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3巻
3-2
◆ ◆ ◆
カーン、カーン……と響いてくるのは、時計台の鐘の音だ。
そろそろ本格的に街が動き出す時刻。
食事を終えた僕らの最初の仕事は後片付けだ。
汚れた食器を綺麗にする役割はプラムが買って出てくれた。
スライムには【分解】のスキルがあるから、汚れを落とすのは得意なんだよね。
ククルルくんは器用に食器棚を登り、食器をしまってくれている。
「寝坊して朝ごはんの準備を手伝えにゃかったから、片付けは頑張るにゃ」と、尻尾を立てて言っていた。
そして僕はというと、ロペルと一緒にソーセージを収納庫にしまって、今は一足先にソファーで食後のお茶をいただいてます。
それにしても、プラム……本当に不思議で綺麗な色になったよね。
僕はプラムの後ろ姿を見つめた。
両手(?)を伸ばし、抱えるようにお皿を体内に取り込んでは綺麗にして取り出す。
そんなふうに動くたび、プラムの体内にある星屑のようなキラキラが、ちらちら動いてとっても綺麗だ。
元は薄紫色だったプラムだけど、今は明るい紫と蒼色が混ざった不思議な色をしている。
薬を使ったあの時は、こんなふうにプラムが変化するなんて思わなかった。
――あの時。ハズレの塔で僕とプラムが若旦那さんに襲われた時。
若旦那さんから攻撃を受けたプラムを治したい! その一心で、僕はエリクサーを創造し、プラムの傷に振り掛けた。
でも、あの薬はエリクサーじゃなかったみたいなんだよね。プラムが治ったからなんでもいいんだけど……
僕の進化したスキル【創薬】は、明確に願うことが必要なのだと、先日ここを訪れたベアトリスさんの話を聞いて分かったんだ。
◆ ◆ ◆
「――ぼくが作ったエリクサーを調べてみたのぉ」
そう言って、ベアトリスさんは小瓶に入った輝く液体を取り出して見せた。
ベアトリスさんはビーカーに僅かに残っていた薬を持ち帰り、あれが本当にエリクサーなのか調べたのだという。
「それとねぇ、伝説の万能薬エリクサーについても改めて調べ直したのよぉ」
「エリクサーについて……?」
伝説上のエリクサーは、なんでも治す万能薬と言われているけど、ベアトリスさんいわく、基本的に『体力と魔力を同時に回復させる薬』なのだそうだ。
体力と魔力を同時に回復させる薬に、様々な効果が出る素材を組み合わせることで万能薬になる。
ベアトリスさんをはじめとした、現在の錬金術師たちはそう結論づけ、研究しているらしい。
ちなみに魔法薬には、体力と魔力両方を同時に回復させるものは存在しない。
「スキル【創薬】は未知のスキルだわぁ。あの子を助けたいと願い、ぼくがイメージしたのは伝説の万能薬、エリクサーだったのよね?」
「はい。あの時、プラムは心臓ともいえる核を傷つけられて……ポーションじゃ助からないと思ったんです」
核は魔物にとって命の源とも言える、魔力を生み出す器官。人は持っていない魔物特有のものでもある。
「私が調べた結果、この液体はスライムに特化した上級回復ポーションだと思うわぁ。でもただのポーションじゃない。魔力も回復……というか、補給と言ったほうが正確ねぇ? エリクサーではないけど、効果は限りなくエリクサーに近いものよぉ」
「エリクサーじゃなかったんだ……」
【創薬】スキルは、望む薬をなんでも創り出せるものだと思っていたけど、そうじゃなかったのか。
あの時、薬の材料として使ったのは、古王国のレシピで作った薬玉――【製薬】スキルにより生成された薬が薄い膜で包まれたもの――と、プラムが塔で見つけた蒼色の結晶だった。
どちらも高魔力のアイテムだから、伝説のエリクサーができても不思議じゃないって感じたんだけど……
「ふふ。そんながっかりした顔をしないのよぉ? 確かに伝説の万能薬、エリクサーではなかったけど、あの時のプラムにとってはエリクサーだったわぁ。だって、スライムに特化した上級回復ポーションだったのだものぉ。ほらこれ、いろいろ実験したのよぉ?」
そう言ってベアトリスさんはノートを見せてくれた。
様々な人種や魔物に、僕の薬を一滴ずつ試した結果が記されたものだ。
「不思議ねぇ? なぜスライムに特化した薬になったのか……ぼくはよっぽどスライムに縁があるのねぇ」
「えへへ……それは、はい。切っても切れないくらい強い縁があるんだと思います」
僕は首から下げた守り袋をギュッと握った。袋の中には、捨て子の僕が唯一持っていた翠色の結晶が入っている。
エリクサーの材料にした蒼色の結晶……たぶんあれは、かつて塔にいたスライムたちの魔力が結晶化したものなんだと思う。
守り袋に入っている結晶とよく似ていたけど……これが何かは、まだ分かっていない。
「それにあの子、色だけじゃなく魔力も変化してるわねぇ。魔力が高まってる。進化してるっぽいわぁ。スライム特化のポーションというのが、進化にも繋がったのかしらねぇ。興味深い現象よぉ」
ベアトリスさんはそう声を弾ませていた。
