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1巻
1-2
「なーに目をキラキラさせてんだ。悪いが、俺にそんな暇はねぇ」
「え」
誕生日がきたから冒険者登録はもうできるけど、僕の登録は今夜、ギュスターヴさんが招待してくれた夕食の時にって約束してある。僕は仕事が終わる昼過ぎまではギルドに来れないと思っていたし、本当に半休がもらえるかも分からなかったからね。
僕が冒険者登録をする時は、絶対にギュスターヴさんにしてもらうって決めていて、約束もしている。
そんな僕に、「お前が行ってくりゃいいんじゃねぇか?」とギュスターヴさんが言ったから、てっきり一緒に行ってくれるものだと思ったのに!
「なぁんだあ。ギュスターヴさんが戦うとこ見られるかなって期待しちゃった。じゃあ、僕をおまけで連れて行ってくれるパーティーを探さなくちゃだね。エリサさん、森林層に行くパーティーに心当たりってありますか?」
「う~ん……今日はいなそうだね~」
「え、じゃあどうすれば……?」
「ロイ。お前が一人でも行ける場所で、採取できそうな場所が一か所あるだろ。苔の乙女の台座なら、『西の崖のハズレ』で採取できるんじゃねぇか?」
西の崖のハズレとは、僕でも入れる例外の迷宮――『ハズレ』のうちの一つだ。
街から少し離れた場所にある通称ハズレこと『はぐれ迷宮』は、長い年月の間に迷宮から切り離されて、地上に露出してしまった迷宮だ。
はぐれ迷宮は地上にあるので、地下にある通常の迷宮に比べて魔素が溜まりにくく、薄い。
広さも階数も小規模。そのため出現する魔物も少なくて、弱い。
だから半人前の子供でも、出入りを許されているのだ。
魔物は魔素が多いところに集まる習性があり、空気中の魔素が濃いほど強くなる。
それは素材も同じで、魔素が多い場所ほど、貴重なもの、高品質なものが豊富に生育し、たくさん採取することができる。
はぐれ迷宮に生育している素材はありふれたもので、種類や量は少なく、品質もあまり高くない。
それ故に、冒険者たちからはハズレと呼ばれ見向きもされず、ギルドも出入りの管理をしていないのだ。
でも実は、はぐれ迷宮でも時期や場所を選べば、貴重で高品質な素材が採れる場所もある。
「たしかに西の崖のハズレなら苔の乙女の台座も採れるけど、あそこで小納品箱一つ分は難しそう……?」
若旦那さんが本当に必要とする、小納品箱半分の量も厳しいと思う。何日か通ってもいいなら採れそうだけど、納品物の条件は『採取から一日以内』っていう無茶なものだ。
どういうこと? と、僕はギュスターヴさんを見上げる。
すると、ギュスターヴさんがニヤッと笑って、僕の耳にこそりと告げた。
「朗報だ。今、『坪庭の魔素溜まり』の濃度がかなり高くなっている」
「えっ!」
ギュスターヴさんは、カウンターの奥から二枚の紙を取り出した。
「まずはこっちの書類。先月の西の崖のハズレ定期観測の結果だが……〝坪庭の魔素溜まりの魔素濃度は八。来月には濃度十に達すると予想される。また、通常ならば、そのあとひと月で魔素は霧散し、再びゼロに戻るだろう〟だと」
「濃度十! すごい! それなら苔の乙女の台座だっていいものが大量に採れそう!」
ハズレといえども迷宮は迷宮。
ごく限られたエリアに魔素が溜まる魔素溜まりができることがある。
西の崖のハズレの魔素溜まりは坪庭の魔素溜まりと呼ばれていて、僕たちのような半人前のお宝スポットだ。貴重で高品質な素材は、魔素が多い場所で採れるからね!
「で、こっちの書類は、西の崖のハズレの魔素溜まりを見てくるという、半人前用の小遣い稼ぎ依頼だが……やるか?」
「ふふふ! 測定だけの簡単依頼ですね! あそこなら出る魔物はスライム程度だし、日帰りできる距離だし、ロイくん、やるよね?」
エリサさんは受注のスタンプを持ち、僕に笑いかける。そんなの、やるに決まってる!
「はい、受注します!」
苔の乙女の台座はたっぷり採れるだろうし、他の素材もきっといろいろ採れる。
それだけでも嬉しいのにお小遣い稼ぎ依頼も受注できるなんて、すっごくツイてる!
