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外伝1章
第1話 コミケ編
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話は少し昔に戻る、僕の青春の物語は、P2Pと自作PCという「技術」の進化と共に語られてきた。
しかし、技術がどれほど進化しても、決して代替できないものがある。それは、「熱量」と「群れ」が物理的にぶつかり合う、あの場所の空気だ。
インターネットの光と影が交差していた2005年。
僕は高校を卒業し、上京。大学生になっていた。
その年初めて、コミックマーケット(コミケ)という、オタク文化の地上最大の祭典に、参加者として足を踏み入れた。
夏の日差しがアスファルトを焦がす8月。
東京ビッグサイトは、僕が想像していたどのネット上の画像や書き込みよりも、遥かに巨大で威圧的だった。
早朝のりんかい線国際展示場駅に降り立った瞬間、僕は理解した。
ここは、ただの展示場ではない。これは、戦場だ。
午前5時半。
ゆりかもめ・りんかい線の始発が到着し、ホームに降り立つと、そこには既に、黒いTシャツとリュックサックを背負った、同志たちの巨大な「群れ」が、地平線の先まで、静かに、しかし異常な熱気を放って歩いていた。
その人数は、僕の住んでいた地方都市の人口を遥かに超えているように感じられた。
僕がこの群衆の中にいる仲間たちと繋がったのは、非公開ネットワークである「うたたね」の中だった。同じ趣味を持ち、同じ最先端の知識を持つ、顔も本名も知らない貴重な友人たち。
彼らはP2Pで音楽やアニメ、ゲーム、そして情報を分かち合った、僕の「地下」の仲間だ。
しかし、当時の社会にとって、ネットの友達と実際に会う「オフ会」は、まだ暗いイメージを持つ禁忌に近かった。
「ネカマ」「誘拐」「詐欺」といった危険が常に囁かれ、物理的に接触するという行為は、大きなリスクを伴うとされていた。
僕と、ネットで知り合った数人の仲間は、その禁忌を破ってコミケという「戦場」で初めて顔を合わせた。
僕はP2Pという匿名性の世界で同志と繋がっていたが、この群衆の中にいることで、インターネットとは違う、「物理的な連帯感」という、新しい興奮を味わっていた。
■徹夜組の伝説と警備の攻防
僕と、僕がネットで知り合った数人の仲間は、「始発組」として並ぶのが精一杯だった。
「徹夜組」として並ぶことは、当時のコミケのルールで厳しく禁じられていたが、それでも深夜から会場外の歩道や駐車場で「勝手に列を形成」する猛者が存在した。
僕たちが始発で到着した時、既にその場所には、数万人に達する人間が、巨大な蛇のように列をなしていた。
日の出と共に、その人々の熱気が蒸発し、ビッグサイト全体が巨大な蒸し風呂と化していく。
午前10時、開場。巨大なシャッターが開くと同時に、僕たち数万人の群衆は、一斉に東棟へと流れ込んだ。
コミケの会場は、当時の僕にとって、ネットの掲示板以上に明確な「階級社会の縮図」に見えた。
「壁」「シャッター」「島」──階層構造の聖域
「壁サークル」: 会場の東西ホールの「外周壁面」に配置されたサークル。
ここには、ジャンルを問わず、人気サークルが配置されていた。
彼らは僕たちオタクにとっての「神々」であり、「文化を創造する頂点」だった。
その作品を手に取ることは、「作者に直接感謝を伝え、その創造を支持する」という、強い承認の儀式だった。
「シャッター前サークル」: 「壁サークル」の中でも特に動線整理が必要な超人気サークルが、出入口(シャッター前)の一帯に配置されたエリアを指した。
彼らは「壁サークルの中のさらに上位」と見なされ、その列は会場の外、広場まで伸びていた。
僕が最も早く特攻しなければならない最重要エリアだった。
「島中(しまなか)」サークル: 会場中央部の、机を並べた「島」の中に配置されたサークル。大多数がここで、個人~中堅サークルが中心だった。
★ 当時、同人誌は非常に高価な「文化的通貨」だった。