「あの……プラムで実験はしないでくださいね?」
僕は恐る恐るそう言った。
弟子入りしていたバスチア魔法薬店では、お願いをしたとしても聞き入れてはもらえなかった。
でも、ベアトリスさんは高名な錬金術師だ。
「やぁねぇ! 実験なんかしないわぁ。プラムはぼくの大切な友人じゃない。そぅねぇ……観察はさせてもらいたいけど、プラムに聞いてくれるぅ? ぼく?」
「はい。聞いてみます」
ふふふと笑い、冗談交じりに言うベアトリスさんに僕も笑顔で答えた。
よかった。やっぱり僕の新しい師匠は、あんな人たちとは全然違う。
最初の師匠だった、バスチアの先代さんに教わっていた時と同じく、僕はきっとまた楽しく調合と向き合えそうな気がする。
「それと、【創薬】スキルにも鑑定と検証が必要ねぇ。たぶんぼくの願いが、創られた薬に影響するんだと思うわぁ。ねーえ? ぼく、あの時なんて願ったのかしらぁ。プラムを助けたいと思っただけだったのぉ?」
「……確か、本物じゃなくてもいい、伝説の回復薬、エリクサーのような、なんでも治る薬を創りたい! プラムを治す薬を作りたい! って思っていたんだと思います」
そうだ。僕はプラムに死なないでほしかっただけ。僕ともっと一緒にいてほしいと思っただけ。プラムに痛い思いをしないでほしかっただけだ。
「ベアトリスさん。僕は、プラムの傷が治って、強くなってほしいって願ったのかもしれません」
「ああ、なるほどねぇ」
ベアトリスさんは珊瑚色の唇を優しくにこりとさせて、僕の頭をぽんぽんと撫でた。
「ふふ。プラムにあれほどの魔力があれば、きっともう滅多なことでは傷つかないわぁ。お友達とはいえあの子は従魔でしょぉ? ふふ、今度は主人のぼくを守れるくらい、強いスライムになっているかもしれないわねぇ?」
クスクスとベアトリスさんは笑った。
そこへ、ポヨン、ポヨンと階段を下りてきたプラムが顔を出した。
『ロイ? どうしたの? へんなかお~?』
そんな声が聞こえ、プラムはポヨヨン! と僕の肩に飛び乗り、顔を覗き込んだ。
「あ……」
鮮やかな紫色に蒼色が混じり、キラキラ輝く魔力を揺らすプラムの姿には、まだ慣れない。
「ねえ……プラム? 新しい体の色と魔力には慣れた? 気に入ってる?」
『ポヨ?』
プラムは体を捩り、ビョンビョンと伸びたり跳ねたりして自分の体を見回した。
『きれいだね』
くふふ、と楽しそうな笑い声まで聞こえて、僕もフッと笑みがこぼれた。
僕の願いでプラムの体の色やその魔力まで変えてしまったけど、プラムが嫌じゃなくて、元気にしてくれてるならいいかな。そう思った。
◆ ◆ ◆
――僕はキッチンで体をキラキラ輝かせ、せかせかと動き回るプラムを笑顔で眺める。
すると、お皿をしまい終えたククルルくんが振り向き、にやっと笑ったかと思ったら、トーン! と壁を蹴り、こちらに飛んできた。
「うっわぁ! ククルルくん何!?」
「にゃあにゃあ、ロイ! そんでお店はいつから始めるにゃ?」
ククルルくんは僕の膝の上で、若草色の目をまん丸にして「ククルル、お店屋さんやってみたいにゃ!」と言い出した。
『おみせばん、ぼくもやる』
隣に座るロペルも、ククルルくんと同じように僕をじっと見つめ、『やくにたつよ』と言い、大きく頷く。
「うん。僕も早くお店を始めたいのはやまやまなんだけど、明後日までは冒険者ギルドの売店をやる約束なんだ」
今は冒険者ギルド内で僕が作ったキラキラポーションを売らせてもらっていて、これがなかなか好評なのだ。
「んにゃ~、待ちきれないにゃ~」
『ぼくはまてるよ』
苛立たしげに尻尾を、ぶぅん、ぶぅん、と揺らすククルルくん。
ロペルは落ち着いている。
『ポヨン、ポヨポヨン!』
「んにゃ! ククルルの頭に乗っちゃいやにゃよ、プラム!」
後片付けを終えたプラムまで駆け寄ってきて、大きくないソファーは満員だ。
「ふふ。お店のことはギュスターヴさんとベアトリスさんにも相談してるんだ。ギルドの売店と、お店を構えるのはちょっと違うからね」
「にゃー、それは確かににゃ。仕方にゃい。ククルル明日はまだ読んでにゃい『古王国のよく分からにゃい古文書』を解読して待ってるにゃ」
ククルルくんは、大好きな古文書を集めながら旅するケットシーだもんね。
『ぼくはロイのおてつだい……?』
ロペルが僕を見ながら言う。
「うーん……」
きっと売店は大忙しだろうけど、キラキラポーションの在庫が限られてるし、プラムと僕とでなんとかなりそうなんだよなぁ。
それに……
僕はチラリと、膝の上でコロンコロンしてバランスを取る遊びを始めたククルルくんを見た。
今の今まで古文書の話をしていたのに、もう他のことに気が移っている。
うーん……この気まぐれなククルルくんを、ここに一人で置いていくのは不安すぎる。何をしでかすか分からないぞ。
「……ロペルはククルルくんとお留守番しててくれるかな? ロペルにお願いしたい仕事があるんだ」
『わかった。おしごとがんばる』
ロペルは嬉しそうにぷるぷると揺れ、大きく頷いた。
ありがとう、ロペル……!
