35 / 60
第三十五話 封じ手
しおりを挟む西の空が茜色に染まり、山水園亭の周りも夕闇が迫ってきている。
吉川はレクサスNXを山水園亭の駐車場に止め、大盤解説会場に向った。事前に山口県警から吉川が入ることは許可を得ている。
大盤解説会場に入ると、引退棋士の加藤を前にして、美都留が封じ手の予想を尋ねていた。
スポンサーの塚本社長が殺されたが、女流名人戦は粛々と開催されている。会場には南場社長や桂編成部長の顔を見える。
道場主の夏山は見当たらなかった。
ここには来ていなかったのか。
盤面は、後手北山四段の美濃囲い三間飛車に対して、金海女流名人は棒銀の2六銀、2八飛車に対し玉が4八と右玉風に飛車に接近して構えている。
「一日目が終わり金海女流名人の封じ手ですが如何でしょうか」
「AIの評価値はそうなのだが、先手の金海女流名人が攻めなのか受けなのかどちらでも対応できる不思議な構えをしているね。
私なら玉と飛車を遠ざけるように、左の方に玉を持っていって囲いたいなあ。三島くんの予想はどうなのだ」
「ここまでの金海女流名人の指し手は、罠を仕掛けて相手を幻惑させ窮地に陥れようとする感じです。
ですから定跡が教える正しさの逆を衝き、ここは玉を逆に飛車の近くの3七に持って行って局面を混乱させる状況にしてしまう手ではないでしょうか。
2九桂も控えていますから妖しい手で北山四段を誘って意識しない間に玉を討ち取ってしまうのではないでしょうか」
封じ手とは、二日制の将棋対局で一日目の指し手を中断するときに有利不利がでないよう、相手にわからないように次の手をあらかじめ決めておいて封書の中に入れて保管しておくことである。封書は対局の第三者が翌朝の対局再開まで保管している。
「3七玉はさすがに無いだろう。AIの予想はどうなんだい?」
「AIも5八玉で、加藤先生の通りです」
「そうだろう。
というわけで動画と大盤を見ていただいた方へ、加藤の封じ手は5八玉です。」
「加藤先生、ありがとうございました。
日本女流名人戦の一日目の中継を終わります。
明日は朝9時から中継します」
大盤解説会会場に居た人たちも三々五々と去っていく。
対局の中継が終わり初日の仕事が終わった美都留が駆け寄ってきた。
「今晩は残念なことに山水園亭に一部屋用意できたからこちらに泊まることになったの。いっしょに泊まりたかったのに」
美都留が急に小声で、
「塚本社長の部屋が空いたらしいわ。今夜は、そこに泊まるの
それより晩御飯よ。レクサスで昨日のレストランに行きましょう。御曹司のおごりでいいよね」
美都留は大きなカバンを持ってレクサスNXに向って走り出した。
レストランで、昨日とは逆に美都留がバリそば、吉川が焼きカレーを注文した。
吉川は美都留に今日の捜査状況について話をした。
「桂美京という人物が川田と不動産アパートを契約していたのだが、大内が保証人になっていたよ。桂美京は自然死で死亡していたが死亡届も大内が出していた」
「被害者の過去が少しずつ繋がってきたじゃない」
「それから、大内を幼少時に見いだした山口の将棋道場主夏山が川田の不動産会社の顧客であり、川田を神戸三宮のスナックに連れて行っていたよ。
当時三宮のスナックに勤めていた林田と川田は付き合ったが、川田の素行が悪く別れたがっていたものの川田に脅されていたようだ。
夏山に話を聞こうとして大盤解説会場にいるかなと思ったが、居なかったな」
「塚本社長の過去と他の被害者の関係はどうだった」
「大内と懇ろになっていたのが塚本社長。大内の古文書も塚本社長が持っていたとしても不思議ではない。
赤龍戦の対局の時、ホテルのロビーで川田らしい人物と塚本社長が話をしていたのを私が見かけたことくらいかな」
バリそばを頬張り熱いお茶をふうふう言いながら額に汗を流している美都留が吉川の目を見て言った。
「そうすると川田と大内が、過去に山口県かどこかで何かの犯人の秘密を抱えて、林田初段や塚本社長と情報を共有したかもしれないと犯人が思ったのよ。
その情報が漏れると困るから殺したのか、四人に恨みを持って殺したのかわからないけれど、犯人はその四人をすべて消したということね」
吉川のスマホに着信が入った。スピーカフォンにする。
「吉川さん、山口県警の鈴木です。
高嶺城で殺された塚本桂子ですが本日の捜査会議で報告された内容です。本部長が吉川さんにも伝えるよう指示がありました。
塚本が昨日山水園亭に宿泊していたようで、宿泊した部屋の机の上に将棋の桂馬の駒が残されていたそうです。
また、高嶺城の死体のポシェットにあったスマホと日記のような手帳ですが、スマホには大内の電話番号以外は会社関係と取引先だけで、アプリは使っていなかったようです。会社と取引関係の電話番号は数十人でしたがいずれも昨日は山口県外にいたことが確認できました。
それから日記帳ですが会社関係の記述がほとんどでしたが気になる書き込みもありました」
「どういう書き込みですか」
「赤龍戦の対局日の日付に、
『今朝、ホテルのロビーで大内と会った後、知らない人にエレベータの前で「大内の知り合いか、ケイミギョンはどの部屋か。ケイは桂馬のケイだ」と将棋の桂馬を見せられて聞かれた。
大内にその話をしたら、知らないと言われたが動揺していたような気がする』
と記されていました。
また、兵庫県警で川田について事情聴取された日付に、
『写真を見せられて知らないと答えた。あとから考えるとホテルのエレベータで会ったような気がする。桂ミギョンの部屋を聞かれた男』
更に大内と林田が殺されたことがわかった日付に、
『大内が死んだ。
大内から見せられた古文書は大内しか知らない?
そうなら、私が埋蔵品を。
大内が南場と昔話をしたといっていたが、南場は古文書の事を知っているのか。
南場に、大内の古いアイテムを知っているかと鎌をかけたが顔色が青ざめていた』
殺される当日の手帳には、
『大内しか知らない古文書?
この手紙を私の部屋の下に差しいれたのは誰。
【今夜午後11時、高嶺城の山頂から望む一番左端のフェンスの下を覗いて手を伸ばせば埋蔵品の証拠の紙が手に入る。チャンスは今夜だけ。
大内の使者より】
使者とは桂馬の桂ミギョンなのか』
がそれぞれ記されていました」
「鈴木さん、ありがとう。もし可能なら文書の画像データをスマホに送ってください」
「わかりました。明日また会いましょう」
美都留が叫んだ。
「桂ミギョンは桂美京と書くのよ。繋がってきたわ。
わっ。食後のコーヒーこぼしたわ。
昨日のホテルで着替えるわ。吉川さんはそこに泊まりでしょう」
美都留は何故か落ち着いて大きなカバンを手に取った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