「……あ、もしかして。ギュスターヴさん、これも誕生日プレゼント……?」
「まあな。依頼管理部たちからプレゼントだってよ。ロイ、この依頼の達成額を見てみろ、いつもの三倍だ」
そう言われて、慌ててギュスターヴさんが指さす依頼書を見た。
「本当だ!」
僕は弾かれたように後ろを向く。
すると依頼書を貼り出していた職員さんたちが「おめでとう!」と言い、笑って手を振ってくれた。
「ふふ! みんなもね、ロイくんの誕生日と冒険者登録のお祝いを用意してくれてるんだよ~!」
「えっ!?」
エリサさんの言葉を聞いた僕は、皆も? とぐるっとホールを見回した。
「お誕生日おめでとう!」
「いよいよ登録だな! 夜ゆっくりお祝いしような、ロイ」
「おめでとー! プレゼント、楽しみにしてなさいよ?」
朝の準備に追われている皆が、その手を一旦止めて、笑顔で僕にお祝いの言葉をくれた。
「可愛がられてていいなぁ? ロイ」
「……! う、うん……っ」
照れる僕をニヤニヤ見下ろして、ギュスターヴさんは僕の頭をぐしゃぐしゃっと撫でる。
この撫で方も、十二年目。今日、十三歳になった僕は、子供扱いされるとちょっと恥ずかしいし悔しい気もする。でも、嬉しい。
「あの、みんな、ありがとうございます!」
ちょっと照れ臭いけど、大きな声でそう伝えた。
「それじゃあギュスターヴさん、僕、大急ぎで言い付けられた仕事を終わらせて、ハズレに行ってくるね!」
「おう。あー、待て。そのナイフ、やっぱり一旦俺に預けていけ」
「え? どうして?」
せっかくもらった素敵なプレゼントだ。
離したくないと、僕はギュッと抱えてギュスターヴさんを見る。
「それを下げるベルトがまだなんだよ。昼には出来上がるはずだ。それにお前、そのまま抱えて仕事すんのか? そんなもん見られたら、若旦那にすぐ取り上げられちまうぞ?」
その言葉を聞いた僕はハッとして、ギュスターヴさんにナイフを差し出した。
ギュスターヴさんは若旦那さんとは違うから、安心して預けられる。
「……ナイフを下げるベルトまで用意してくれたの? ギュスターヴさん」
「当たり前だろ。冒険者になるんだから、相棒として持ち歩けるものじゃねえとな。あー、それとロイ。バスチア魔法薬店の依頼は、とりあえずギルド預かりにしておく。現時点では、お前はまだ冒険者登録してないからな」
「じゃあ、今すぐ登録してくれてもいいですよ?」
ちょっと拗ねた言い方になってしまって、我ながら子供っぽいなと思う。
けれど、思いもよらず、朝ギュスターヴさんに会えたから、すぐに冒険者登録してくれるんじゃないかって期待したのだ。
「ん? 魔力測定と【スキル】の鑑定をしなくていいのか? ササッと適当に登録しちまってもいいなら……」
「えっ、いえ! いいです! ちゃんと測定と鑑定してもらいたい!」
そうだ。登録の時だけ、サービスで【スキル】の鑑定をしてもらえるんだもんね!
この先、よっぽどのことがなければ再鑑定なんかしないんだから、しっかりどんな能力なのか、どんなふうに使えばいいのかを聞いておかなくちゃ。
「よしよし。じゃあ登録は夜にしような」
「はい!」
登録は夜! 測定と鑑定も夜!
早く夜にならないかなーと、僕はちょっと浮かれながらギルドを出た。
◆ ◆ ◆
もう一つのお使いを済ませて大急ぎで店に戻ると、まずは若旦那さんに「依頼は受理されました」と報告をした。
若旦那さんは片眉を上げ意外そうな顔をしてたから、あの依頼が非常識なものだという自覚はあったのだと思う。本当、せこいというか、ずるいというか……!
そして、僕は朝ごはんを食べようと二階へ向かったのだけど……
「ロイ、三十分はとっくに過ぎてるんだ! お前の食事なんか残ってるわけないだろ!」
若旦那さんにそう言われ、僕はきゅうきゅう情けない音を出すお腹を抱えたまま、新たに言い付けられた雑務をこなしに倉庫へ向かった。
いいもん。あと数時間頑張ったら僕はお休みだ!
西の崖のハズレに行くっていう楽しみもあるし、ごはん抜きくらいなんでもない!
「それに、おばさんにもらったふかし芋があるもんね……」
僕は倉庫の隅でこっそりお芋を食べながら、ギルドで僕にお祝いを言ってくれた皆のこと、ギュスターヴさんのことや、一旦預けてきたあのプレゼントのナイフのことを思い浮かべていた。
「僕、ギュスターヴさんに拾われてよかったなぁ」
信用があって、強くて、優しいギュスターヴさんが拾ってくれたから、僕はちゃんとした手続きを経て、孤児院に入れてもらえた。魔物に襲われたり、おかしなところに売られたりしなかったのは、本当に運がよかったんだと思う。
それにギュスターヴさんは、僕を孤児院に入れたそのあとだって気に掛けてくれて、月に何度か会いに来てくれていた。
ラブリュスの孤児院はまあまあいいところだ。飢えることも寒さに震えることもない。読み書きを教えてくれるし、希望すれば成人の十五歳まで置いてくれる。
だけど大体は、十二歳前後で職人見習いや冒険者になって孤児院を出ていくんだけどね。
僕は少し早い八歳から、冒険者ギルド長になったギュスターヴさんのもとで冒険者見習いを始めた。といっても大したことはしていない。雑用や子供用の簡単な採取依頼をしてお小遣い稼ぎをさせてもらっていた。
でもギルドに出入りする子供は僕だけじゃないから、採取依頼はいつも争奪戦だ。
だから依頼を取れなかった時には、職員さんや冒険者たちに読み書きや計算、基本的な野営の仕方、料理なんかを教わっていた。
そのうちに、僕は魔法を教わるようになった。
格闘技や剣術なんかも、遊びの延長で教えてもらったけど、僕はどうにもセンスがないようで、イマイチ楽しくない。
だけど魔法薬の材料になる薬草を採取したり、魔力を使って素材の処理や加工をしたり、そういうことは楽しくて大好きだった。
そして知ったのが錬金術。僕は錬金術に憧れた。
魔法薬師や魔道具師の技術は、錬金術の一部だと聞いたこともあり、僕はギルド所属の魔法薬師さんにくっついて、手伝いをさせてもらっていた。
なぜ錬金術師じゃなく魔法薬師の手伝いをしてたかというと、今、世界に錬金術師は極僅かしか存在しないからだ。
王国一の迷宮都市ラブリュスといえども、錬金術師にはまず会えない。
ラブリュスに縁のある錬金術師はたった一人。
その人も滅多に街に来ることはなく、どんな人なのか、真偽の分からない噂しか聞かない。
錬金術師は、非常に稀な【錬金】のスキルを持っている人か、『魔人』と呼ばれる、古王国の末裔しかなることができない。
なぜかと言うと、錬金術と魔法は似てるけど魔力の使い方が違うらしい。