ロペルには素材の在庫チェックとか、ポーション瓶の管理とかいろいろお願いしたいことがある。
その仕事をしつつ、ククルルくんと一緒に留守番をしてもらえればそれでいい!
◆ ◆ ◆
翌日。僕はプラムと二人で冒険者ギルドにいた。
「キラキラポーションは一人二つまで! 売店は明日までですー!」
『ポヨ! ポヨヨン!』
僕は声を張り上げ、列を整理する。
売店カウンターには、『一人二つまで』『近日、錬金薬師ロイの店が開店予定』と書いた板を立てかけてある。
実は昨日までは買い溜めしたい人もいるだろうと、購入の個数制限は五個だった。
けど僕の新しいお店の開店日が近日と曖昧なせいか、予想以上に買い溜めする人が多く、明日まで在庫をもたせるため、急遽、二個までに制限を変えた。
「並んでる間にお金を用意してね! どんどん進んであの箱に代金を入れてくださいー!」
僕が指さす先にあるのは透明の料金箱。
この箱に使われている透明の板は、ある植物から採れる粘液を固めたものだ。硝子よりもお手頃価格なので最近人気だ。
並ぶお客さんたちは、自分の番が来たらカウンターに置かれた箱に代金を入れ、プラムからポーションを受け取る。
箱が透明なので金額をごまかせばすぐに分かってしまう。
ここに並ぶお客さん皆が証人だ。
プラムは売店カウンターに立ち、シュッ、シュッと手(?)を伸ばしポーションを手渡していく。
このやり方にしてから、回転率がかなり上がった。
流れ作業のような販売方法は、列が高速ではけていく。
すごい。お客のみんなもこのやり方に慣れたせいか、あっという間に完売しちゃいそう……!
そしてお昼過ぎ。
ランチを食べに来た冒険者たちが買っていって、今日の分は完売した。
「お、静かになったと思ったらもう売り切れたか」
ランチのトレイを持って二階から下りてきたのはギュスターヴさんだ。きっと忙しくて仕事をしながらごはんを食べてたんだ。
「うん、今日リディが素材を持ってきてくれる予定だから、明日はもっと多く用意するつもり」
「そうか。じゃ、そう書いた紙をカウンターと掲示板に貼っておけ。受付のエリサに渡せばいい。ああそれと、夕方、迷宮から戻ってがっかりする奴らもいるだろう。明日なら買えそうだって教えてやってくれ」
ギュスターヴさんは僕にそう言う。
「はい!」
「ところでロイ。お前、ベアトリスに前世のことを話したか?」
ギュスターヴさんがちょっと屈んで僕の耳元で尋ねた。
「え、まだ……です」
師匠になったといっても、ベアトリスさんは毎日指導をしに来てくれるわけじゃない。
引っ越しでバタバタしてたのもあるけど、どんなふうに指導してくれるのかもまだ教えてもらっていない。
「まあ、どう話すか考えるとこではあるな……よし。早いうちにベアトリスと話す機会を作ってやろう。師匠にはお前のスキルや前世のことを話しておいたほうがいい」
僕は肩に乗せたプラムと顔を見合わせ、ほんの少し眉を下げる。
「心配するな、ロイ。ベアトリスならお前のちょっと変わった前世くらい、面白がって受け入れる。古王国時代の製薬スライムなんて錬金術師には垂涎物じゃねぇか? むしろ実験されないように気を付けたほうがいいかもな」
ギュスターヴさんはニッと笑い、僕の頬にぺちりと触れた。
「……そういえば前にもギュスターヴさん、そんなこと言ってたね。ふふ!」
僕の肩では、プラムが『じっけん……? ぼく、せいやくすらいむ……だとおもうんだけど……』と呟き、プルルルと激しく揺れていた。
大丈夫! もしベアトリスさんが実験したがっても僕が守るからね!