大手サークルの新刊はたとえ500円でも、頒布数はわずか2000部。
瞬時に完売し、ネットオークションでは5000円、時には1万円を超えることも珍しくなかった。
さらに、グッズは1人2限(ひとり2点限り)が原則。
2000円のタペストリーが、翌日には2万円で取引される。
この「限定」と「希少」が、オタク心を猛烈に刺激した。
僕たちは転売目的ではなく、「推しの作品をコレクションする」という純粋な欲望に突き動かされていた。
あの頃のコミケ会場には、まるで株式市場のような熱があった。
誰もが理性を超えて、「何が何でも欲しい」と本気で思っていた。
それは、P2Pでいくらでも複製できるデータとはまるで違う、「手に入れることそのものが尊い」世界だった。
2005年当時、コミケで圧倒的な熱狂を生み出していたのは、まさに「ライトノベル黄金期」と「美少女ゲーム黄金期」を支えたイラストレーターたちだった。
彼らのサークルは、例外なく壁やシャッターを占拠していた。
彼らの作品を巡る列は、僕たちオタクの「美少女への愛」の歴史そのものだった。
僕がこの日、命がけで追いかけた、当時のコミケを象徴する「神絵師」たちは、以下の面々だった。
みつみ美里(Leaf/AQUAPLUS):
『To Heart』『こみっくパーティー』などで知られる、美少女ゲーム業界のレジェンド。
彼女の描く温かみのあるキャラクターと、その作品の歴史的な重みから、彼女のサークルは常にシャッター前の「聖地」として崇められていた。
その列に並ぶことは、「美少女ゲームという文化の歴史」に参加するような感覚だった。
鈴平ひろ:
シャープで洗練された彼女のイラストを求めるファンは多く、彼女のサークルスペースもまた、東棟の重要な熱狂の中心地だった。
彼女の作品は、僕たちに「美少女キャラクターの持つ究極の美」を追求することの喜びを教えてくれた。
七尾奈留:
『水夏』『D.C.~ダ・カーポ』という人気ギャルゲーの原画家。
当時は人気のピークで、シャッター前では当然のごとく大行列。
また部数も人気作家にしては少なく、プレミア同人誌となりやすい作家であった。
僕は、汗だくになりながら、人の波に揉まれ、目的のサークルに到達する。
新刊を手にした時の、紙の重みとインクの匂い。
それは、P2Pでダウンロードしたファイルには決して存在しない、「物理的な興奮」だった。
列に並ぶ数時間は地獄だが、この瞬間の「達成感」こそが、僕たちの熱量の源泉だった。
2005年当時、コミケは既に巨大なイベントであり、その動員数は数十万人を記録していたが、その世間的な認知度は、「巨大だが、あくまでマニアの祭り」という曖昧な位置づけだった。
僕たちオタクにとって、コミケは「最高の戦場」であり、「一年の集大成」であり、「魂の解放区」だった。
ここで得た熱量と作品が、次の半年間の僕たちの生活を支える糧となっていた。
コミケこそが、オタク文化の全てであり、この場で創造されたものが、やがて世界を変えると信じていた。
世間レベルでは、「東京ビッグサイトで、大勢のオタクが集まるイベントがあるらしい」「コスプレイヤーがすごいらしい」という断片的な情報しか、一般社会には届いていなかった。
報道されるとしても、「コミック」という言葉から想起される「漫画の祭典」という表面的な理解に留まり、「変な人たちが集まる奇祭」というニュアンスを完全に払拭できていなかった。
僕のP2Pでの活動が「地下」の技術的探求だったとすれば、コミケは「地上」の「熱量の爆発」でありながら、世間からはまだ遠い「結界の中の祭り」だった。
この結界こそが、僕たちの熱狂を純粋に保つ壁でもあったのだ。
祭りの終わりと未来への情熱
夕方、閉場のアナウンスが流れると、僕たちは汗と熱気でぐったりとしながら、戦利品を抱えてビッグサイトを後にした。
重いリュックの中には、僕が血と汗で手に入れた「最高の作品たち」が詰まっていた。
疲労困憊ではあったが、僕の魂は満たされていた。
インターネットの広大さ、P2Pの技術的な深さ、そしてコミケの物理的な熱量。