それを可能にするのが【錬金】スキルか、魔人の血なのだろう。
――僕にも【錬金】のスキルがあって、錬金術で薬師ができたらいいな。
そんな夢を描く中、僕は魔法薬師のお手伝いが認められ、バスチア魔法薬店の先代店主に見習いとして引き取られることになった。
ギュスターヴさんは何も言わないけど、きっと随分と骨を折ってくれたんだと思う。
バスチアの先代さんは、腕も人柄もいい魔法薬師で、僕が十歳になったら正式に弟子にすると約束してくれていた。それまでは奉公人兼見習いとして下働きをして、基礎を学ぶ日々だった。
どの奉公人も衣食住を十分に与えられていたし、休みも週一であって、お小遣いももらえた。忙しいけど充実した生活だったと思う。だけど……
「先代さん……一言でもいいから、お礼を言ってお別れしたかったな」
本当に突然の別れだった。
先代さんは、王都へ出掛けてそのまま帰らぬ人となった。僕が弟子になって二年目、昨年の出来事だ。そして先代亡きあと、店を継いだのは勘当されていたはずの息子――今の旦那様だ。その息子である若旦那さんも一緒に店に入った。
二人が来て、バスチア魔法薬店はガラッと変わった。
商売の仕方や魔法薬の質はもちろん、孤児であった僕や、似たような身の上である奉公人の扱いは特にはっきり変わったんだ。
「見習い修業なしの下働きに逆戻りだもんね。しかも待遇も前とは全然違ったし」
休みは月に数回だし、お小遣いもナシ。衣食住もギリギリだ。行く場所のない僕らはそれでもここにいるしかないけど、先代のお弟子さんたちは多くが店を去っていった。
これはすぐに店が傾いて、僕らは本当に行き場がなくなるかも……と思ったんだけど、意外なことに今も潰れていない。
「旦那様も若旦那さんも、魔法薬師の腕だけじゃなくて、人柄や仕事の評判もイマイチなのに……不思議だよね?」
加えて旦那様にはお金にまつわる悪い噂があるし、若旦那さんも悪い遊び仲間がいることで有名。
新しいお弟子さんたちも、ちょっと胡散臭かったり、近付きがたい雰囲気だったり、腕も師匠譲りでパッとしない。
「はぁ。早くここから抜け出したいな」
僕はポツリと呟いた。
いつか、お金を貯めて本を買って、器具も集めて、もっと勉強して魔法薬師になれたら――
「いつか……」
倉庫の小窓から見えた高い空は、夢で見たあの青空とひどく似ていた。
◆ ◆ ◆
「よし!」
昼までの仕事を終えた僕は冒険者ギルドへ走った。
ギュスターヴさんに、預けていたナイフと、それを下げる真新しいベルトをもらい、さっそく腰に巻いて西の崖のハズレへと向かう。
ラブリュスの周辺にはいくつかのハズレがある。どれも街からは少し離れているけど、しっかり探索しても徒歩で日帰りできる距離だ。
これから向かう西の崖のハズレには何度も採取に行っている。
西の崖のハズレは街道から、少し外れた小さな岩山にある。
ここは岩山と言ってもはげ山ではなく、木も生えている。岩が多い森のような感じだ。
すぐ近くには豊かな森と沢があって、そこにもギルドで受けた食材採取の依頼で何度も来ている。
春には新芽が美味しい山菜 、夏にはベリー、秋にはきのこ。
変わったものでは、昆虫採集や魚釣りの依頼もあった。
こっちは食材としてではなくて、工芸細工に使う羽根や鱗目当ての依頼だ。必要ない魚の身はもらえる。悪くない依頼なので僕は好き。
川を渡り少し上っていくと、そこに崩れた古王国の遺跡が見えてくる。
この辺りから一応迷宮だ。
地下からせり上がってきたらしい石造りの柱や壁は、大昔は綺麗な建物だったんだろう。
見上げるほどに大きいし、今はボロボロだけど彫刻なんかもある。ハズレは、迷宮城がはぐれた一部だとも言われているけど、それも納得だ。
僕は柱が並ぶ石畳の道を抜け、目の前にぽっかりと開いた大きな洞窟に足を踏み入れる。
西の崖のハズレは、この洞窟と一体化したようになっている。
遺跡部分と自然の部分がまだらになっていて面白い。
「ふふっ。ここへ来るのも今日が最後かな」
入れる場所が限られていたこれまでは、ここだって迷宮城に繋がっているかもしれないんだ! と、そんなことを考えてワクワクしていた。
「夜には冒険者登録だもんね!」
僕はウキウキした気分で、通い慣れたハズレに入っていった。
洞窟だというのに、中は薄らぼんやりと明るい。ここに限らず、迷宮はどこもこうだ。
これは魔素のおかげとか、遺跡に仕掛けられている古の錬金術の効果だとか言われている。
何にせよ、灯りを持たないで済むのは有り難いことだ。
目指す坪庭の魔素溜まりは、ハズレの入り口からしばらく進んだ場所にある。洞窟を進むと、崖があって、その右側の岩壁を登ると、途中に踊り場のような部分がある。
それが坪庭の魔素溜まりだ。
魔素が溜まるそこには、長い年月の間に草木が生え、小さな庭のようになっている。
だから『坪庭』という呼び名が付いたんだろうね。
「何か食べられる野草とかお芋とかないかな~……あっ、やった! 『彩野カブ』だ!」
この小さな野生のカブは、赤や紫、黄など様々な色があって色ごとに味が違う。
僕が好きなのは少し甘い黄色のカブだ。
それから真っ赤に熟した『迷宮苺』もたくさん見つけたし、『初級回復ポーション』の材料になる薬草もたっくさん採取できた。
ちなみに、ポーションにもいろいろな種類があるんだけど、通常、初級回復ポーションのことを『ポーション』と呼ぶ。
「帰ったらさっそくポーションを作ってみよう!」
実は、先代さんに教えてもらった記憶と古い参考書を頼りに、自室でこっそり調合練習をしている。でも十分な材料をなかなか揃えられなくて、滅多に練習ができない。
下拵えは得意なんだけど、調合作業はやらせてもらえないから、レシピだけじゃ分からない勘がなかなか掴めないんだよね。
「これだけ採れれば、いっぱい練習できる!」
素材それぞれの状態に適した魔力の加え方、加熱の加減、混ぜ方がある。
何度も練習して、産地や季節ごとに違う素材の癖なんかも分かるようになって、早く一人前の魔法薬師になりたい。
「わ、あっちにもいっぱい生えてる! 今日の僕、本当にツイてるかも……!」
喜びのままに採取を続けていると、背負っている採取袋はもう三分の一まで埋まってしまった。
「魔素溜まりでもこの調子で採取できたらいいな」
それにしても、ギュスターヴさんからもらったこのナイフ! 切れ味はいいし持ちやすいし最高! 僕は初めて手にした自分のナイフが嬉しくて、ニマニマ笑いが止まらない。
僕は明日からこのナイフと一緒に迷宮城に行くんだ!