◆ ◆ ◆
ロイが冒険者ギルドでの商売を終え、店に向かっている頃。
ベアトリスは様子を見にロイの店を訪れ、そこへリディも素材を持ち、訪問していた。
「ベアトおねーさんとリディ、ククルルはちょっとお仕事があるから二人で待っててにゃ!」
『おちゃどうぞ。ぼくもおそうじのつづきしてくる』
そう言って、ククルルとロペルは二人を応接室に残した。
「まぁまぁ。子猫ちゃんも頑張ってるみたいねぇ」
「……」
ベアトリスは朗らかに笑い、ロペルの淹れた少々苦いお茶を飲む。
だが、リディは緊張した面持ちで背筋を伸ばし、ソファーに座っていた。
「あの、ベアトリス様」
その声掛けに、ベアトリスはおや? と思った。
これまでリディは『ベアトリスさん』と、街のみんなと同じように呼んでいたはずだが……
「なぁに? リディちゃん」
「あの、私、侍女からあなた様のことを聞きました。母と友人同士だったと……その、ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません!」
リディはスッと立ち上がり、淑女の礼をとった。
「あら。ふふっ、いいのよぉ。大きくなったわねぇ……リディアーヌ・アドリアネー・ラブリュストラ」
ラブリュストラ。それは、ここラブリュスで知らない者はいない名。
領主である、迷宮伯ラブリュストラ家の名だ。
「いいえ。離れにいる私のことなど、ベアトリス様はご存知ないと勝手に思い、その……気軽にベアトリスさんだなんて、失礼いたしました……」
リディは深々と頭を下げる。
ベアトリスは、リディの明るい金の髪色に懐かしい気持ちで目を細め、少ししょげた尖った耳を見て、微笑んだ。
「そんなこと、気にしなくていいのよ。あなたは城に出入りしていなかったんだものぉ。 それより座って? あなたのお顔をよく見たいわぁ」
柔らかなその声に、リディはそろりと顔を上げる。
「うふふ。もしもここが宮廷で、私は錬金術師の正装、あなたがドレスをまとっていたら、かしこまるべきかもしれないわぁ。でも出会ったのは迷宮都市の街中で、あなたは駆け出し冒険者でしょう? 気にしないわぁ」
「ベアトリス様……」
「やぁね、これまで通りでいいのよぉ? あなたは弟子のお友達だし、私が知り合ったのは冒険者のリディちゃんだもの。ところで……その赤いケープっておうちにあったものじゃなぁい?」
思わぬことを言われ、リディは目をパチパチと瞬かせた。
「はい。これは母のものだったようで……冒険者になると言ったら侍女が仕立て直してくれたんです。冒険者だなんて、最初は渋っていたんですけど……」
「あはは、でしょうねぇ」
「あの……ベアトリスさ……ん、は、母とどんな関係だったのですか?」
「私がラブリュストラ家の子に、魔法の授業をすることがあるのを知ってるかしらぁ」
リディは頷く。
だからこそ、リディは離れに閉じ込められる生活をしていても、高名な錬金術師ベアトリスのことを知っていたのだ。
だが、知っていたのはそれだけだ。
「あなたのお母様――アデリーヌとは、わりと古いお友達なの。あなたの侍女って、元はお母様の侍女でしょぉ? それにね、私お父様とも友人なのよぉ。四人で何度も迷宮に行ったものよ」
「友人……だったのですか」
「ええ……その赤いケープも、腰の収納バッグにも見覚えがあるわぁ。懐かしい」
ベアトリスから自然と笑みが零れる。
リディの母はエルフでベアトリスは魔人だ。
エルフは魔人ほどではないが、どちらも長命の種族。長い時を生きる者同士気が合った。
そしてリディの父親はラブリュストラ家の長男だった。
幼い彼に魔法の手ほどきをしたのはベアトリスだ。彼はベアトリスの可愛い教え子であり、長じてからは友人の恋人となった。
ベアトリスは当時の話をリディに聞かせた。
「私ね、ちっちゃなあなたに会ったことがあるのよぉ。二歳くらいだったかしらぁ?」
「えっ!」
リディは目をまん丸にして思わず声を上げた。
「大きくなったわね……あれからもう十二年が経ったのねぇ。私にはついこの前のことのようだけど、よちよち歩きの子が冒険者になっているなんて。驚いたわぁ……でも、抜け出してきているのよねぇ?」
「はい……叔父様に言い付けますか?」
リディはベアトリスの金眼を真正面から見て尋ねると、キュッと唇を引き結んだ。
ベアトリスにはその顔が、リディとよく似た懐かしい顔と重なって見えた。
こうと決めたら絶対に曲げず、自分の意志を貫き通す。
リディの表情は、そういう決意の顔だ。
この親子はよく似ているとベアトリスは思う。
友人であった彼女も十二年前に見せた顔だった。
「……知られたくないのねぇ?」
「はい。叔父様に知られれば、もっと厳しく離れに閉じ込められてしまいます」
「そうねぇ……まぁ、それにも理由はあるのでしょうけど……説明不足じゃ仕方ないわねぇ」
今、リディの心臓はドキドキ、ドキドキと跳ね回っているのだろう。
緊張からか、膝の上で重ねた手はキツく握りしめられている。
十二年前。前回の十二迷刻が起きた時。
リディの父親は次期領主、迷宮伯となる立場だった。だが十二迷刻の迷宮に挑み、想定外の何かに遭遇し、母親と共に眠りについた。