この全てが、僕のオタクとしての自我を形成していた。
2005年のコミケは、僕にとって、オタクとしての「修行の場」だったのかもしれない。
しかし、技術がどれほど進化しても、決して代替できないものがある。それは、「熱量」と「群れ」が物理的にぶつかり合う、あの場所の空気だ。
インターネットの光と影が交差していた2005年。
僕は高校を卒業し、上京。大学生になっていた。
その年初めて、コミックマーケット(コミケ)という、オタク文化の地上最大の祭典に、参加者として足を踏み入れた。
夏の日差しがアスファルトを焦がす8月。
東京ビッグサイトは、僕が想像していたどのネット上の画像や書き込みよりも、遥かに巨大で威圧的だった。
早朝のりんかい線国際展示場駅に降り立った瞬間、僕は理解した。
ここは、ただの展示場ではない。これは、戦場だ。
午前5時半。
ゆりかもめ・りんかい線の始発が到着し、ホームに降り立つと、そこには既に、黒いTシャツとリュックサックを背負った、同志たちの巨大な「群れ」が、地平線の先まで、静かに、しかし異常な熱気を放って歩いていた。
その人数は、僕の住んでいた地方都市の人口を遥かに超えているように感じられた。
僕がこの群衆の中にいる仲間たちと繋がったのは、非公開ネットワークである「うたたね」の中だった。同じ趣味を持ち、同じ最先端の知識を持つ、顔も本名も知らない貴重な友人たち。
彼らはP2Pで音楽やアニメ、ゲーム、そして情報を分かち合った、僕の「地下」の仲間だ。
しかし、当時の社会にとって、ネットの友達と実際に会う「オフ会」は、まだ暗いイメージを持つ禁忌に近かった。
「ネカマ」「誘拐」「詐欺」といった危険が常に囁かれ、物理的に接触するという行為は、大きなリスクを伴うとされていた。
僕と、ネットで知り合った数人の仲間は、その禁忌を破ってコミケという「戦場」で初めて顔を合わせた。
僕はP2Pという匿名性の世界で同志と繋がっていたが、この群衆の中にいることで、インターネットとは違う、「物理的な連帯感」という、新しい興奮を味わっていた。
■徹夜組の伝説と警備の攻防
僕と、僕がネットで知り合った数人の仲間は、「始発組」として並ぶのが精一杯だった。
「徹夜組」として並ぶことは、当時のコミケのルールで厳しく禁じられていたが、それでも深夜から会場外の歩道や駐車場で「勝手に列を形成」する猛者が存在した。
僕たちが始発で到着した時、既にその場所には、数万人に達する人間が、巨大な蛇のように列をなしていた。
日の出と共に、その人々の熱気が蒸発し、ビッグサイト全体が巨大な蒸し風呂と化していく。
午前10時、開場。巨大なシャッターが開くと同時に、僕たち数万人の群衆は、一斉に東棟へと流れ込んだ。
コミケの会場は、当時の僕にとって、ネットの掲示板以上に明確な「階級社会の縮図」に見えた。
「壁」「シャッター」「島」──階層構造の聖域
「壁サークル」: 会場の東西ホールの「外周壁面」に配置されたサークル。
ここには、ジャンルを問わず、人気サークルが配置されていた。
彼らは僕たちオタクにとっての「神々」であり、「文化を創造する頂点」だった。
その作品を手に取ることは、「作者に直接感謝を伝え、その創造を支持する」という、強い承認の儀式だった。
「シャッター前サークル」: 「壁サークル」の中でも特に動線整理が必要な超人気サークルが、出入口(シャッター前)の一帯に配置されたエリアを指した。
彼らは「壁サークルの中のさらに上位」と見なされ、その列は会場の外、広場まで伸びていた。
僕が最も早く特攻しなければならない最重要エリアだった。
「島中(しまなか)」サークル: 会場中央部の、机を並べた「島」の中に配置されたサークル。大多数がここで、個人~中堅サークルが中心だった。
★ 当時、同人誌は非常に高価な「文化的通貨」だった。
大手サークルの新刊はたとえ500円でも、頒布数はわずか2000部。
瞬時に完売し、ネットオークションでは5000円、時には1万円を超えることも珍しくなかった。
さらに、グッズは1人2限(ひとり2点限り)が原則。