そしてお金を貯めたら、バスチア魔法薬店を出て、もっといい魔法薬師の師匠を探してやる。
「ん?」
少し先に何かいる? 崩れた柱の陰で何かが動いてない?
僕はナイフを握り直すと、構えてから慎重に歩を進めた。
ここでは魔物よりも、野生動物がいる可能性のほうが高い。岩山の周囲は森に囲まれているので、たまに動物が迷い込むことがある。
熊はいないけど、鹿や猪はいる。それにハズレといえども迷宮だ。長期にわたりここに留まっていると、稀に魔物化してしまう動物もいるらしい。
「小さかったから野兎とかかな……」
それなら危険はないんだけどなあ。兎なら攻撃はしてこないし、逆に遭遇が嬉しい獲物だ。
でも、罠を仕掛けないと、獲るのは難しいかな。
石を投げてみるとかどうだろう?
ギルドの講習でやった弓は全然だめだったけど、投石ならイケる気がする。
「投石紐くらい作っておけばよかった」
投石紐があれば手で投げるより威力が出るし、遠くまで飛ばせる。
そうだ。これから迷宮に行くのなら、遠距離攻撃ができる手段もあったほうがいい。
そんなことを考えながら、僕はじりじり間合いを詰めていく。
息を殺し、ナイフを構えたまま、そーっと覗いてみると――
「わ、スライムかぁ!」
そこには、草むらをぴょこぴょこ跳ねるスライムがいた。僕の膝に届かないくらいの大きさで、ちょっと珍しい紫っぽい色をしている。
スライムは、棲処の環境や食べ物によって体の色が変わるらしい。
水辺や湿気のある草むらにいることが多いので、緑や青っぽい色をしている個体が多いんだけど、紫っぽいこの子は何を食べたんだろう?
「ふふっ。のんびりしてて可愛いなぁ」
スライムは基本的に無害だ。こちらからちょっかいを出したり、よっぽど虫の居所が悪かったりしない限りは何もしてこない。最弱の魔物とされているくらいには安全。
大昔、巨大なスライムに街が呑み込まれたっていうお伽噺があるけど、そんなことあり得るのかな? って思う。
「うん、他には何もいないね」
僕はナイフをしまうと、跳ねるスライムを追いかけるように、ゆっくり進んでいく。
しばらく道を進むと、洞窟内の開けた場所に出た。左手は崖があり、右手には高い岩壁がそびえている。
「いつ来ても、ここはちょっと怖いな」
このまま壁沿いにできた細い道を行くと、行き止まりになる。そこがこのハズレの終点だ。
左側の崖はだいぶ昔にギルドが探索済みで、特に何もない空間があるだけらしい。
一度下りたら上るのが大変な場所で、旨味もないし、誰も行かない場所だ。
そして目的の坪庭の魔素溜まりは、この右手の岩壁を登った中腹あたりにある。
「もうちょっと先に上りやすい場所があるんだよね」
だけど急がない。
だって、僕の前には、ポヨポヨ、ポヨポヨ、とスライムがのんびり跳ねているんだから。
スライムの歩みは遅い。だけど僕は全然イライラしない。
むしろ可愛い姿を見せてもらえて、この偶然の出会いに感謝している。
だって、僕はスライムが好きだ。
捨てられた僕を見守ってくれていたのが、スライムだからかもしれない。
丸みのあるその形も、ポヨポヨと跳ねるその動きも、動くたびに少しずつ変化するその色も、どこを取っても愛らしい。
それにスライムを見ていると、なぜか胸をギュッと締め付けられるような、なんとも言えない気持ちになる。
小さな頃、ギュスターヴさんにそう話したら、「よく分からん。何か辛いことがあるなら聞いてやるから言え」と妙に心配されてしまった。
なのでそれ以来、そんな気持ちでスライムを眺めていることは、人に言わないようにしている。
「ん? あっ!」
前を歩いていたスライムが、何を思ったのか突然、ポーン! と左の崖から飛び下りた。
「えっ、大丈夫なの!? あっ……へ、平気なんだ」
暗い崖下を覗き込むと、小さなスライムらしき影が、ポヨンポヨンと変わらず跳ねていた。
「よかったあ。スライムって意外と丈夫なんだね……」
思いもよらず一つ学んでしまった。
「でも、この下って何もない行き止まりだよね?」
あの子、どうするんだろう……
大丈夫なのかな。崖下で生きていける? どこからか上ってこれるのかな?