生きてはいるが、深く眠ったままでは迷宮伯の仕事はできない。
仕方なく兄の代わりを務めたのが、現在の迷宮伯。リディの過保護すぎる叔父だ。
(あの子もねぇ……やり方が下手なのよぉ)
ベアトリスは苦笑いする。
リディの叔父は、万が一にもリディを失うまい、迷宮に取られまいと大切にしているつもりなのだろうが、リディに何も話していないせいで、盛大にすれ違ってしまっている。
まさかリディが家を出たいと思い詰めた末に冒険者になり、活躍しているとは、想像だにしていないだろう。
カーン、カーン……と響いてくるのは、時計台の鐘の音だ。
そろそろ本格的に街が動き出す時刻。
食事を終えた僕らの最初の仕事は後片付けだ。
汚れた食器を綺麗にする役割はプラムが買って出てくれた。
スライムには【分解】のスキルがあるから、汚れを落とすのは得意なんだよね。
ククルルくんは器用に食器棚を登り、食器をしまってくれている。
「寝坊して朝ごはんの準備を手伝えにゃかったから、片付けは頑張るにゃ」と、尻尾を立てて言っていた。
そして僕はというと、ロペルと一緒にソーセージを収納庫にしまって、今は一足先にソファーで食後のお茶をいただいてます。
それにしても、プラム……本当に不思議で綺麗な色になったよね。
僕はプラムの後ろ姿を見つめた。
両手(?)を伸ばし、抱えるようにお皿を体内に取り込んでは綺麗にして取り出す。
そんなふうに動くたび、プラムの体内にある星屑のようなキラキラが、ちらちら動いてとっても綺麗だ。
元は薄紫色だったプラムだけど、今は明るい紫と蒼色が混ざった不思議な色をしている。
薬を使ったあの時は、こんなふうにプラムが変化するなんて思わなかった。
――あの時。ハズレの塔で僕とプラムが若旦那さんに襲われた時。
若旦那さんから攻撃を受けたプラムを治したい! その一心で、僕はエリクサーを創造し、プラムの傷に振り掛けた。
でも、あの薬はエリクサーじゃなかったみたいなんだよね。プラムが治ったからなんでもいいんだけど……
僕の進化したスキル【創薬】は、明確に願うことが必要なのだと、先日ここを訪れたベアトリスさんの話を聞いて分かったんだ。
◆ ◆ ◆
「――ぼくが作ったエリクサーを調べてみたのぉ」
そう言って、ベアトリスさんは小瓶に入った輝く液体を取り出して見せた。
ベアトリスさんはビーカーに僅かに残っていた薬を持ち帰り、あれが本当にエリクサーなのか調べたのだという。
「それとねぇ、伝説の万能薬エリクサーについても改めて調べ直したのよぉ」
「エリクサーについて……?」
伝説上のエリクサーは、なんでも治す万能薬と言われているけど、ベアトリスさんいわく、基本的に『体力と魔力を同時に回復させる薬』なのだそうだ。
体力と魔力を同時に回復させる薬に、様々な効果が出る素材を組み合わせることで万能薬になる。
ベアトリスさんをはじめとした、現在の錬金術師たちはそう結論づけ、研究しているらしい。
ちなみに魔法薬には、体力と魔力両方を同時に回復させるものは存在しない。
「スキル【創薬】は未知のスキルだわぁ。あの子を助けたいと願い、ぼくがイメージしたのは伝説の万能薬、エリクサーだったのよね?」
「はい。あの時、プラムは心臓ともいえる核を傷つけられて……ポーションじゃ助からないと思ったんです」
核は魔物にとって命の源とも言える、魔力を生み出す器官。人は持っていない魔物特有のものでもある。
「私が調べた結果、この液体はスライムに特化した上級回復ポーションだと思うわぁ。でもただのポーションじゃない。魔力も回復……というか、補給と言ったほうが正確ねぇ? エリクサーではないけど、効果は限りなくエリクサーに近いものよぉ」
「エリクサーじゃなかったんだ……」
【創薬】スキルは、望む薬をなんでも創り出せるものだと思っていたけど、そうじゃなかったのか。
あの時、薬の材料として使ったのは、古王国のレシピで作った薬玉――【製薬】スキルにより生成された薬が薄い膜で包まれたもの――と、プラムが塔で見つけた蒼色の結晶だった。
どちらも高魔力のアイテムだから、伝説のエリクサーができても不思議じゃないって感じたんだけど……
「ふふ。そんながっかりした顔をしないのよぉ? 確かに伝説の万能薬、エリクサーではなかったけど、あの時のプラムにとってはエリクサーだったわぁ。だって、スライムに特化した上級回復ポーションだったのだものぉ。ほらこれ、いろいろ実験したのよぉ?」
そう言ってベアトリスさんはノートを見せてくれた。
様々な人種や魔物に、僕の薬を一滴ずつ試した結果が記されたものだ。
「不思議ねぇ? なぜスライムに特化した薬になったのか……ぼくはよっぽどスライムに縁があるのねぇ」
「えへへ……それは、はい。切っても切れないくらい強い縁があるんだと思います」
僕は首から下げた守り袋をギュッと握った。袋の中には、捨て子の僕が唯一持っていた翠色の結晶が入っている。
エリクサーの材料にした蒼色の結晶……たぶんあれは、かつて塔にいたスライムたちの魔力が結晶化したものなんだと思う。
守り袋に入っている結晶とよく似ていたけど……これが何かは、まだ分かっていない。
