愛かどうかは、わかんない。でも、俺だって君のこと好きなんだよ?」

「……本当に、いいの? 左坤くんじゃなくて」

「うん。もう、彼は死んでしまったんだよ。いつまでも、過去に捕らわれていてはいけないよね」

「ああ、俺もそう思うよ」

「君に出逢って、何かが救われた気がする。だから、この時代は、君に賭けてみようと思うの」

「賭ける?」

「うん。君との恋で、どれくらい世界が変わるのか」

「何それ。変なの」

 でも、とても面白いと思う。

「オッケイ、その賭け。俺は乗ったぜ」

「やった。どっちが勝つかな」

「引き分けを希望するね」

 そう笑い合いながら、俺たちは近くのファストフード店に入った。
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