僕はそう思って、もう一度、崖の底を覗き込んでみた。だけどスライムの姿はもう見えない。
はぁ、と一つ息を吐き、深呼吸をする。
「切り替えなくっちゃ。僕は自分の仕事に集中するんだ」
通い慣れたハズレとはいえ油断は禁物。坪庭の魔素溜まりに行くには、岩壁を登らなくてはならない。階段や梯子が設置されてるわけもなく、危険と隣り合わせだ。
僕はスライムのことを無理やり吹っ切って、どんどん細くなっていく道を進んだ。
「え」
誕生日がきたから冒険者登録はもうできるけど、僕の登録は今夜、ギュスターヴさんが招待してくれた夕食の時にって約束してある。僕は仕事が終わる昼過ぎまではギルドに来れないと思っていたし、本当に半休がもらえるかも分からなかったからね。
僕が冒険者登録をする時は、絶対にギュスターヴさんにしてもらうって決めていて、約束もしている。
そんな僕に、「お前が行ってくりゃいいんじゃねぇか?」とギュスターヴさんが言ったから、てっきり一緒に行ってくれるものだと思ったのに!
「なぁんだあ。ギュスターヴさんが戦うとこ見られるかなって期待しちゃった。じゃあ、僕をおまけで連れて行ってくれるパーティーを探さなくちゃだね。エリサさん、森林層に行くパーティーに心当たりってありますか?」
「う~ん……今日はいなそうだね~」
「え、じゃあどうすれば……?」
「ロイ。お前が一人でも行ける場所で、採取できそうな場所が一か所あるだろ。苔の乙女の台座なら、『西の崖のハズレ』で採取できるんじゃねぇか?」
西の崖のハズレとは、僕でも入れる例外の迷宮――『ハズレ』のうちの一つだ。
街から少し離れた場所にある通称ハズレこと『はぐれ迷宮』は、長い年月の間に迷宮から切り離されて、地上に露出してしまった迷宮だ。
はぐれ迷宮は地上にあるので、地下にある通常の迷宮に比べて魔素が溜まりにくく、薄い。
広さも階数も小規模。そのため出現する魔物も少なくて、弱い。
だから半人前の子供でも、出入りを許されているのだ。
魔物は魔素が多いところに集まる習性があり、空気中の魔素が濃いほど強くなる。
それは素材も同じで、魔素が多い場所ほど、貴重なもの、高品質なものが豊富に生育し、たくさん採取することができる。
はぐれ迷宮に生育している素材はありふれたもので、種類や量は少なく、品質もあまり高くない。
それ故に、冒険者たちからはハズレと呼ばれ見向きもされず、ギルドも出入りの管理をしていないのだ。
でも実は、はぐれ迷宮でも時期や場所を選べば、貴重で高品質な素材が採れる場所もある。
「たしかに西の崖のハズレなら苔の乙女の台座も採れるけど、あそこで小納品箱一つ分は難しそう……?」
若旦那さんが本当に必要とする、小納品箱半分の量も厳しいと思う。何日か通ってもいいなら採れそうだけど、納品物の条件は『採取から一日以内』っていう無茶なものだ。
どういうこと? と、僕はギュスターヴさんを見上げる。
すると、ギュスターヴさんがニヤッと笑って、僕の耳にこそりと告げた。
「朗報だ。今、『坪庭の魔素溜まり』の濃度がかなり高くなっている」
「えっ!」
ギュスターヴさんは、カウンターの奥から二枚の紙を取り出した。
「まずはこっちの書類。先月の西の崖のハズレ定期観測の結果だが……〝坪庭の魔素溜まりの魔素濃度は八。来月には濃度十に達すると予想される。また、通常ならば、そのあとひと月で魔素は霧散し、再びゼロに戻るだろう〟だと」
「濃度十! すごい! それなら苔の乙女の台座だっていいものが大量に採れそう!」
ハズレといえども迷宮は迷宮。
ごく限られたエリアに魔素が溜まる魔素溜まりができることがある。
西の崖のハズレの魔素溜まりは坪庭の魔素溜まりと呼ばれていて、僕たちのような半人前のお宝スポットだ。貴重で高品質な素材は、魔素が多い場所で採れるからね!
「で、こっちの書類は、西の崖のハズレの魔素溜まりを見てくるという、半人前用の小遣い稼ぎ依頼だが……やるか?」
「ふふふ! 測定だけの簡単依頼ですね! あそこなら出る魔物はスライム程度だし、日帰りできる距離だし、ロイくん、やるよね?」
エリサさんは受注のスタンプを持ち、僕に笑いかける。そんなの、やるに決まってる!
「はい、受注します!」
苔の乙女の台座はたっぷり採れるだろうし、他の素材もきっといろいろ採れる。
それだけでも嬉しいのにお小遣い稼ぎ依頼も受注できるなんて、すっごくツイてる!