「それにあの子、色だけじゃなく魔力も変化してるわねぇ。魔力が高まってる。進化してるっぽいわぁ。スライム特化のポーションというのが、進化にも繋がったのかしらねぇ。興味深い現象よぉ」
ベアトリスさんはそう声を弾ませていた。
「あの……プラムで実験はしないでくださいね?」
僕は恐る恐るそう言った。
弟子入りしていたバスチア魔法薬店では、お願いをしたとしても聞き入れてはもらえなかった。
でも、ベアトリスさんは高名な錬金術師だ。
「やぁねぇ! 実験なんかしないわぁ。プラムはぼくの大切な友人じゃない。そぅねぇ……観察はさせてもらいたいけど、プラムに聞いてくれるぅ? ぼく?」
「はい。聞いてみます」
ふふふと笑い、冗談交じりに言うベアトリスさんに僕も笑顔で答えた。
よかった。やっぱり僕の新しい師匠は、あんな人たちとは全然違う。
最初の師匠だった、バスチアの先代さんに教わっていた時と同じく、僕はきっとまた楽しく調合と向き合えそうな気がする。
「それと、【創薬】スキルにも鑑定と検証が必要ねぇ。たぶんぼくの願いが、創られた薬に影響するんだと思うわぁ。ねーえ? ぼく、あの時なんて願ったのかしらぁ。プラムを助けたいと思っただけだったのぉ?」
「……確か、本物じゃなくてもいい、伝説の回復薬、エリクサーのような、なんでも治る薬を創りたい! プラムを治す薬を作りたい! って思っていたんだと思います」
そうだ。僕はプラムに死なないでほしかっただけ。僕ともっと一緒にいてほしいと思っただけ。プラムに痛い思いをしないでほしかっただけだ。
「ベアトリスさん。僕は、プラムの傷が治って、強くなってほしいって願ったのかもしれません」
「ああ、なるほどねぇ」
ベアトリスさんは珊瑚色の唇を優しくにこりとさせて、僕の頭をぽんぽんと撫でた。
「ふふ。プラムにあれほどの魔力があれば、きっともう滅多なことでは傷つかないわぁ。お友達とはいえあの子は従魔でしょぉ? ふふ、今度は主人のぼくを守れるくらい、強いスライムになっているかもしれないわねぇ?」
クスクスとベアトリスさんは笑った。
そこへ、ポヨン、ポヨンと階段を下りてきたプラムが顔を出した。
『ロイ? どうしたの? へんなかお~?』
そんな声が聞こえ、プラムはポヨヨン! と僕の肩に飛び乗り、顔を覗き込んだ。
「あ……」
鮮やかな紫色に蒼色が混じり、キラキラ輝く魔力を揺らすプラムの姿には、まだ慣れない。
「ねえ……プラム? 新しい体の色と魔力には慣れた? 気に入ってる?」
『ポヨ?』
プラムは体を捩り、ビョンビョンと伸びたり跳ねたりして自分の体を見回した。
『きれいだね』
くふふ、と楽しそうな笑い声まで聞こえて、僕もフッと笑みがこぼれた。
僕の願いでプラムの体の色やその魔力まで変えてしまったけど、プラムが嫌じゃなくて、元気にしてくれてるならいいかな。そう思った。
◆ ◆ ◆
――僕はキッチンで体をキラキラ輝かせ、せかせかと動き回るプラムを笑顔で眺める。
すると、お皿をしまい終えたククルルくんが振り向き、にやっと笑ったかと思ったら、トーン! と壁を蹴り、こちらに飛んできた。
「うっわぁ! ククルルくん何!?」
「にゃあにゃあ、ロイ! そんでお店はいつから始めるにゃ?」
ククルルくんは僕の膝の上で、若草色の目をまん丸にして「ククルル、お店屋さんやってみたいにゃ!」と言い出した。
『おみせばん、ぼくもやる』
隣に座るロペルも、ククルルくんと同じように僕をじっと見つめ、『やくにたつよ』と言い、大きく頷く。
「うん。僕も早くお店を始めたいのはやまやまなんだけど、明後日までは冒険者ギルドの売店をやる約束なんだ」
今は冒険者ギルド内で僕が作ったキラキラポーションを売らせてもらっていて、これがなかなか好評なのだ。
「んにゃ~、待ちきれないにゃ~」
『ぼくはまてるよ』
苛立たしげに尻尾を、ぶぅん、ぶぅん、と揺らすククルルくん。
ロペルは落ち着いている。
『ポヨン、ポヨポヨン!』
「んにゃ! ククルルの頭に乗っちゃいやにゃよ、プラム!」
後片付けを終えたプラムまで駆け寄ってきて、大きくないソファーは満員だ。
「ふふ。お店のことはギュスターヴさんとベアトリスさんにも相談してるんだ。ギルドの売店と、お店を構えるのはちょっと違うからね」
「にゃー、それは確かににゃ。仕方にゃい。ククルル明日はまだ読んでにゃい『古王国のよく分からにゃい古文書』を解読して待ってるにゃ」
ククルルくんは、大好きな古文書を集めながら旅するケットシーだもんね。
『ぼくはロイのおてつだい……?』
ロペルが僕を見ながら言う。
「うーん……」
きっと売店は大忙しだろうけど、キラキラポーションの在庫が限られてるし、プラムと僕とでなんとかなりそうなんだよなぁ。
それに……
僕はチラリと、膝の上でコロンコロンしてバランスを取る遊びを始めたククルルくんを見た。
今の今まで古文書の話をしていたのに、もう他のことに気が移っている。
うーん……この気まぐれなククルルくんを、ここに一人で置いていくのは不安すぎる。何をしでかすか分からないぞ。
「……ロペルはククルルくんとお留守番しててくれるかな? ロペルにお願いしたい仕事があるんだ」
『わかった。おしごとがんばる』
ロペルは嬉しそうにぷるぷると揺れ、大きく頷いた。
ありがとう、ロペル……!