2000円のタペストリーが、翌日には2万円で取引される。
この「限定」と「希少」が、オタク心を猛烈に刺激した。
僕たちは転売目的ではなく、「推しの作品をコレクションする」という純粋な欲望に突き動かされていた。
あの頃のコミケ会場には、まるで株式市場のような熱があった。
誰もが理性を超えて、「何が何でも欲しい」と本気で思っていた。
それは、P2Pでいくらでも複製できるデータとはまるで違う、「手に入れることそのものが尊い」世界だった。
2005年当時、コミケで圧倒的な熱狂を生み出していたのは、まさに「ライトノベル黄金期」と「美少女ゲーム黄金期」を支えたイラストレーターたちだった。
彼らのサークルは、例外なく壁やシャッターを占拠していた。
彼らの作品を巡る列は、僕たちオタクの「美少女への愛」の歴史そのものだった。
僕がこの日、命がけで追いかけた、当時のコミケを象徴する「神絵師」たちは、以下の面々だった。
みつみ美里(Leaf/AQUAPLUS):
『To Heart』『こみっくパーティー』などで知られる、美少女ゲーム業界のレジェンド。
彼女の描く温かみのあるキャラクターと、その作品の歴史的な重みから、彼女のサークルは常にシャッター前の「聖地」として崇められていた。
その列に並ぶことは、「美少女ゲームという文化の歴史」に参加するような感覚だった。
鈴平ひろ:
シャープで洗練された彼女のイラストを求めるファンは多く、彼女のサークルスペースもまた、東棟の重要な熱狂の中心地だった。
彼女の作品は、僕たちに「美少女キャラクターの持つ究極の美」を追求することの喜びを教えてくれた。
七尾奈留:
『水夏』『D.C.~ダ・カーポ』という人気ギャルゲーの原画家。
当時は人気のピークで、シャッター前では当然のごとく大行列。
また部数も人気作家にしては少なく、プレミア同人誌となりやすい作家であった。
僕は、汗だくになりながら、人の波に揉まれ、目的のサークルに到達する。
新刊を手にした時の、紙の重みとインクの匂い。
それは、P2Pでダウンロードしたファイルには決して存在しない、「物理的な興奮」だった。
列に並ぶ数時間は地獄だが、この瞬間の「達成感」こそが、僕たちの熱量の源泉だった。
2005年当時、コミケは既に巨大なイベントであり、その動員数は数十万人を記録していたが、その世間的な認知度は、「巨大だが、あくまでマニアの祭り」という曖昧な位置づけだった。
僕たちオタクにとって、コミケは「最高の戦場」であり、「一年の集大成」であり、「魂の解放区」だった。
ここで得た熱量と作品が、次の半年間の僕たちの生活を支える糧となっていた。
コミケこそが、オタク文化の全てであり、この場で創造されたものが、やがて世界を変えると信じていた。
世間レベルでは、「東京ビッグサイトで、大勢のオタクが集まるイベントがあるらしい」「コスプレイヤーがすごいらしい」という断片的な情報しか、一般社会には届いていなかった。
報道されるとしても、「コミック」という言葉から想起される「漫画の祭典」という表面的な理解に留まり、「変な人たちが集まる奇祭」というニュアンスを完全に払拭できていなかった。
僕のP2Pでの活動が「地下」の技術的探求だったとすれば、コミケは「地上」の「熱量の爆発」でありながら、世間からはまだ遠い「結界の中の祭り」だった。
この結界こそが、僕たちの熱狂を純粋に保つ壁でもあったのだ。
祭りの終わりと未来への情熱
夕方、閉場のアナウンスが流れると、僕たちは汗と熱気でぐったりとしながら、戦利品を抱えてビッグサイトを後にした。
重いリュックの中には、僕が血と汗で手に入れた「最高の作品たち」が詰まっていた。
疲労困憊ではあったが、僕の魂は満たされていた。
インターネットの広大さ、P2Pの技術的な深さ、そしてコミケの物理的な熱量。
この全てが、僕のオタクとしての自我を形成していた。
2005年のコミケは、僕にとって、オタクとしての「修行の場」だったのかもしれない。
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