「……あ、もしかして。ギュスターヴさん、これも誕生日プレゼント……?」
「まあな。依頼管理部たちからプレゼントだってよ。ロイ、この依頼の達成額を見てみろ、いつもの三倍だ」
そう言われて、慌ててギュスターヴさんが指さす依頼書を見た。
「本当だ!」
僕は弾かれたように後ろを向く。
すると依頼書を貼り出していた職員さんたちが「おめでとう!」と言い、笑って手を振ってくれた。
「ふふ! みんなもね、ロイくんの誕生日と冒険者登録のお祝いを用意してくれてるんだよ~!」
「えっ!?」
エリサさんの言葉を聞いた僕は、皆も? とぐるっとホールを見回した。
「お誕生日おめでとう!」
「いよいよ登録だな! 夜ゆっくりお祝いしような、ロイ」
「おめでとー! プレゼント、楽しみにしてなさいよ?」
朝の準備に追われている皆が、その手を一旦止めて、笑顔で僕にお祝いの言葉をくれた。
「可愛がられてていいなぁ? ロイ」
「……! う、うん……っ」
照れる僕をニヤニヤ見下ろして、ギュスターヴさんは僕の頭をぐしゃぐしゃっと撫でる。
この撫で方も、十二年目。今日、十三歳になった僕は、子供扱いされるとちょっと恥ずかしいし悔しい気もする。でも、嬉しい。
「あの、みんな、ありがとうございます!」
ちょっと照れ臭いけど、大きな声でそう伝えた。
「それじゃあギュスターヴさん、僕、大急ぎで言い付けられた仕事を終わらせて、ハズレに行ってくるね!」
「おう。あー、待て。そのナイフ、やっぱり一旦俺に預けていけ」
「え? どうして?」
せっかくもらった素敵なプレゼントだ。
離したくないと、僕はギュッと抱えてギュスターヴさんを見る。
「それを下げるベルトがまだなんだよ。昼には出来上がるはずだ。それにお前、そのまま抱えて仕事すんのか? そんなもん見られたら、若旦那にすぐ取り上げられちまうぞ?」
その言葉を聞いた僕はハッとして、ギュスターヴさんにナイフを差し出した。
ギュスターヴさんは若旦那さんとは違うから、安心して預けられる。
「……ナイフを下げるベルトまで用意してくれたの? ギュスターヴさん」
「当たり前だろ。冒険者になるんだから、相棒として持ち歩けるものじゃねえとな。あー、それとロイ。バスチア魔法薬店の依頼は、とりあえずギルド預かりにしておく。現時点では、お前はまだ冒険者登録してないからな」
「じゃあ、今すぐ登録してくれてもいいですよ?」
ちょっと拗ねた言い方になってしまって、我ながら子供っぽいなと思う。
けれど、思いもよらず、朝ギュスターヴさんに会えたから、すぐに冒険者登録してくれるんじゃないかって期待したのだ。
「ん? 魔力測定と【スキル】の鑑定をしなくていいのか? ササッと適当に登録しちまってもいいなら……」
「えっ、いえ! いいです! ちゃんと測定と鑑定してもらいたい!」
そうだ。登録の時だけ、サービスで【スキル】の鑑定をしてもらえるんだもんね!
この先、よっぽどのことがなければ再鑑定なんかしないんだから、しっかりどんな能力なのか、どんなふうに使えばいいのかを聞いておかなくちゃ。
「よしよし。じゃあ登録は夜にしような」
「はい!」
登録は夜! 測定と鑑定も夜!
早く夜にならないかなーと、僕はちょっと浮かれながらギルドを出た。
◆ ◆ ◆
もう一つのお使いを済ませて大急ぎで店に戻ると、まずは若旦那さんに「依頼は受理されました」と報告をした。
若旦那さんは片眉を上げ意外そうな顔をしてたから、あの依頼が非常識なものだという自覚はあったのだと思う。本当、せこいというか、ずるいというか……!
そして、僕は朝ごはんを食べようと二階へ向かったのだけど……
「ロイ、三十分はとっくに過ぎてるんだ! お前の食事なんか残ってるわけないだろ!」
若旦那さんにそう言われ、僕はきゅうきゅう情けない音を出すお腹を抱えたまま、新たに言い付けられた雑務をこなしに倉庫へ向かった。
いいもん。あと数時間頑張ったら僕はお休みだ!
西の崖のハズレに行くっていう楽しみもあるし、ごはん抜きくらいなんでもない!
「それに、おばさんにもらったふかし芋があるもんね……」
僕は倉庫の隅でこっそりお芋を食べながら、ギルドで僕にお祝いを言ってくれた皆のこと、ギュスターヴさんのことや、一旦預けてきたあのプレゼントのナイフのことを思い浮かべていた。
「僕、ギュスターヴさんに拾われてよかったなぁ」
信用があって、強くて、優しいギュスターヴさんが拾ってくれたから、僕はちゃんとした手続きを経て、孤児院に入れてもらえた。魔物に襲われたり、おかしなところに売られたりしなかったのは、本当に運がよかったんだと思う。
それにギュスターヴさんは、僕を孤児院に入れたそのあとだって気に掛けてくれて、月に何度か会いに来てくれていた。
ラブリュスの孤児院はまあまあいいところだ。飢えることも寒さに震えることもない。読み書きを教えてくれるし、希望すれば成人の十五歳まで置いてくれる。
だけど大体は、十二歳前後で職人見習いや冒険者になって孤児院を出ていくんだけどね。
僕は少し早い八歳から、冒険者ギルド長になったギュスターヴさんのもとで冒険者見習いを始めた。といっても大したことはしていない。雑用や子供用の簡単な採取依頼をしてお小遣い稼ぎをさせてもらっていた。
でもギルドに出入りする子供は僕だけじゃないから、採取依頼はいつも争奪戦だ。
だから依頼を取れなかった時には、職員さんや冒険者たちに読み書きや計算、基本的な野営の仕方、料理なんかを教わっていた。
そのうちに、僕は魔法を教わるようになった。
格闘技や剣術なんかも、遊びの延長で教えてもらったけど、僕はどうにもセンスがないようで、イマイチ楽しくない。
だけど魔法薬の材料になる薬草を採取したり、魔力を使って素材の処理や加工をしたり、そういうことは楽しくて大好きだった。
そして知ったのが錬金術。僕は錬金術に憧れた。
魔法薬師や魔道具師の技術は、錬金術の一部だと聞いたこともあり、僕はギルド所属の魔法薬師さんにくっついて、手伝いをさせてもらっていた。
なぜ錬金術師じゃなく魔法薬師の手伝いをしてたかというと、今、世界に錬金術師は極僅かしか存在しないからだ。
王国一の迷宮都市ラブリュスといえども、錬金術師にはまず会えない。
ラブリュスに縁のある錬金術師はたった一人。
その人も滅多に街に来ることはなく、どんな人なのか、真偽の分からない噂しか聞かない。
錬金術師は、非常に稀な【錬金】のスキルを持っている人か、『魔人』と呼ばれる、古王国の末裔しかなることができない。
なぜかと言うと、錬金術と魔法は似てるけど魔力の使い方が違うらしい。