ロペルには素材の在庫チェックとか、ポーション瓶の管理とかいろいろお願いしたいことがある。
その仕事をしつつ、ククルルくんと一緒に留守番をしてもらえればそれでいい!
◆ ◆ ◆
翌日。僕はプラムと二人で冒険者ギルドにいた。
「キラキラポーションは一人二つまで! 売店は明日までですー!」
『ポヨ! ポヨヨン!』
僕は声を張り上げ、列を整理する。
売店カウンターには、『一人二つまで』『近日、錬金薬師ロイの店が開店予定』と書いた板を立てかけてある。
実は昨日までは買い溜めしたい人もいるだろうと、購入の個数制限は五個だった。
けど僕の新しいお店の開店日が近日と曖昧なせいか、予想以上に買い溜めする人が多く、明日まで在庫をもたせるため、急遽、二個までに制限を変えた。
「並んでる間にお金を用意してね! どんどん進んであの箱に代金を入れてくださいー!」
僕が指さす先にあるのは透明の料金箱。
この箱に使われている透明の板は、ある植物から採れる粘液を固めたものだ。硝子よりもお手頃価格なので最近人気だ。
並ぶお客さんたちは、自分の番が来たらカウンターに置かれた箱に代金を入れ、プラムからポーションを受け取る。
箱が透明なので金額をごまかせばすぐに分かってしまう。
ここに並ぶお客さん皆が証人だ。
プラムは売店カウンターに立ち、シュッ、シュッと手(?)を伸ばしポーションを手渡していく。
このやり方にしてから、回転率がかなり上がった。
流れ作業のような販売方法は、列が高速ではけていく。
すごい。お客のみんなもこのやり方に慣れたせいか、あっという間に完売しちゃいそう……!
そしてお昼過ぎ。
ランチを食べに来た冒険者たちが買っていって、今日の分は完売した。
「お、静かになったと思ったらもう売り切れたか」
ランチのトレイを持って二階から下りてきたのはギュスターヴさんだ。きっと忙しくて仕事をしながらごはんを食べてたんだ。
「うん、今日リディが素材を持ってきてくれる予定だから、明日はもっと多く用意するつもり」
「そうか。じゃ、そう書いた紙をカウンターと掲示板に貼っておけ。受付のエリサに渡せばいい。ああそれと、夕方、迷宮から戻ってがっかりする奴らもいるだろう。明日なら買えそうだって教えてやってくれ」
ギュスターヴさんは僕にそう言う。
「はい!」
「ところでロイ。お前、ベアトリスに前世のことを話したか?」
ギュスターヴさんがちょっと屈んで僕の耳元で尋ねた。
「え、まだ……です」
師匠になったといっても、ベアトリスさんは毎日指導をしに来てくれるわけじゃない。
引っ越しでバタバタしてたのもあるけど、どんなふうに指導してくれるのかもまだ教えてもらっていない。
「まあ、どう話すか考えるとこではあるな……よし。早いうちにベアトリスと話す機会を作ってやろう。師匠にはお前のスキルや前世のことを話しておいたほうがいい」
僕は肩に乗せたプラムと顔を見合わせ、ほんの少し眉を下げる。
「心配するな、ロイ。ベアトリスならお前のちょっと変わった前世くらい、面白がって受け入れる。古王国時代の製薬スライムなんて錬金術師には垂涎物じゃねぇか? むしろ実験されないように気を付けたほうがいいかもな」
ギュスターヴさんはニッと笑い、僕の頬にぺちりと触れた。
「……そういえば前にもギュスターヴさん、そんなこと言ってたね。ふふ!」
僕の肩では、プラムが『じっけん……? ぼく、せいやくすらいむ……だとおもうんだけど……』と呟き、プルルルと激しく揺れていた。
大丈夫! もしベアトリスさんが実験したがっても僕が守るからね!
◆ ◆ ◆
ロイが冒険者ギルドでの商売を終え、店に向かっている頃。
ベアトリスは様子を見にロイの店を訪れ、そこへリディも素材を持ち、訪問していた。
「ベアトおねーさんとリディ、ククルルはちょっとお仕事があるから二人で待っててにゃ!」
『おちゃどうぞ。ぼくもおそうじのつづきしてくる』
そう言って、ククルルとロペルは二人を応接室に残した。
「まぁまぁ。子猫ちゃんも頑張ってるみたいねぇ」
「……」
ベアトリスは朗らかに笑い、ロペルの淹れた少々苦いお茶を飲む。
だが、リディは緊張した面持ちで背筋を伸ばし、ソファーに座っていた。
「あの、ベアトリス様」
その声掛けに、ベアトリスはおや? と思った。
これまでリディは『ベアトリスさん』と、街のみんなと同じように呼んでいたはずだが……
「なぁに? リディちゃん」
「あの、私、侍女からあなた様のことを聞きました。母と友人同士だったと……その、ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません!」
リディはスッと立ち上がり、淑女の礼をとった。
「あら。ふふっ、いいのよぉ。大きくなったわねぇ……リディアーヌ・アドリアネー・ラブリュストラ」
ラブリュストラ。それは、ここラブリュスで知らない者はいない名。
領主である、迷宮伯ラブリュストラ家の名だ。
「いいえ。離れにいる私のことなど、ベアトリス様はご存知ないと勝手に思い、その……気軽にベアトリスさんだなんて、失礼いたしました……」
リディは深々と頭を下げる。
ベアトリスは、リディの明るい金の髪色に懐かしい気持ちで目を細め、少ししょげた尖った耳を見て、微笑んだ。
「そんなこと、気にしなくていいのよ。あなたは城に出入りしていなかったんだものぉ。 それより座って? あなたのお顔をよく見たいわぁ」
柔らかなその声に、リディはそろりと顔を上げる。
「うふふ。もしもここが宮廷で、私は錬金術師の正装、あなたがドレスをまとっていたら、かしこまるべきかもしれないわぁ。でも出会ったのは迷宮都市の街中で、あなたは駆け出し冒険者でしょう? 気にしないわぁ」
「ベアトリス様……」
「やぁね、これまで通りでいいのよぉ? あなたは弟子のお友達だし、私が知り合ったのは冒険者のリディちゃんだもの。ところで……その赤いケープっておうちにあったものじゃなぁい?」
思わぬことを言われ、リディは目をパチパチと瞬かせた。
「はい。これは母のものだったようで……冒険者になると言ったら侍女が仕立て直してくれたんです。冒険者だなんて、最初は渋っていたんですけど……」
「あはは、でしょうねぇ」
「あの……ベアトリスさ……ん、は、母とどんな関係だったのですか?」
「私がラブリュストラ家の子に、魔法の授業をすることがあるのを知ってるかしらぁ」
リディは頷く。
だからこそ、リディは離れに閉じ込められる生活をしていても、高名な錬金術師ベアトリスのことを知っていたのだ。
だが、知っていたのはそれだけだ。
「あなたのお母様――アデリーヌとは、わりと古いお友達なの。あなたの侍女って、元はお母様の侍女でしょぉ? それにね、私お父様とも友人なのよぉ。四人で何度も迷宮に行ったものよ」
「友人……だったのですか」
「ええ……その赤いケープも、腰の収納バッグにも見覚えがあるわぁ。懐かしい」
ベアトリスから自然と笑みが零れる。
リディの母はエルフでベアトリスは魔人だ。
エルフは魔人ほどではないが、どちらも長命の種族。長い時を生きる者同士気が合った。
そしてリディの父親はラブリュストラ家の長男だった。
幼い彼に魔法の手ほどきをしたのはベアトリスだ。彼はベアトリスの可愛い教え子であり、長じてからは友人の恋人となった。
ベアトリスは当時の話をリディに聞かせた。
「私ね、ちっちゃなあなたに会ったことがあるのよぉ。二歳くらいだったかしらぁ?」
「えっ!」
リディは目をまん丸にして思わず声を上げた。
「大きくなったわね……あれからもう十二年が経ったのねぇ。私にはついこの前のことのようだけど、よちよち歩きの子が冒険者になっているなんて。驚いたわぁ……でも、抜け出してきているのよねぇ?」
「はい……叔父様に言い付けますか?」
リディはベアトリスの金眼を真正面から見て尋ねると、キュッと唇を引き結んだ。
ベアトリスにはその顔が、リディとよく似た懐かしい顔と重なって見えた。
こうと決めたら絶対に曲げず、自分の意志を貫き通す。
リディの表情は、そういう決意の顔だ。
この親子はよく似ているとベアトリスは思う。
友人であった彼女も十二年前に見せた顔だった。
「……知られたくないのねぇ?」
「はい。叔父様に知られれば、もっと厳しく離れに閉じ込められてしまいます」
「そうねぇ……まぁ、それにも理由はあるのでしょうけど……説明不足じゃ仕方ないわねぇ」
今、リディの心臓はドキドキ、ドキドキと跳ね回っているのだろう。
緊張からか、膝の上で重ねた手はキツく握りしめられている。
十二年前。前回の十二迷刻が起きた時。
リディの父親は次期領主、迷宮伯となる立場だった。だが十二迷刻の迷宮に挑み、想定外の何かに遭遇し、母親と共に眠りについた。
生きてはいるが、深く眠ったままでは迷宮伯の仕事はできない。
仕方なく兄の代わりを務めたのが、現在の迷宮伯。リディの過保護すぎる叔父だ。
(あの子もねぇ……やり方が下手なのよぉ)
ベアトリスは苦笑いする。
リディの叔父は、万が一にもリディを失うまい、迷宮に取られまいと大切にしているつもりなのだろうが、リディに何も話していないせいで、盛大にすれ違ってしまっている。
まさかリディが家を出たいと思い詰めた末に冒険者になり、活躍しているとは、想像だにしていないだろう。
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