それを可能にするのが【錬金】スキルか、魔人の血なのだろう。
――僕にも【錬金】のスキルがあって、錬金術で薬師ができたらいいな。
そんな夢を描く中、僕は魔法薬師のお手伝いが認められ、バスチア魔法薬店の先代店主に見習いとして引き取られることになった。
ギュスターヴさんは何も言わないけど、きっと随分と骨を折ってくれたんだと思う。
バスチアの先代さんは、腕も人柄もいい魔法薬師で、僕が十歳になったら正式に弟子にすると約束してくれていた。それまでは奉公人兼見習いとして下働きをして、基礎を学ぶ日々だった。
どの奉公人も衣食住を十分に与えられていたし、休みも週一であって、お小遣いももらえた。忙しいけど充実した生活だったと思う。だけど……
「先代さん……一言でもいいから、お礼を言ってお別れしたかったな」
本当に突然の別れだった。
先代さんは、王都へ出掛けてそのまま帰らぬ人となった。僕が弟子になって二年目、昨年の出来事だ。そして先代亡きあと、店を継いだのは勘当されていたはずの息子――今の旦那様だ。その息子である若旦那さんも一緒に店に入った。
二人が来て、バスチア魔法薬店はガラッと変わった。
商売の仕方や魔法薬の質はもちろん、孤児であった僕や、似たような身の上である奉公人の扱いは特にはっきり変わったんだ。
「見習い修業なしの下働きに逆戻りだもんね。しかも待遇も前とは全然違ったし」
休みは月に数回だし、お小遣いもナシ。衣食住もギリギリだ。行く場所のない僕らはそれでもここにいるしかないけど、先代のお弟子さんたちは多くが店を去っていった。
これはすぐに店が傾いて、僕らは本当に行き場がなくなるかも……と思ったんだけど、意外なことに今も潰れていない。
「旦那様も若旦那さんも、魔法薬師の腕だけじゃなくて、人柄や仕事の評判もイマイチなのに……不思議だよね?」
加えて旦那様にはお金にまつわる悪い噂があるし、若旦那さんも悪い遊び仲間がいることで有名。
新しいお弟子さんたちも、ちょっと胡散臭かったり、近付きがたい雰囲気だったり、腕も師匠譲りでパッとしない。
「はぁ。早くここから抜け出したいな」
僕はポツリと呟いた。
いつか、お金を貯めて本を買って、器具も集めて、もっと勉強して魔法薬師になれたら――
「いつか……」
倉庫の小窓から見えた高い空は、夢で見たあの青空とひどく似ていた。
◆ ◆ ◆
「よし!」
昼までの仕事を終えた僕は冒険者ギルドへ走った。
ギュスターヴさんに、預けていたナイフと、それを下げる真新しいベルトをもらい、さっそく腰に巻いて西の崖のハズレへと向かう。
ラブリュスの周辺にはいくつかのハズレがある。どれも街からは少し離れているけど、しっかり探索しても徒歩で日帰りできる距離だ。
これから向かう西の崖のハズレには何度も採取に行っている。
西の崖のハズレは街道から、少し外れた小さな岩山にある。
ここは岩山と言ってもはげ山ではなく、木も生えている。岩が多い森のような感じだ。
すぐ近くには豊かな森と沢があって、そこにもギルドで受けた食材採取の依頼で何度も来ている。
春には新芽が美味しい山菜 、夏にはベリー、秋にはきのこ。
変わったものでは、昆虫採集や魚釣りの依頼もあった。
こっちは食材としてではなくて、工芸細工に使う羽根や鱗目当ての依頼だ。必要ない魚の身はもらえる。悪くない依頼なので僕は好き。
川を渡り少し上っていくと、そこに崩れた古王国の遺跡が見えてくる。
この辺りから一応迷宮だ。
地下からせり上がってきたらしい石造りの柱や壁は、大昔は綺麗な建物だったんだろう。
見上げるほどに大きいし、今はボロボロだけど彫刻なんかもある。ハズレは、迷宮城がはぐれた一部だとも言われているけど、それも納得だ。
僕は柱が並ぶ石畳の道を抜け、目の前にぽっかりと開いた大きな洞窟に足を踏み入れる。
西の崖のハズレは、この洞窟と一体化したようになっている。
遺跡部分と自然の部分がまだらになっていて面白い。
「ふふっ。ここへ来るのも今日が最後かな」
入れる場所が限られていたこれまでは、ここだって迷宮城に繋がっているかもしれないんだ! と、そんなことを考えてワクワクしていた。
「夜には冒険者登録だもんね!」
僕はウキウキした気分で、通い慣れたハズレに入っていった。
洞窟だというのに、中は薄らぼんやりと明るい。ここに限らず、迷宮はどこもこうだ。
これは魔素のおかげとか、遺跡に仕掛けられている古の錬金術の効果だとか言われている。
何にせよ、灯りを持たないで済むのは有り難いことだ。
目指す坪庭の魔素溜まりは、ハズレの入り口からしばらく進んだ場所にある。洞窟を進むと、崖があって、その右側の岩壁を登ると、途中に踊り場のような部分がある。
それが坪庭の魔素溜まりだ。
魔素が溜まるそこには、長い年月の間に草木が生え、小さな庭のようになっている。
だから『坪庭』という呼び名が付いたんだろうね。
「何か食べられる野草とかお芋とかないかな~……あっ、やった! 『彩野カブ』だ!」
この小さな野生のカブは、赤や紫、黄など様々な色があって色ごとに味が違う。
僕が好きなのは少し甘い黄色のカブだ。
それから真っ赤に熟した『迷宮苺』もたくさん見つけたし、『初級回復ポーション』の材料になる薬草もたっくさん採取できた。
ちなみに、ポーションにもいろいろな種類があるんだけど、通常、初級回復ポーションのことを『ポーション』と呼ぶ。
「帰ったらさっそくポーションを作ってみよう!」
実は、先代さんに教えてもらった記憶と古い参考書を頼りに、自室でこっそり調合練習をしている。でも十分な材料をなかなか揃えられなくて、滅多に練習ができない。
下拵えは得意なんだけど、調合作業はやらせてもらえないから、レシピだけじゃ分からない勘がなかなか掴めないんだよね。
「これだけ採れれば、いっぱい練習できる!」
素材それぞれの状態に適した魔力の加え方、加熱の加減、混ぜ方がある。
何度も練習して、産地や季節ごとに違う素材の癖なんかも分かるようになって、早く一人前の魔法薬師になりたい。
「わ、あっちにもいっぱい生えてる! 今日の僕、本当にツイてるかも……!」
喜びのままに採取を続けていると、背負っている採取袋はもう三分の一まで埋まってしまった。
「魔素溜まりでもこの調子で採取できたらいいな」
それにしても、ギュスターヴさんからもらったこのナイフ! 切れ味はいいし持ちやすいし最高! 僕は初めて手にした自分のナイフが嬉しくて、ニマニマ笑いが止まらない。
僕は明日からこのナイフと一緒に迷宮城に行くんだ!
そしてお金を貯めたら、バスチア魔法薬店を出て、もっといい魔法薬師の師匠を探してやる。
「ん?」
少し先に何かいる? 崩れた柱の陰で何かが動いてない?
僕はナイフを握り直すと、構えてから慎重に歩を進めた。
ここでは魔物よりも、野生動物がいる可能性のほうが高い。岩山の周囲は森に囲まれているので、たまに動物が迷い込むことがある。
熊はいないけど、鹿や猪はいる。それにハズレといえども迷宮だ。長期にわたりここに留まっていると、稀に魔物化してしまう動物もいるらしい。
「小さかったから野兎とかかな……」
それなら危険はないんだけどなあ。兎なら攻撃はしてこないし、逆に遭遇が嬉しい獲物だ。
でも、罠を仕掛けないと、獲るのは難しいかな。
石を投げてみるとかどうだろう?
ギルドの講習でやった弓は全然だめだったけど、投石ならイケる気がする。
「投石紐くらい作っておけばよかった」
投石紐があれば手で投げるより威力が出るし、遠くまで飛ばせる。
そうだ。これから迷宮に行くのなら、遠距離攻撃ができる手段もあったほうがいい。
そんなことを考えながら、僕はじりじり間合いを詰めていく。
息を殺し、ナイフを構えたまま、そーっと覗いてみると――
「わ、スライムかぁ!」
そこには、草むらをぴょこぴょこ跳ねるスライムがいた。僕の膝に届かないくらいの大きさで、ちょっと珍しい紫っぽい色をしている。
スライムは、棲処の環境や食べ物によって体の色が変わるらしい。
水辺や湿気のある草むらにいることが多いので、緑や青っぽい色をしている個体が多いんだけど、紫っぽいこの子は何を食べたんだろう?
「ふふっ。のんびりしてて可愛いなぁ」
スライムは基本的に無害だ。こちらからちょっかいを出したり、よっぽど虫の居所が悪かったりしない限りは何もしてこない。最弱の魔物とされているくらいには安全。
大昔、巨大なスライムに街が呑み込まれたっていうお伽噺があるけど、そんなことあり得るのかな? って思う。
「うん、他には何もいないね」
僕はナイフをしまうと、跳ねるスライムを追いかけるように、ゆっくり進んでいく。
しばらく道を進むと、洞窟内の開けた場所に出た。左手は崖があり、右手には高い岩壁がそびえている。
「いつ来ても、ここはちょっと怖いな」
このまま壁沿いにできた細い道を行くと、行き止まりになる。そこがこのハズレの終点だ。
左側の崖はだいぶ昔にギルドが探索済みで、特に何もない空間があるだけらしい。
一度下りたら上るのが大変な場所で、旨味もないし、誰も行かない場所だ。
そして目的の坪庭の魔素溜まりは、この右手の岩壁を登った中腹あたりにある。
「もうちょっと先に上りやすい場所があるんだよね」
だけど急がない。
だって、僕の前には、ポヨポヨ、ポヨポヨ、とスライムがのんびり跳ねているんだから。
スライムの歩みは遅い。だけど僕は全然イライラしない。
むしろ可愛い姿を見せてもらえて、この偶然の出会いに感謝している。
だって、僕はスライムが好きだ。
捨てられた僕を見守ってくれていたのが、スライムだからかもしれない。
丸みのあるその形も、ポヨポヨと跳ねるその動きも、動くたびに少しずつ変化するその色も、どこを取っても愛らしい。
それにスライムを見ていると、なぜか胸をギュッと締め付けられるような、なんとも言えない気持ちになる。
小さな頃、ギュスターヴさんにそう話したら、「よく分からん。何か辛いことがあるなら聞いてやるから言え」と妙に心配されてしまった。
なのでそれ以来、そんな気持ちでスライムを眺めていることは、人に言わないようにしている。
「ん? あっ!」
前を歩いていたスライムが、何を思ったのか突然、ポーン! と左の崖から飛び下りた。
「えっ、大丈夫なの!? あっ……へ、平気なんだ」
暗い崖下を覗き込むと、小さなスライムらしき影が、ポヨンポヨンと変わらず跳ねていた。
「よかったあ。スライムって意外と丈夫なんだね……」
思いもよらず一つ学んでしまった。
「でも、この下って何もない行き止まりだよね?」
あの子、どうするんだろう……
大丈夫なのかな。崖下で生きていける? どこからか上ってこれるのかな?
僕はそう思って、もう一度、崖の底を覗き込んでみた。だけどスライムの姿はもう見えない。
はぁ、と一つ息を吐き、深呼吸をする。
「切り替えなくっちゃ。僕は自分の仕事に集中するんだ」
通い慣れたハズレとはいえ油断は禁物。坪庭の魔素溜まりに行くには、岩壁を登らなくてはならない。階段や梯子が設置されてるわけもなく、危険と隣り合わせだ。
僕はスライムのことを無理やり吹っ切って、どんどん細くなっていく道を進んだ。
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